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過去と幻想7

 カーテンの隙間から、ほんのわずかに薄明かりが差し込んできていた。

 私はベッドから体を起こし、そっと胸に手を置いた。

 温かい気持ちで満たされているのと同時に、肺が押さえつけられているかのような息苦しさにもさいなまれていて、そのまましばらく体を動かすことができなかった。

 きっと夢の最後でラウラスが泣いていたからだ。

 理由を尋ねたかったのに、尋ねられなかったことが胸の中に何とも言えないわだかまりを残しているんだろう。

 ただの夢なのにねと、自分自身に苦笑いしていると、起床の着替えを告げるイデルの声が聞こえた。


「本日はよくお眠りになれましたか」


「ええ。今日はよく眠れたわ」


 私がシュリアとして自分の体に戻ってきて以来、子爵さまが夜に私の寝室に訪れたことはなかった。

 もともと彼が私を花嫁に選んだのは、過去の因縁にまつわる何かのためであって、私と夫婦になるためではないのだろうし、寝室を共にしないのは不思議なことではないのかもしれない。

 不本意な結婚をさせられた中で、これはせめてもの救いだわ。

 たぶんだけど、初夜も迎えてないんじゃないかしら。

 だって、そのとき私の中にはメリディエル家にとっては守り神のような存在であるお姫さまがいたんだもの。

 必要に迫られれば、あの子爵さまは何でもやりそうだけど、必要がなければわざわざ守り神を抱いたりしないと思うのよね。そんながつがつした人にはまったく見えないし、品性はそれなりにありそうな人だもの。


 キャナラとアイシャがカーテンを開けてくれている間に、イデルは私に衣装の確認をして着替えの手伝いに取りかかってくれていた。


「シュリアさま、こちらの花はどうされたのですか……?」


「花?」


 振り返ると、アイシャがなぜか困惑げな顔で花瓶に生けられている白い花を見つめていた。


「ああ、それは昨日シンディーさまが持ってきてくださったのよ。そこに置いたら邪魔だったかしら?」


 なんとなくラウラスの薔薇の隣に置いてもらっていたのだけど、鏡台の上にあまりあれこれ並べると、化粧を手伝ってくれるアイシャたちにとっては作業の邪魔になるかもしれないなと、今さらながらに気づく。


「邪魔なら、適当にいい場所に移動してくれてかまわないわ」


「いえ、邪魔などではございませんが......」


「まあ、あなた。その言い方は何なの? 言いたいことがあるならはっきり言いなさいな。そんな勿体ぶった言い方は、聞いていて良い気持ちがしないわ」


 メリディエル家からつけられた侍女を快く思っていないのがあからさまに声に出ているキャナラは、カーテンを開け終えると着替えを手伝うべく、すぐさま私のそばに来た。まるでアイシャから私を守ろうとするかのように。


「申し訳ありません……」


 目を伏せ、か細い声を絞り出すアイシャは、それでもチラチラと花のほうを気にしている様子だった。


「キャナラ……、もう少し言葉を選びなさい。アイシャ、構わなくてよ。言いたいことがあるなら遠慮せずに言ってちょうだい。何を言ったところで、あなたをクビにするようなことはないから心配しないで」


 仕える主人によっては、すぐさま解雇に繋がることがあるから、使用人は言いたいことがあっても口を噤むというのは何も珍しいことじゃない。というか、それが普通だ。

 しかも厄介なことに、次の働き口を探すためにはそれまでの勤め先から紹介状を書いてもらわないといけないから、よけいに使用人というのは主人の顔色を窺いながら仕事をしないといけないのよね。うちの侍女たちは異様に肝が据わっているけれど……。


「その花に何かあって?」


 再度尋ねると、アイシャは私の視線から逃れるように俯きかげんで口を開いた。


「あの花は黒鷹草こくようそうと申しまして、その、あまりいいものではなく……」


「なぁに? 毒でもあって?」


「いえ、毒などはございませんが、このあたりでは娼婦を象徴する花とされていまして、あまり無闇に人に贈るものではないのでございます」


 何やらとてつもない殺気を感じて、ふと視線を隣に移すと、イデルの顔が真っ赤になっていた。もはや相手を睨み殺せそうな勢いで見開かれた美しい瞳の中には、明々とした強烈な炎が見えるかのようだった。その目尻は明確に吊り上がっていて、凄まじく怒っているのがひしひしと伝わってくる。


「シュリアさま、わたくし……今すぐアトラグさまに報告しとうございます」


 低い声でボソッと、喉の奥を引き絞るようにして言うイデルの手はブルブルと小刻みに震えていた。


「落ち着いて、イデル」


「なぜですか? レクカオール嬢はシュリアさまをこともあろうに娼婦などと同列にして侮辱なさったのですよ。到底赦されることではございません。ご自分の立場をわきまえるよう、一度きちんと思い知らせておくべきです。シュリアさまがご存じないからと、このような花を贈られ、陰で嘲笑われているのかと思うと、わたくし……もう我慢なりません」


 やれやれと、私は溜息をついた。

 この前のレクカオール嬢の心の声のこと、イデルに黙っていて本当に正解だったわ。イデルが憤死しかねないもの。

 そもそもあんなことを心の中で呟いている人だものね……。純粋に厚意で花を贈ってくれただなんて、一瞬でも思ってしまった私が愚かだったわ。


「嘲笑いたければ嘲笑わせておけばいいのよ。私は誰にも恥じるような生き方はしていないつもりだもの。そんなくだらないことでレクカオール嬢に嘲笑われたところで痛くも痒くもないわ。逆にそんなつまらないことをする人の貧しい胸の内を哀れに思うだけよ。それに、どちらの品性が本当に卑しいのか、自ら示しているようなものではなくて?」


「それはたしかに、そうでございますが……」


「だから、そんなに目くじらを立てる必要はないのよ。何も知らないふりをしていらっしゃい」


「ですが……っ。それでも、シュリアさまが馬鹿にされたままなのは我慢なりませんわ」


「そんなに真剣に怒ってくれてありがとう。でも、私なら大丈夫だから」


「イデル、私、呪い人形の作り方を知っているわ。あとで一緒に作りましょう」


 そう言って、キャナラがイデルの顔を覗き込みながらその手を握った。

 イデルを慰めるために言っているのか、本気で言っているのか判断しかねる発言に、私はただ乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


「二人とも、あまり物騒なことはおよしなさいね?」


「大丈夫です、シュリアさま。こ心配には及びませんわ」


 大きな青い瞳をキラキラと輝かせて、まばゆいばかりの笑顔で答えるキャナラが、逆になんだか恐ろしかった。

 イデルは片手をキャナラに強く握られたまま、もう片方の手で胸を押さえながら深呼吸を繰り返している。

 とりあえずまだ理性は残っているようで、落ち着こうとしてくれているみたいでよかった。


「あの……では、花はこのままでよろしいのですか?」


 遠慮がちにアイシャが声をかけてくる。


「ええ。かまわないわ。花に罪はないもの」


 ねえ。そうよね、ラウラス。

 心の中で呟きながら、無意識に花に向かって微笑みかけていた。


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