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「この、バカ者っ!」
部屋の中に怒声が響き渡った。
大きな木製の机の正面に立ったフィーナは、思わず首をすくめた。
窓の外に見えるのは、眩しいほどの青空と延々と続く街並み。石畳の道には花が咲き乱れ、多くの人が行き交っている。
一方、石造りの室内は部屋の主の性格をよく表していて、整理整頓が行き届いている。壁一面の本棚と詰め込まれた書物には、華美さは見当たらない。代々受け継がれてきた、龍賊との戦いを描く巨大なタペストリーさえ、本棚の向こうへ隠れているほどだ。
両手を組み、顎に当ててこちらを見上げているのは、騎士団をまとめるディーノ騎士長だ。
あごひげをはやし、枯葉色の髪を短く刈り込んだ壮年の男は、彫りの深い顔を最大限にしかめて、フィーナを睨みつけている。
「誉れ高いサイラシード騎士団の団員がサーカスで見世物になるなど言語道断。尊敬の的になっても、好奇の的になってはならん。騎士団には兼業の禁止規則があることを知らないとは言わせないぞ」
フィーナの二倍はありそうないかつい体格の騎士長は、地鳴りのような低音で部下を叱る。
少女は両手を後ろに組み、半歩分、足を開いた体勢で首をかしげた。
「お言葉ですが兼業とは、騎士団とは別の仕事に就き、給金をもらう事と理解しています。昨日のサーカスでは、給金は一切もらっていません。完全なる私の趣味です」
「……もらっていないのか」
「はい」
「……あれだけ観客を沸かせておいてか?」
「一クヌートも」
フィーナは両手を広げ、肩をすくめる。ディーノは、眉間の皺をさらに深くした。
予想外の答えに、戸惑っているようだ。
少女は腰にはいた剣の柄を撫でながら、そしらぬ顔で尋ねた。
「ところで、騎士長。私が観客を沸かせたと、どうして知っているんですか。そもそも、どうして私がサーカスに出演していたと知っているのでしょう。顔はペイントしていたし、服も騎士団の服じゃなかったのに。よく気づきましたね」
フィーナは無邪気に正面に座る騎士団長を見つめる。
良い上司だ。オーラットの戦いで生き残った司令塔。カイザードほどではないが、尊敬もしている。が、お堅すぎる。女だから、入団一年目だからと、あれこれ気を配ってくれるのはありがたいが、すべからく自己責任のサーカスで生きてきたフィーナには、束縛されているようで少々息苦しい。
ディーノは憮然とした顔で腕を組む。ややして、もごもごと呟いた。
「……サーカスは、見に行ったんだ」
「騎士長も、サーカスに興味があったんですね」
にやにやと笑うフィーナに、ディーノはどん、と机をたたいた。
「子供が行きたがったから、仕方なく、だ! 私は別に見に行かなくてもよかった。ああそうだ。子供にせがまれたとはいえ、貴重な休日にクレッセルに乗るなどと、年甲斐もなく」
「えっ、クレッセルに乗ったのですか? いいなあ。ガーディアンとは違う格好良さがありますよね、あれ。うらやましいなあ」
「そ、そうか? いや、あれは本物とは違って、乗り心地はそんなによくなかったし」
「クレッセルにガーディアンと同等のクオリティを求めないでくださいよ。でも以前に壊れた物より、ずっと豪華できらびやかになってましたよ。いい経験をなさいましたね」
慈愛の微笑みを浮かべたフィーナに、騎士長は目を瞬かせ、椅子の背に体を預ける。
「いやあ、まあ、そうか……って、話しをすり替えるな!」
かっと目を見開き、フィーナを怒鳴りつける。その声量は、ガラスが震えるほどに大きい。
相手を茶化すのも、引き際が大事だ。
フィーナは、両手を上げて降参のポーズを取ろうとして……ふと、腰に下げたポシェットの存在を思い出す。
「騎士長」
「な、何だ、改まって」
咳払いをし、表情を改めたフィーナに、若干警戒しながらディーノが眉をひそめた。
フィーナはポシェットの中身をあさり、綺麗な紙に包まれた、小さなプレゼントを引っ張り出した。
「これ、奥様にどうぞ。お誕生日、おめでとうございますとお伝えください。いつも、親切にしていただいているお礼です」
騎士団長は堅苦しさを覚えるが、奥方は気さくないい人だ。フィーナが騎士団の中で女として差別されないのは、荒くれ者の扱いに慣れた彼女の存在によるところも大きい。
ディーノに歩み寄り、恭しく捧げる。
「……ありがとう。妻も喜ぶだろう。それにしても、お前、こういうことができるんだな。カイザードのことしか頭にない猪娘と思いきや」
椅子から立ち上がったディーノの声は、驚き半分、感心半分といったところか。大きなごつい手でそっと包装紙を受け取った。
フィーナは頭を上げてにこりと笑う。
「カイザードのことは、もはや信仰レベルですから。あんな人、この世のどこを探してもいないでしょ?」
「お前のそのカイザードにかける情熱は、すさまじいな。お前の境遇を思えばわからなくはないが……」
ディーノは真剣な顔でフィーナを見下ろした。大柄な体は、窓から差し込む光を遮る。
「ヤツと結ばれたいと思うのはやめておけ」
一瞬、意味をとらえ損ねて眉根を寄せたフィーネは、次の瞬間、かっと頭の芯が熱くなったのを感じた。
冗談交じりならばまだ受け入れられる。
でも真剣に、この身を案じて告げられる言葉は、適当にいなすことはできない。
「彼を好きな気持ちを、なかったことにすることはできません。人生は一度きりです。そして、私の親のように、ベッドの上で死を迎えられない可能性だってある。そのときに、後悔したくないんです」
焼けるような強いまなざしでそう言い切ったフィーナに、騎士長は難しげな顔で沈黙した。
やがて。
「そうか。まあ、部下の色恋沙汰にまで、口を出すべきではなかったな。すまん」
「いえ。騎士長が団員をよく見ているのは、知っています。お気持ちだけ、いただきます」
フィーナは深々とお辞儀をする。そしてそのまま部屋を辞した。
皆が皆、フィーナの想いは届かないと言う。
でもフィーナは最初から、届くことを期待してはいない。
もちろん届けばそれ以上のことはないけれど、誰のものにもならない、孤高のカイザードの一番近い位置にいられるのなら、それ以上のことは望まない。
いくら親しい上司とはいえ、踏み込んでいいラインはある、と憤懣やるかたない思いに捕らわれながら、フィーネは足音も荒く廊下を歩いた。




