【下】いつもいつでも、ちょろくても
「そ、それはまさか――メモリアル展の入場券しかも限定特典付き!? なぜ姉貴がそれを!」
姉貴が笑みを見せた。炎のようにぼさついた長髪と、肉食獣のように力強い瞳。歯を剥いてニヤリと笑うだけでも妙な威圧感を感じる。
「一言で言えば"ちょっとしたツテ"ってやつだ。まぁせっかくだし、たまには可愛い妹のために一働きしてやろうと思ってな。ほら、くれてやるよ」
「姉貴……」
目の前に突き出されたチケット。普段の横暴さからは考えられないその優しさにオレは瞳を閉じて、もう一度開く。変わらない光景から今が現実であることを再認識し、今度は口も開いた。
「……私は騙されないよ。どうせ受け取ったが最後、それを盾に『この分は体で返してもらおうか』的展開になるんでしょ!」
無論、肉体労働的な意味である。
「やだなぁ、そんなひどいことするわけないだろ? 素直に受け取れって」
「そんな馬鹿な……はっ、それじゃあチケットが偽物で実はドッキリとか!? どうせ喜んだ瞬間、物陰とかから兄貴がドッキリの札を持って登場したりするんだろ! どこだ兄貴出てきやがれ! 姉貴とグルになってオレを騙そうったってそうはいかねぇぞ!」
「トラ、お前人をなんだと思ってるんだ」
「そりゃ姉貴に決まってんだろ!」
「……どうやらそのうち色々分からせる必要もありそうだが、まぁ今はいい。いい加減さっさと受け取れよ。今回に限ってはドッキリでも恩を売るつもりも無いから。約束する」
今回に限っては、なのがわりとひどい話だけど。
「……マジで?」「マジで」
どうやらマジらしい。約束する、とまで言ったんだし。そこら辺の義理堅さは持ち合わせている人なのだ。そこら辺の義理堅さしか持ち合わせてない人だけど。
「……それじゃあ、ありがたく」
一応、最後まで警戒を厳にしつつ慎重にチケットを受け取りじっくり観察してみる。
オレが一番好きな初代鬼面バスターを中心に、和風からメカニカルまで様々な趣向を凝らした鬼面のヒーローが……つまり歴代15人の鬼面バスターの集合絵が載っている。どうやら本物のチケットらしい……ん?
「あれ、2枚ある?」
チケットを観察してすぐに気づいたその事実。はてと首を傾げたオレに姉貴が言った。
「1枚、とは言ってないだろ? そういうわけだからさ、友だちでも誘ったらどうだ? とはいえ……高校生にもなってそんな物が好きなやつなんて、それなりに限られているだろうけどな」
捕食者さながらの瞳がギラリと細まる。その瞬間、オレは姉貴が姉貴らしからぬ親切を押し付けてきたその意図を察した。そういえば"草太も鬼面バスター好き"ということはオレとあいつが友だちになったその日の顛末を語る際、一緒に話していたけども。
「妙だとは思ってたけど……そういうことね」
つまるところ、姉貴はオレと草太がふたりきりで遊びに行ってなんやかんや……という展開を望んでいるのだ。もっと言えば、それをネタにしてオレをからかいたいのだろう。あるいは今ここでそれを意識して恥ずかしがるオレをからかう気だったのか。
ふっ……それは確かに今までのオレにならば通じたかもしれない。実際それで咲にもからかわれていたんだし。だけど今のオレは数時間前のオレよりも遥かに成長している! 『男女ふたりきりで遊びに行くなんて、もしかしてこれってデート!?』などという王道展開程度でこのオレを制しようなどと!
「ふふん、いいよ。せっかく"タダ"で貰えるんだし、使えるものは使わなくちゃ」
意識しない。そう決めたのだから友だち……"草太と遊びに行く"という行為はそれ以上でも以下でもない。つまり姉貴の思惑を打ち崩せて、オレは念願のメモリアル展に足を運べる。正に一石二鳥の展開、どこをどう見ても得るものしかない。タダより安いものは無い!
「それじゃあ"お姉サマ"のご厚意に甘えて、草太と行かせてもらうね。もちろん、遊びに行く以外のなにものでもないけれど。ま、言うまでもないか」
「へいへい。ま、渡すもんは渡したから私としちゃなんでもいいが」
アテが外れたからか投げやりになった姉貴。その姿に得も言われぬ充足感を感じつつ、リビングを出て自分の部屋へと戻っていく。
今日は色々あったけど、終わってみれば素晴らしい日だったかもしれない。姉貴を視界から外す直前、その口端が鋭く釣り上がるのが垣間見えた気もしたけれど、満ち足りた気分のオレにとってそんなことは取るに足らない目の錯覚でしかなかった……。
「タダより高いものは無い。とはよく言ったもんだがさて……お、青児から着信か。あいつにしてはちょうどいい……はいもしもしっと」
『もしもし、美月。なに、そろそろ高校生は放課後だ。梓茶に例のチケットを渡した頃じゃないかと思ってな』
「正についさっき渡したところだ」
『やはりな。で、見込みのほどは?』
「そうだな……端的に言えば、面白いことにはなるな」
『言い切ったか。その根拠は』
「トラが妙に自信満々だったから。昔から、そういうもんだろ」
『なるほど。それは……実に楽しみだな! あ、それはそうとよくよく考えてみたんだが、チケット代を俺が全額負担するってちょっとこう、アレじゃないか? いやアホ可愛い末っ子のための労力を惜しむつもりは無いが、ほらそれはそれとして限定版結構高かったし美月はチケット渡すだけなんだから、いや俺は兄であるからしてもちろんせびるなどとケチくさい行為に堕ちるつもりは無いんだがな?』
「分かってるよ、青児。お前には感謝してる。私だって出来ることなら負担を分かち合いたい。だがな……考えてもみろ。金を払う、チケットを渡す。これは両方とも必要な行為なんだ。つまり両方とも同価値と言える」
「なるほど……なるほど?」
「つまりこの時点で私とお前の仕事量は一緒。だがこの上私が金まで払ってしまったら私の方が多く仕事をしたことになってしまうじゃないか。妹の方が働いたんじゃあ青児の面目が立たない。大事な兄貴の面目を立てたい。だから私は断腸の想いで金を払わなかったんだ……」
