046_八十雄ガーデン
この話は個人的にもお気に入りです。
みんなも気に入ってくれると嬉しいな。
人の幸せを考えた場合、条件として何が必要だろうか。
日本で生活していたころ、少なくとも八十雄は幸せであったと胸を張って言える。最後は交通事故で死んでしまったが、十分満ち足りていた。
では、隣で一生懸命にモルドロー8世の手記を読んでいるバルチはどうだろうか。自分だけ違う種族の中で、差別と偏見を受けてきたバルチは幸せだったと言えるのか。
「ねえじーじ。ここ、何て書いてあるの?」
「うん? ここは料理の仕方だな。【蒸す】って書いてあるけどわかるかい? 焼売を作る時、湯気をあてて作るだろ、そのことだよ」
「へー、そうなんだ。じーじ、ありがとう」
「……なあ、バルチ。バルチはじーじと一緒で幸せかい? バルチが望むんだったら、猫人の村で暮らしてもいいんだよ?」
突然の八十雄の言葉に、パチパチと瞬きを繰り返していたバルチは、急に八十雄に抱きついた。
「バルチ、小さい時の事ほんのちょっとだけど覚えているよ。お母さんの顔は覚えていないけど、匂いはちゃんと覚えてるよ。
じーじとお母さんは同じ匂いがするの。バルチの安心できる匂いだよ。だからバルチ、じーじと一緒ならどこでも幸せだよ」
「そうか、そうか。じーじもバルチみたいないい子と出会えて幸せだよ。アルヴェちゃんに感謝しないとな……」
バルチを抱きしめながら八十雄は泣いた。どうしても溢れる涙をこらえる事ができなかったのだ。
9年ぶりに出席した大工ギルドの会合で、八十雄は懐かしい面々と再会を果たした。昔は若造だった奴等も、今は立派な職人の顔になっていた。旅に出る前は八十雄の家で行われていた会合も、立派な大工ギルド専用の建物が建築されそこで行われていた。
八十雄の席が用意されているのは当然として、その横にバルチの椅子も置かれているのが嬉しかった。
「ギルド長が戻ってきてくれて本当に助かった。これで、俺も肩の荷が下ろせるってもんだ」
そう言いながら笑っているのは、八十雄が旅に出る前にギルド長に指名した男だ。昔はふさふさしていた髪も幾分薄くなり、白い物も混じっている。
「そうそう、いくら世界を回るって言ったって、9年もかかるとは思ってなかった。お嬢ちゃんもずいぶん大きくなって、俺らの事なんか忘れちゃったかな」
「ううん、バルチ覚えてるよ。でもみんな、おじいちゃんになっちゃったね」
「そりゃあ、ちげえねぇ」
八十雄にとって気心しれた仲間たちは声を上げて笑っていた。9年の時はたっていたが、昔と変わらない空気がそこにあった。
「あー、ちょっと言いにくいことなんだがよ。みんな、心して聞いてくれ」
頭を掻きながら話し出した八十雄に、一同は口を閉じて注目する。9年前、旅に出ると八十雄が突然言い出した時の事を思い出した仲間もいた。
「俺今度、ラントスの領主というか、代表というかそんな感じのやつに就任することになっちまった。時期は来年の女神の祝日だ。だから、大工ギルドの仕事はできねえ。ギルド長の地位も正式に引き継いでもらいてえし、俺からギルドに依頼したい仕事もある。どうか俺に力を貸してくれ」
緊張した空気の中、八十雄が頭を下げると、大工ギルドの仲間たちはどこかほっとした顔になった。
「何だよ、びびらせやがって。またどっかに行っちまうかと思ったぜ」
「ああ、早い話が八十雄さんはラントスにいるけど、他はこの9年間と何ら変わらないって事だろ? そんなの全然かまわないぜ」
「それより仕事って何だ? 今は人も増えたし技術の方もかなり上がってる。八十雄さんほどじゃないが、大抵の仕事だったら何でもやってやるよ」
「頭なんか下げんなよ、俺たち仲間だろ? 孤児だった連中も今じゃ所帯を持って立派に頑張ってる。みんなあんたのおかけだ」
「……すまねえ、助かる」
温かい言葉に鼻を啜り、袖口で乱暴に目元を拭う八十雄。年のせいか、妙に涙もろくて困る。
「最近、じーじは泣いてばかりなんだよ。昨日もね、いきなり泣き出して……」
「おいっ、バルチも余計な事は言わないのっ」
口を押さえられて暴れだしたバルチと格闘する八十雄を見ながら、苦楽を共にした大工ギルドの仲間たちは声を上げて笑うのであった。
「……確かにな、大抵の仕事だったらやってやるとは言ったけどよ、これは【大抵】じゃ収まらねえよ」
ラントス郊外の八十雄が開発を許可された一帯、通称【八十雄ガーデン】に、ラントスの大工ギルド長代理マテバの姿があった。
八十雄から大工ギルドに依頼された仕事は、『200人が居住できる住居』、『100人が生活できる孤児院』、『入浴施設』、『学校』の建設だった。
最後の学校については、一部屋の大きさから部屋数まで八十雄が用意していた設計図を渡された。そのことからもかなり気合が入っており、思いつきで言い出したことではないようだ。
マテバを代表とする大工ギルドとしても、最初は材料費を含め八十雄から代金を受け取るつもりはなかったが、ここまで規模が大きくなると話は変わってくる。一日やそこらで終わる仕事ではないため、ある程度の代金を貰わないと生活に支障が出てしまう。
