19.要塞
直径百キロのメガストラクチャが土星の環をかすめたら、その奇麗な縞模様は乱されてしまうでしょうね。
あぶないあぶない。
エッジワースカイパーベルトを突き抜ける際には、将来の彗星を誘発しているかもしれんせん。
足取りを掴まれぬよう太陽系を退去した後、レオン達は速やかにポイントαへと戻って来た。往路にはパトロール艦をやり過ごしただけの虚ろな宙域で待っていたのは、上下にドーム型のある、巨大な円柱形。
直接視認してはむしろ遠近感を失いそうな、大型構造体が悠々とそこには在った。
「あれは、ウーガダール!」
「だからローレンス様はポイントαへ来い、と言われたのですね」
ランツフォート軍の最高統帥部、機動要塞ウーガダールがそこには遊弋していた。
ウーガダールは、その直径約60キロメートルの円筒形状の外周部に沿って、艦艇用ドックがずらりと並ぶ。物資輸送船等の大形艦船用のドックも個別に設けられており、レオンはプロミオンをラーグリフに収めたままで、そのうちの一つに誘導された。
ウーガダールそのものが機密の塊でもあり、存在は公表されているが、活動内容は制限事項だ。そこに同じく機密の塊であるラーグリフが加わったところで、制限事項であることに変わりはない。
「近づくと、やっぱりデカいな」
「セレーネよりは小さいのでしょうが、ヒトの感覚ではどちらも凄く大きい、としか思いませんね」
ラーグリフは、他の艦船とは明らかに違う管理をされた区画に誘導されて、ゆっくりと着底した。資源運搬タンカーでも接舷できるほどに大きいが、物資積み下ろし用のアームや搬送レールなどは見当たらない。
指定位置にラーグリフが停止すると、それを待っていたかのように連絡艇が近づいて、そのアクセスを指示してきた。連絡通路をラーグリフに接続しても、人員の出入りには使えないことを知っているからだ。
「アリス、リアデッキのハッチを開けて、プロミオンに誘導してあげて」
そして、自らはその連絡艇に乗り込むつもりで格納庫へと降りてみると、開いたハッチの中からローレンスが現れた。
「あれ? ちょ、こちらにいらしたのですか。わざわざ、申し訳ありません」
「驚かせたか、すまんな。機微な内容はこっちで話した方がいいからな」
「それがその、お迎えする準備を、整えておりませんでした」
「よい。だがまあ、珈琲を淹れる時間くらいは待つぞ」
ローレンスに続いて、連絡艇からは見覚えのある副官が一人だけ降りてきた。タラップを降りる際に足を踏み外してバランスを崩したが、たたらを踏むその姿に、レオンとアリスは見て見ぬふりをした。ウーガダールとは弱重力の調節が違うのだろう。かの副官が恥ずかしそうに顔を赤らめる姿は極レアだ。
先ずは皆でコーヒータイムを、とローレンスが笑顔で言うので、二人をブリーフィングルームへと通してレオンは珈琲を淹れ、アリスは焼き菓子の盛り合わせを用意した。二人とも、どういう訳か珈琲の香りを必要以上に嗅いで、目を閉じてゆっくりと嚥下したりして。
「先程は伝え忘れたな。まずは任務ご苦労だった。今回は大収穫だったようだな」
あらましは既に報告済みだ。アパラジータにセレーネ、おおよそは伝わっている。詳細な戦闘情報の分析は今後のことになるので、まずは答え合わせが先だ。
「セレネ、いやセレーネ、か。それが黒幕の本拠である可能性が高いな。しかし、まさかフェイザーを作り上げていたとは……」
地球圏にももちろんランツフォートの諜報網はあるが、火星での不審な動きは感知できていなかった。或いは、人の人生というスケールで眺めていては、気づくことが困難であったかもしれない。打ち捨てられた古い資源採掘施設にあまり注意を払ってこなかったのは、今後の活動への教訓になる。
「あんなにデカくて凶悪な奴が、動くんですね」
「まあ、異文明がどこから襲来するかは分からん、という建前でな。人類域内に被害が出ないよう、撃ち出す場所とその方角は慎重に決めねばならんしな」
「かなりの距離まで届きますからね」
また、アリーシャ・ティケスを接点としてラーグリフ計画との繋がりが明確になった。黒幕は、ラーグリフ計画に細工を施して、全銀河探査情報を横取りするつもりだったようだ。現実には探査情報は存在せず、ラーグリフを確保する意味はあまりないのだが、探査情報をラーグリフが保持していないことは敢えて伝えていない。それはもちろんラーグリフの保身のためだ。