『美月、お前そこまで俺のことを考え……てるんだよな……? くっ、なのになぜ俺は愛すべき家族のことをこれほどまでに信じきれない。なにか壮大な違和感がある気がしてならない……!』
「ちっ」『美月?』
「いやいや、実はもうひとつ大事な理由があるんだ。いや、むしろこれこそが真の理由とも言える……」
『まさか、俺の感じていた違和感は!』
「そう! 私があいつにチケットを渡す……すなわち表担当なら、青児はいわば裏担当つまり影! 影で誰かを助ける男はいつだってかっこいいつまりモテる、そういうもんだろ!」
『はっ、正しくその通りだ。なんて簡潔で分かりやすい! つまり美月は俺が更なる高みに登れるよう配慮してくれたのか! すまなかった、お前がそこまで俺のことを想ってくれていたというのに少しでも疑ってしまって……ふふっ、やはりいいものだな兄妹とは。普段はちょっとそっけないように見えても、心の底では確かに繋がっている絆! 恋とはまた違う愛の形が』
「なぁ話すこと話したしそろそろ切っていいか? いいよな切るぞ」
『分かってるさ、そう言ってても本当はまだまだ語らいたいんだろう? なら思う存分語り合おうせっかくちょうどいい話もあるしな! 実はなんとだな! 昨日の合コンで久々に女子とLINEを交換したんだ! しかもちゃんと既読が付く! これはキてる、今までは様々な不幸があったが今度こそ運命の人と巡りあ』プツッ。
「はぁ…………あのテンションは、間違いなく失敗するな」
◇
6月最後の土曜休み。もとい姉貴にチケットを貰ったその週の土曜日である。
白のブラウスと、空色のミニスカート。夏に合わせた風通しのいい服装ならば気持ち良く過ごせる程度の程良い気温とからっとした空気の中、オレは自宅から徒歩10分のバス停に向かって歩いていた。
見た目的にも環境的にもばっちりな服装。ほらやっぱり、悩むことなんてなかった。
そう納得しながら脳裏に浮かぶのは、家を出る前に悩んでいたオレの立ち姿。鏡に写った二重まぶたとセミショート、そして茶トラ猫の髪飾り。
――つい普通に着ちゃったけど……なんつうか、女の子しすぎかな。
――だからなんだっていうんだ。今は女なんだし、人目に付くところ出るんならとりあえず外面気にしておくのもふつーだふつー。
――大事なのは意識しないこと。自然に選んだならそれでいいはずだ。
うん、駄目なとこなんてなにも無い。頷いて歩き続ければすぐにバス停が見えてきた。待ち合わせのタイムリミットは、バスの発車時間と同じ11時28分。
「おっ」
定刻5分前のバス停のそばに、ここしばらくですっかり馴染みとなった黒髪眼鏡の姿を見つける。馴染みな少年の初めて見る私服姿。オレンジ色のポロシャツが自然と目を惹いた。
「おはよう、草太」
「あ……梓茶さんっ!?」
こいつが今日の待ち合わせ相手だ。内容は簡潔、鬼面バスターのメモリアル展を見に行く。チケットの出処は最早言うまでもない。それはそうと。
「なにさ、そんなに驚いて」
「あ、いや。ほら、私服姿で会うの初めてだったから」
「あ、私もそれ思った。普段制服姿しか見ないとどうしてもね。草太だって……」
まずは草太の顔に視点を合わせて、そこからゆっくり下げていく。
「え、えっとぉ……」
上から下まで送られていく視線のせいか、草太は少し恥ずかしそうに身を縮こませた。ふむ……上はポロシャツ、下は白の長ズボン。んでスニーカーに……アクセサリーは精々腕時計程度か。明るい配色でさっぱりと纏まった格好は、中々どうして悪くない。
「うん。制服姿はぶっちゃけぱっとしないけど、さっぱりした服なら意外と様になってるね」「へっ!?」
相変わらずのリアクション、今日も草太は草太だった。
「そんな、僕なんかよりも、その……」
どうも草太は褒められ慣れていないようで、なにやらモジモジと恥ずかしがったあと、「あっ」と一度どもってからオレに向かってはっきりと言った。
「梓茶さんこそすごい似合ってます!」「へっ!?」
正体不明の驚きに、一度ドキリと心臓が跳ねる。思わずさっきと鏡合わせなリアクションをとってしまったけど……いやいや、こんなの過剰反応の一種だ。友だちが友だちの服装を褒め合う。うん、どこもドキリとするところが無い。むしろ褒められたのなら胸を張るべきだろう。
「そ、そりゃもちろん。外に出るんだからこれくらいとーぜんだよとーぜん」
「ほえー、なんていうかさすが梓茶さん。……僕も、もうちょっと見習った方がいいのかな」
「え、草太がこの服? よしなよ、服っていうのは似合う物を着るから映えるんであって……ん? でも草太、どっちかって言えば童顔だし化粧次第ではワンチャン……?」
「そ、そういうことじゃないよ! ワンチャンも無いよ!」
「冗談だよ冗談、へへっ」
「もう……」
オレが茶化せば草太が困った顔をする。うん、この感じだ。
自然体で、和やかで。さっきドキっとしたのがなにかの間違い。今は素直にメモリアル展だけを楽しみにする。それだけでいい……と、視界の端で道路を走ってくるバスの姿を捉えた。
「お、来たね!」「ほんとだ、時間通り」
ほどなくしてバス停の前に到着したバスは、プシューと音を立てて停車した。さて乗り込もうと思ったその時、草太に名前を呼ばれた。
「梓茶さん」
「ん? どしたの」
「あ、いや。大したことじゃないんだけど……楽しみだね。メモリアル展」
「……うん、もちろん!」
のほほんと穏やかな笑顔。やっぱり今日も草太は草太だった。
◇
とりあえず昼飯にしよう。
バスを降りてすぐ、そういう話になった。ただいま時刻は12時前、休日ゆえに多くの人々が行き交う街中でオレたちは相談を始める。
「ここら辺なにがあったっけか。そんな頻繁に行くわけじゃないからなぁ。美術館にしても今回みたいなことでもなきゃ縁すら無いし」
