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迷い子たちの冒険  作者: やす。


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第十一話 迷い子の消失

 とある大陸の奥地。険しい山岳地帯の一角に存在する、原生圏の残存施設。強固な岩盤をくり抜き、設立時に掲げられた自然保護の理念に反する形で建設された、その地下施設は矛盾を孕みつつ闇に蠢動する組織そのものを、象徴しているかの様に見えた。

 その地下深い一室。自らに割り当てられた私室にて、スクリーンに映し出された映像に魅入る、一人の少年の姿があった。

 少年は、名を御影という。華奢な体つきに、端正に整った風貌を備えた美少年だが、その瞳には薄く冷酷な光が揺蕩っていた。

 彼が見つめる映像には、伝統的な和の衣装に身を包み、その手に持つ棒を、互いに打ち鳴らしながら一心不乱な中にも、どこか楽しげに踊る三十人ほどの男達の姿が在った。

 御影の瞳の焦点は、その中の一人の男性へと寄っていく。

「島での暮らしは、楽しかったかい?太一くん。」

彼は恍惚とした視線を、颯爽と誇らしげに舞う太一に向けながら、更に言葉を続けた。

「君の周りには、守りたい者の存在も増えた事だろうねぇ。それを全部剥がして、またキミを正しい居場所に還してあげるよ。」

 その瞬間、御影の瞳が赤い光を帯びると、部屋のシステムが彼の意思に応え、映像が一時停止し、その画面の中央には拡大された、太一の顔が映し出される。彼は愛おしそうに映像の中の太一に頬を寄せ、囁いた。

「…迎えに行ってあげるから、楽しみに待っていてね。」

 主が去った部屋には、スクリーンの明かりだけが灯り続けていた。


1.


 年が明け、島の家々の軒先から、ようやく松飾りが取れた頃。父親の忘れ物を届ける為に、里奈は漁協の事務所を訪れていた。

「まったく、お父さんったら。忘れ物の癖が抜けないんだから。」

 彼女が、駐車場の自分の車へと戻る道すがら、目の前を歩く見慣れた人影が、彼女の視界に入った。

「あら?こんにちは、会長さん。今頃からお出かけですか?」

「おお、里奈ちゃんか。なんじゃ、陽介にでも会いに来たのかの?」

 勘吉の何気ない揶揄いに、里奈は顔を赤らめながら、ちょっとだけムキになって反論する。

「ブブー!違いますぅ〜。父に忘れ物を届けに来ただけです〜。」

「そうかそうか。」

 カラカラと笑いながら、彼はそんなちょっとした、里奈の膨れ顔を楽しんでいる様子だ。

「ワシの方は、ほれ。コレじゃ。」

 勘吉はそう言うと、肩に担いだクーラーボックスと釣り竿を、里奈に見せた。

「これから海に出れば、夕まずめを狙えるでな。」

「釣りに行かれるんですね。」

 驚きの籠った里奈の言葉に、陽気に答える勘吉。

「そうじゃそうじゃ。カンパチに鰤、カツオや鯖がワシを待っとる。」

「まぁスゴい。釣果を期待してますね。」

 キラキラした里奈の視線に、胸をのけ反らせ得意げに応える勘吉。

「おお、伝説の漁師に任せとけ。帰ったら、また太一っちゃん達の家で、宴会じゃ!」

「…お二人の都合は…考えないんですね。」

 呆れ顔で尋ねる里奈に、ニヤリとワルい笑顔で答える勘吉。

「ほっほっほ。イヤよイヤよも、好きのウチ。と言うてな、里奈ちゃんよ。」

(うわ、この人サイテー。二人共、お気の毒だわ。)

と、思わず同情の念を抱く里奈。

「…おっと、そろそろ船を出さんとイカンでな。」

そう言うと、岸壁の方へと歩き出す勘吉。

「あ、いってらっしゃい。」

 そう言うと、それぞれ別の方へと歩く二人。その時、何故か感じた奇妙な感覚に、勘吉を顧みる里奈。

「………?」

 だが、ただそこには、歩き去る見慣れた老人の後ろ姿が、在るだけだった。


2.


 勘吉は船を操り、予定された座標へと到着すると、船を停め錨を降ろす。その頃には陽も沈み、辺りは夜の闇に閉ざされていた。

 その闇に紛れるかの様に、二機の小型艇が空から音も無く舞い降り、その内の一機がタラップを降ろし彼の漁船に接舷した。まるで、それが最初から決められていた手筈であるかの様に。

 やがて勘吉は、そのタラップを上り小型艇のデッキへと至る。そこには艇の乗組員が総出で跪き彼を迎える。その先頭に跪き、首を垂れた少年が口を開く。

「御前。お迎えに上がりました。」

少年のその言葉に、勘吉は頷きながら答える。

「うむ。ご苦労だったな、御影よ。」

「滅相もございません。」

 御前は愛おしそうな視線を御影に対して向けるが、それは人ではなく、愛玩用の動物へと向けられる種類の物に近かった。

「仕掛けは整っておる。御影よ、八木太一の全てを剥がし、原生圏へと自ら赴く様に仕向けよ。」

「御意。」

「儂の乗ってきた船は無人のまま、港へと流れ着く様に細工をせよ。彼奴等にはそれと気付かれぬ様にな。これで最初の犠牲者は、榊原勘吉…と言う事になるのう。」

「畏まりました。早速その様に手配致します。」

 御影は跪き、首を垂れた姿勢のまま、了解の意を示す。御前はもう一隻の小型艇へと渡されたブリッジを渡りながら、彼に後を託す。

「後は任せたぞ、御影よ。」

「ははっ!仰せのままに。」

 やがて御前を乗せた小型艇は、再び音も無く夜空へと舞い上がり、原生圏の残存施設へと帰還の途に就く。残された御影は部下に指示を出した後、島の方向へと向かい、冷酷な笑みを浮かべ、一人呟く。

「さぁ、もうすぐだよ。太一くん。」

 それが、榊原勘吉が姿を消した瞬間だった。


3.


 昭和を感じさせる古民家風に建てられ、整えられた一軒家。それが八木太一と、中島退助の自宅だった。その寝室でベッドに横たわり、頭を氷枕の上に乗せ、体温計を口に咥えながら唸っている男が一人。中島退助である。

「…うぅ…頭痛ぇ…。」

 退助の口から体温計を取り、その表示を確認しているのが、八木太一。同性ではあるが、退助の配偶者だ。

「この冬の盛りに褌一丁で海に飛び込めば、そりゃ風邪も引くだろうな。」

38.5℃を示す体温計の表示を見ながら、太一が呆れ顔で呟く。

「だって…勘吉のヤロウがよぉ…。」

「…お前ら、ホントに一体…何やってたんだ?」

 ウンザリした表情で尋ねる太一だが、どうやら本気で真相を知るつもりは、無い様だ。

「とにかく、薬飲んで暖かくして寝てろ。何か食べたい物あるか?」

「寒いから 裸になって 暖めて。退助、心の俳句。」

「何なら、素っ裸に剥いてもう一度、海に放り込んでやろうか?」

「はいごめんなさい。大人しく寝てます。」

 そう言うと、慌てて頭まで布団を被る退助。

「まったく、お前はホントに…。」

そう太一が、苦笑混じりに呟いたとき。彼の携帯端末が振動して、着信を告げた。発信元は、白石恒一。

「白石先生…何だ…突然?」  

 怪訝な顔をしつつも、画面の通話ボタンをクリックする太一。

「はい。八木ですが…。」

 白石からの衝撃的な知らせに、彼の表情は驚愕に染め変えられた。

「え…。榊原会長が…?」


4.


 白石からの連絡を受けた太一は、彼の自宅を訪れていた。居間へと通された彼の前に、白石夫人が湯気を立てる湯呑みを置くと、静かに席を外す。

「会長の漁船が、無人で島に流れ着いたと言うのは…?」

 白石は両手で湯呑みを包み込む様に持ち、冷えた手を温めながら、呟いた。

「はい…事実です。」

沈痛な面持ちで、答える白石は言葉を続ける。

「海保の話では、船内に争った形跡があり、付近に付着していた血痕は…会長の血液型と一致したそうです。」

 その言葉の後に、船の発見された場所や時間等。彼が海保から得た情報の説明が続き、太一は無言のまま、聞き入っていた。

「…………。」

 その説明の後、暫くの間。無言で考え込んだ太一はやがて、一つの違和感にたどり着く。

「でも…ちょっと不自然だと思いませんか?」

白石は、太一の言葉に頷く。

「お気づきになられましたか。」

「…ええ。」

 太一のその言葉に、白石は続ける。

「船の発見された時間や潮流の関係から…船があの場所に流れ着く事は、確かに不自然なんです。」

「つまり事故として処理されるには、不可解な点が存在すると?」

 太一の返答に白石が頷く。

「そうなんです…上手くは言えませんが、何者かの作為が感じられる…というか…。」

彼の言葉をそこで遮ると、太一は告げる。

「ありがとうございました。後は俺たちで調べてみます。先生はどうか、これ以上の深入りはしないでください。」

「でもそれでは…。」

「ここから先は多分、俺や退助の仕事です。先生、君子危うきに近寄らず。と、言いますからね。」

 太一は白石にそう告げると、彼の元を辞した。


5.


