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12.さよならだけがじんせいだ

 最初に身を動かしたのはテリアンだった。とはいえ声を出すことはなく、ただランゾウの言葉を反芻するように表情を変えただけだ。


「どういう風の吹き回しだ」


 声を上げたのはケイジだった。


「融資査定ではそういう思考回路を持つ人間じゃなかったはずだが?」

「誰にでも転換点はある。己の部下を助けようと動くこともある」

「部下、か」


 笑みを浮かべるラブロスと対照的に、ケイジが眉間にシワを寄せた。


「こちらの記録では彼女は奴隷だ。登記にもそうある」

「部下では不満か?」

「この金の出処の問題だ。これを受け取ることによって被るかもしれない我々の不利益の話だ。わかるだろう!」


 語気を荒げたケイジに、ランゾウから制止の腕が伸びた。ラブロスの身なりを上から下まで眺め、ため息を一つ吐く。


「売れるものはすべて?」

「その通り。心配するな。売り方は心得ている」

「たしかにその点はこちらよりも上であろうな」


 二人はそう会話したのちに笑った。年長ゆえの余裕なのか、もとからそれなりに仲が良いのか、おれにはわからなかった。


 代わりにわかったのは、会話がそこで区切られたことと、事態が解決に向かっているらしいことくらいだった。


 ケイジや周囲の者たちが動く前に、ランゾウは早々にテリアンの手錠を外してしまった。さらに改めてよく見ると彼女の腹部には細い縄が巻かれていて、縄の先はランゾウの左腕へと繋がっていた。つまりテリアンは彼らから逃げることができなかったわけだが、ランゾウはそれをもあっけなく払い去った。


 先ほどまでの重苦しい雰囲気はどこへやら。自由の身となったテリアンは、すぐにランゾウのもとへと駆け寄った。


 そうだ。緩められたのはあくまで雰囲気であり、彼らを取り巻く状況が好転したわけではなかった。


「しかし先に待つものは恐ろしき未来。その点は承知か」

「詳しくは知らん。炭鉱か? 漁船か?」

「そのあたりはケイジにあとで聞くといい」


 軽く話すラブロスも、このまま村には帰らないつもりのランゾウも。


「バネさーん!」


 だからこそ、耳に届いたライアの声に、おれは安堵してしまった。諸々の前提条件をなしに、手放しで喜んでしまったのだ。


「追いついたよ、ランゾウ!」


 息も絶え絶えに手を振るパラがいて、


「こんな大勢でいったいなにを……?」


 ネグリジェの上に一枚羽織っただけのネイが目をパチクリさせていた。


「カーネルは?」

「村に残ってもらいました」


 ライアがいった。パラとネイはともにライアを知覚できていないため、彼女たちをここに誘導してきたのは正確には彼女ではない。この状況を作るにはカーネルの力添えが必要不可欠なのだ。


 しかし、ライアが行動に移したということは。


 おれが口を開くよりも、パラがランゾウに飛びかかるほうがわずかに早かった。


 それは飛びかかるというには少し過激だった。普段の生活ではガレより大人しいために忘れがちだが、ランダウルフといえば身体能力に優れた魔物である。跳躍したパラに頬を殴られたランゾウの姿に驚いたケイジが、動揺を隠せないままに刀を抜いた。