「うーん、そうだね……カレーなら『Soco一番館』、ファミレスなら『マスト』、ラーメンなら『角源』とか」
「え、角源あるの?」
「最近できたんだって」
「へー、結構詳しいね。ここら辺よく来るの?」
「えっ。いや、僕もあまり来るわけじゃないけど、まぁちょっとは調べたから……」
「なるほど」
ただ遊びに行くだけだというのに律儀なやつだ。まぁらしいと言えばらしいか。オレは素直に草太の案からひとつを選んだ。
「んじゃあ角源にしようよ。草太がいいなら」
「僕はべつにいいけど、ラーメン好きなの?」
「それもあるけど……」
好きかどうかと言われれば、米より麺派でうどんよりラーメン派だと言える程度には好きだ。ただそれ以上に、
「ほら、女同士だとなにかと行きづらいしさ。ラーメン屋って」
というわけでやってきたのは醤油ベースの濃厚スープが魅力のラーメン屋『角源』。全国に十数ものチェーン店を構えるほどの有名店であり、ついでにここはその新店舗。真新しく綺麗な店内、昼時で混みあう人々の中、運良くわずかな待ち時間で入れたオレたちは座敷席に案内された。
机を挟む形で向かい合って座りお互いに注文を決める。
「ちょっと久しぶりだし、定番の醤油ラーメンでも頼むか。というかそれだけでいいや」
「あれ、トッピングも頼まないの?」
「いやさ、こないだ家族と別のとこの角源行った時、男の時と同じ感覚でがっつり頼んだら酷い目に遭ったんだよ。あと太るのも嫌だし」
「はー、なるほど……」
納得の素振りを見せる草太は、むしろ全体的に細身でやっぱりちょっと頼りなく。
「草太はあれだね、逆にもうちょい肉つけてもいいかも。せっかく運動してるんだし」
「そうかな……」「そうそう」「そういうなら……」
そんなこんなで最終的に草太が注文したのは豚骨醤油の大盛りチャーシュー追加……に加えて、餃子とチャーハン一皿。
「そんなに食えるの?」
「だ、大丈夫! でもそれはそれとして梓茶さんも餃子いる?」
「くれんの? じゃあ少しだけ」
そんなこんなで料理が来た。置かれたラーメン+餃子&チャーハンの前で「「いただきます」」ふたり揃って手を合わせ、箸を割って食べ始めた。
まずは熱々の麺を一口。
ずずっと吸って噛んでみればもっちりコシの強い太麺が歯を、醤油スープの香ばしい旨味が舌を刺激しそれらをバチッと脳に伝達! 「んっ!」刺激が感動に変換されて喉を震わせた。衝動のままに麺をすすっては噛み千切り、チャーシューにかぶりつき。ひとしきり堪能したあと一旦水で口の中を洗い流して、それから充足感に息を漏らした。
「はぁー……やっぱいいなぁラーメンは。こればかりは女になっても堪らない……ん?」
一息ついてなんとなしに正面へと視線を向ければ、黒髪眼鏡がただの黒髪になっていた。あ、そうか。湯気で眼鏡が曇るのか。
机の上に眼鏡を置いて、草太が麺をすすっている。そういえば裸眼の草太をじっくり見るのは初めてだ。ふむ……眼鏡がないと、どことなく印象が明るくなるな。
「草太、意外と裸眼の方がいいかもね」「ごふっ!」
むせた。食ってる途中だったせいで、スープが跳ねて顔にかかってる。
そうかぁ飯食ってる時はこういうリアクションになるのか。
「けほっけほっ」
むせる草太を眺めているのはなにやらちょっと面白い。なんてろくでもないことを思ってる間に、草太は顔をおしぼりで拭いていく。一通り拭き終えると軽く顔を逸らしつつ。
「……ほんとに言ってる?」
疑いながらもどこか期待するような声音。分かりやすいやつだけど、ちょっと意外といえば意外。気にするんだなそういうの。それが妙に面白くて自然と顔がほころんだ。
「や、べつに見違えるってほどじゃないよ? 漫画じゃあるまいし。ただなんとなく明るい感じになるかなーって。お前どっちかっていうと童顔だし目も大きめだし。そうだ! いっそのことイメチェンしようイメチェン。髪なんかも弄ってさ、いっそスキンヘッドにするとか!」「ごふっ」
またむせた。今度は食べてる途中じゃないから二次被害もなかったけど。
草太はむせたあと、やっぱり顔は逸らしたまま聞いてきた。
「……梓茶さん、僕のことからかってるよね」
今度は拗ねるように、あるいは怒るように尖った声音。へこむ草太は何度も見たけど、怒る草太は初めて見たかもしれなくて。やっぱり妙に面白いから、相も変わらずオレの笑顔は潰えない。
「ごめん、半分はからかってる」
「はんぶん……」
「実際さ、もうちょい髪さっぱりして眼鏡外すだけでもわりと変わるんじゃない?」
「はん、ぶん……」
「草太?」
顔は未だにこっちを向かず、だけどじっと考えこむ。しばらくして、そっと口を開いた。
「……じゃあ、そのうち試してみようかな」
「おお! で、いつにするの?」
「……そのうち!」
投げやりに言い残して、草太は勢い良くラーメンをすすり始めた。ズズズズズッ! と意外なくらいに豪快な音を立てる。
まだ怒っているのか、それとも恥ずかしがっているのか。いずれにせよ今日何度目かの"意外"だ。
私服姿に裸眼に怒った姿に。まだメモリアル展に着いてすらいないのに、なにやらいつもと違う草太をよく見る。だけどこういうのも……うん、悪くない。納得しながらオレも食事を再開する。
はたして食べ終わるまでオレの顔から笑みが消えることがなかったのは、角源のおかげか草太と食べていたからか。どちらにせよ楽しいならばそれでよし。なんせ、大事なのは自然体でいることなんだから。
昼食も終わり角源から10分ほど歩けば例の美術館……ではなく、美術館付きの緑地公園が見えてきた。実のところ美術館そのものは、東京ドーム何個分とかいうありがちな謳い文句が掲げられた広大な園内のど真ん中にある。そんでもって入り口からまた歩くこと10分。ようやく美術館がオレたちの前に姿を現した。