 白石宅を辞した太一は、自宅へと向かい車を走らせていた。ステアリングを操る手には、思わず力が入る。

「一体なぜ…会長が襲われた理由は何だ?帰ったら退助にも話さなきゃな。なんだかんだと、アイツも心配してるだろう…。」

 取り留めも無い事を独り呟く太一の目前に、突然現れた白い人影。

「何っ!」

 太一は慌ててブレーキペダルを踏み込み、タイヤは、アスファルトを切りつける不快な音を発し、車体には急制動が掛かる。だがそれは間に合わず、車はその人影の位置を通り過ぎる。

「おいっ…!」

 半回転ほどスピンして停車した車内から、飛び出した太一。

(轢いたか?)

と思ったが、不思議と車体が何かに激突した衝撃は感じられず、そのボディーには傷一つ見つける事が出来なかった。

「…何だ…?」

 太一が人影が存在していたであろう位置に、視線を向けた瞬間。路面に置かれていた、円盤状の物体から浮かび上がる、少年の姿が有った。

「やあ、久しぶりだね?太一くん。」

「御影…?」

 それは暗闇の虚空へと浮かび上がる、彼の立体映像だった。それは穏やかで冷たい笑みを浮かべながら、太一へと語りかける。

「覚えていてくれて、嬉しいよ。もう忘れられたかと思っていたからね。」

「キサマ…。」

鋭い眼光で、御影を睨む太一。

「そんなに怒らないでよ。再会のちょっとした、サプライズじゃないか。」

「ふざけるな‼︎」

「わぁ、コワい。あのときは、ボクに懐いてくれてたのになぁ。」

 おどける御影を睨み続けながら、太一は問う。

「こんな悪趣味で、手の込んだ悪戯は何の為だ?」

「榊原勘吉は、もう存在しないよ。」

 平然とした口調で発せられたその一言に、太一の表情は凍りつく。

「何…だと?」

「だから、もう存在しないって、言ってあげてるじゃないか。」

 怒りを顔に滲ませながら、太一は言葉を絞り出し、尋ねる。

「殺した…のか?」

 御影は相変わらず、平然とした表情で首を傾げながら言う。

「…さあ?それはキミの、ご想像にお任せするよ。それと、余計な事に気づき始めたお医者さんが居るよね?それも邪魔だな。」

 太一は呆然として呟く。

「…白石先生に…何を…した?」

「さてね。気になるなら、戻ってあげた方が良いんじゃない?もう、間に合わないかもしれないけど。」

 その言葉を最後に御影の映像は姿を消し、円盤状の投影装置は火花を散らして機能を停止した。

「クソっ‼︎」

 太一は車に飛び乗ると、元来た道を白石の自宅へと、走り出した。


6.


 「うぅ…腹…減ったな。」

寝室のベッドから、もそもそと起き出した退助は、台所の冷蔵庫を漁っていた。

「お、ラッキー!」

 冷蔵庫のドアポケットに、チューブ入りのゼリー飲料を発見した彼は、キャップを開けると喉を鳴らしながら、それを飲み始める。

(太一…遅いなぁ。)

「帰ってきたら、卵粥…作ってもらおう。」

 他には何かないかな…などと、チューブを咥えながら呑気に冷蔵庫の更に奥を漁ろうとした、その時。退助はその背後に、殺意を孕んだ気配を感じ、振り返る。

「客を呼んだ覚えは無いんだがな。」

 振り返り、彼が鋭い眼光を飛ばしたその先には、首から下の全身を、光沢のあるラバー状の被膜でコーティングされただけの、裸の姿の上からハーネスで各種の装備を身体に付けた、数人の男が、アサルトナイフを片手に立っていた。

 首に嵌められた、薄い金属製のカラーが淡く赤色に発光し、顔には生気と表情が無く、その目には自我の光も無い。

(こいつら一体…人間…なのか?)

「眼福だが、真冬にそんな格好じゃ風邪引くぜ。」

 自分の体調不良の原因を、遠くの棚の上に放り上げた退助の言葉には、何の反応も示さずその中の一人が鋭い踏み込みと共に、ナイフを退助に向け突き出す。

 その人間離れした速度の一撃から寸前で体を躱した退助は、男のナイフを持った方の腕を掴むと躊躇なくその肘をへし折り、受け身を取る事も許さない勢いで、力任せに投げ飛ばす。

 退助に投げ飛ばされた男の身体は、広縁のダイニングテーブルへと激突し、テーブルの砕ける音と共に、床へと崩れ落ちた。

(あ…太一に怒られる。)

 と、的外れな心配をしながらも彼は隙を見せず、男から奪い取ったナイフを片手に、身構える。

 すると投げ飛ばし、無力化した筈の男が起き上がり、再び退助に向き合う。折られた肘は、異様な方向へと曲がったままだ。

「…面白くなって来たじゃねぇか。」

 退助の全身に走った悪寒は、発熱に依る物なのかそれとも、襲撃者たちから発せられる別次元の不気味さから来ているのか…本人にも、既に区別がつかなくなっていた。


7.


 白石の自宅の前へと車を着けた太一は、車内から転がり出るように降りると、その敷地へと至る門扉を飛び越え、玄関へと急ぐ。

「白石先生‼︎」

 彼が大声で、そう叫んだ途端。

建物の窓という窓から炎が吹き出し、家中が炎上を始めた。

 太一はその熱風に弾き飛ばされ、飛び越えた門扉に背中を打ち付ける。

「ぐっ‼︎」

 彼は咄嗟に受け身を取り、辛うじて怪我は免れた。だがその衝撃は凄まじく、太一の呼吸は止まり、すぐには身動きが取れない。

「…畜生!」

 気力で体勢を立て直した太一は、ドアを蹴破り炎上する屋内へと、飛び込む。

「白石先生!ご無事ですか!?返事してください‼︎」

 そう何度も叫びながら、燃える家中を走り回る太一。そこへ聞こえる、微かな声に彼は気付く。

「……さん、やぎ…さん…。」

「先生‼︎」

 かつては書斎だったであろうその部屋に、仰向けで横たわる白石の姿を、太一は見つける。腹部に深手を負っている様で、その傷からは既に多量の出血が認められた。

「黒…ずくめの…いち…だんが…。」

「喋らないで‼︎」

 白石の言葉を遮った太一は、彼の身体を抱き抱え、玄関を目指す。その頃には、建物は徐々に崩落を始めていた。

 命からがら屋内からの脱出を果たした太一の耳に、サイレンの響きが聞こえた。着ていたジャケットを脱ぎ、それを白石の傷に当てがい、何とか止血を試みようとする太一。

 その腕を掴み、掠れる声で必死に彼に訴えかける白石。

「まだ…中に妻が…。」

「分かりました‼︎」

 再び、建物の中に飛び込もうとする太一に、制止する声が掛かる。

「何やってんですか!危険ですから、下がって‼︎」

 肩を掴まれ、振り返った太一の視界に入ったのは、一人の消防士の姿だった。だがその顔には見覚えが有る。それは、保存会若手の一人…。

「八木さんじゃないですか!」

「ああ!まだ中に一人居るんだ‼︎」

 火の中に飛び込もうとする太一を羽交い締めにしつつ、彼は叫ぶ。

「落ち着いて!後は我々に任せてください‼︎」

 消防隊の活躍により、白石夫人も無事に救出され、消火活動が開始された。幸い、夫人には目立った外傷は無く、煙を吸い込んでいるだけ。と言う事だった。一方の白石本人は、出血多量で意識不明の重体だ。

 消火活動の傍らで、その顔見知りの彼が太一に話し掛ける。

「こんな場所で会うなんて、ビックリしました。そういえば今夜はもう一件、八木さんのご自宅の方面にも、警察の出動が掛かってたみたいでしたが…。」

 その一言に太一の中には理屈ではない、電流の様な直感が走る。

「…退助!」

彼は一言。そう叫ぶと脱兎の如く走り出す。

「八木さん、待ってください!この後事情聴取が…。」

 その言葉は、太一の耳には入っていない。彼は車に飛び乗ると、自宅への道を猛スピードで、走り出した。


8.