「なにをしている(わっぱ)ァ!」


 踏み込みいまにもパラに斬りかかろうとしているケイジに、倒れたランゾウが待ったをかけた。


「なかなかに強か……しかしパラ殿、突然の殴打はなにゆえ」

「借りを返さないうちに消えようとしたからですし」


 疑問符を浮かべたランゾウが、砂埃を払いながら立ち上がる。


「借り?」

「街でご飯を何度も分けてあげましたし?」

「いや……それは、バネッダ殿のところへと連れていったことでおあいこでござろう?」

「ランゾウさま、口調が戻っております」


 口を挟んだケイジを完全に無視してパラは拳骨を鳴らすように何度も擦っていた。どうやら殴ったほうもそれなりに痛かったらしい。


「殴るときは掌底がおすすめでござるよ?」

「話を逸らさないで。バネッダさんのところに逃してくれたのは感謝してるけど、それを恩として売るのはどうなの? 別に頼んだ覚えはないですし?」


 いつの間にか子どもの反抗期みたいなことをいっていた。


「だから関係のない話をするなといっているだろうが!」


 ラブロスがランゾウとパラに割って入った。遠慮がない分ケイジよりも強い語調で、さすがに二人も驚いたらしく一歩退いた。


「おい、ランゾウ。早く俺を連れていけ」

「バネさん、なんでここにラブロスさんが?」

「ライアはちょっと黙ってろ」

「黙ってなくても聞こえてないんだからいいじゃないですか」


 拗ねるのは勝手だが少なくともおれにはしっかり聞こえているのを考慮してほしい。


「お前らの事情は知らんが、こんな夜中にこんな場所で話しても仕方がないだろう。休める場所はないのか」

「バネッダさんの村」

「おれの村じゃないぞ」


 速やかな訂正。一方のラブロスはパラの提案に顔をしかめた。


「あんな村、二度と寄らんわ! 俺たちの道程からいって、ここはウィランドの街だろう」

「あんな街、ボクはもう二度とごめんですし!」


 意外と仲良くなれるかもしれない。おれは好き勝手にいい合う二人の肩を叩いた。


「別にどこへも行かない。ここで解決する問題だろ、ランゾウ?」

「それは……」


 目を逸らしても無駄だぞ、ランゾウ。そもそも状況は相当にシンプルだろう。


「その……パラ殿」


 ランゾウはすぐに話し始めた。おそらくランゾウ自身も同じように考えていたはずだ。


「それがしは……拙者は、お仕事で自国(くに)へと戻らなければならない身なのでござる。本当は、本当は拙者もパラ殿とまだ一緒にいたいのでござるが……しかし……」

「大丈夫」


 たどたどしいランゾウの言葉に応えた、パラの優しい声音。ハッと顔を上げた彼は、自身の頬をなぞる指に口角を上げた。


「泣いてないでござるよ?」

「泣いてますし?」


 おれの目に涙は見えなかったが、二人にしかわからないこともあるだろう。


「ボクは大丈夫。いまは……いまのところは、一人じゃないから」


 ランゾウは一度目を伏せたあと、おれに視線を移した。


「バネッダ殿」

「まだしばらくはここにいる。たぶん、パラもな。遊びにくるといい」

「またすぐに来るでござるよ」


 一方のラブロスとテリアンは、言葉も交わす様子が見られなかった。言葉が不要なのか、おれたちの前で語りたくないのか、それはわからない。ただ、ランゾウとパラが握手を交わしている横で一つだけ、


「必ず迎えに参上します」

「期待せずに待っている」


 という会話があったのみだ。むしろ会話といえばネイとのほうが多かった。彼女は彼女なりに状況を把握し、ランゾウとの別れを惜しんでいた。テリアンはともかくランゾウと仲良くなった経緯にはまったく心当たりがないが、結果的にこの場にネイを連れてきたのは正解だったらしい。


 ケイジの話では、彼らはこのあとウィランドの街で休息を取ったのち、航路でゲッコウへと帰還するらしかった。おれはラブロスにも一声かけようと思ったが、その足を体の内から響く声が止めた。


(これで全部丸く収まったね)


 欠片ほども思っていない声音でアッシュがいった。


「そうだな」


 おれは演技が下手だから、おそらくこれもまた然りだ。


(またパラは置いてかれるわけね)


 アッシュの声が、おれだけに響く。ランゾウとパラが談笑している光景を、おれはただ眺めていた。口に出す必要がないのは彼女もわかっているはずだ。それを理解していない唐変木だと思われたか、わかっていても言葉にしないと気が済まなかったか。


 おれたちの心を晴らしたのは、意外にも――このいい方は失礼かもしれないが――ガレだった。


「さよならだけがじんせいだ」


 ランゾウと離れ、一人佇むパラの横でガレがいった一言だ。


 おれとアッシュは思わず噴き出した。


「どこでそんな言葉を」

「いけないことばだった?」

「いや、素敵な言葉だ。けどどこで?」

「拙者……でござったな」


 一度は離れたランゾウが、照れ臭そうに鼻をかいた。


「そういう言葉が書物にあったと、以前特に考えもなく。自分でいっておきながら、忘れていたでござるよ」


 ガレはランゾウとパラの二人を順に見て、大きく頷いた。それから、もう一度その言葉を諳んじてみせたのだった。







 その後それほどの時間を要することなく、おれたちとランゾウは別れた。おれたちは村へと戻り、ランゾウはウィランドの街へと行く。ことがスムーズに運んだのは、肝心のラブロスとテリアンがさっぱりと別れを告げて離れたからだ。


