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19.愛ですわ

 無理はするものではない。


 目を覚ましたおれを待っていたのは、全身に走る得体の知れない痛みの数々だった。


 なんせ瞼すら開けられないのだから驚く。口が思うように開かないときは呼吸困難による死を覚悟したが、その数秒後、おれは鼻孔の存在に久しぶりに感謝した。


(そこは初めてじゃないんだね)

「心を読むな」

(読んでないよ。声に出してたでしょ。っていうか口開けたじゃん)

「そうだ、いま少しだが口が開いたから喋った」

(その前から声出てたよ。口が開いてないから腹話術みたいなことになってたけど)


 本当かとおれは確認してみる。要するに独り言を考え、声帯を震わせるのだ。とはいっても自分ですら聞き取れる言葉にはなっていないし、これが読めるのならば心が読めるのと同義ではないか。


(いや、考えてることはわかんないよ? でもそうやって音にしてくれれば、なんか伝わってきちゃうの)

「そういうものなのか」


 口が開いたのだからと目を開けたおれは、目の奥に猛烈な痛みを感じた。光がない場所なのにも関わらず、太陽を直視し続けたような痛みだ。


 そこまで考えておれは、自分がいまいる場所を再確認した。地下だ。ベッドではなく地下室の片隅に毛布を敷いておれは横になっていた。


 記憶はしっかりとある。おれはここまで、自力で歩いて帰ってきた。


「なぁ、アッシュ?」

(なに?)

「おはよう」

(おはよう)


 アッシュがそう返事して笑った。


 おれはたぶん、勝ったのだ。







 アッシュがおれの肉体を経由して外部の情報を得ていることをおれは初めて知った。おれが眠っている間、聴覚は機能しても視覚は機能しておらず、またおれが眠っている間にアッシュの意識が回復したのが理由で彼女もどの程度の時間が経ったのかがわかっていなかった。


「三日だ。正確にはお前がそこで寝てから六十時間少々」


 アッシュが眠って以降の出来事を話している途中の出来事だ。おれに経過時間を教えてくれたのは、地下室の壁のど真ん中に陣取っているカーネルだった。おれによって残った殴打の傷は左頬に腫れとして残っているが、それ以外の負傷は特に見受けられない。しかし金髪はもとから刈られていたサイドの部分と同じ程度にまで短く切られ、服も非情に質素な布編みの服になっている。


 そしてもっとも特筆すべき点は彼の腕にはめられた黒鉄の手錠だろう。手錠は地下室の床に打ちつけられた杭に鎖で結ばれていて、その手錠も鎖も緩いものではあったが、拘束には充分そうなものだった。手錠の下にはもちろん異能を封じる結束バンドがはまったままであり、つまり彼は、地下室にて囚われの身となっているようだった。


「おはよう、カーネル。よく時間までわかったな」

「こいつがあるからな」


 手に握られていた懐中時計を見て、おれは頷いた。


「この前は一時間も経たずに目を覚ましてたんだろう? みんな心配してたぜ」

「失神と睡眠を一緒にするなよ。それに肉体のダメージは溜まってたし、お前の一件が解決したんだ。許される限り眠り続けるもんだろう」

「許されているかどうかは、上に行ってみないとわからないだろう。特にあのファントム……あの魔物に肉体がなくて良かったな」

「どうして?」

「無事で帰ってきたと思ったら三日も意識不明。殴られるどころじゃ済まないと思うぜ」

「無事に帰ってきたのに?」

「そういうもんだろ?」


 カーネルがいい、おれは口端を曲げた。それから、カーネルの手首を持ち上げ、結束バンドをじっと見つめた。


「ちゃんとはまってるな」

「特別製だからな。刃物でも取り外せるかどうか」

「しばらく取り外す必要はない。まだ死にたくはないだろ」

「その口ぶりからして、やっぱりベニー、お前は発信器が異能に埋め込まれているって考えなのか?」

「違うのか?」


 少しの沈黙のあと、カーネルは何度か小さく頷いた。


「たぶん、そうだろうな。お前もそうだった」

「おれは……ナイフだろ?」

「生体反応モノの話だよ。信号が途絶えたっていったろ?」


 そういえばそうだ。途絶えたという話で、その件はもうそれ以上掘り下げる必要がないと勝手に思っていた。


「俺が聞いていたのは二つ。一つは呪い、もう一つは閉殻領域(セーフパック)だ」

「呪いの力と、その呪いの力が外に漏れ出さないようにするための防壁の異能、か」


 アッシュのために説明を入れる。三日の間に放出しては困る呪いを抑え込むために、おれの肉体にはカナンたちと別れる前に緊急の処置が施された。古代の力を現代技術で封じることができるのかについては謎だったらしいが、できる限りの処置はしてくれていたというわけだ。


