異世界転移してしまった
「えっ」
俺は、誰かに声をかけられた筈であった。
後ろを振り向く筈が、よろけて一歩前に踏み出す。
そうして気付けば俺は、広々とした墓地で辺りを見回していた。
「ここは……どこだ?」
俺のかすれた声は、夏のような陽気の墓地に吸い込まれていった。
遠くを見通せば、森が見える。
そして、俺の足元から遙か遠くまで、背丈の低い石が並べられていた。
石に刻まれた文字は、俺の知るどこの国の文字でもないようだ。
俺はしばらく唖然とした後、人影の見えない墓地をさまよい歩くことになった。
それにしても、理解が追いつかない。
俺は実家の千葉県のとある町にて、爺さんの葬式に出席していた。
それは6月の梅雨の時期であり、小雨の降る最中であった。
しかし、照りつける太陽と熱気に、俺は長袖の喪服をいささか持て余し始めてしまっている。
ペットボトルの水など、持っていようはずもない。
喉が渇いたけれど、持ち物は一切ない。
携帯も電源を切って、手荷物の中だ。
ポケットをまさぐると、真っ白なハンカチが一枚。
手首には数珠がはめられているのみで、腕時計も外してしまっていた。
それから、どれくらい歩いたことだろう。
ようやく人影を見つけ出し、その場へ歩を進めていると、それは男性であり、墓に向かって罵声を浴びせているようであった。
「くそったれ! 死んでからも俺に迷惑をかけるたぁ、ふざけるんじゃねぇ!」
年齢は20代後半であろう。
栗色のふわふわとした髪で、瞳の色は明るい緑色だ。
顔が赤らんでいるのは、興奮しているためか、あるいは明るい内から酩酊している為か──近くによると、酒気を帯びた男の存在が明らかとなる。
男は半袖のラフなシャツと、茶色のズボン、それに革のサンダルという身軽な格好であった。
俺は長袖の真っ黒な喪服であり、見るからに暑苦しそうであろう。
いつまでも通り過ぎない俺に気付いたのか、男がのろのろと俺を見やる。
「なんだ……てめえは?」
「俺は沢渡京介。お忙しい所すみませんが、ここは何処でしょうか?」
「何処って……見りゃあわかるだろうよ。ここは墓地だよ。迷子か?」
「ええ。実は別の国からやってきたのですが……言葉は通じるようですね」
「そりゃあ、隣のサバラン王国とも言葉は同じだからな。東のラムダ共和国あたりじゃあ、言葉も様々だって聞くけどよ。じゃあ、このエリクソン王国には、観光でやってきたのかよ?」
「いえ、実は俺は日本という国からやってきたのです。千葉県のとある町にいたはずが、気付けばこの墓地に突っ立っていたのですよ。俺としても、何故なのかさっぱりわかりません」
「えっと……ニホンなんて国、聞いたことねえなぁ」
「そうでしょうね。俺もエリクソン王国なんて、聞いたことがありません。本当に迷子そのもので、ぶしつけで申し訳ないのですが、俺はこれからどうすべきでしょうね?」
「さしあたっては、その格好をどうにかすべきだろうな。エリクソン王国では、黒を纏うのは葬式の時だけだよ。見るからに怪しげだから、上着だけでも脱いだらどうだ?」
「そうですか。じゃあ、上着を脱がせて貰いますね」
俺は喪服を脱いで、シャツ一枚になった。
腕時計を見ると、もうすぐ午後4時になろうとするところであった。
「あんた、もしかして……行き場がないのかい?」
「ええ。お恥ずかしながら、この墓地さえどうしたら出られるのかもわかりません。その後は……どうにか仕事を探すしかありませんが、俺に出来る仕事があるかどうか……」
「シャワタリ……だったか、名前」
「沢渡京介です。京介が名前ですね」
「シャワタリ……キョウスケ。キョウスケでいいな。じゃあ、家で雇ってやるよ。俺んちはな、料理屋なんだ。親父のクソッタレが死んでから相続した店だから、潰しちまってもいいんだが、客が毎日来るんで閉められねえのよ」
「へえ、料理屋ですか。接客業は未経験ですが、ぜひ雇って下さい。宜しくお願いします」
「俺はリーズヘッグだ。俺は27歳だが、あんたはいくつだ?」
「俺は35歳ですね」
「じゃあ、敬語は使わなくていい。普通に喋れ」
「わかったよ、リーズヘッグ。これから宜しくな」
俺はリーズヘッグに笑顔を向けて、つい右手を差し出した。
握手のつもりだったが、きょとんとしているリーズヘッグを見て、この国に握手の習慣はないと悟った。
「俺の国では、手を握り合って親愛を示す習慣があったんだ。驚かせて悪かった」
「へえ。キョウスケの国は面白い習慣があるんだな。うちの国じゃあ、別れ際に手を振るんだ。それが親愛を示す習慣だな。まあ、キョウスケの国の事は、じっくり聞かせて貰えれば良いさ。帰ったら、早速働いて貰うからな。さ、着いてきな」
リーズヘッグは立ち上がると、もういっぺん墓に向かって罵声を浴びせて、北の方角に歩き出した。
「くそったれ、アーノルド! 俺はてめえのようにはならねえ! 見ていやがれ!」
リーズヘッグは酒気に染まった顔でアーノルドを罵って、気が済んだようだ。
足取りは意外としっかりしており、俺も素直について行く事が出来た。
墓地は広大で、30分程歩くことになったが、無事に町並みへと出ることが出来た。
木造の家屋が多く見られるし、道は広いが車の類いは走っていない。
わかっていたことだが、ここは本当に日本ではないのだ。
しかし、石畳の道を向こうから走ってくる馬車のようなものを発見した。
「リーズヘッグ、あれはなんだい?」
「あれはエミューの車だよ。金持ちはエミューの車に乗って移動するのさ。エミューってのは、馬鹿でかい鳥さ。性格は温厚だし、食料は木の葉だから、心配は要らねえぞ」
「そうかい。あの鳥は、エミューって言うんだね」
「どこの国もエミューは重宝してるだろうにな。ニホンってのは、どこにある国なんだろうな?」
「俺にもわからないけれど、海に囲まれた島国だったよ。とにかく、エミューは見たことがなかったな」
「海って言うと、王都の向こう、西の端のワクリマって領地が海に面してるって話だぜ。ただ、ここからじゃエミューの車に乗っても一ヶ月はかかるけどな」
「そうか。海までそんなに遠いんだね」
「……故郷に帰りたいか?」
「いや。多分、帰る方法はないんだと思う。それよりまずは、リーズヘッグの店でしっかり働いて、お金を稼がないとね」
俺はリーズヘッグに笑顔を返して、人の行き交う道を歩いた。
人々は皆、半袖のラフなシャツを着ている。
長袖のシャツを着込んでいる俺は、ちらりと見られる事が多かった。
これは、仕事をする前に服を貸して貰う他あるまい。
リーズヘッグの後ろを歩きながら、俺はそう決意したのだった。