 「…面白くなって来たじゃねぇか。」

そう強がって見せながらも、高熱は退助に残された体力を、徐々に削り始めていた。

 ナイフを持った男たちは、次々に退助へと襲いかかって来る。鋭い刺突をナイフで捌きつつ、別方向からの斬撃を、腕ごと掴み床へとねじ伏せ、相手の肩関節を脱臼させる。

 次に襲いかかる一撃を避ける流れで、退助は手許のナイフを閃かせ、敵の鳩尾へと相手を確実に死に至らしめる一閃を叩き込む。

(正当防衛だ!悪く思うな‼︎)

 しかし、その必殺の一撃は敵の身体に刺さる事無く、刃は奇妙な弾力と共に、あらぬ方向へと滑った。

「何っ!」

その信じられない出来事に狼狽えながらも、何とか次の斬撃を躱し、体勢を整える退助。

「何だこの皮膜?ナイフを通しやがらねぇ。」

 そこで退助は思い切った行動に出た。ナイフを捨てたのである。

「通じない得物に頼るな…。」

そこへ隙間なく、機械の様に連携した敵の男たちの攻撃が、間断なく襲いかかる。

 肉弾戦へと切り替えた退助は、相手の手首を折り、膝を砕き、目を潰し、徐々に敵を無力化させ始めるが、彼自身の体力も発熱の為、消耗が普段よりも、かなり激しい。

「危うくジリ貧になる所だが…これで何とか…。」

 身体中が冷たい汗に塗れ、肩を大きく上下させ荒く息を切らせながら、歪み始める視界の中で、退助は最後の一人と対峙する。まるで疲れを知らぬかの様な敵は、相変わらずの人間離れした膂力と速度で正確な突きを、彼の心臓めがけ繰り出す。

「正確過ぎるんだよ‼︎」

 その一撃を読んでいた退助は、敵のナイフを持つ腕を掴み、捻り上げると最後の力を振り絞り、その骨を砕く。

「終わりだ!」

 そう退助が叫んだ瞬間。敵の身体の陰から、存在しない筈の三本目の腕が現れ、その手に握られたナイフが退助の腹部に鋭く、そして深く喰い込み、腕を砕かれ崩れ落ちる男の背後から、もう一つの人影が現れた。

「な…に…。」

 予てからの発熱に加え、その灼熱感をも感じさせる激痛と、夥しい量の出血に屈し、彼の身体は遂に冷たい床へと、崩れ落ちる。薄れゆく意識と視界の中で、退助の目に映ったのは、見覚えの有る少年の姿だった。

「冬…馬…。」

 退助の身体は、血溜まりの中へと沈んだ。


9.


 太一が自宅に辿り着いた時には、もう全てが終わっていた。家の前には多数の警察車両が停まり、近所からは野次馬が押し寄せていた。

 その人波をかき分け、家に入ろうとする太一を、警官が引き止める。

「立ち入り禁止です。」

「この家の者です!」

「それでも検証が終わるまでは、お入れする事は出来ません。」

「でも‼︎」

 その押し問答を聞きつけた、私服の警官がバッジを提示しつつ太一に話しかけてくる。

「失礼ですが、八木太一さんですね?」

「そうですが…。」

その言葉を確認し、刑事が太一に告げる。

「署までご同行願います。」

 太一は憤慨しつつ尋ねる。

「何故!?」

「あんた、白石恒一氏宅の火災現場にも関わってるね。しかも消防と警察の聴取もすっぽかして姿を消した。なんか疾しい事でも有るんじゃないの?」

「そんな、言いがかりだ‼︎」

 太一の抗議は受け入れられず、無情な一言が投げ掛けられる。

「話は署で、ゆっくり聴こう。」


10.


 署に連行され、取り調べ室へと連れ込まれた太一は、事情聴取と言う建前の、実質的な取調べを受けていた。

「あんたは、白石恒一氏宅の火災現場にも居たね?」

「……居ました。」

「その後、消防からの事情聴取も受ける事無く、現場を離れている。」

「退助が襲われていると思ったからだ!」

「その中島さんの自宅では、現在、複数の侵入者による襲撃が確認されているんだよ。」

「……!」

「あんたは二つの現場に続けて居合わせている。こちらとしても、詳しく事情を伺う必要があるんだ。今夜は帰れないと、思った方が良いね。」

「そんな!じゃあ今、退助は…?」

「さあね?知りたきゃ、全部話すんだ!」

 そこまで話した後、取調室のドアにノックの音が響き、担当の刑事は部屋の外へと呼び出される。その暫くの後。帰ってきた彼は不満げな様子で、太一に告げる。

「おい、あんた…帰って良いぞ。」

「…は?」

 事情を飲み込めずに居る太一の前に、一人の青年が姿を現す。

「太一さん!ご無事でしたか?」

「湊…何故ここに…?」

「話は、ここを離れてからにしましょう。さぁ、とにかくこちらへ。」

 太一に寄り添い部屋を出る湊を、不満を通り越した怒りの形相で睨む刑事。

「ふん、若造が偉そうに…。」

 その彼を冷ややかに一瞥した湊が、冷徹な口調で告げる。

「宇宙開発機構の職員に対する不当な拘留に対して、後ほど然るべきルートで法的な手段を講じさせていただきます。それと今後、この一件に関しては、開発機構保安部の管轄となりますので、『たかが所轄』の一刑事さん『ごとき』が、二度と関わる事の無い様、正式に要請致します。」

「なん…だと…。」

「署長さんの首一つくらいで済めば良いですけどね。それでは、失礼します。」

 湊はワザと大仰な敬礼の姿勢を取ると、取り調べ室を後にした。


11.


 太一は湊に伴われ、警察署の駐車場に停められている車へと連れられてきた。その助手席のドアを開け、そこからもう一つの見知った顔が降りてきた。

「太一さん!大丈夫でしたか?」

「…澪まで来てたのか!」

 湊が後部座席のドアを開け、太一に言う。

「乗ってください。話は病院に向かう途中で。」

 三人を乗せた車は一路、宇宙開発機構附属病院へと向かう。その車内で、湊は事情を説明する。

「申し訳ありません。原生圏の動きが、こちらの想定よりも早く。対応が後手に回ってしまいました。俺たちがここに来たのは、鷹宮局長のからの命令が有ったからです。」

 太一は後部座席から身を乗り出す様にして尋ねる。

「そんな事より、退助はどうなったんだ?」

太一のその問いかけに、湊の言葉は濁る。

「結論から言うと…退助さんと白石先生…お二人とも、一命は取り留められました。」

 湊の言葉に、太一の顔色が戻る。

「でもまだ…予断を許さない状況です。今夜が峠ですね。」

「そうか…でも…生きてるんだな。」

「はい。今はナノマシンに拠る治療のため、タンクに入られてますが、お会いになりますか?」

「…ああ、勿論だ。頼む。」

 太一はそう言うと、座席に身を預けたまま俯き、目を閉じる。

(そうか退助…お前、生きてたんだな…。)

彼の閉じた瞼の隙間からはいつの間にか、熱い滴が溢れ出ていた。


12.


