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翌日。
フィーナは一人で市場をのぞいていた。
昨日はあれからガルシアに会い、「カイザードは難攻不落の城だから、下手な希望は持つな」と出合い頭に忠告された。世話焼きなガルシアのいつものお小言……とはいえ、騎士長とのやりとりの後だったので、気が立っていたフィーナは、思わずその足を無言で踏みつけてしまった。
どいつもこいつも、と腹が立ったが、後から考えると悪かった、と反省した。次に会ったら、優しくしよう。胡散臭く思われるかもしれないが。
今日は市場で、寮生活での日々の生活に必要な物を買うつもりだ。たとえば、タオルとか、スリッパとか、ブーツの紐とか。王城にも行商の者は来るのだが、男が大部分を占める騎士団にあって、女物を取り揃えてくれる行商はなかなかいない。必然的に、フィーナは町に買い物に出ることになる。
カイザードも誘ったのだが、今日は気分が乗らなかったのか「行かない」と言われた。カイザードと共に一日を過ごそうか、とちらりと考えたフィーナだったけれど、毛羽立ってほつれたタオルばかりという現状は、さすがにカイザードに見られたくない。
「騎士団のお嬢さん。これ、サービスしとくよ」
「買って行かないか? 騎士団なら、安くしとくよ」
通りすがりに店主達から声をかけられ、フィーナは片手を上げて応える。
騎士団の制服を着ているだけで、尊敬の眼差しを向けられる。おまけに珍しい女騎士ということもあり、人の視線を引き付ける。そのこそばゆさに、この一年でようやく慣れてきた。人に注目されるのは嫌いじゃないが、まだ何の実績も残していないのに祭り上げられても、と思ってしまうフィーナだ。
野菜から家具まで、すべてが揃うサーキッシュ市場は、平日の昼過ぎということもあり、いつも通りのにぎわいだった。
空は快晴。穏やかな日差しに、冷たさを含んだ風が、春の名残を感じさせる。
フィーナは大きく息を吸い込んだ。あちこちから漂ってくるおいしそうな食べ物の匂い。嗅いでるだけで、幸せになる。
あちこちの店をふらふらと見て回りながら、少女は最終的に雑貨屋へと足を踏み入れた。
「いらっしゃーい。おや、フィーナじゃないか」
店の中は所狭しと物が積んであって、視界は極めて悪い。古い物と新しい物が混ざり合った複雑な匂いがする。天井付近にまで積み上げられた大量の箱の中身は、店主でさえ把握しているかどうか疑わしいほど昔からある。
店の奥からしわがれた声と共にくわえたばこの老婦人が姿を現した。
「エッティ、久しぶり。日用品を買いに来たの。たくさん買うから、まけてよね」
フィーナは自分よりも頭一つ分背の低い相手にウインクをしてみせた。
白いフリルの付きのエプロンを腰に巻いたふくよかな女性は、鼻で笑った。
「騎士団から出る給料は、値切りしないといけないくらいに低いのかい。情けないねえ。国民を守る騎士様が、金を出し渋るなんて」
「私は入団して一年目のぺーぺーだし、やりたいこともあるから」
「はいはい。で、何が欲しいんだい」
「えーっと、新品のタオルが三枚でしょ。スリッパは明るい色がいいな。ブーツの紐は茶色で。それから、便箋と黒インク。あ、あと、靴磨き粉をちょうだいな」
指折り、必要な物を挙げていくと、エッティは積み上がった荷物の中にずぼっと手を突っ込む。そして、引いた手の中には、フィーナが欲しいと思う物が握られていた。
それを繰り返すことしばらく。
店の奥にある作業台の上には、ずらりと欲しかった品物が並んだ。
「八ウル九十六クヌート」
「もうちょっと、まからない?」
「ウチで取り扱ってる物は底値だって知ってるだろう」
「そこをなんとか! また、買いに来るから」
「……仕方ないねえ。八ウル九十五クヌート」
「ほぼ減ってない……でもまあ、いいわ。今日は妥協する。次こそ、まけてね」
「まけたじゃないか。厚かましい」
エッティは鼻で笑って、フィーナが差し出した紙幣と硬貨を受け取った。きっちり金額を確かめて腰に下げている皮袋にしまうと、持参していた大ぶりの袋に荷物を放り込んでいるフィーナに視線を移した。
「そういえば、英雄の旦那とは、別行動なのかい?」
「やあねえ。旦那だなんて、気が早い。カイザードは騎士寮にいるわよ。一緒に行こうって誘ったんだけど、今日は断られたの」
エッティの問いに軽く答えたフィーナに、老婦人は片眉を上げた。
「おや、旦那の姿なら、さっき見かけたんだけどね。あんたが店に来る前だったが」
フィーナの荷物をしまう手が、ぴたりと止まった。
カイザードが一人で町に? 寮で声をかけた時は、そんなことは一言も言っていなかったけれど。
「見間違いじゃなくて?」
「あんなに目立つ色男を、見間違えるなんてできやしないよ。ほんと、見た目はいいんだけどねえ。不愛想なのが、商売人に向いてないんだよねえ」
「カイザードなら立っているだけで客寄せになるから。愛想なくても問題なしよ。いや、そうじゃなくて……」
何とも言えない思いが胸を去来する。
フィーナが町に誘っても彼は「行かない」と言った。それは、フィーナと一緒には行かない、ということだったのだろうか。
でも、町に出るならそうと言うはずだ。一人で行きたいから、構うな、と。
そもそもカイザードは何事にも、誰に対しても淡泊な男だ。たいていのことは許諾する。嘘をついてまで断るということは、今までなかったことだ。
「いやでも、私が誘った後で、急に町に出たくなったのかもしれないし」
ぶつぶつと、自分が納得できる答えを探す。
すると、ぷかりとたばこの煙を吐いたエッティが、そういえば、と口を開いた。
「女の子と一緒だったよ。短い髪の。かなり親密な仲と見たね」
「どうしてそう思うの?」
「腕を組んで、仲良さげだったから。あの兄さんが他人と密着して歩いてるところなんて、初めて見たよ。あんたとだって、一歩分の距離をあけて歩いてたろう」
それは、いざというときに相手の邪魔にならないように。
騎士なら、誰だって一歩分の間をあけて歩く。
言いたくて、でも言うことを留まった。言っても、どうなるものでもないと思ったから。
フィーナはしょんぼりした気持ちでエッティの雑貨屋を後にした。
早く、カイザードの顔を見て、安心したかった。
一緒に歩いていた女の子とは、誰のことか、聞いてみようと思った。
聞けば、きっと答えてくれるだろう。
カイザードは嘘つきじゃないから。
しかし。
騎士団の拠点に帰り、真っ先にカイザードの部屋に向かったフィーナは、ため息をつきながらドアを閉めることになった。
「カイザード、今日、町に出てた?」
「いや」
それで会話が終了してしまったのだ。
相手が否定しているのに、それ以上、追求する勇気がフィーナにはなかった。
エッティが嘘をつく意味はないだろう。だとしたら、カイザードが嘘をついていることになる。
とりあえず、今回はカイザードの気分の問題かもしれない。深く追求して嫌われるのは怖い。よって、フィーナは考えることを放棄した。
カイザードの机の上に、細かな細工も美しい、紫水晶のペンダントがあったことに気づいていたけれど。




