封印された記憶5
「ちょっとイデル、ラウラスがいなくなったとたんにそれ? 相変わらずすごいにおいね……」
真剣に考えごとをしている私の集中力をぶった切ってくるそれにおもいっきり顔をしかめて見せたのに、当のイデルはどこ吹く風といった様子で次々に香辛料を取り出していく。
「だって、食事が物足りなかったんですもの。刺激の足りない食事では元気も出ませんわ。シュリアさまも食事はしっかり摂られたほうがいいですわ。人間、すべては食べることから始まるのですから」
「その信念は素晴らしいと思うけど、とにかく窓を開けてちょうだい。私が窒息死するわよ」
袖で鼻や口を塞いでいても、刺激臭が鼻や喉の粘膜に触れてくる。
なのに、イデルは平然と「おかしいわねぇ」「昨日のはもっと美味しかったのに」などと言いながら、手元のパイにあれこれ香辛料をかけては味見をつづけていた。
本来であれば侍女が主人の部屋でそんなことをするなんて非常識だし、有り得ないことなんだけど、私とイデルの間に限っては例外というか、私がそれをイデルに許していた。
イデルはそれくらい私にとって特別な存在なのよ。
よく気心の知れた相手と言うけれど、イデルの場合、私は本当に彼女の心の内をよく知っている。私には《真実の雫》があるから。
私も悪いのだけど、幼い頃は他人の心を読んでしまう私は周囲の人間から避けられることが珍しくなかった。
それはそうよね。誰だって自分の胸の内なんて覗かれたくないに決まっているもの。
でも、イデルだけは別だった。私が求めたら、いつでも心を読ませてくれた。彼女は本当に心から私を慕ってくれていて、いつでも嘘偽りない好意を私に寄せてくれている。
これは幼い私の我儘に、嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた彼女への恩返しみたいなものだ。
大勢の人といっしょに食事する席では、イデルも皆と同じものを食べているようだけど、それではイデルの特殊な舌が満たされないせいか、食後に自分独自の味付けをしたパンやパイなどを食べるのがイデルの習慣だった。
みんなの間では小食で通っているけど、本当はそうじゃない。
香辛料が没収されたとき、なぜこんなものを持っているのか、何に使うつもりだったのか問い詰められても、「親から譲られた大事なものだから、いつも手元にないと落ち着かないんです」と、分かるような分からないような理由で押し通したらしい。
まあ、じつは小食なんかではなくて、食後に一人で怪しいものを食べ直す習慣があるなんて、恥ずかしくて告白できないだろう。
「私はちょっと出てくるわ。私が戻ってくるまでにはちゃんと換気しておいてね」
いつにも増して強烈なにおいに耐えられなくて、ついに私は部屋を出た。
バーン城はもともとが城塞として造られているうえに、長らく主がいなかったせいか、内装がとても無骨だ。
最近、領内で銀鉱が発見されたというから、財力がないわけではないはず。
きっと騎士上がりのトルナード男爵が貴族的な優雅さに関心がなかったのだろう。
朝早い今は、太陽の角度の加減もあって、男爵の私室前の廊下は薄暗かった。剥き出しの石壁に飾られている槍や斧がやけに古めかしく、重々しく見える。
男爵の部屋の前に立っている二人の衛兵が、腕組みをしている私に訝しげな視線をよこしていた。
男爵の私室に入るための扉はひとつ。
衛兵がどこに立っていようとも、遮るものが何もないこの空間では死角など生まれないだろう。衛兵の目をかいくぐってこっそり部屋に出入りするのは不可能に思える。
心を読んで部屋に出入りした人物を探るためには、まずあの日ここで見張りをしていた衛兵を探し出す必要がある。それは衛兵に直接訊いても無駄だろうから、女中とかに訊いたほうがいいかもしれない。
「そこで何をなさっているのです?」
厳めしい声に振り返ると、癖のある濃い金髪と角張った顎が印象的な男が立っていた。