「やはり、セレーネはどこへ向かって何をしようとしているのか、だな」
ローレンスが背もたれに体を預けて腕を組んだ。その視線はブリーフィングルームの天井ではなくて、遥か遠くを見ようとしている。
「ラーグリフと対峙するでもなく、あの物体を動かす理由とは、正直言ってかなり限られます」
「認めたくはないんだけど、やはり狙いは惑星ノア、とみるべきだろうな」
これ以上ないくらい嫌そうな顔をして、レオンがアリスに応えた。
セレーネが向かったのは、ずばりアルラト星系のある方向だった。これまで、アパラジータは行先をごまかすといった小細工をしたことがない。セレーネはあれだけの規模の構造体だから、慣性の大きさを考慮すると尚更そうだろう。
「で? 惑星ノアを狙って、フェイザーを動かす、か。ノアに固執する理由はいまだにわからんが」
レオンにも劣らぬ嫌そうな顔で、ローレンスが最悪の事態を口にした。
「ノーマ・フオンなら知ってるかな?」
と、レオンは軽い気持ちでアリスに振る。
「占ってくれるかもしれませんね、というのは冗談ですが、知っている可能性はあるかと」
ローレンスも、彼女のことは知っている。グエン提督への聞き取りでも、何度も出てきた名だ。しかしながら、提督のように身柄を拘束して聞き取りができるわけもない。
「ノーマ・フオンは地球圏のVIPの一人だ。手荒なことはできんし、そもそもコンタクトを取れるかどうか」
過去にはリサが直接手合わせしたこともあった。そうと知っていれば、違う出会いになったのかもしれない。
「動向を捕捉しておきたいとは思っているのだがな……」
ローレンスがそう言葉を濁すあたり、追跡できていないという事なのだろう。
レオンが一番に珈琲を飲み終えてカップを置いた。
「あのー、ローレンス様。惑星ノアからの、メルファリア様の退避とか、どうお考えですか?」
本来は惑星ノアに住まう全員の避難を考えねばならないが、それを短期間に行うのはどうにも現実的でない。しかし、メルファリアに危機的現状を伝えて、素直に自分だけ退避してくれるかどうか、これは非常に怪しい。
なにかもっともな理由をつけて連れ出すか、さもなければ強引に拉致同然にでも確保するか。嫌われてしまいそうだがそれでも、とレオンは鬱々と考えていた。
「レオン、貴様はメルファリアだけを助けたいのか?」
「いいえ、違います。しかし、厳然と優先順位は存在します。それに、リスクの分散でもあると思います」
ローレンスはちらりと隣の副官を見てから、レオンに対して意味ありげに凄んだ。
「そうか。よし、では教えてやろう。メルファリアはな、今このウーガダールにいる」
「そう、ですか。ローレンス様の慧眼、恐れ入ります」
今にも飛び上がって喜びそうだったが、そこは完全に抑えて、レオンはローレンスの行動を心から讃え、現状に秘かに安堵した。
「まあ俺の慧眼ではなくてな。メルファリアが率先して、貴様の助けになりたいんだとさ、レオン」
「そうですか、それは……えっ? メ、メルファさんが、俺の……私のことを!?」
「あー、すまん、少し盛った。だからそう興奮するな」
ローレンスはちょっと楽しそうだが、隣の副官は相変わらずの無表情だ。今度こそ飛び上がりそうだったレオンは、浮いた腰をゆっくりと座面に戻し、顔にも平静を取り戻そうと努力した。
「メルファリアに、この現状を伝えぬわけにはいくまいが、おとなしく待機しているよう、レオンからも言ってくれ」
「もちろんです。泣いて縋りついて懇願します」
「ああ、……そうだな、うん」
頼もしいのか何なのかよく分からん、とローレンスは思ったが、この際効果があればまあいい。そしてこれまた機微な内容なので、メルファリアにはプロミオンへと来てもらうことにした。
「ケイ……ロイド少尉、メルファリアを迎えに行ってきてくれ。俺からメッセージは入れておく」
「承知しました」
言うが早いか、ケイトリン・ロイド少尉は立ち上がり、アリスに格納庫へのナビを依頼すると足早に退出していった。
レオンは結局、地球に立ち寄ることはできませんでした。
いつか地球で珈琲を飲むことができるといいですね。