謎の彫刻やそれっぽい噴水といったいかにもなオブジェに囲まれる形で、西洋の宮殿にも似たレンガ造りの建物がでんと建っている。これが50年以上もの歴史を誇る美術館の本館……だけど、オレたちの目的はそっちじゃない。
同じ西洋風の様相ではあるけれどサイズは本館の半分くらいで、本館と比べるとどことなく新しい雰囲気を感じる建物が本館の向こうにある。それがこの美術館の別館。特別展示や催し物に使われており、現在メモリアル展が開催されているのもこの館だ。
さすが休日、館の外からでも分かるほどの盛況ぶりだ。今はモノがモノゆえか、子供連れの家族らしきグループが特に多く見受けられる。そんな別館の前に立ったオレは、景気づけに大声をひとつ出してみた。
「やってきたぞ鬼面バスターメモリアル展! ……って遅いよ草太」
「梓茶さんが早足なんだよ……」
後ろを振り返ってみれば、ふらふらと歩いてくる草太の姿がある。この眼鏡、店を出てからずっとこの調子なのだ。
「まったく……」
口の中で呟いてから、草太に言葉を投げる。
「まだ胃もたれ中? ならなんであんなに食べたのさ」
「うっ。あれは……ちょっと間違えたというか」
「あ……もしかして『もうちょっと肉つけた方がいい』って言ったの気にしてた? あはは、あんなの単なる話の流れじゃん」
草太があんななんでもない言葉を真に受けたのが面白くてくすくす笑ってみれば、当の本人はむっと顔をしかめて、
「べつに……そういうわけじゃないから!」
大股で歩きオレの横を通り過ぎると、ひとりでさっさと別館の入り口に向かっていく。だけど腹が立ったりはしない。そういう意地の張り方は嫌いじゃないから。
だから頬は緩めたまま、オレは草太の背を追った。
"歴史ある美術館"という風体ではなく、暖色を基調とした現代味のある清潔な内装。入場したオレたちは早速受付でチケットを渡して、限定版の特典……は帰りに受け取れるらしい。ということで、レッツメモリアル!
「すげぇ、初代のデザイン案ってこんなにあったんだ! こう、ボツ案を見てるといかに初代のデザインが優れてたかが分かる……あ、でもこの案ならちょっと見てみたいかも……」
「すげぇ、なにこれ撮影用のスーツ!? 本物!? うわぁぼろぼろー、えー、へぇー、うわーなんかぐっと来るモノはあるけど語彙がなくなるなこういう時って!」
「すげぇ、シリーズ毎のクランクアップ記念の写真集とかまた地味にツボをくすぐる物を用意してるなぁ! というかなんかさっきからすげぇすげぇしか言ってねぇなオレ!」
先を往く度にオレの中の男の子力が盛り上がってる気がする! 著名とはいえ当たり前のように特撮には縁の無い美術館。ある種の客寄せのための雑なコラボも想定していた分、それを遥かに超えたガチな展示にテンションがドッカンバッカン爆上がり。
だから途中まで気付かなかった事実がひとつ。
回廊式の館内のちょうど半ば辺り、歴代の玩具を集めた展示室を見終えて背伸びしたところでふとその事実に気づいたオレは草太に尋ねた。
「……お前、てっきりこういう場所じゃキャラ変わるくらいはしゃぐタイプだと思ってたんだけど、そうでもないのな」「いや、人のことなんだと思ってるの」
すぐツッコミを返された。そりゃ気持ちは分かるけどそう言ってもなぁ。
「実際、こないだストラップ見たときは目を輝かせてたじゃん」
「あ、あれは不意打ちだったから……! それに……」
「それに?」
ぷいと顔を背けて、指で頬を掻く。そんな仕草と一緒に、あいつはぼそりと。
「……僕だって楽しいけどさ。だからってあまりはしゃぐのも……ちょっと、かっこ悪いし」
意外だ。まずはそう思った。
まただ。続いてそれを思い出した。
「……やっぱり今日は、意外な草太ばっか見るな」
「意外って……」
「草太、そんなに意地っ張りだったっけ?」
高校ではそんな姿、全くと言っていいほど見たこと無いから。過ぎった疑問を素直にぶつけると、わずかばかりの間を置いて答えが返ってきた。
「……僕だって、たまには意地のひとつでも張りたくなるよ。そりゃらしくないと思うけどさ……」
らしくない。草太の言葉を反芻し終えて、それは口から自然と出ていた。
「そうだな、確かにらしくない」
「う、そんな率直に……」
「――でも、オレはけっこー好きだよそういうの。だって男ならさ、らしくないくらいがちょうどいいんだよ。きっと」
さすがに予想外の返しだったのだろう。草太ははっと目を見開いた。
だけどオレにはお前の気持ち分かるぞ草太、なにせオレも同類ってやつだ。ゆえに握りこぶしを作って語る。
「男は意地張ってなんぼだろ。そしてオレにも張る意地はある! 今がどれだけ美少女でもその心意気は変わらないね!」
オレが夢中で語る間、草太はぽかんと口を開けたままだった。
「でも昔姉貴に似たこと言ったら『似合わない背伸びはダサいだけだろ』って鼻で笑われたんだ。あれは全く男心を分かっちゃいない! なっ、お前もそう思うよな草太!」
同意を求めたところで、草太は口と瞳を閉じる。
およ? 意味深な動作に首を傾げたそのすぐあとで、あいつは口角を釣り上げてにっと歯まで見せて。いつもと違う快活な笑顔がそこにはあった。
「そうだね。そういうの、梓茶さんらしくてすごくいいと思う」
視線がぐいと吸い寄せられる。気づけばぼんやり呟いていた。
「……そういう笑顔もできるんだ」
「え? 今なんて――」「パパと変身するの楽しかったね!」
突如耳に届いた、オレたちとは違う第三者の声。それはオレたちと無関係な家族のものだったけど、話している内容のせいでオレの視線はそっちに吸い寄せられた。
「いやぁ、最近の変身ベルトってあんなに重厚感あるんだなぁ。ちょっと欲しくなったよ」
「もう、あなたったらどっちが子供なんだか分からないくらいにはしゃぐんだから……」
ワイワイ騒ぎながらオレたちの横を通り過ぎていく親子の会話のおかげで、オレは大事なことを思い出せた。
「そうだここベルトの装着体験できるんだ! しかも中学生以上は大人向けのクソ高い方!」