 やがて車は病院へと至り、澪が後部座席のドアを開け、太一に降車を促す。車を降りた太一に、彼はハンカチを差し出しながら言う。

「せっかくの男前が台無しですよ、太一さん。そんな顔してたら退助さんも、心配で寝てられない。」

「…ああ、そうだな。済まん。」

ハンカチを受け取った太一は、涙を拭いながら二人に伴われ、病室へと向かった。

 病室の中央には、透明な強化ガラスに覆われたタンクベッドが設置され、橙色の治療液に満たされたその中で退助は目を閉じ、生まれたままの姿で横たわっていた。

 その、筋肉質でがっしりとした体躯には、バイタルチェック用のケーブルと、排泄物処理用のカテーテルが繋がれ、修復中の傷口からは、細かい気泡が立っている。全身を治療液に浸されながらも、肺が直接液体から酸素を取り入れる事ができる為、呼吸をする努力からも解放された彼は酸素マスクも付けずに、普段からは想像も出来ない程の穏やかな顔で、今は眠りに就いている。

 その姿を見た太一は、力なくタンクベッドへと歩み寄ると、その側に膝をつき、ガラス越しに退助の顔へと頬を寄せた。

「退助…済まなかった…俺なんかの為に…こんな…。」

『おい、バカ太一!次、俺なんか…なんて言ったら、助走をつけてグーで殴るって言ったろ?』

太一の中に、退助のそんな声が聞こえたのは…彼の都合の良い妄想だったのだろうか…だが太一の中には、確かにその声が届いていた。

「ああ…そうだな退助。お前は…そう言うヤツだよ…。」

その様子を見守っていた湊と澪は、互いに頷き合うと、そっと席を外した。

 退助の容体を見届けた太一は、白石の病室を訪れていた。退助と同様の処置が施された彼も、生まれたままの姿を静かに治療液の中へと横たえ、そのタンクベッドの傍には、椅子に腰掛けている夫人の姿が在った。

 彼女は取り乱しこそしなかったが、太一に向けられた視線は決して、暖かい物では無かった。

「主人を助け出してくださった事には感謝しています。でも…。」

夫人はそこで言葉を詰まらせると、暫くの沈黙の後、太一に言葉を投げかける。

「あなた方に出会わなければ…関わらなければ、この人はこんな目には遭わなかった…。」

流れ落ちる涙を拭い去ろうともせず、発せられたその言葉は、太一の胸を静かに抉った。

「済みません。あなたを責めても仕方が無い事は分かっていますがでも…でも今は、どうかお引き取りください。」

 太一は無言で深く一礼すると、病室を後にした。少なくとも今は…そうする他には無かった。


13.


 (俺が帰って来なければ…戻りさえしなければ、皆はこんな目に遭わなかったんだろうか…。)

そんな自責の念に駆られつつ、退助の元に戻ろうとしていた太一に、湊が声を掛けた。

「太一さん…大丈夫ですか?顔色…悪いですよ。」

「ああ…湊か、済まんな。少し疲れているんだろう。心配は要らないよ。」

太一は彼に微笑んでは見せたものの、その笑顔には明らかに無理が有った。

「空いてるベッドを手配しますから、少しでも横になってください。」

 ありがたい申し出では有ったが、横になった所で、今は睡魔に嫌われていると感じた太一は。

「それよりも…今はまだ、ウチには帰れないかな?」

突然の要望に、湊は驚きながらも答える。

「所轄には手を引かせて現場は今、保安部の管理下に置かれていますから…可能ではありますが…今はまだご覧になられない方が…それに奴らが太一さんを狙う理由も不明のままですし、今は動かない方が賢明だと思います。」

 太一は湊の気遣いに頷きつつも、言う。

「退助が起きたときの為に、身の回りの物を取って来たいんだよ。可能なら、片付けもしておきたい。今はその方が、気が紛れるんだ…。」

 湊は少し考え込んだ後、条件付きで太一の望みを容れる事にした。

「それでは、家の周辺に見張りを置く事を許可してください。あと、連絡は必ず取れる状態にしておく事。」

「分かったよ。条件は飲もう。」

 湊に送られ、自宅へと帰り着いた太一は暫くの間、室内の惨状に呆然としていた。砕けたダイニングテーブルに、開けっ放しになっている冷蔵庫。縁側のガラス戸は砕け散り、ダイニングとリビングを仕切る引き戸にも穴が空いている。

 血痕は一応、拭き取られてはいるが、退助が最後に倒れたと思われる箇所には、まだ血溜まりの跡が残っていた。

「そうか…お前はここで…。」

 片膝を付き、その血の跡を指でなぞる太一の目に、ふと、ある物が映る。それは、荒れ果てた部屋には似つかわしく無い、キレイに折り畳まれた一枚の紙。

 太一はその紙片を拾い上げると、折り目を広げ中を見る。


『太一くん。ここに帰って来て、悲しかっただろう? 君がここに居るから、みんなが傷つくんだ。だから、もう一度ボクのところへおいで。 今日の深夜。港の岸壁で待ってるよ。一人で来てね。』


「クソっ…。」

 その御影からのメッセージを手に握りしめながら、太一の心は密かに追い詰められていた。警察と保安部によって見張られた筈のこの場所に、この様な置き手紙を残せる事実が、敵の手強さを表している。奴らは自分の思うよりもずっと、身近な所に網を張り巡らせているのでは無いか。そんな憶測が、彼の心を確実に削っていく。

 やがて、退助の身の回りの物を揃え終えた太一は、湊に連絡を取りまた病院へと戻る。その道すがら、彼は湊へと尋ねた。

「病院のセキュリティーは、大丈夫なのか?」

「はい。俺の能力で、警備システムをスキャンした後、澪が組んだ防壁を走らせていますから…。あと、物理的には主要な出入り口を、保安部の職員が二十四時間体制で監視してます。」

「そうか…それなら安心だ。でも念のため、警備体制を俺の端末でも共有したいんだが…。」

 湊はその申し出を、やや唐突な物に感じつつも了承する。

「分かりました。着いたら設定しておきます。」


14.


 病室へと戻った太一は、眠る退助の傍に佇みながら、携帯端末に共有された警備体制のチェックに余念が無かった。数時間の後、見つけ出した警備の抜け穴。

「ここだ…。」

 それは職員用の通用口…その付近に存在する、医療用廃棄物の搬出口。深夜近くの時間帯に一度、廃棄物運搬の為に無人車両が出入りする事を、彼は確認していた。

(これに紛れ込めば誰にも気付かれずに、病院を抜け出す事が出来るかも…。)

 だがそれはもう二度と、退助の元へは戻れない、旅立ちになる事を意味していた。御影の元へ赴く事…それが恐らく、彼に仕掛けられた罠である事は、明白な事実である。しかし、これを断れば又、自分の周囲の者が傷付けられていく…太一には既に、選択肢は残されていなかった。

「…これでお別れだ…退助。」

 時計を見ると、そろそろ決行の時間が近づいていた。太一は最後にもう一度ガラス越しに、眠る最愛の人の頬を撫でた。

「退助…今までありがとうな…。病院が嫌いでも、治る迄ちゃんと良い子で寝てるんだぞ。」

その言葉を残し、太一は病室を出て行った。


15.


 退助は深い眠りの中で夢を見ていた。自分が何かの中に溶け込み、自らの身体と周囲との境界も曖昧なまま、ずっと漂っている感覚。寒さや暑さも感じる事無く、心地よい温もりだけを感じていた。

 彼の胸にはいつの間にか、ぽっかりと穴が空いていた。何かとても大切な、自分の一部が消えてしまったかの様な穴。

(…あれ?)

 退助はその穴を見つめ、不思議に思う。

(俺は…確か…腹を刺されて…。)

(そうか、俺…ついに死んじまったか。やっちまったなぁ、きっとアイツは怒って…うわ…俺、太一に殺されちまう…って、もう死んでるのか。)

 夢の中でも相変わらずな退助だったが、漂い続けるその先の光の中に、一つの人影を見つける。彼がそこへと近づいてみると、そこに居るのは何故かもう一人の自分だった。

(急げ)

そのもう一人の自分の声は、音では無く直接、退助の中に響き渡る。

(もう、ウルセェなぁ。急ぐも何も、死んじまったんだから、何も出来ないじゃないか?良いから、もうちょっと寝させてくれよ。)

(消えてしまうぞ)

(消えるって…何がだよ?)

 もう一人の自分が指差したのは、退助の胸の穴。

(え…コレ?これって一体何だ…さっきから…まさか!太一のヤツに何か‼︎)

 退助が寝かされている病棟のナースステーションには、アラートが鳴り響いていた。当直の看護師が、病室の監視モニターを覗き込むと、タンク内で意識を取り戻した裸の男が、強化ガラス製のカバーを、内側から必死に叩く様が映し出されている。

「まさか…そんな、あり得ない…。」

 退助の病室には、当直の医師を初め、多数の医療スタッフが押し掛けていた。医師の判断により、タンク内の治療液が緊急排水される。

 排水が終わりカバーが開くと、起き上がろうとする退助の身体を、看護師が押さえつける。

「中島さん、落ち着いてください!あなた、重傷なんですよ‼︎」

 その騒ぎを聞きつけ、湊と澪も病室へと駆けつける。

「退助さん‼︎どうしたんですか!?」

 退助はどうやら、まだ言葉を発する事が出来なかった様だが、体内に残った治療液を口から吐き出すと、掠れた声を搾り出し、湊の腕を掴み必死に語りかける。

「湊…車を出せ…。」

「ちょっと、何バカなコト言ってんですか!出来るワケないでしょ‼︎」

「太一が…太一が消えちまう…。」

「は…?何言ってんですか!太一さんならそこに…って…あれ?」

 さっきまで病室に居た筈の太一の姿は既に、そこには無かった。湊はもう一度、退助の目を見た。そこにあるのは、錯乱や恐慌の類いなどでは無く、確かな意思と、確信の光だった。


16.


