表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/27

「カイザード、貴重なお休みを一緒に過ごしてくれて、ありがとう」

 フィーナは笑顔で隣を見上げた。市場の雑踏の中、目立つ銀髪の主はちらりと少女を見下ろした。そして、「別に」と呟く。片手に持つのは、パンの間に肉を挟んで揚げた軽食だ。鍛えているからか、彼はいくら食べても太らない。

 休日とはいえ、騎士団は紺色に銀の刺繍の入った制服を着て行動しなければならない。

 常に国民の模範となるように、というのが理由だが、もう一つ、龍賊が突然襲ってきたときに、民を先導する目印になるように、という理由もある。


 あちこちから「カイザード様だ」「英雄様だ」という声が聞こえる。

 フィーナの顔は緩みっぱなしだ。真面目な顔など、騎士団の鍛錬場に忘れてきてしまったみたい。カイザードの一番近い場所に、自分がいることが誇らしい。


 果てが見えないほど長い通路には、四角く区切られた店がずらりと並んでいる。どこも店の外、つまり通路まで商品を広げ、道行く客を誘っている。

 龍賊の襲撃に慣れている町だ。ニ年前の傷跡は、ほとんどない。強いて挙げれば、時折見える裏道の隅に、がれきが積んであるくらいか。


「あ、あそこにクルカーノがある。デザートに、食べる?」

「食べる」

 間髪入れずに返ってきた答えに明るく笑って、フィーナは地を蹴る。ものの数秒もしないうちにカイザードの前に戻ってきたフィーナの手には、パンの間にチーズがたっぷり挟まり、その上に粉砂糖がまんべんなくかけられているお菓子があった。フィーナはそれをカイザードに差し出す。

「お前は?」

 しっかりと受け取りながら、食べないのか、と聞かれ、フィーナは首を振る。カイザードに食べて欲しくて買った物だ。それに。

「お前の金で買った物だ。最初の一口は、お前が食べろ」

 フィーナは顔の前に突き出されたクルカーノの匂いをかぐ。


 正直、甘いものは苦手だ。そのことは以前、カイザードに話したことがある。

 カイザードが覚えていなかったことに少しだけがっかりしながら、それでも、自分のことを気遣ってくれるカイザードの優しさに感動する。

 彼は何事にも関心が薄いけれど、すぐそばにいる人間を無視できる人ではないのだ。


 フィーナはクルカーノを小さくかじる。甘さが口の中に広がった。

「どうだ」

 短く聞かれ、こくこくと何度も頷く。味は、悪くないと思う。

 フィーナの反応に満足したのか、カイザードは小さく笑ってクルカーノを頬張った。

 その笑顔と、まさかの間接キスに、フィーナは思わず自分の鼻を押さえる。鼻血を噴いてしまうか、というくらい嬉しい衝撃だったのだ。

 そんなことなど一切気にしていないカイザードの様子に、少しだけ切なくなるけれど。

 めったに表情を変えないカイザードの微笑みは、道行く人をも引き付ける。現に、通りすがりの若い娘がカイザードに見惚れるあまり、道端に置いてあった樽にぶつかり転んでいた。


「カイザード、あのお店、ちょっと覗いていいかな?」

 クルカーノを平らげ、他の店に視線を向けていたカイザードが無言でフィーナを見下ろした。フィーナは三軒先にある、アクセサリーを並べた店を指差した。

「ディーノ騎士長の奥さんの誕生日が近いんだよね。いつも差し入れとかしてくれるから、何かお礼がしたくて」

 ニ年前の龍賊との戦いで前騎士長は死んだ。人望も実力もある副騎士長だったディーノが、くりあがって騎士長になるのは、当然の成り行きだった。

 フィーナが店の前で足を止めると、無表情ながらも、カイザードは立ち止まってくれた。


「これはこれは、英雄様!」

 他の客の相手をしていた店主がカイザードに気づき、慌てて飛んでくる。

「今日は何をお探しですか? そちらのお嬢さんに贈る物でしたら、ぜひうちの店で! ああ、先日、紫水晶の質の良いのが入りましてね。加工はうちの一番手が請け負いまして。とても繊細な細工に仕上がっていますよ。今、お持ちしましょう」