そうだここはせっかくのメモリアル展、余所事に気を取られてる場合じゃない! そもそもさっきまで、草太の笑顔ひとつのどこにそんな気を取られていたんだろうか。とにもかくにも、オレは草太へともう一度振り返り呼びかける。
「あんなもん滅多にさわれるもんじゃないし、早くいこう!」
「うん、分かったよ。梓茶さん」
振り返った先。草太はいつもどおりの呑気な笑顔でオレに応えた。
そのあとも色々はしゃいで会場限定グッズも買ったりなんかしちゃって。たっぷり満喫したのち、オレたちはベンチに腰掛けた。
帰りに貰ったチケットの特典品は、美術館のロゴが入った地味な紙袋に詰められて互いの隣に置かれている。ちなみに買ったグッズとかも袋に余裕があったから、そっちに纏めて入れてある。
この紙袋、本音を言えば鬼面バスター関連のデザインにして欲しかった……なんて話を振ってみたけど、草太的には「まぁ、こっちの方が外歩く時にはいいよね」とのこと。そんでもってそれは確かにーだの、いやでもせっかくなんだしーだの、無軌道に駄弁っていれば話はガンガン逸れていくわけで、いつの間にやら別の話にすり替わっているのもよくある話。すり替わっていた。
「にしても、改めて思うけどかっこいいよなぁ鬼面バスター! 特に初代は15年経った今も全く色褪せないし、つうかあの大人向けのベルト良かったなぁ……あんなん欲しくなるわ……」
「あはは、でもあれ今プレミアついてなかったっけ。バイトしてても厳しいんじゃないかなぁ」
「マジかぁ。社会人になってからワンチャン……」
「その頃にはもっと値上がりしてるかな……というか、梓茶さんは初代派なんだ。僕らが生まれた辺りのものでしょあれ」
「父さんがファンで録画してたんだよ当時。子供の頃それ見てからハマっちゃって……父さんも父さんで息子を卒業させまいとノリノリでグッズとか買い与えてきてなぁ。気づいたら高校生になっても、こうさ……」
「あー、なるほど。でも僕からすれば羨ましいかな……。親にも子供っぽいって言われるから、家でも微妙にこう、ちょっと肩身が狭くて……」
「ふーん、そういうものかね。あ、ところでそういう草太はなに派なんだよ?」
話の流れで問いかけてみると、草太は顎に手を当てて「うーん……」と唸った。存外真剣な悩み方。あんまり単体に思い入れ無いタイプ? それともそれぞれに思い入れありすぎて悩んでる系? オレが首をかしげてる間に、草太は「うん」と自分を納得させるように頷いて、ようやく口を開いた。
「デザインは今のメカニカルな感じが好きだし、ノリはもうちょっと前の暗さと明るさが両立した辺りが気に入ってるけど……根本的なかっこよさっていうのは今も昔も変わらないと思ってるし、そういう意味ではなに派とかないかな」
「根本的な、かっこよさ?」
「うん。だってさ、鬼面バスターは――ヒーローはいつだって"真っ直ぐ"だから」
その言葉は……率直に評して"青臭い"。
だけど下手に茶化すには、それこそあいつの目が真っ直ぐ過ぎて。それにそーいうのも嫌いじゃない。嫌いじゃないからこんなところにいるわけで。ゆえにオレは、続く草太の語りに黙って耳を傾ける。
「正しいと思ったことを貫くのも、自分の想いをやり遂げるのも難しいんだよ。そこら辺の一般人の僕でさえそう思うんだから、ヒーローは僕よりも遥かに背負うものが重いはずで。でもヒーローにはさ、孤独だったり仲間がいたり、ぶれなかったり迷ったり色んな人がいるけどみんな最後には貫くし、やり遂げるんだ」
少し垂れ気味の穏やかな瞳。それを優しく細めて空を見上げる姿に、オレは不思議と言葉を忘れていた。
「僕が昔よくドジしてたってことは話したよね?」
不意に問われて、反射的に答えを返した。
「あっ。うん……」
「幼稚園の頃、それが原因でいじめられてさ。でもたかが幼稚園、今思えば内容すらしょうもないことだったけど当時の僕にとってはそこが世界の8割方だったから。だからドジする自分が嫌いで、でもどうしようも無いと諦めていた。そんな時に出会ったのが鬼面バスターで……子供が無敵のヒーローに憧れる、ありきたりな話さ。ただ僕の場合ヒーローはなりきるものじゃなくて、遠い憧れだったんだ。もしかしたら、今でさえ」
思い出す。遠い昔、父さん買ってくれた変身ベルトを巻いてポーズを決めれば、あっという間にヒーローになれた時代。こいつには、また別の景色が見えていたのだろうか。その瞳が映していたものを知りたくて、オレは話に引きこまれていく。
「子供の頃は空想と現実の境がどこか曖昧だった。だからこそ僕にとって鬼面バスターたちは本当にちょーかっこいい有名人で。それこそ真似するのも恐れ多かったくらいに。僕は臆病だったから、自分じゃ『ああなれない』って線引して代わりに『ちょっとでも近づこう』って、とりあえずドジを治すところから始めようとして……」
草太はそこで一度言葉を切った。空に向けてた瞳を閉じて、今度はオレに向かって開く。オレの視界の中で、ふたつの目がへにゃりと柔らかい弧を描いた。
「なんか思い出しながら口に出してたら、纏まらなくなっちゃった。ごめんね、しょうもない話で時間取らせて」
「……」
ありきたりと言えばありきたり。単なる遠い思い出話以上でも以下でも無い。だけど、
「しょうもないだなんて言うのは、ちょっともったいない……のかも」「え?」
きょとんとする草太に向かって、オレは正直な感想を述べ始める。中身が中身だからちょっとした照れはあるけれど、これは話の駄賃代わりってやつだ。
「だって実際かっこいいもんヒーローって。オレもお前も『ヒーローなんて』って言えないままここまで来たけど、それならそれでいいんだよ。だってさ……今は楽しいじゃん。少なくともオレは楽しいよ、今こうやってメモリアル展来れたのも、お前と遊びに来てるのも」
草太の唇がきゅっと閉じられる。