 太一が御影に指定された場所に辿り着いたのは、夜明け前の事だった。真冬の冷たい風が肌を刺し、辺りには波が砕ける音だけが響いている。太一がその場所に着くと、そこには既に、重武装の護衛部隊を伴った、御影の姿が在った。着水し、停泊中の小型艇を背に腕を組み、薄く冷酷な笑みを浮かべながら、太一を見つめている。

「遅かったじゃないか、太一くん?ふられたのじゃないかと、心配したよ。」

 太一には既に、この誘いを断る選択肢が残されていない事を承知で、御影は軽口を叩く。太一の胸の奥に、苦いものが込み上げた。来るしかなかった。勘吉が姿を消し、白石が瀕死の重傷に倒れ、退助までもが襲われた。周囲の人間が次々と狙われる中で、自分の身以外に、出せるカードはもうなかった。

「約束通りに来てやったんだ、だから…。」

 声が少し掠れる。自分でも、それがどれほど無力な言葉か分かっていた。

「分かってるよ、こっちも太一くんさえ手に入ればこれ以上、キミの大切な人たちに、手を出したりはしないよ。ただ…。」

「ただ…何だ?」

 御影は太一の短い問いに答えるかの様に、懐から何かを取り出す。その手に握られているのは、何かを遠隔で操作する為の、端末装置だった。御影はその機械を操作した、その刹那。

 街の方角に、眩い閃光と耳をつん裂く爆音が、鳴り響いた。

「なっ‼︎」

 太一の目は驚愕に見開かれ、咄嗟に爆音の方角を振り向く。それは里奈の勤める、小学校の方向に当たると、彼は瞬時に理解する。

「キサマ!何をした⁉︎」

「こちらも無策では無いからね。念の為に、市内の何ヶ所かに、爆弾を仕掛けさせてもらったよ。今吹き飛んだのはお察しの通り、東海林里奈の勤める、小学校の校舎さ。」

「クソっ!」

 太一はそう毒づくと、御影に飛びかかる為に動こうとするが、その動きは御影の護衛に牽制される。銃口が胸に向けられ、足が止まった。

「そう慌てないで良いよ。今の時間、学校はもちろん無人さ。でも抵抗するなら、次は白石医師と退助くんが収容されている、宇宙開発機構附属病院が、吹き飛ぶコトになるけどね。」

 御影は柔和な笑みを、その整った顔に浮かべたまま、太一を静かに追い詰めてくる。彼の思考が、一瞬で白く凍りついた。退助と白石の顔が浮かぶ、意識不明のまま横たわるその姿が…。あれ以上、彼らを傷つけさせるわけにはいかない。

(……もう、動けない)

「いつの間にそんな物を…チェックは完璧だった筈だ。」

「ボクの能力を忘れたのかい?電子機器を使ったセキュリティなんて、ボクに取っては無意味なモノさ。」

 実際、御影のその言葉は、ただのブラフに過ぎなかったのだが、今の太一にはそれを確かめる術も、賭ける余裕もなかった。ただ、目の前の男が「まだ壊せるもの」を持ち得るという事実だけが、彼の思考を奪っていく。

「それよりも、このボクに対して。来てやったとか、キサマなんて、随分なクチをきくようになったじゃないか?」

「誰が、お前などを敬うと言うんだ?」

 怒りと屈辱が、声を震わせる。それでも、御影の表情は崩れない。

「もう一度、最初から躾け直さなきゃいけないみたいだね?」

「俺にどうしろと?」

 一瞬考えた御影は、見下した表情で太一に告げる

「そうだネェ、まず裸になってもらおうかな?他人に剥かれるんじゃなくて。自分の意思で生まれたままの姿になって、その足で艇に乗り込むんだ。」

「くっ。」

 太一の呼吸が、止まった。

(……自分で、脱げと?)

退助の前でさえ、躊躇した身体だ。永久に失われた体毛、御影の手により、作り変えられてしまった敏感な肌。それを今、この男達の目前で、自ら晒せというのか。

「自分で決めて、ココまで来たんでしょ?なら出来るハズさ。やらなければどうなるかは、今、教えてあげたよね?」

 里奈の学校。白石の眠る病院。まだ守れるはずの人たちの顔が、次々と浮かぶ。退助の顔も、脳裏を過った。

(済まない……退助。お前まで巻き添えにして…俺は…)

「……分かった、言われた通りにする。」

「素直になって来たじゃないか。」

 太一は、その男臭く整った顔に屈辱を滲ませながら、ゆっくりと服に手をかけた。靴と靴下を脱ぎ、裸足で冷たい地面を踏む。上着、シャツ、ズボン。一枚ずつ、自分の意思で手放していく度に、何か大切なものを剥がされていく様な気持ちになった。肌着を脱ぎ、最後の一枚を親指で下ろす。布が落ちた音が、妙に大きく聞こえた。筋肉質で均整の取れた裸体が露わになり、冷たい風が体毛のない滑らかな肌を撫でる。先端が、羞恥と緊張で小さく反応するのを、太一は歯を食い縛って無視した。

 「良いねぇ、良いよ太一くん。それこそ、キミに相応しい姿さ。」

 御影は満足げに頷くと、護衛部隊に指示を出す。太一は全裸のまま、背中から銃を突き付けられ、小型艇へと歩き出す。足元の感触も、風の感触も、異常なほど鮮明だった。

(…済まない、退助。でも、もうこれしか方法が…。)

「じゃ、コレはもう要らないね。」

太一が小型艇へと足を踏み入れたとき、御影はそう呟くと端末装置を、海に投げ捨てた。

「なっ!」

太一は驚きに顔を染めながら、水音と共に海中へと没する機械を見つめていた。

「もしかして、さっきの、ホントだと思った?そんなワケないよねぇ。今のボクたちには、あんな厳重な警備を敷いている病院に、破壊工作をするなんて不可能なコトさ。」

「御影っ!キサマぁ‼︎」

 激昂して御影に掴みかかろうとした太一は、即座に護衛に羽交い締めにされる。滑らかな肌が、他人の武装した腕に強く抑え込まれた。

「連れて行け。」

御影の命令で、太一は小型艇のカーゴスペースへと引き立てられて行く。

「御影!みかげぇぇ‼︎覚えてろ!絶対許さんぞ‼︎」

絶望と怒りに彩られた叫びが、港の闇に吸い込まれていく。その丸裸の後ろ姿を、御影は満足げに眺め呟く。

「ま、覚えてるも何も。誰よりもキミが先に、自分のコトすら忘れちゃうんだけどね。」

 こうして再び太一の身柄は、原生圏の手に落ちたのだった。


17.


 小型艇のエンジンは、心地よい唸りを上げると、静かに海面から舞い上がった。丸裸の状態で艇内のカーゴスペースへと引き立てられた太一の視界に、見覚えのある物体が映る。それはX字型の拘束台だった。かつて太一が縛られ、澪に対する殺意を快楽と共に刷り込まれた装置と、同型の物が今、太一の目の前に設置されていた。

太一の呼吸が、一瞬止まった。

(これは……!)

