決断7
「そういえば……」
あのときイデルは何か言っていた気がする。私が部屋を出て行く前、イデルがパイに香辛料を振りかけているときに。
昨日のはもっと美味しかったとか何とか……。
「昨日のって、いったい何のことかしら」
体は疲れていたけど、眠気なんて少しもなかった。
ベッドで横になる気にもなれなくて、ソファに腰を下ろしたのだけど、それが思いがけず私の記憶を刺激した。
そう。まさに私がこのソファに座っていたときだ。バーン城に着いたその日に、イデルに焼き菓子を勧められて断ったことがあった。
あの焼き菓子は私に双頭の蛇のことを教えてくれた若い女中が、厨房に余っていたからと持ってきたものだった。
味音痴のイデルが絶賛するから、余っていたんじゃなくて、失敗作だったんじゃないかと私が疑ったものだ。
「昨日のはもっと」と言っていたということは、イデルは女中が持ってきた焼き菓子に似た味を再現しようとしていた……?
もしそうだとしたら、イデルのことだから事前に誰かに尋ねていたはずだ。焼き菓子を作ったのが誰なのかを。その味の出し方を。
そのときに夜狐の実と九十九茸を組み合わせることを教えられた可能性は高い。
つまり、そのときにはすでにイデルは犯人にとって都合の悪い人物と目されていたことになる。
いったいイデルの何が犯人にとって不都合だったのかは分からないけど──。
「ダメだわ。やっぱり任せてちゃいけない」
もしも犯人がまだこの城にいるなら、イデルがまともに薬を飲ませてもらえるはずがない。
私が狙われたのも、時間内に薬草を届けさせないためだと考えれば、話が繋がる。
私はとっさに部屋を飛び出し、イデルが寝かされている部屋へと走った。
「シュリアさま? そのように血相を変えて……いかがされました?」
相変わらず苦悶の表情を浮かべたまま眠りつづけているイデル。その傍らにいたのはカルディアだった。
「私が持ち帰ってきた薬草はどこです!?」
「それでしたら、こちらにございますが。なにか?」
飛びつくようにしてサイドテーブルに置かれている陶器に駆け寄り、覗き込む。
たしかにそれは私がアモル夫人から譲っていただいた赤鐘草だった。匂いが独特なので間違いない。
ほっと、息をつく。
「薬を飲ませるのは、私にやらせていただけます?」
「それはもちろん構いませんが」
怪訝そうな顔をしているカルディアのそれが演技なのか本心からなのかは判断しかねた。
誰が敵で味方なのか分からなくて、もうみんながみんな怪しく思えてしまう。
苦痛のせいか歯を食いしばっているイデルに何度も声をかけ、なんとか私の手でイデルに薬を飲ませ終えると、ほんの少しだけ肩から力が抜けた。
「急にどうされたのです? お疲れになっているでしょうし、もうお休みになったほうがよろしいですよ。ここは私が責任をもって看ていますので」
手ぬぐいを絞っているカルディアの声音は穏やかではあったけど、私を早く追い返そうとしているんじゃないかと、悪いほうにばかり解釈してしまう。
「イデルの看病はあなたがしてくれているのですか? ずっと?」
「はい。そうですが」
私はちいさく息を吐き出し、ぐっとこぶしを握った。
「カルディア、少しこちらに手を出してもらえるかしら」