「昔があって今がある。だからありきたりでもしょうもなくても、胸張っていいんじゃない? それが草太にとって本当に大事なら……なんてな、これも鬼面バスターの受け売りみたいなもんか! たしか似たような話あったはずだし!」
照れ隠しで結局茶化してしまったけれど、言いたいことは言えたはず。だけど気づけば草太は軽くうつむいていた。髪に隠れて瞳が見えない。とりあえず返答を待つ……不意にぽつりと、短い言葉が耳に届いた。
「やっぱり僕の憧れは、間違ってなかった」
「……え?」
意味が分からず、そんな声しか出なかった。憧れって鬼面バスターのこと? でも"間違ってなかった"なんて称するのはなにかが違う気がして首を傾げる……と、またも気づけば草太は顔を上げていて。オレと目が合うと「あっ」と声を漏らした。
「ご、ごめん変なこと言っちゃったね。ひとりごとだから気にしないで」
「だからなんでお前は毎度意味深なところで話を切ろうとするんだよ。全部言うか全部隠すかのどっちかにしろって。隠せないなら言ってまえ」
要求してみれば草太はううんと5秒くらい迷って悩んで。はたしてその口から出てきた言葉に、オレは不意を突かれて目を丸くしてしまった。
「梓茶さんも、やっぱり"真っ直ぐ"な人だったから」
「……オレ?」
「うん。1年の頃から知っていたんだ。ふと見ればクラスメイトや、時にはそれ以外の人たちとでも、いつも楽しそうに笑っている君の姿を。2年に上がって女子になって戻ってきた時もあっという間に女子の輪に馴染んで、前と変わらず明るい笑顔で。そんな君に僕は少しだけ憧れていた。ただ憧れって遠いから。ずっと遠巻きに見てることしか出来なかったけど」
「それは、さすがに大げさじゃ」
元々交友関係はそれなりで、女子に溶けこむのにも苦労しなかった。それも事実ではある……けど、それは言ってしまえばオレが人一倍お気楽だっただけという気がする。
「才色兼備なクラスの人気者……とかなら憧れるのも分かるけど、オレぶっちゃけ凡人だしそこまで持ち上げられるのもな……」
どちらかといえばちょろいだのアホだの、弄られ方面で定着してる気も……お? なんだか自分に自信がなくなってきたぞ? だけど凹みかけるオレを知ってか知らずか、草太は首を横に振った。
「だからこそ憧れたんだと思う」
「え、今オレ暗に取り柄の無い凡人だって言われた?」
「ち、違うよ! 梓茶さんは自然と人を惹きつけるから。もしかしたら僕がそう感じてるだけかもしれないけど、少なくとも僕はそう感じてるから憧れた。憧れて、やっと友だちになれて、君を間近で見て……女の子を楽しんだり、かと思えば不意に男の子みたいになったり。いつだって自由で、今を楽しんでる姿は僕の憧れていたとおりだった」
「……やっぱり、よく分かんない」
「分からなくても自分らしく在れるなら、やっぱり梓茶さんはすごいよ。すごくて……かっこいい。うん、僕にとって梓茶さんはかっこいいんだ」
「かっこいい……?」
草太の言葉は8割方ピンと来なかったけど、ただ最後の言葉は多分初めてで。褒められたのは単純な性格なのかもうちょい別のなんかなのか。なんにせよ、ぽろりと漏れた疑問がひとつ。
「……オレ、ちょろくない?」
「へ?」
思いもよらないことを言われた。そんな風に一度目を瞬きさせて、だけどすぐそれを笑みに変えて草太は言った。
「昔があって今がある……ってのは梓茶さんの受け売りだけど、だったら自分の嫌いなところがその人の大事なところに繋がっていてもおかしくないじゃない。梓茶さんは自分が思ってるよりもずっとみんなに好かれてるし、だからそれこそ梓茶さんが僕に言ってくれたみたいに、もっと胸張ってもいいんだよ」
「……!」
驚きのあまり視界が広がる。そんな考え方したこと無かった、言われたのも当然初めてだった。
じわりと浸透。言葉の意味を実感すると共に嬉しさが広がり、口も緩んで広がって、
「心の友よー!!」「わー!!」
次の瞬間には、草太の首に手を回してその体をぎゅーっと抱きしめていた。今オレの全身には熱き友情の血潮が迸ばしっている!
「草太お前、見る目あるなぁ! なんか、なんかお前……見る目あるなぁ!」
「わっわっわっわっ」
感極まると語彙が無くなるのは仕様だ。とにかく衝動のままに抱きしめる一方、草太はしばらくの間されるがままだったけど、
「あ……梓茶さん!!」
急にオレの両肩を掴んでぐいっと引き剥がしてきた。なんだなんだと思ったら、真っ直ぐオレの目を見つめて一言。
「……やっぱり梓茶さんは、もうちょっと自分を省みた方がいいと思います」
「なんでさ!?」
まさかの上げて落とす方針か!? つい大声を上げるも草太は全く動じない。いつものオーバーリアクションはなりをひそめ、眼鏡の奥から妙に据わった目がこっちを覗いている。
「自由なのは梓茶さんのいいところ。確かにそう言ったし、その言葉に嘘は無い。だけどそれはそれとして」「それとして」「ちょろい扱いは嫌だよね」「まぁ、言われるのは」「じゃあまず一拍置こう」「一拍」「反応返す前にちょっとだけ考えよう」「え、それめんどくさ」「考えよう。考える大事」
なんだこの有無を言わさないノリは。まるで「こいつ放っておいたらなにかやらかしそう」とでも言われているような。さっきまで持ち上げといてそりゃないんじゃないか……と、反論できる空気じゃなかった。両のジト目から得も言われぬ威圧感が放たれているから。
「う……よく分かんないけど、とりあえず分かった。要は考えればいいんだろ……」
しぶしぶ降参すれば、眼鏡の奥の瞳がふにゃっと緩んだ。
「分かったならよし。それじゃ、そろそろ行こうか」
荷物を持って立ち上がる草太がなんだかいつもよりもシャキッとしているのは微妙にムカつくけど、さっきまでの会話の残滓であろう嬉しさやらなにやらと混ざってなんとも言えない居心地に戸惑う。とりあえず、オレも荷物を持ってから勢い良く立ち上がる。