 金属の冷たさも、四肢を大きく開かれる感覚も、強制される快楽の残滓も、身体が覚えている。あのとき失いかけた自分を、今度は完全に奪われるための仕掛けに見える。胸の奥が、嫌な予感で締め付けられた。

 その禍々しい気配を発する装置を、呆然として眺める太一の背後から、冷酷な口調の声が投げかけられる。

「どうだい、懐かしいだろ?」

 太一が声に振り返ると、そこには相変わらず、銃を持った護衛に護られた、御影の姿が在った。護衛が構える銃口は、変わらず太一へと向けられたままだ。

「念入りな事だな。」

 呆れ果てた口調で太一は呟くが、その声には力がなかった。怒りより先に、疲弊と自己嫌悪が込み上げる。

「喜んでくれて嬉しいよ。相応しい姿になったキミには、似合いのドレスも用意しなきゃね。」

「俺に何をするつもりだ?」

 御影は仕様が無いなという表情を浮かべながら、言葉を返す。

「それを今キミに話すコトは、御前から厳しく止められているんだけど。でもそれを見たら、取り敢えず今やるコトは何か、分かるよね?」

「さあ、何をすれば良いんだ?」

 太一は敢えて、ふざけた態度をとってみせ、御影の挑発を試みる。乗ってくれれば、脱出の糸口を掴めるかもしれない。だが当然、そんな事では御影の優位は揺るがない。

「ふぅん、良いのかな、そんなコト言って。次の標的は里奈ちゃんかな?それとも、陽介君が良いかい?ならいっそ、二人纏めて…いや、アンカーアイランドの二人組って線もあるなぁ。選り取り見取りだね。」

 里奈の明るい声も、陽介の真面目な顔も、湊と澪の安堵した表情も、次々と脳裏を過る。守れなかった白石の、動かない姿も。

(……もう、これ以上、誰も…)

「クソ…。」

 太一の顔が、悔しさに歪む。その様子を楽しそうに眺めながら、御影は彼に告げる。

「さぁ、これも自分でやるんだ。」

 御影の言葉が、冷たく投げつけられる。太一は拳を握りしめ、ゆっくりと拘束台へと歩み寄った。金属の表面が、素肌に近づくにつれて、まるで生気を吸うように冷たく感じられた。

(自分で上がるのか)

 岸壁で自ら服を脱いだときと同じだ。誰かに剥がされるより、自分の意思で差し出す方が、どれほど屈辱的か。退助の前でさえ晒すのに時間がかかった身体を、今度は完全に、この男たちの前で開く。太一は台に上がり、深呼吸を一つした。

 そして、自らの両手首を枷の位置へ伸ばし、両足首を合わせる。大きく四肢を開かれた姿勢は、逃げることも隠すことも許されない。滑らかな肌の全身が、無防備に晒された。

(……済まない、退助)

人体を感知した拘束台が、固い金属音を響かせる。

 枷が手首と足首に閉じ、冷たい感触が骨まで伝わってきた。逃げられない。動ける範囲すら、もうほとんど残されていない。

 拘束台が数十センチ垂直に持ち上がると、太一の身体は宙に浮き、御影によく見える角度で固定された。重力に引かれる四肢の重みと、開かれた股間の感覚が、異常なほど鮮明だった。

 屈辱と羞恥心に、太一自身は、すっかり縮み上がっている。彼は視線を天井に向け目を瞑り、唇を噛みしめた。

(これで……いい。これしか、なかった)

御影の視線が、晒された身体をゆっくりと撫でるように移動するのを、太一は感じないふりをした。

 怒りも、後悔も、羞恥も、屈辱も、すべてを飲み込んで、ただ吊られたまま、次に来るものを待った。

 暫くの間、太一の身体をゆっくり撫で回す様に眺めていた御影が、ふと不満げに呟く。

「なんだ太一くん。萎えちゃってるじゃないか?」

御影は太一の股間に手を伸ばすと、彼自身をその手に弄びながら、言葉を続ける。冷たい指が触れた瞬間、太一は歯を食い縛った。嫌な感触が、背筋を駆け上がる。

「何だぁ、つまんないの。あのときはボクに触られるだけで、まるで、うれションする犬みたいに、迸らせていたのに。」

(……あのときの俺は…俺じゃない。)

 太一はそう自分に言い聞かせるように、減らず口を叩いた。それが、今の自分に残された唯一の抵抗だった。

「…ふん、そいつは残念だったな。」

「ふ〜ん、まだ抵抗するんだね。じゃあ、次はその強がりを剥がしてあげるよ。キミの本性を剥き出しにして、今ボクの手を拒んだコトを後悔しながら、泣き叫ぶといいよ。」

 御影は楽しげにそう言うと、配下の医療スタッフに指示を出す。暫くすると、白衣姿の男が注射器を持って現れ、太一の鼠蹊部をアルコール消毒すると、そこへ針を刺し、彼の身体に薬液を注入した。四肢を拘束された状態の太一は必死の抵抗も虚しく、その一連の作業を難なく終えられてしまう。

「くそッ!御影キサマ、何をした⁉︎」

「さぁねぇ?でもこれから、楽しい時間が始まるよ。キミはとても素直で、従順で、正直な自分になれる。嬉しいだろう?良かったね。」

 薬液を注入されてから数分の後、太一の心と身体に変化が起き始める。始めは胸に動悸が起こり、やがて全身が徐々に熱く、気怠さを増していく。それに伴い、思考はモヤが掛かったかの様に霞み、視界が歪み始める。体の熱さを感じると共に、太一の全身は、快感と性的な衝動に支配されていく。

(何だ……これ……身体が、熱い……)

熱さに比例するように、下半身に鈍い疼きが集まり始める。自らの意思とは無関係に、自身の先端が、みるみる内に起き上がり、宙を仰いで反り返っていくのが分かった。恥ずかしいほどに早く、完全に固くなっていく。

「はぁ…はぁ…。」

 太一は虚な表情を浮かべながら、自身を固く反り返らせ、その先端からは透明な雫が糸を引き、溢れ始める。

「気分はどうだい?太一くん。少しは素直になれたかい?」

「ちく…しょ…う。」

霞む意識の中で、それでも太一は抵抗を止めない。

「さっきは、ボクに触られるコトを嫌がってたみたいだから、今度は触らずにいてあげるよ。それをキミが、我慢できれば良いけどね。」

「はぁ…うぅ…ぐっ…!」

虚ろな表情を浮かべ、拘束の中で身悶えする太一自身は益々固く、痛みを感じる程に反り返り、透明な雫を垂らしながらまるで、誰かに触られる事を乞うかの様に、持ち主の鼓動に合わせ脈動している。

「とても良い格好になったね、太一くん。それがキミ本来の本来の姿なんだよ。まぁ到着するまで、たっぷり時間は有るから。ゆっくりと楽しむと良いよ。この方が、キミも退屈しないで済むだろう?」

「はぁ…はぁ…うぅぅぅ…ぐわぁぁぁぁっ!…ぁあぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」

そう話す御影の前で、もはや身体はおろか心さえも、その黒い快楽の虜にされてしまった太一は、既に意味のない叫び声を上げながら、内面から押し寄せる、淫らな衝動の波に身をのけ反らせ、悶えている。

「じゃあ、ボクは寝るね。キミを迎えに来る準備で、ここのトコロ寝不足なんだよ…ってもう聞こえてないか?」

カーゴスペースを後にする前、御影は医療スタッフに指示を出す。

「くれぐれも、おもてなしのおクスリは、切らさない様に注意してさしあげてね。あ、あと、自殺しない様に口枷も忘れないで。大切なお客様には到着まで、存分に楽しんでもらえる様にね。」

「はい。畏まりました、御影様。」

「じゃあ、おやすみ。」

そう告げると、彼はカーゴスペースを後にして、寝室へと向かう。

 その後ろ姿を必死に目で追いながら、太一は内側からの衝動に突き動かされるままに、固く反り返る自身を、虚空へと突き出しながら叫ぶ。

「待ってぇぇぇぇぇ‼︎行かないでぇぇぇぇぇ‼︎お願いだぁぁぁぁぁ!触ってぇぇぇぇぇ‼︎扱いてぇぇぇぇぇ‼︎イかせてぇぇぇぇぇ‼︎」

 スタッフたちも、そう半狂乱で泣き叫び懇願する太一の口腔に、無言で枷を捻じ込み、それを彼の頭部にベルトで固定すると、御影に続きその場を後にした。その瞬間、防音のドアは密閉され、やがて室内の明かりも落とされる。

「んんんんんーー……おごぁぉぁぁ…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……‼︎」

(お…お願い…だ……誰でも…いい…から…しごい…て…イかせて…いっ…かいで…い…い…か…ら…)

 遂に理性を剥がされ暗闇の中一人残された太一は、Xの字に吊られた丸裸の姿で口からは涎を垂らし泡を吹きながら、言葉になる事すら許されない半狂乱の叫びを上げ、熱い身体を海老の様にのけ反らせ、反り返った自身を虚しく虚空へと突き出し、透き通った雫を溢れさせ床へと撒き散らしながら。

 無限に押し寄せる淫らな衝動と黒い快楽の底へと沈められ、悶え、狂い続けていた。


18.


