ありし黒
弾丸の速度は秒速三〇〇メートル程だと聞いたことがある。音速に並ぶその速さを人間は捉えたうえで行動に移して回避できるだろうか。
「けっ。ンな変態趣味なんぞ認められねぇな。少なくとも俺は――」
「雁啼ァ‼銃を取れッ‼」
先行させた雁啼に指示を飛ばす。銃を奪えばひとまず飛び道具は無くなるはずだ。まさか一丁でも入手が難しいだろう拳銃を、使いもせずに予備として何丁も持っているとは考えにくい。
その男は、取り敢えず諦めずに発砲しようとしたようだった。
「ァア?『 』かァ?」
距離があるからか、よく聞き取れなかった。
何と言った?
いや、そこに拘泥している暇も無いようだ。
「女の子に拳銃向けてんじゃねぇぞコラァ‼‼」
男が引き金を引くが、雁啼の数十の『腕』のが速い。最初にアイツと対峙したときはセンラを襲うのに大活躍していた厄介なものだったが、人間の動きの制限を超えられるというのは有利なことこの上ない。
拳銃を破壊し、それから男の方へと伸びる。
彼を変態呼ばわりしていたが、やたらと女性にガメツイ雁啼もなかなかである。男に絡み付けるなんて想定外の使い方だろうが、景気よく関節を外しているように見える。
雁啼は今、間一髪のところでヒメを抱き上げて助けたため、お姫様をお姫様だっこ状態にある。降ろそうとしないのは、安全を確保できないからだと信じておこう。
「雁啼。もう十分だ」
適当なところで制止しておく。骨まで折ってはないだろうな。
「クソッタレが…テメェ……」
男は全く関係ない方角を睨みつけてそうぼやいた。
それから遅れて、彼の見る方角の茂みがガサガサと音を立てた。
この匂いは…センラか?それともう一人…?
「哭沢、さん…。随分、『無様』ね…」
茂みを割って現れたのは、センラを担いだ少女だった。
彼女の台詞からして、このクソ野郎が『ナキサワさん』で、彼女が部下のようなものに当たるのか。
「オイ…アンタは一体…」
正直混乱を収めることができなかった。だが、目を疑ったにしても、間違いは無さそうだった。
黒くつやつやした柔らかい『狼の耳』。何故か乱れた服装は、見たことのある修道服だが、なによりその腰の辺りからは美しい毛並みの黒い『尻尾』。
それは総合して、センラのものをそのまま黒く染めたようだった。
「センラの知り合いじゃないワケがないよな…?」
脇腹の辺りに血の染みができているが、臭いの程度から計るとそこまで深い傷ではないようにもとれる。どういう経緯で怪我をしたのかまでは推測できないが。
「……まぁ、知り合い以上よ…」
でも、と彼女は付け加える。
「哭沢さん。私は止めたわ。何度も、実行に踏み切った後も。その様じゃあ、まるで正義のヒーローに退治された悪役そのままね…」
哭沢と呼ばれる男は答えなかった。
『黒い狼少女』は、おぶるように担いでいたセンラを俺の方へ押し付けて、それから哭沢の方へ歩いて行った。
なお、哭沢は一言も発しなかった。
「貴方がどう私を利用しようと、もう私は居るべきところを見つけられたの。あなたとはようやく縁が切れるわね」
「――……勝手にしやがれ」
ここにきてようやく、静かにそう答えた。
一体二人がどういう関係だったのか俺は知らないが、センラを押し付けられた俺も、ヒメを抱える雁啼も動ける状況ではなかった。
お二方で勝手に収集を着けてくださいと言わんばかりに、俺はセンラの方へと目を逸らした。
「ぅー…」
センラは姿勢を崩して、意識を失っているのには変わりないが、気絶したというよりも、眠っているようだった。
《で、俺らはどうすんのよ?》
雁啼がそーっとこちらへ寄ってきて、俺にだけ聴こえるように言う。もう危険はないと判断したのか、センラが俺の脚に凭れ掛かって寝ている横にヒメを降ろした。
それから五分程が経って、数メートル離れたところでのんきしていた俺の方へ、話を済ませたのか、黒い方の狼の彼女がこちらへ歩いてきた。
「私には…、どう貴方たちに接すればいいのか分からない」
「残念だが僕にも分からないんだが。だが、アンタにはいろいろと訊きたい」
彼女はやや顔を逸らしながら、それでもどうにか顔を合わせようと頑張っているようだった。
「そもそも名前も知っておきたいが、それよりもその姿を知りたい」
センラとの関係も、それどころかセンラがどういう人間なのかも彼女は知っているだろう。
「メイナ、と言います…。私はその子の姉…双子の姉です…」
センラを視線で示そうとして、ヒメが目に入ったらしい。申し訳なさそうに顔を伏せた後、それでも紹介を続けた。
「細かいところまでは今はいいでしょう…。でも、これは伝えておきたいんです」
低い声で彼女は言う。
「哭沢さんとは、貴方たちが勝ってくれたおかげで、ようやく縁を切ることが出来ました…」
「アンタらが俺とセンラがそうであるような関係と見てもいいのか?」
「貴方たちよりも雑な関係と思っていただければ。もっと支配的で、私が下でした」
彼女はやはり暗い調子で続けた。どんな関係であったかまでを突き詰めはしない。
「哭沢さんは置いていきます。警察には連絡しました。いずれ殺人未遂で捕まることでしょうけれど、貴方たちは気にしなくてもいいです」
「…俺はそこまで面倒見はよくないからな。ヒメを助けたならさっさと帰る。真相解明に急ごうだなんては思っていないな」
俺がそう正直に(正直ならいいというわけではないが)答えると、メイナは彼女の提案通りの回答に納得したのか、さっさと哭沢を縛り付けに行ってしまった。
「貴方たちには、ここで私の見ていないところで去ってしまうことを推奨します。どうにか命掛けで逃げおおせたことにします。私もうまくやるので気にしにしないでください」
そう遠くから伝えると、また不愛想に目を背けてしまった。今は見えていないから『目を離したすきに逃げられてしまった』ことにするようだ。
俺はやや申し訳なくも感じていたが、しかし俺程度の頭脳では、すぐに良案は出てこない。ここはメイナに甘えておくべきだろう。
そうして、俺と雁啼は、センラと手当てを済ませたヒメを連れて、『どうにか命辛々逃げ果せた』のだった。




