銀梅花2
頬杖をつき、窓越しに庭園を眺める。
庭園といっても、庭師の宿舎からはほとんど木立しか見えない。
もしここを出されたとしたら、次はどこへ行こう。
どうせなら、ずっと遠くに行こうか。
また旅をするのもいいかもしれない。誰も知らない未知の植物を探して。
とりあえず、もう人と関わるような仕事だけはやめよう。自分にはつくづく向いていないのだと思い知るばかりだ。
けっきょく最後は人に迷惑をかけることしかしないのだから。
幼いころは呪われた子供だと言われれば必死に否定しようとすることもあったけれど、今は同じことを言われても口の端で笑うだけだ。抗う気力も湧かない。
自分は確かに呪われた存在だと、もう知っているから。
そのことを思うとき、必ず決まって首もとにある翡翠を掴みしめ、そのまま引き千切りたい衝動に駆られる。
でも、ほんとうに引き千切りたいのは、こんな首飾りの紐じゃない。
いまだ右手に残る母親の手の感触が、激しい後悔をともなって胸を苛む。
どれほど悔やもうとも、あの瞬間にはけっして戻れないのに。
どれほど切実に願おうとも、この手に刻まれた罪が消えることなど、永遠にないのに。
細く息をつき、机の引き出しを開ける。
ここを辞めるのであれば、グラースタ伯爵に一言断っておかなくては。
もともと僕を雇ってくださったのは、グラースタ伯爵なのだから。
庭を嫌って外に出ない妹のために特別な庭を作ってやってほしい、と。
もともとは庭師でも何でもなく、ただ植物の研究をして育てていただけのしがない庶民の僕は、もちろんブリアール城で庭師として働くようになってからも侯爵令嬢にお会いするようなことはなかった。
ただただ、どのようなお人かを想像しながら、令嬢に気に入っていただけるような庭園をつくろうと黙々と努めた日々。それは、常に不安と隣り合わせの日々でもあった。
相手が見えないのだから当然ではあるけれど、本当に自分が役に立っているのか、本当にここにいる意味があるのか分からなくて不安だった。
『今は秋よね?』
耳慣れない愛らしい声を聞いたあの日のことは、今でも鮮明におぼえている。
振り返ると、愛らしい声そのままに、花の精霊かと思うような少女が小首を傾げて立っていた。
『秋にも薔薇が咲くの?』
その美しい水色の瞳に、一瞬完全に意識を奪われた。
目の前にいる少女がレールティ家の令嬢であることは、身につけている上質な衣装からも疑いなかった。白にも見えるくらいの淡いピンク色のドレスは、裾や袖に近くなるほど濃いピンクになっていて、その美しいグラデーションは、まさに花のようだった。
そして、そんなドレスにもいっさい負けなほどの愛らしい顔立ちの少女の姿は、もはや僕にとって衝撃と言ってもよかった。
自分がこれまで彼女のために働いてきたのかと思うと、あまりにも現実感がなかった。
他者を人形のように感じるのはいつものことだったけれど、あのときの現実感の無さはそういうものではなくて、まるで夢や幻を見ているような感じだった。
それくらい美しく、愛らしい少女だった。
明るい金髪が日の光を受けてキラキラと輝いていたのも、幻を見ているような感覚を助長していたのかもしれない。
『……ごめんなさい。話しかけて悪かったわ』
令嬢からの思いもよらない唐突な謝罪に面食らったけれど、それ以上に、少女の暗く沈んだ声が胸に深く刺さった。
これまでずっと彼女のために心を砕いてきたのに、こんなに悲しそうな顔をさせてしまうなんて……僕はいったい何をしているのかと、自分を強く責めた。
『お嬢さまが謝られることなど、何ひとつとしてございません。ぼんやりしていた私が悪いのです。申し訳ございません』
迷うことなく、深々と頭を下げた。
『ほんとうに平気? あなたも私と話してはいけないって言われているんじゃない?』
『いいえ、そのような話は誰からも聞いたことがございません』
もしかしたら気安く身分の低い者に声をかけてはいけないと、侯爵家の方々から言われているのかもしれない。
小さな令嬢が身分の低い誰かに声をかけて、それでその相手が罰せられたという可能性は、ないとは言えない。このブリアール城でもっとも力を持っている大奥さまは、かなり厳格な方だそうだから。
だけど、たとえお咎めがあるのだとしても、今ここで俯いている少女を無言で突き放すのは、あまりに忍びなかった。
『この薔薇は四季咲きなので、年中花を咲かせるのですよ』
僕がふつうに言葉を返したからか、令嬢の顔が目に見えて明るくなった。
『冬でも咲くの?』
『ええ、条件さえ合えば冬でも咲かせることができます。ただ、より美しく咲くのは春と秋ですね』
『そう……。秋なのに庭に薔薇のような花が見えたから、何だろうと思ったのよ』
それで庭園に出てきてくださったのだとしたら、四季咲きの薔薇を植えた甲斐があったというものだ。
それ以来、お嬢さまはときどき庭に出てきてくださるようになった。
まるで免罪符を得たような気持ちだった。