 立て板に水の如く喋る店主を片手を上げて制したカイザードは、ため息をついて「向こうで待っている」とフィーナに告げた。オーラットの戦いの英雄が商品を買ってくれれば店に箔がつく。店主の見え見えの思惑に苦笑しながら、フィーナは頷いた。


 結局、紫水晶のペンダントは見せてもらうだけにして、赤玉のブローチを買った。騎士団に正式に入団して一年。まだ下っ端であるフィーナの給料は安い。それでも、自分にできる精一杯の金額を使ったつもりだ。


「待たせてごめんね」

 買った物を腰に下げたポシェットに押し込んで、少女はカイザードを見上げた。

「別に」

 腕組みをし、壁に背を預けていた青年はフィーナの姿を目にすると、ゆったりと近づいてきた。

 歩くだけで様になる男、というものを、フィーナはカイザードに会って初めて知った。

「カイザードが好きだよ」

 彼の隣を歩けるのが嬉しくて、上機嫌でそう伝える。

 カイザードは動揺しない。「そうか」と呟くだけだ。もっとも、最初からそんな対応だったから、今さら何かを期待しているわけではない。ただ、伝えたいときに伝えなければ、自分の想いが可哀想な気がするだけだ。


「誰か、そいつを捕まえて! スリよ!」

 不意に、叫び声が聞こえた。

 反射的に振り返ると、婦人用の鞄を鷲掴みにした、人相の悪い男がこちらに向かって走ってくるところだった。

 次々に伸びてくる手をかわしながら、男が突進してくる。

 右手にはナイフを構え、必死の形相からは容易に立ち止まらない意志を感じさせる。


 が、そんなことはカイザードには通用しなかった。


 すれ違う瞬間に、男の首に長い腕を伸ばし、巻きつける。同時に、右手を振り回そうとしたその手首を取り、力を込める。よほどの力だったのだろう。スリ犯はうめき声をあげて、ナイフを取り落した。それを瞬時に足で蹴り、遠くへやると、カイザードは男の腕をひねり上げた。そして、軽々と地面に押さえつける。

 見惚れるくらいに、流れるような動きだった。そこに、無駄な動きは一切ない。


 犯人の背中に膝を押し当て、カイザードは近くの店の従業員に「縛る物をくれ」と言った。店員はすぐに麻のロープを持ってくる。

 周囲にいた人々は拍手喝采。特に、鞄を盗られ、息せき切って駆けてきたご婦人は、涙を浮かべてカイザードに何度も頭を下げている。

 普段、無口で無関心で、何を考えているのかわからないと称されることの多いカイザードだけど、正義感の強さは、きっと騎士団の中で一、二を争うのではないかとフィーナは思う。


「さすが英雄様!」

「あの、サインをお願いしてもいいですか? 家宝にしますので」

「うちの娘に祝福の言葉をかけてやってはくれませんか」

 ひっきりなしに民に話しかけられ、カイザードは少々憮然とした顔をしていた。いつものように無表情なので、素人目にはわからないだろうけれど、この一年、一番近くでカイザードを観察し続けてきたフィーナだからわかる。

 絶対に、今、面倒くさいと思っている。

 それなのに、不愛想ながらも淡々と、ほとんどの求めに応じているカイザードは、本当は人がいいのだとわかる。民もそれを知っているから、人気が出るのだ。


 ようやく到着した警備兵に男を引き渡すと、カイザードは足早にその場を離れた。

 フィーナは笑いを堪えながら、広い背中を追う。

「そういえば、サーカスが来てるってお店の人が言ってたよ。行く?」

 後ろ手に組んで、フィーナが首をかしげた。カイザードの答えは決まっている。

「どっちでもいい」

「じゃあ、行こう。きっと面白いものがあるよ。カイザードが行けば、握手を求められるかも」

「……俺は、目立つのは嫌いだ」

「知ってる。でも、律儀に対応してるところは、すごいと思う。人気者は辛いね」

 からかう口調のフィーナに、ちらりと見下ろしたカイザードはふん、と鼻を鳴らした。

 不機嫌そうに見えるけれど、それほど機嫌を損ねてはいない、はず。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