再起の予感
翌日、私は自らの足で床を踏みしめていた。
最初はルドラさんの肩を借りていたけれど、すぐに支えなしで立てることが分かると、ルドラさんは自分のことのように手放しで喜んでくれた。
自分でも信じられなかった。あの嵐のような絶望と、死の深淵を覗いた後で、またこうして生きていられるなんて。実感が湧くまでは、もう少し時間がかかりそうだけれど、確かに今、私は自分の足でこの世界に立っている。
「ルドラさん、本当にありがとうございます。私は……どうやってお礼をすればいいでしょうか」
溢れる思いを伝えると、ルドラさんは困ったように、けれど太陽のような笑顔で首を振った。
「お礼なんていいのよ。あなたがこうして元気になってくれたことが、私にとっては何よりの報酬なんだから」
それでも、私は引き下がらなかった。何も持たない今の私にとって、感謝の気持ちを形にしないことは、自らの誇りを手放すようで耐えられなかったのだ。
私の強い意志に押されたのか、ルドラさんは少し考え込んだ後、指を一本立てた。
「だったら、ノス婆のお手伝いをしてくれないかしら? ちょうど人手が欲しいって零していたのよ。……ただ、あの人は雇う相手には少しうるさくてね。でも、あなたのことは気に入っているようだったから、一度、仕事の事を尋ねてみて」
ルドラさんはそう言うと、お古だけれど手入れの行き届いた着替えを何着か用意してくれた。
「その後、ルドラさんは『仕事があるから』と言って颯爽と出かけて行った。
いつまでも甘え続けるわけにはいかない。まずは自分の手で居場所を作らなければ。紹介されたノスお婆さんのお手伝い……その人に認めてもらえるよう、精一杯頑張ろう。
着替えを済ませ、初めて部屋の外の廊下に出た時、私は一人の青年に鉢合わせた。
「あ、あの……どうも。私はイユです。あなたは……ルドラさんの弟さん?」
一目で、血の繋がりが分かった。少し癖のある短髪は明るい栗色をしていて、その瞳の色はルドラさんそっくりだ。どこか親しみやすく、陽気な雰囲気を纏っている。顔立ちの端々にルドラさんの面影があり、包容力のある空気感まで似ていた。
「ああ、そうだよ。その……イユ? 元気になったようで本当に良かったよ!」
「ありがとう。ルドラさんが一生懸命看病してくれたおかげです。それに、あなたが私を見つけて助けてくれたと聞きました。本当にお礼を言わせてください。ありがとうございます」
「いやー、それほどでもないよ!」
彼は照れ臭そうに鼻の下を指で擦った。肩幅の広い、訓練で鍛えられた体つきをしているけれど、まだ騎士のような威圧感はない。鎧もどこか着慣れない様子で、少し「着られている感」があるのが、私にはかえって話しやすく感じられた。
「僕はベルン。ゼリュキア港湾地上警備隊所属なんだ。だから、困ったことがあったら何でも相談してよ。助けてあげるからね」
私の故郷では、衛兵は常に恐ろしく、近寄りがたい存在だった。けれど、目の前のベルンからはそんな空気は微塵も感じられない。
「そ、それで、これからどこに? 良かったら街を案内してあげようか?」
ベルンが少し顔を赤らめて尋ねてきた。
「いえ……まだ治ったばかりなので。ノスおばあさんに、お手伝いの申し出に行こうと思っていて」
その言葉を聞いた途端、ベルンの表情が引き締まった。
「……だったら、気をつけた方がいいよ。ノス婆は別名『アイアン・ステラ』と言われていて、みんなに恐れられているんだから」
「そ、そうなの……? どうして?」
「ノス婆は、汚い商売をする商人が大っ嫌いでさ。この間なんか、吹っかけようとした商人を……」
その時、階下から鋭い足音が響いてきた。
「ベルン!」
「げっ、ね、姉さん! 仕事に行ったんじゃなかったのかよ!?」
戻ってきたルドラさんが、腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「忘れ物を取りに戻ったら、遅刻魔の声が上から聞こえてくるじゃない! あんたねぇ、剣の振り方もおぼつかない半人前が、女の子を口説こうなんて百年早いのよ! まずは訓練を遅刻せずこなせるようになってから言いなさい! ほら、早く仕事に行きなさい!」
「わ、分かった、分かったよ! じゃあね、イユ、またあとで!」
ベルンは逃げるように階段を駆け下りていった。
「弟が迷惑かけてごめんなさいね」
ルドラさんは呆れたようにため息をついた。
「いえ。ルドラさんに似て、とても優しそうな弟さんで安心しました」
「ンフフ♪ それ、あの子が聞いたら泣いて喜ぶわよ。なにかあったら遠慮なくノス婆を頼りなさいね。……あの人、根はとても優しくて良い人なのよ」
ルドラさんは再び急ぎ足で仕事へと向かっていった。
一人残された私は、静かになった廊下で深呼吸をする。
アライアスから貰った指輪をそっと指先でなぞり、その冷たい銀の感触を握りしめる。
私は「アイアン・ステラ」が待つ階下へと、一歩を踏み出した。