 そしてその際におれは発信器まで仕込まれていたらしい。


「こうなってしまった以上、ここに俺の仲間がくると厄介だ。ナイフの発信器も取り外しておけ」

「できるのか?」

握り(ハンドル)の裏に物理的についているはずだ。全部剥がして、柄ごと交換すればいい」

「……それ以外に方法は?」

「使いやすいのも愛着が湧いてるのもわかるがな、ベニー。命がかかってる問題だ。お前だってここで平穏(スロー)に生きていきたいんだろう?」

「それ、カーネルにいったっけか?」


 カーネルが鼻を鳴らす。そういわれては、おれも笑うしかなかった。







 上でおれを出迎えてくれたのは、予想に反してライアでもネイでもなかった。これを自己陶酔の一種と見るかどうかは勝手だが、少なくともおれは驚いていた。


「これはこれは、神さま。すぐに飲み物を準備いたしますね」


 うやうやしい振る舞いでキャスパーが頭を下げた。


「二日、三日? まぁ、とにかく。神さまの長い眠りに()乾杯ということで、なにをお飲みになられますか? おお茶、それともおお酒」

「かえって失礼になってるからやめておけ」


 そういっておれはキャスパーの姿を眺めた。取り立てて不快な臭いはしない。見た目も特に変わりはない。強いていえば額や腕に包帯を巻いている程度だ。


「無事で良かった」

「こっちの台詞だよ。俺が助かってあんたが死んだんじゃ、胸にこう、良くないしこりが残る。わかるか?」

「わかるよ」


 カーネルとの戦いのあとでまずおれが気にしたのはガレとパラの身の安全だったが、彼女たちが向かったのは意外にもキャスパーのもとだった。


 おれもそちらに目が行かなかったわけではないのだが、カーネルによって爆破された彼が無事だとは思えなかったのだ。しかしガレとパラは彼の呼吸をその鋭い五感で察知し、あの場でもっとも重傷だった彼のもとへと走った。


 ガレたちの足元を狙った爆発によって彼女たちや誘拐未遂犯たちは少なからず負傷していた。だからおれは創傷や火傷が目立つ彼を一人で肩に担いで村まで戻ったのだが。


「そりゃ良かった。皆に伝えてくるよ」


 そういってカーテンを抜け、玄関を出ていった彼を見ておれは安堵した。どうやら歩けるまでに回復しているようだ。現代の医療技術でもあの負傷具合から三日でこうはならないだろうから、ひとえにこれは――。


(わたしの力ってわけね)

「違う」

(半分くらいはわたしの力じゃない?)

「吸血鬼の力は半分くらい関わっているかも」

(そういえば、いまお昼よね?)


 キャスパーが出ていった先から漏れ出ていた光を見たアッシュがおれに問うてきた。丁寧に遮光されたカーテンを指しただけで彼女はなるほどと納得してくれた。賢さに感謝だ。


 外からの物音。その遮蔽や部屋ごとを区切るカーテンを設置してくれた噂の主が、どうやら呼びかけで帰ってきたらしい。なぜか油で黒く汚れていた彼女はおれの姿を見るや否や、手を拭いていた布を投げておれを。


「バネッダさまあああああ!」

「怪我人を出迎える声量を知ってるか? 立派な教育を受けたんなら、それは……おい、ペタペタ触るな」

「本当に大丈夫ですの? あんなに全身火傷したように爛れていましたのに」

「その節は悪かった。気持ち悪いものを見せたな」


 肉体の痛みはいまだに慣れたものではないが、スライムの肉体保護と吸血鬼の自然治癒力を過信していたのは事実だ。だから陽光がない室内まで入れば大丈夫だろうとタカをくくっていたおれは、その後室内で衣服を文字通り剥ぐ(・・)のに多大な時間と追加の痛みを払ったのだった。


 会話の最中でもボディチェックを止めようとしないネイを退けて、おれは彼女に水筒の所在を問うた。


「もう隠す必要がなくなりましたので、いまは外に……シャヒィン!」

(シャヒィン?)

「そう、シャヒィン。アッシュ、ずっと寝てたもんな」

(寝てたというか気絶していたというか。それで、シャヒィンって?)

「前に話してただろ? 磁石みたいに引き合う石を持ってるって」

(それが?)

「はいはい、なにかしら?」


 硬度を高めているのか、床を這うのではなく跳ねるようにして現れたのは、かつてのアッシュと同じようなスライム――シャヒィンだ。


 おれが説明するまでもなくアッシュは気づいてくれたらしい。


(シャヒィン! シャヒィンじゃん!)