 おれとネイが並んで歩いている後ろを、ガレ、パラ、テリアンの三人がついてきている。多少強引に起こされたらしいネイは、小さな欠伸を一つかいた。


「グランジェット氏が残っていらっしゃるのに、わたくしまで村を出る必要はありましたの?」


 ゆっくりとした口調。もしかすると、まだ眠いのかもしれない。


「おかげさまで喉が乾きましたわ」

「たまにはいいでしょう。夜は眠るばかりじゃない」

「バネッダさまがそう仰るのなら。けれど、夜更かしは体にはよくありませんわ。特に彼女たちには」


 背後の彼女たちを見ながら、ネイが呟く。


「そういう成長もあるでしょう」


 おれはガレに目配せした。カーネルの能力下から解放されてしばらく経ったからか、彼女は鋭敏におれの気配を感じ取ってくれた。


「ところでバネッダさま? やっぱりその丁寧語は……きゃっ!」


 ネイの言葉を遮って、ガレがネイの手を強引に取ってくれた。後ろへと引っ張られていくネイの代わりに、ふわりとライアが横へ並んだ。


「村を出るタイミングの話、覚えてるよな?」


 おれの質問に、ライアが頷く。


「じゃあ、ライアはなにをもって『カーネルが怪しい動きをしている』って思ったんだ?」

「パラちゃんを攫おうとした方々の拘束を緩めて、なにかを耳打ちしていた場面です」

「わかった。ありがとな」


 村の灯りが見えてきた。


 ランゾウたちを追いかける前に、ライアと事前に約束を交わしていた。


 率直にいえば、それはカーネルに対する警戒だ。


 はっきりいっておれはカーネルを信頼していない。だからおれは事前に、ライアにいざというときの行動を示しておいた。それがパラとネイを伴って村を出る、というものだった。


 ライアはそれに従って村を出ておれたちを追いかけたことになる。もっとも対象の二人にはライアの声が聞こえないため、カーネルの協力は必要不可欠である。しかしカーネルがそこでライアの意見を蔑ろにすることはないとおれは考えた。


 カーネルは頭の回らない人間ではない。あくまで表向きという前提はあれど、現況において彼自身の立場を不利にする行動は取らないはずだ。


 さて。


 足を止めて、おれは思案する。


「このまま行くべきか、探るべきか、だ」

「どういう話ですの?」


 改めて横に並んだネイが首を傾げる。


「ここで少し立ち止まってくれって話です」

「わたくし、喉が乾きましたの。けれどなんということでしょう。あの水筒を置いてきてしまって……」

「その水筒に対する執念はなんなんだ」

「ともかく、わたくしはすぐにでも村に戻りたいのですけれど」


 ネイに続いて、ガレも口を開いた。


「バネさん。パラもつかれてる」

「わかってる」

「ボ、ボクは大丈夫ですし」


 どうしたものか。おれは昼間、動くことができない。ゆえに危険は事前に排除しておく必要がある。しかし警戒しすぎてカーネル側にそれが伝わるのは逆によろしくない。


「どう思う、アッシュ」


 返事がない。


「おい、起きてるだろ」

(都合のいいときばかり呼ぶんですね)

「ちょっと待て。なぜ拗ねてる」

(だってここでわたしが提案したとしても、最終的な意思決定はバネさんがおこなうわけで)

「それは……」

(バネさんにとって、わたしはただの優秀なご意見番でしかないんでしょっ!)

「自己評価が高い!」


 無意識の大声に、おれはハッと口を抑えた。ネイとライアから向けられる疑念の眼差しから逃げつつ、おれはガレの横に屈み込んでいった。


「ガレ、また鼻が効かなくなると思うけど、赦してくれ」


 おれはそのまま村へ入ることにした。昨日今日はパラやテリアンの件があった。こちらの警戒度が上がっているなか、カーネル側がそこまで性急にことを運ぶ必要性はないはずだ。


 もちろん、これには希望的観測が多々混じっている。そもそもカーネルの目的がまだはっきりとわかったわけではないのだから。


「前からの疑問だったんですけど……」


 空から村を眺めてくれていたライアが戻ってきた。


「カーネルさんの能力って、解除や制御はできないんですか?」

「できるけど、普通はしないだろうな。あれの発動で困る人間はそうそういない」


 嗅煙妖精(フェアリーフラッグ)。小さな妖精のようにも見える光の粒を空中に拡散させ、認識妨害を発生させるカーネルの能力。しかし人間の五感を用いた周辺索敵の正確さが実際にどの程度信頼できるかは皆の知るところだろう。通常は人間が知覚できる気配などごくわずかなものであるし、役に立たない場面も多い。カーネルの能力はその実、人間相手にはあまり機能しないのだ。


 理由はいくつかあるが、大きなものとしては人間の五感がもともとそれほど鋭くはないことだろうか。しかし訓練や能力によって感覚強化した人間にとってはその限りではないし、わかりやすく影響を受ける者もいる。


 しかしガレは魔物だ。対魔物を前提として調整された彼の能力の影響を、ガレは強く受ける。吸血鬼の力で五感が強化されたおれもおそらくは同様だ。


「辛くなっちゃうガレもいることですし、解除してくれても良さそうなんですけどね……」

(たしかに)


 だから、そういうライアやアッシュの指摘は、間違ってはいない。


 つまり、だから彼は――。


 おれたちをわざわざ出迎えに来てくれたらしい彼――カーネルが、笑顔でこちらに手を振った。聞けばおれたちのために温かいスープを準備してくれているらしかった。


 ランゾウやラブロスの話は、あくまでおれにとっての本題ではない。本題はここからだと、おれは自分にいい聞かせた。


 つまり、だから彼は当然のように、すべての魔物を滅ぼすべき敵としか見ていないのだ。

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