 それから半日の後、御影たちを乗せた小型艇は、原生圏の残存施設のデッキへと静かに舞い降りた。その後部のカーゴスペースのハッチが開くと、拘束台に磔られた太一の姿が現れる。

 かれこれ10時間以上に渡り、薬物での性的興奮状態を強制され続けた彼の身体は、熱を帯びたまま小刻みに震え、相変わらず反り返ったままの、太一自身から溢れた雫で汚された、太腿の内側は既に乾き、独特の光沢を放つその上を更なる雫が伝っていた。

 意識は遠く、まぶたを保つことさえ重く感じられるが、薬物の作用により、意識を落とす事は許されない。それでも瞳だけは、完全には光を失っていなかった。彼はその姿のままで、貨物用の運搬口から地上へと下されると、御影の他、数人のスタッフ達に伴われ、拘束台に縛られたまま施設内へと運ばれていく。

 四肢を大きく広げられ、金属の枷で、手足を固定された太一は、生まれたままの姿だった。首から下の体毛を失った滑らかな肌が、無機質な照明に晒されている。先端から溢れた雫が、太腿の内側をゆっくりと伝い続けていた。

 処置室へと運ばれる途中のホールで、不意に御影たちの足が止められた。そこには、強化ガラス製のケースが置かれており、その中には何か展示されている物が有る様だ。

「ほら、太一くん。見てごらん。」

御影は太一の口腔に捩じ込まれた枷を優しく外し、そう彼に語りかける。

 先ほど追加で投与された薬物の、効果時間内に有る太一は、半ば落とされかけた、虚ろな意識の中で、そこに視線を移す。その朦朧と歪む視界の中でも、その光景に太一の表情は驚愕に染まる。

 そのケースの中には、十字架型の拘束台が二台並んで設置されており、その片方には見覚えのある少年が、生まれたままの姿で磔にされている。

「……とう…ま?」

「そう、よく覚えていたねぇ。彼は組織への裏切りの罰として、自我を消された後で、原生圏の所有物として、ここにこうして飾られているんだよ。どう?キレイだろ。」

「…飾られて……?見せしめ…間違…い…だろ…」

太一の思わぬ言葉に、御影は少しだけ驚いた表情を浮かべる。

「へぇ、まだそんなに喋れるんだぁ。キミ、ホントに大したモノだね。まぁ、それなら教えてあげるよ。冬馬の隣に空いてる場所があるだろ?そこがキミの、これからの居場所になるんだよ。」

「…なん…だと…。」

「キミが用済みの空っぽになったら、裸のまま並べてあそこに飾ってあげる。どう?ワクワクするだろ?」

「ふざ…けるな…そんな……なって…たまるか。」

太一は途切れ途切れの意識にありながらも、抵抗を止めない。

「ま、これほどの人間をもったいないコトだとは、正直ボクも思うけどね。これも御前のご意向だから、どう足掻いてもムダだよ。もう諦めてね。」

その御影の言葉と共に、太一の搬送は再開され、やがて彼に対する処置が行われる部屋へと辿り着く。


19.


 処置室の扉が開いた。冷たい空気と、消毒薬と金属の匂いが、嗅覚へと流れ込む。X字型の拘束台に四肢を大きく開かれたまま、太一はその拘束台ごと部屋の中央へと運び込まれた。薬物の効果は、まだ続いており、熱い身体は小刻みに震え、仰け反る。反り返った先端からは透明な滴りが、絶え間なく糸を引いていた。

 意識は混濁の中に有りつつも薬の効果により、完全に沈む事は許されない。拘束台が床に固定され、スタッフ達は無言のまま粛々と、器具の接続を確認する。

 そのとき、部屋の奥から、ゆっくりと足音が近づいてきた。御影を始めとした、その場に居る者全員がその足元に跪き、頭を垂れる。

「これは御前。このような場所に足をお運びくださり…」

「堅苦しい挨拶はよい。で、例の品物は無事、届いたのだな?」

「はい、御前。例の物はこれへ。投薬も完了し、処置の準備は既に終えております。」

「うむ。ご苦労。」

 御前と呼ばれたその人物は、拘束された太一の前に立つと、声音を変えて陽気に彼の名を呼んだ

「よう、太一っちゃんや。久しぶりじゃの。」

 穏やかな聞き覚えのある声音。太一が力なく顔を上げると、そこには見慣れた老人の姿が在った。彼の目が驚愕に見開かれる。

(御前?……嘘だ…。この人が…御前などであるはずが……)

その老人とは……榊原勘吉。

 だがその目は、種子島の日常で見せていたものとは、まるで違っていた。

「会…長…あ…なた……原生…圏…襲われ…行方不明……。」

「ホッホッホ。皆、上手く騙されてくれた様じゃの。全てワシの策略じゃ。恒一や退ちゃんの襲撃も、学校の爆破もな。」

 怒りが、最初に胸を焼いた。太鼓を叩く手も、ビールを注ぐ笑顔も、全てが仮面だったのか。信頼していた時間ごと、嘲られている気がした。

「会…長…?……最初…から…?」

「ほほ。会長…か。太一っちゃんにそう呼ばれる時間も、もうこれで仕舞いじゃな。」

 勘吉……御前は、ゆっくりと近づき、太一の滑る部分に片手を伸ばし、ゆっくりと弄ぶ。その固い感触を、じっくりと楽しみながら反対の手で、彼の汗に濡れた頬を、優しく撫でた。

「お前が自分からここへ来てくれたおかげで、手間が省けた。感謝するぞ。」

「はぁぁ…うぅ…止…めろ…止めて…くれ。なぜ…こんな…酷い……白石…先生……退…助……。」

 御前は太一を弄る手を休める事無く、更に言葉を続ける。

「ああ、退ちゃんはともかく。恒一は死なんかったそうじゃな?残念じゃ。死んでこそ太一っちゃんを、早々と削る役に立てたと言う物じゃろうに。そのお陰で、ここに至る迄の時間が、ちっとばかし延びてしもうたわい。」

 御前の手に弄ばれ、迸りの間際に追い詰められながらも、太一は言葉を絞り出す。

「うぅ…あぁ…なん…だと…。キサ…マ…。」

「ここへ来るまでに、太一っちゃんも散々な目に遭っとる様じゃが、自分で望んでここへ来たんじゃ。役目は最後まで果たさにゃならんて。」

 御前の非情な一言に、自身を弄ばれながらも、太一はその顔を睨みつける。

「まぁ兎に角じゃ。ワシらが欲しいのは、太一っちゃんの中に残る、洗脳アルゴリズムの最終パラメータなんじゃ。これからそのデータをお前さんから抜くが、何せその処置を施せば、お前さんは自我を完全に剥がされて、肉人形へと成り下がってしまうからのう。」

「覚え…てろ…絶対に…お前を…殺す。」

「おう、そうかそうか。ワシを殺すか?出来るモンなら、やってみるが良い。まだまだ若いのに、気の毒じゃのう、太一っちゃんよ。じゃがこれで、正真正銘お前さんは、ワシの太一っちゃんになるからの。見たじゃろ?さっきのホール。冬馬の隣に、立派に飾ってやるぞい。」

 嬉々とした口調で御前がそう語り、滑る太一自身から、名残惜しげに手を離した直後、拘束台のアームが音も無く動き出し、太一の身体には次々と、処置に必要な器具が装着されていく。胸と腹、内腿に吸盤型の電極。乳首を挟むクリップ。太一自身の根元を締めるリングと、その先端を覆う刺激用キャップ。

 直腸には太いプローブが抵抗を無視して深々と挿入され、尿道にも細いカテーテルが滑り込んだ。首に嵌められたカラーが光を帯び、微細な電極がそれぞれの器具から、皮膚と粘膜の下に食い込む。すでに薬物で敏感になっている身体に異物が侵入する度、もう逃げる術もない拘束の中で、太一は懸命に身を捩り、悲鳴を上げる。

「ぐわぁぁぁぁぁ‼︎」

「もうやめ……おねが…い…やめ…て…くださ…い…。」

そう涙ながらに懇願する太一に、御前は何食わぬ顔で語りかける。

「パラメータを抜く過程はな、太一っちゃん。本来は、かなり過酷なんじゃ。身体も精神も、究極の苦痛を伴う。じゃがその極限状態に被験体を追い込まんと、パラメータはその中に、姿を現さんのじゃ。」

御前は操作盤から手を離し、歪んだ慈悲を込め、太一の口腔へと自殺防止用の枷を捻じ込みつつ、それをベルトで彼の後頭部へと固定しながら耳元で囁く。

「じゃからな、太一っちゃん。ワシからの、せめてもの手向けじゃ。お前さんからは特別に、極限の快楽の中で、データを抜き取ってやろう。」

「太一っちゃんや退ちゃんたちに会長などと呼ばれて過ごした日々は、なかなかに愉快な物じゃったぞ。この人生最期の快楽は、その、せめてもの礼を受け取るのじゃと思うて、これからのひとときを、どうか存分に楽しんでくれ。」

 御前は太一にそう囁くと、ポンポンと優しく、太一の髪を撫でた。

「んんんんんー‼︎」

枷を捩じ込まれた太一の口からは、もう言葉にはならない抵抗の声が漏れ、その直後、御前自らの操作により、パラメータの抽出装置が起動した。

「……んん…んっ……!」

太一の身体が、拘束の中で大きく跳ねた。内部のプローブがうねり、カテーテルが粘膜を刺激し、電極が神経に快楽信号を直接流し込む。薬物で過敏になった身体は、その刺激に容赦なく反応した。意思とは無関係に腰が震え、先端からは透明の雫が勢いよく溢れる。

(やめろ……感じるな……これは俺の反応じゃない……!)