そのため、マテバが大まかな見積もりを作り八十雄に提示したのだが、その日のうちに大工ギルドに代金が振り込まれていた。それも、見積もりの5割り増しの代金が。
「おい、いくら知り合いだからってあの見積もりは駄目だ。お前が一番に考えるのは俺のことじゃなくて、現場で働く若い職人のことでなけりゃ駄目なんだぞ」
「八十雄さん、すみません」
「あんまり頭も下げんな。俺のことをしらねぇ若い職人もいるんだから、トップのお前がペコペコすんのもよくねえ。ちったあ偉そうにしてるくらいで丁度いいんだよ。あと金のことを心配してるみてえだが、安心しとけ。知らないうちに、すげえ金持ちになってたから」
そう言った本人は、若い職人に混じって長屋作りに参加している。俺を含め、八十雄さんを知っている古参の職人は若い職人に八十雄さんの正体を教えていなかった。最初は突然仕事に混ざってきた中年男性に不審な目を向ける若手が多かったが、今では見る目が変わっている。若いといえど、職人である彼らも仕事を見れば相手の実力くらいは推し量れるのだ。
『いいかマテバ。職人だったら相手の手を見れば、大体の力量は分かっちまう。手を抜いてきた手、まじめに仕事に取り組んできた手、口じゃいくらでも上手いことを言ってもな、手は決して誤魔化せねえ。だから仕事は真面目にやらねぇと駄目なんだ。毎日毎日が戦いなんだよ』
『良い建物ってなんだと思う? 高い材料を使って建てた家か? そうじゃねぇ、手をかけて造ったのが良い建物だ。忘れんなよ、本物の大工になりたかったら金をかけるんじゃなくて手をかけろ。これは覚えておけ』
この9年、マテバも八十雄の教えを守り修行に励んできたつもりだ。今はたこが何度も潰れカチカチになった手のひらを見て、八十雄は何と言うだろうか。
最近では建築現場全体を指揮することが多く直接腕を振るう機会も減っていたが、今日くらいは誰も文句を言わないだろう。我慢できなくなり監督席から立ち上がったマテバも、愛用の大工道具を手に作業に加わった。
最初に取り掛かった長屋は一ヶ月もたたないうちに次々と完成していった。大工ギルドに所属する職人たちが休日や仕事の合間に手伝いに来てくれるのも大きかった。新人の大工たちは八十雄の技術を盗もうと常に目で追いかけている。
マテバは昔の自分の姿を見ているようで、思わず笑いが漏れた。
「いよーし、これで本格的に計画が始められるな」
手を止めて今まで完成した建物を見て回っていた八十雄は、嬉しそうだった。昔に比べてみんなの技術も格段に進歩している。旅に出てから大工になった若者連中も、未熟ながらも必死に腕を磨こうとしていた。
「まあ、まだまだひよっ子だがな」
やることがなくて暇を持て余していたバルチは、最近母親の眠る森に入り浸っている。ラントスに戻ってから冒険者登録を済ませたバルチは森での依頼を次々に受けては、バリバリこなしていた。
冒険者ギルドに集まる依頼は廃屋の取り壊しや荷物の配達、臨時の家事手伝いなどちょっとした雑用もある。バルチのように子供にできる仕事もかなり多いし、それで生計を立てている者もいる。
流石にバルチが採取や狩猟系の仕事を受けようとした時はひと悶着が起きた。見た目が6歳程度にしか見えないバルチに危険な仕事をやらせるのは無責任すぎると声が上がったのだ。
ぷくー、と頬っぺたを膨らまし不満げなバルチと冒険者ギルドの間を取り持ったのは八十雄だった。
「危険かどうか、試験だけでもやってくれよ。それで本人も納得するからさ」
妥協案として八十雄の提案を受けることにした冒険者ギルドは、戦闘訓練の実技教官とバルチの模擬戦闘を行うことにした。ギルド側としてはバルチに怪我をさせずいかにして捕らえるか考えていたのだが、その時点で勝負は決まっていたかも知れない。
こうしてバルチは狩猟系を含むすべての依頼を受けることができるようになったのだ。
(まあそれも、近くの森限定なんだけどな)
冒険者の依頼を受ける際、八十雄とバルチは必ずご飯は一緒に食べることを約束した。それならば最大でも半日程度で完了する依頼しか受けられないからだ。
もちろん、バルチも八十雄以外の誰かとご飯を食べる気はないので願ったり叶ったりである。
「じーじ、見てみて。解毒のキノコでしょ、ゴブリンもやっつけたし、薬草も見つけちゃった」
約束どおり昼前に森から戻ってきたバルチは八十雄の前に次々と獲物を並べていく。尻尾はご機嫌に揺れ、光り輝く『ほめて~、ほめて~』視線で八十雄を見ている。
「おーっ、流石はバルチ。じーじより凄いかもしれないぞ?」
抱き上げたバルチの体から優しくゴミを払いながら、頭をなでまわす。
「わーい、やった~」
何より凄い事は、どれだけ嫌な目にあっても素直な性根のいい子に育ってくれたことだと八十雄は思っている。
「凄い凄い。バルチはじーじの自慢だよ」
どうかこの子の未来に、素晴らしい出来事が待っていますように。そう祈らずにはいられなかった。
読んで頂き、ありがとうございました。




