容疑者8
「呪い? それはどういうこと?」
無意識のうちに窓の外に虹を探していた私は、思わず振り返った。
鏡の前で化粧道具を片付けていたイデルは、私と目が合うと、その手を止めた。
「ですから、今回の一連の出来事はサエウム伯爵の呪いだという噂があるようです」
イデルがどこまでも真面目な顔で答える。
イデルの香辛料が毒ではなかったと証明されたうえ、ラウラスがトルナード男爵夫人を救ったということもあって、私はとりあえず部屋を出ることを許され、イデルともこうして会えるようになった。
けれど、相変わらず城を出ることは許されなかった。
私は腕を組み、顎を上げた。
「バカバカしい。なにが呪いよ。だいたいそのサエウム伯爵っていうのはどこから出てきたのよ? 今回の件といったい何の関係があるわけ?」
「サエウム伯爵はトルナード男爵夫人の昔の婚約者だそうですわ。夫人との結婚前に火災に巻き込まれて亡くなったそうで」
私はあからさまに鼻で笑った。
「それで? 幸せに暮らしている元婚約者と、その夫を恨んで呪い殺そうとしたって? よくもまあ、そんなくだらない話を思いつくものね」
「私が言っているのではありませんわ。この城の人たちが言っているんです。無念の思いを抱えたままのサエウム伯爵の魂が、生前の恨みを晴らそうとして彷徨っていると。燃え上がるサエウム伯爵の城から夫人を救い出したのが、当時まだ騎士だったトルナード男爵だそうですわ。サエウム伯爵からすれば、幸せを横取りされたようなものではありません? 恨みたくなることもあるかと……」
「あなたまでそんなこと言ってるの? 男爵はパイに仕込まれた毒のせいで命を落としたんでしょ。明らかに生きている人間の仕業じゃない。夫人にしても、ラウラスが使われた毒を特定したのよ。呪いなんかじゃないわ」
「ですが、ほら、頭が二つある蛇を見たという女中がいましたでしょう? あの話もあって、やっぱり死者の仕業だとまことしやかに……」
「なにが死者の仕業よ。蛇は蛇でしかないじゃないのよ。くだらない。呪いだの何だの、そうやってわざわざ得体の知れないものに仕立てて自ら恐怖心を煽ってどうするのよ」
ここの人たちもそんな馬鹿なことを言っている暇があるなら、少しでも犯人を探すことに労力を傾ければいいのに。
「ラウラスは?」
「トルナード男爵夫人の様子を見に行っておりますわ。そのあとでこちらに伺うと。……あの、シュリアさま?」
「なによ」
「私たち、ちゃんとブリアール城に帰れるのでしょうか」
めずらしくイデルが弱気な様子で眉宇をくもらせていた。
「バカね。帰れるのか帰れないのかなんて愚問だわ。何が何でも絶対に帰ってやるのよ。おばあさまよりも先にね」
おばあさまより先にブリアール城に帰ること、それがなにより重要だ。そのためには、最悪でも三日後にはこのバーン城を出る必要がある。
「破談の条件はもうよろしいのですか?」
「なに言ってるのよ。いいわけないでしょ。虹の端に立つのは無理かもしれないけど、双頭の蛇は目撃情報があって出没した場所も分かっているんだから、人を使えばブリアールにいても探せる。それだけのことよ。今はとにかく私の容疑を晴らして、この城から出ることが優先事項よ」
そのためにはさっさと犯人を突き止める必要があるけど、呪い云々と噂しはじめる人たちのことなんて、まったくアテにできない。
こうなったらもう、この私自ら犯人を見つけ出してやるしかないわ。