「草太のくせに先導すんなし! 言われなくてもさっさと行くぞ!」
口をきゅっと引き締めて、草太を追い越しずんずんと美術館から遠ざかっていく。
「草太のくせにって……あ、ちょっと待ってよ梓茶さーん!」
後ろから届く情けない声に頬を緩める。ちょっとだけ得意げな心地に身を任せつつ足を進めていたら、嗅覚が不意に違和感を捉えた。そこは二手に枝分かれした道の前だった。
「ん?」
片や出口への順路だけど、もう片方は匂いの発生源へと続いてるらしい。緑地公園中に広がる自然の匂いにうっすらと混じった、焼き菓子のようなこうばしく甘い香り……だけじゃない。もっと沢山の香りが織り交ざった、なにやら本能的に惹かれる香りが道の向こうから漂ってきている。
焼き菓子特有のこうばしさを中心に、万華鏡のように様々な匂いが入れ替わり立ち代わり鼻をくすぐる。チョコっぽくもあり、なんかの果実っぽくもあり。
足を止めたオレの後ろから、追いついてきた草太の驚く声がかかった。
「わっ、危ない。梓茶さん、どうしたの急に止まって」
「や、なんか匂わない?」
「え、僕が!?」
「違うわ! え、マジで分かんない?」「全然」「んー……」
オレは匂いのする方へと視界を向け直した。背の高い木に囲まれた道は大きくカーブしていて、先になにがあるかは不明瞭だ……けど。
「よし、向こう行ってみようか!」
「え。出口は逆じゃ……」
「しゃあないよ。匂いはあっちからするんだし」
「えー、そんな。なにがあるかも分かんないのに……」
鼻の効かない草太は訝しむけど、オレには分かる。あっちにあるのは甘いなにか……いや、匂いの内容からある程度の目星もついている。だったら、
「せっかくだから草太にひとつ、女の子暦2ヶ月越えの私が教えてあげよう。ーー女の子っていうのはね、甘いモノに目が無いんだよ!」
出口とは逆の曲がり道、進んで曲がって行き当たったのは開けた広場。一層濃くはっきりとしてきた甘い匂いを追って広場の奥に目を向けるとそれはあった。
目立つバルーンを飾りに付けた、ピンクの移動販売車。ちょうど女性の二人組が車内の店員からなにかを受け取って離れていくところだった。二人組が持っている物は一目で分かった。そもそも車の前には写真付きのメニュー表が立てかけてある。小麦粉にチョコに果実にその他諸々エトセトラ。大体予想通りだった。
「ほらやっぱりあった。クレープの移動販売だ」
「ほんとだ……」
「というわけで、早速食べよう!」
「有無を言わさないね……僕はいいから梓茶さん食べてきなよ」
「そう? まぁいいけど」
お言葉に甘えて草太をその場に残し、車に近寄ってメニューを眺める。
いちごにみかんにりんごに桃に。色とりどりの果実を豪勢に使ったフルーツミックスがいの一番に目を惹くけれど、やはりクレープといったらその道の王様(※オレ調べ)チョコバナナも捨てがたい。自然と額に眉が寄る。こういう時は……
「もう運任せで決めるか。どーちーらーに、しーよー……ん?」
はてそういえば、さっき草太が一拍考えろだのなんだの……お、いいアイデア思い浮かんだ。人の忠告は聞いておくもんだな。
「すいませーん!」
注文を決めたオレは車内の店員にそれを頼んで出来上がりを待ち始めた。クレープを焼く店員のスピーディな手さばきとここら一帯を満たす甘い香りがあれば、待ち時間なんて無いも当然だ。
程なくしてクレープが出来上がった。荷物は右肘に引っ掛けて。開けた"両手に"、持ち手としての包装紙が下半分ほどに巻かれたクレープを"それぞれ"受け取り、草太の下に戻る。
「おまたせっ」
オレの姿を見て草太が目を丸くした。
「あれ、ふたつ?」
「そ、ふたつ。だからさ……どっちかいらない? チョイスは私好みだけど」
オレが手に持つのは他ならぬ、さっき悩んでいたふたつ。だけど草太はそれを見比べるまでもなく拒否の言葉を口に出した。
「わ、悪いよそんなの! 貰うにしてもせめてお金くらい出すって」
「いいよいいよ。さっき面白い話聞かせてくれた分と、今日一緒に来てくれたお礼ってことで。それにこういうのはひとりよりふたりの方が美味しいし。ってわけだから、受け取らない方がむしろ失礼じゃない?」
草太は基本押しに弱い。押して駄目ならもういっぺん押してみれば、困った顔をしつつも観念。クレープに向けて指を差した。
「う。そういうことなら……チョコバナナで」
「よろしい、それじゃ――」
ぱくり。
「えっ」
かぶりついたチョコバナナクレープは、温かい生地に熱されたバナナと溶けかけのチョコ、そしてたっぷりの生クリームが絶妙に絡み合い『これぞクレープ!』と太鼓判を押せる美味しさだった。正しくシンプルイズベストの体現者。
「うん、やっぱりクレープといったらこの味だよね。それじゃ、はい」
「えっ」
齧りかけのクレープを差し出したら、なんか草太が固まった。
そっか、草太視点だと受け取ろうとしたクレープをいきなり食べられた感じか。言い忘れてたけどまぁいいや。クレープ美味しいし。
草太がぽかんとするのは気にせず、ちょっと頬に付いたクリームをぺろりとひと舐めしてから口を開いた。
「言ったでしょ、好みって。そっちも食べたかったんだ」
クレープのおかげでオレはニッコニコだ。だけど一方の草太はなにやら淡々とした無表情で。
「……梓茶さん」
「なんぞ?」
「さっき言ったこと、覚えてる?」
「そりゃあさっき言われたことだし。両方食べたいけど丸々ふたつはキツいからどうしよっかなーって時に、おかげでピンと来たんだ。一口だけ貰えばいいやって。草太の言葉が役立ったね!」
「……まぁ、役立ったならいいか。いいよね。うん、僕は悪くないはず……」
草太はこっちに聞こえない程度の声でなにかひとりごとを呟いている。思い返してみればさっきから遠慮がちだったり無表情だったりしていたけれど。
