銀梅花6
薔薇の前に立っていた華奢な相手が弾かれたように振り返った。
けれど、すぐに顔を背け、そのまま足早に立ち去っていく。
それは間違いなくシュリアお嬢さまだった。
ふつうであれば、呼び止めることはしなかっただろう。たとえ僕自身にどんなに話したいことがあったとしても。
「お嬢さま、お待ちください!」
だけど、僕はそのとき咄嗟にお嬢さまを呼び止めていた。それどころか、立ち止まろうとしないお嬢さまを追いかけて、あろうことか腕をつかんでしまっていた。
「離して」
「あ……、えと、申し訳ございません。ご無礼を。……ですが、あの……」
慌てて手を離したものの、どうしたらいいのか分からず、必死に言葉を探す。
お嬢さまは僕のほうを見ることはせずに、顔を背けたまま微動だにしなかった。
「あの……」
ほんとうに言葉が見つからない。何をどう言えばいいのだろう。泣いている人に向かって。
見て見ぬふりをするべきだったのかもしれないと、今さら後悔しても遅い。
一瞬のことだったし、雨のせいで涙は分からなかったけれど、真っ赤な目と鼻が、その人が泣いていたことを教えてくれていた。
すぐに思い浮かんだのは、メリディエル家との破談の件だった。破談になったことで、大奥さまがお嬢さまのこともなじったのは想像に難くない。
「ごめんなさい」
「え……?」
「あなたがおばあさまから謹慎を命じられたって聞いたわ。私のせいで、ごめんなさい」
「いえ、そんな……。私のほうこそ本当に申し訳ございません」
「どうしてラウラスが謝るの? あなたは何も悪くないでしょう」
お嬢さまは変わらず僕から顔を背けたままだった。
「ですが、私のせいで縁談が──」
「おかしなことを言わないでちょうだい。どこがあなたのせいなの? ラウラスのせいで私が双頭の蛇を見ることになってしまっただなんて、おばあさまの言っていることはどう考えたって、ただの言いがかりでしょ。真に受ける人がいるなんて驚きだわ。ラウラスは何も悪くないわよ。あと、」
ふいにお嬢さまが顔を上げた。
その口もとに浮かんでいた笑みがあまりに予想外で、愛らしくて、思わず視線を奪われた。
「私は破談になったことを悲しんでなんかいないから。おかしな責任は感じないでよね」
それが本心なのか、お嬢さま特有の強がりなのかは判断しかねた。
「では、どうしてそのようにお泣きになっているのです? それも、こんな雨のなか、あのような場所で」
お嬢さまは笑みを浮かべてはいたものの、やはりその目は潤んでいて赤く、鼻の頭も赤い。
お嬢さまは唇を噛み、また僕から視線を外した。
雨音がこんなに耳に痛いと思ったのは初めてだ。