「ほっほっほ、こんなにすぐ反応しおって。太一っちゃんも、かなりの好き者じゃの。木星圏の英雄様も、これでなかなか隅に置けんわい。」

御前の声は、太一の心を優しく嬲る。

「感度が良すぎるんじゃないか?ほれほれ、また先っぽから嬉し涙が溢れておる。なに、恥ずかしがることはないぞ、そのまま波に身を任せ、己の本性を曝け出すが良い。」

怒りは、すぐに抵抗へと変わった。

 だが身体は正直だった。御影に作り変えられた過敏な神経が、容赦なく信号を増幅する。感じたくないのに感じ、果てたくないのに乾いた絶頂の縁へと追い込まれていく。その矛盾が、太一の精神を内側から削った。

 乾いた絶頂の波は次から次へと、無限に押し寄せてくる。だが迸りは決して許されない。ただ、果てそうな感覚だけが頂点に達し、白く弾け、そして又すぐに次の波が来る。とめどなく溢れる透明な雫が太腿を伝い、拘束台を汚す。太一は歯を食いしばり、涎を垂らし、泡を吹きながらも声を殺し、抗おうとした。

「そうじゃ、そうそう。その調子。素直になった太一っちゃんの中のデータが、次第に姿を表して来たぞい。」

(出るな……イくな……俺は、負けない……)

 だが、作り変えられた神経と、処置の中で追加投与された薬物は、忠実に、送り込まれ続ける快楽信号に応えた。強制的な乾いた絶頂が、何度も何度も繰り返される。思考が寸断され、抵抗の意志が少しずつ摩耗していく。その隙間に、別の感情が滲んだ。

(……ごめん)

 湯気の中で、大きな手が自分の背中を洗ってくれた夜。

『どうなったってお前が、お前で無くなる訳じゃないだろ』

と言ってくれた優しい声。あの温もりを思い出すたびに、胸の奥が潰れるように痛んだ。

(退助……折角この身体を、受け止めてくれたのに……俺、また……汚れてる……)

後悔が、抵抗のあとを埋め始めた。

 狂わされている自分を、あの人には見せられない。彼に受け止められた身体で、こんな反応を繰り返していることが、ひどく情けなかった。強制される乾いた絶頂が、さらに何重にも続く。

 透明な雫は絶え間なく溢れ、絶頂を重ねる毎に自分の奥底から、とても大切な何かが引き剥がされていく感覚が、次第に明確になっていく。その度に記憶と自分の輪郭が薄れ、感情の核が欠けていく。

(……たい…すけ……)

消えて行く記憶の中で、太一が最後に呼ぶのはやはり、最愛の人の名前だった。


20.


 それから更に数時間が過ぎ、もう怒りも、抵抗も、後悔も、既に形をなさなくなっていた。

「うむ。大分素直になって来た様じゃの。既に愛しいあの人の姿すら、もう思出す事も出来まい?」

言葉に促されるかの様に、残った意識が自然とあの人に縋る。あの人…その思考に太一は愕然とした、あの人…その顔はおろか、名前すらも、もう思い出せなくなっている。

「おう、可哀想になぁ。どうじゃ?快楽の中で、己の全てを剥がされていく気分は?」

(あぁ…お願い助けて……消えないで……俺を、俺のまま……お願い…たす…けて…)

依存に近い叫びが、心の中で繰り返された。誰かに、何かに、縋り付きたかった。全てを壊されてしまう前に、自分を肯定してほしかった。

「抽出率、八割……九割……抽出、完了。」

御前の声から、温かみが消えていく。

「無事にパラメータは抜き終わったぞ、太一っちゃん。ここまでは楽しんでもらえたかの?これを手に入れる為に、どれほどの手間と時間をつぎ込んだ事か。さ、ともかく、これでお前さんもお終いじゃ。」

 装置の作動音が、ふと止んだ。太一は吊られたまま、大きく肩を上下させていた。瞳にはまだ辛うじて光がある。限界で、壊れかけて、それでもまだ「八木太一」としての自我の欠片が、彼の中には、微かに残っていた。

(……もう、いい…もう…つか…れた…。)

最後に残った感情は、静かな諦めだった。

 抗う力も、怒る熱も、後悔する余力も、既に尽き、最後に縋る存在さえ、もう心の中から消え去っている。ただ、もうじき俺はこのまま消えるのだと、その事だけは薄く理解ができていた。御前が、最終段階のトリガーに指をかけた。

「……太一っちゃん。」

(たい…ち…ちゃん…なん…だ…?…だれの…こと…だ…?)

一拍の沈黙。

「ゆっくりと、おやすみ。」

 最終段階のスイッチが入った。太一の身体が拘束の中で一瞬、限界まで弓なりに反った。それまでの乾いた絶頂とは質の異なる衝撃が、神経の最奥を突き抜けた。自分という、これまでの物語が、頁ごと何もかも、根こそぎ強引に剥ぎ取られていく。

「……ん、ん゛……ん゛ァァァァ……!」

 声にならない叫びと共に、それまでの数日間に渡って一度も解放を許されなかった迸りが、濁った勢いのまま激しく噴き出した。キャップの縁を押し広げ、腹と胸を汚し、何度も何度も、脈打ちながら床にまで飛び散る。

 自我を根こそぎ剥ぎ取られる衝撃に合わせて、溜め込まれていたものが全て、強制的に搾り取られていく。

 床に水たまりが広がり、太一の太腿を伝って、更に粘り気のある雫が糸を引いた。溢れ出るたびに、最後に残った思考と、自分自身の断片が消えていく。怒りも、抵抗も、後悔も、依存も、諦めも。

 最後の一滴が滴り落ちた時、彼の世界からは遂に「意味」が剥がされた。荒く波打っていた胸の動きが、次第に規則正しい、空虚なリズムへと変わっていく。

 開かれた瞳から、光が消えた。御前は静かにトリガーから指を離し、吊られた身体を眺めた。「これでもう、お前さんは空っぽじゃ。やっと楽になれたのぅ。」

そこにもう、八木太一は居なかった。

 虚ろに目をあけ四肢を開かれ、丸裸で磔にされた無惨な姿のまま、ただ呼吸するだけの人形が、そこに残されているだけだった。

「八木太一よ。我が原生圏に仇なした咎人よ。その身に相応しい、卑しき姿。肉人形へと成り果てた事実を以て、その罰としよう。」

 本来の声音に戻った御前の声が処置室に、冷酷に響いた。


21.


 港の岸壁に太一の脱ぎ捨てられた服が発見されたのは、翌日の午後の事だった。それが太一本人の物である事が、退助によって確認され、八木太一が謎の消失を遂げた事が明らかとなった。

「バカヤロウ…本当に消えちまう奴があるか…。」

 退助は病室のベッドの上で、太一が着ていた上着を抱きしめながら悲嘆に暮れていた。それは太一の誕生日に彼が贈った一着であったのだ。

「退助さん…。」

湊と澪も、非情な現実に打ちのめされていた。退助に対しても、掛ける言葉すら見つからない。

 しかし、ここに居る三人は、自分たちが再び立ち上がり前へ進める事を知っている。だがそれにはまだ、少しの時間を必要とする様だった。


はい、中の人です。


今回は、最短記録での投稿に…なったんじゃないでしょうかね?作者自身も驚いておりますが、本編の再スタートは、再びの主人公側の敗北ENDでの始まりとなりました。これから退助はまた、太一を取り戻す為の行動を起こしていく事になるんですが、10月は作者多忙の為、丸々一月は投稿が出来ないかな…という見通しになっております。まぁ、合間を見て書けそうなら書こうかなと。それでは又、次の話でお会いしましょう。


ありがとうございました。

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