「だからそういったろ」


 興奮するアッシュを落ち着けて、おれはその場に屈み込んだ。シャヒィンはおれの膝ほどの身長で全体的に丸く、共闘した際よりも少し大きくなっている気がする。最近ガレと遊んでいる猫が丸まればこのくらいだろうか。果物や砲弾にたとえるのは少しサイズが主観的すぎるか。


(ちょっと、なに考え込んでるの)

「別に。それでアシィヴ(・・・・)、どこから説明すればいい?」

「アシィヴ? やっぱり! やっぱり彼女を知ってるのね!」


 今度はシャヒィンが興奮する番だった。おれは状況がまだ完全に掴めていない様子のネイを見て、ふむと考え込んだ。


 本当にどこから説明すればいいのか。事情を知っているライアが事前に話してくれていれば楽だったものを。







 善は急げとはいうが、急がば回れともいう。


 カーネルの一件で結局おれは彼を拘束するに留めた。口には出さずとも皆が一抹の不安を感じているのはわかっていたから、せめてアッシュについての話は共有しておくべきだろうというのがおれの考えだ。これにはおれが秘密にしていたことを明かすことで、ネイが隠していたシャヒィンという名のスライムについての話もしやすいだろうという狙いもあった。


 密閉、遮光によって村長邸は、ひとことでいってしまえば空気が悪かった。換気や掃除は昼の間にやるとのことで、おれたちは夕食を夜空の下でとることにした。後述の事情で焚き火や篝火からは少し離れた場所に皆で座っており、夜空の星々と、遠くで揺らめく火が灯りである。


「魔物といえども生物としての基本的な器官は存在していると思っていたが……」


 向こうから取ってきた串の焼き魚を頬張りながら、ランゾウが丸太に腰かけた。


「肉体の体積を空気中の水分で調節できるとはなかなかに面妖でござるな」

「これはわたしの一族の技術というかなんというか、体質みたいなものです。アシィヴはこういうことはできないんですけど、代わりに体の柔らかさを自在に変えられたり。ね?」

(そうそう。同じ種族とはいっても、異能はいろいろあるってこと)


 アッシュが得意げに答えたのはいいが、その声はおれ以外には届いていない。だからおれはアッシュの言葉を一言一句そのままに皆に伝える雑用を担っていた。


「うーむ。そしてバネッダ殿の体には、シャヒィン殿の幼なじみが入っていると」

「それ、どんな偶然なんですか」


 腕を組み、思案顔で漂うライアがいう。


「こんな辺鄙(へんぴ)なところで、アッシュの幼なじみと再会する。相当な運命ってやつですよね」

「あれ、ライアさんは陰陽石の話を知っているって聞いたんですけど」

「なんですっけ、それ」


 アッシュが持っていた、対になる相手と互いに引き合う性質を持つ石のことだと、おれは改めて説明する。問題は当人――当スライムであるアッシュ自身も石が発するらしい波動を感じない点だ。


「こうやって距離が近いと多少はわかる。だけど、本当に微小な温かさを感じるだけだ。アッシュもいまはそうらしくてな。カーネルの異能もあって、シャヒィンの気配がわからなかった」

「いえ、こちらから声をかけなかったのが悪いんです! ほかの魔物の皆さんもいらっしゃったのに、アシィヴの姿はないし、いざとなるとわたしが尻込みしてしまって」

「シャヒィンは悪くありませんわ。あなたを水筒に隠していたのはわたくしの判断。バネッダさまのことはもちろん! もちろん信頼し、信用していましたけれど……」


 おれは互いに謝罪を繰り返さんとするシャヒィンとネイを制した。


「まぁ、それは過ぎたことだとして。おれやアッシュがまず訊きたいのは、シャヒィン、きみが記憶喪失だって話だ」


 心のなかでアッシュも頷いた。ここにいる全員――話は一度に共有しておいたほうがいいと、パラやテリアン、さらにキャスパーにも同席してもらっている――が、俯いているシャヒィンの言葉を待った。


「さっきも少し話しましたけれど、わたしの名前だとか、アシィヴのことだとか、そういうのは覚えているんです。覚えていないのは、わたしがどうして故郷の島を出ていて、どうして瀕死の状態で倒れていたのか」

人体(ひと)についての医学の心得は多少あっても、魔物、しかもスライムの構造や医療などはもちろん学んではおらず……シャヒィンが助かってくれたのは、はっきりいって奇跡でしたわ」


 ネイの補足。さらにもともとスライムの肉体は治癒力に優れていると、アッシュが説明してくれた。


「おれを追う過程でシャヒィンを見つけて、そのままここまで連れてきたと」

「ええ。回復した彼女がこちらの方角を示されて……わたくしはてっきり、彼女の仲間なり家なりがこちらにあるものだとばかり考えていました」

「おれの足取りともある程度一致していたから同行していたら、本当におれまで追いついてしまったと」

「その通りでございますわ。わたくし、これはやっぱり運命だと思いますの。だってそうでしょう? こんな偶然……」

「いきなり早口になるな」


 おれはまたネイを制した。なおも語ろうとする彼女を止めるために、おれはふと思ったことを質問してみた。


「ちなみに、このご時世に瀕死のスライムを助けようだなんて思ったんだ?」

「それは……愛ですわ」


 おれになにかをいいたげな表情のあとのひとことだった。とても失礼だから心に秘めておくが、いままで彼女の口から出てきたなかでもっとも誠実な『愛』な気がした。

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