「もしかしてまだ昼飯の分が残ってる? 入らないならまぁしゃあないから両方食べようかな。太る危険もあるけど、女子には一応別腹が」「い、いる! いります!」「あっ」
草太がオレの手からクレープを奪い取り、噛み跡の上からがぶりとクレープに歯を突き立てた。クリームが溢れて頬にくっつくのも気にしない中々の噛みつきっぷりでクレープを千切ると、口の中でもぐもぐと咀嚼を繰り返す。喉を動かし飲み込んでから、そっと一言呟いた。
「……甘い」
「そりゃそうでしょ。チョコバナナなんだから」
なんてシンプルな感想、とりあえずレビューとか苦手そうだなこいつ。でもなんだかんだでいい食べっぷりだ。オレも習って自分のフルーツミックスクレープにかぶりついた。
噛んだそばからギュギュッと詰まった果実の酸味と甘味が口の中で弾けるように広がって、つい口に含んだまま行儀悪く声を上げてしまう。
「おいひい!」
果実の強烈な個性による力技一辺倒ではなく、フルーツの間に挟まれた生クリームが時折その柔らかい甘味と舌触りで舌を優しくいたわってくれるコンビネーション・アタック。温かいクレープと冷たいフルーツ、温度のコントラストもいいアクセントを出している。 つまるところ、
「んー、おいひい!」
どうやらオレもレビューとか苦手な方らしい。テンション上がると語彙が無くなるからね仕方ないね。とにもかくにも気分が良くなったオレは意気揚々と歩き出した。
機嫌がいいから語彙は減りども口は回る。足早に隣へと追いついてきた草太に向かってオレは思いつくままに駄弁り始めた。
「しっかし女性は甘い物好きっていうけど、あれ本当だったんだね。なってみて分かったわ」
「え、そんながらりと好みまで変わっちゃうの? 体格変わるから前より食べられない、とかなら分かりやすくてピンと来るんだけど……」
「少なくとも私の場合はわりと、かな。具体的には好きなカレーが中辛から甘口に下がった。個人差はあるけど、なんか女性ホルモンの影響だとかなんとか。男女の差って脳にもあるんだって」
「へー、脳の男女差か。やっぱり難しくてイメージしづらいなぁ」
「五感の話だけだとそうかもね。でもさ、男女って脳が出す成分がまず違うじゃん。分かりやすいとこだと、女性ホルモンと男性ホルモンかな。ああいうのが体つきやらなにやらをそれぞれの性別に合わせて変えるんだけど、私だっておかげさまでほらご覧のとおりだし……って言えば、ピンと来る? なーんて偉そうに解説してみたけど、私もちょっと噛じっただけなんだよね」
「でもおかげでさっきよりも納得できた気がする。あっ、それじゃあもしかして匂いも?」
「そうそう。あー、それで思い出した。体が変わったあとってしばらく入院するんだけどさ。初めて父さんが見舞いに来た時、最初に思ったのが『うわ、なんか匂う』で。私ついそれを口に出しちゃって、一緒にいた家族はみんな大爆笑! 特に姉貴が加齢臭加齢臭連呼するもんだから……ああいうのを男泣きって言うのかなぁ」
「あはは……せっかく鬼面バスター好きなお父さんなんだから、あまり邪険にしちゃ駄目だよ」
「や、そういうつもりは無いんだけど、それはそれとしてあればかりはなぁ……」
そうして他愛もないことを駄弁りながら歩くことしばらく。
夏の爽やかなそよ風と和やかな雰囲気を肴にオレたちはクレープを気持ち良く食べ終えた。包装紙を右手でくしゃりと丸めたその時、不意に一迅の突風がオレの体を通り抜けた。
ふわりと舞い上がろうとする空色のミニスカートを咄嗟に抑える。そして風が収まると同時になんとなく、あるいは風が去った先へと導かれるようにオレは顔を隣に向けた。視線の先にあったのは、のほほんとした笑顔ただひとつ。
オレンジのポロシャツに白の長ズボン。いつもと違う私服姿で、いつもと同じ笑顔を向けるあいつ。ふと思い出す。今日は色んな顔を見ていたことを。
「梓茶さん? あ、もしかして顔になんか付いてる? しまった、さっき拭いたはずなんだけどな……」
「あっ。いや、そういうわけじゃなくて、その……」
つい言葉に詰まってしまう、ああもう草太じゃあるまいし。とはいえ自分でもなにが気になったのか分からないから、明確な答えが出てこない。「えっと……」それでも強いて言うなら多分。
「なんか、楽しそうだね。草太」
咄嗟に出てしまった、自覚できる程度には的を得ない不明瞭な質問。オレ自身そう思うのだから、草太は当然のように軽くきょとんとする。してから……それでもやっぱりまた穏やかに笑って、答えを返してきた。
「そうだね、すごく楽しい。だって梓茶さんと一緒だから」
甘い痺れにも似たむず痒さが、一瞬胸に走った気がした。草太はすぐに「あっ」と声を上げて慌て出した。
「って、なに言ってるんだろ僕。ごめん、変なこと言っちゃったかな」
頭を掻きながら照れる草太。それが移ってしまったのか、こっちも妙に胸の奥がむずむずしてる。だけど……うん、自然体で行くって決めたんなら。
「私も、草太と一緒だと楽しいよ」
照れを払拭するためにもはっきりと、見せつけるように笑顔を作った。
直後、草太がまざまざと目を見開く。今度こそはっきりとした驚きの表情だった。……いくら自然体がどうこうとはいえ、それを見てると自分がえらく恥ずかしいことを口走ってしまったかのように思えて。
「なにさその顔、人がせっかくノッてあげたのに!」
オレはそう吐き捨てた。そしてすぐに体の向きを変えると草太を置いて歩き始め「ご、ごめん梓茶さ……前! 前見て!」「へ? うひゃあ!」
足を止めた直後、目の前をでっかいゴールデンレトリバーが猛ダッシュで駆け抜けていく。「すみませぇぇぇん……」飼い主らしき女の人を引きずりながら……。
何処かへ走り去っていくひとりと一匹をおっかなびっくり見届ける。驚きのせいでさっきの怒りはすっかり飛んでいて。だからオレは素直に振り返り、草太に礼を言った。
「おかげで助かったよ。草太、結構注意力あるんだね」
「むしろ無い方なんだけど、無いから気をつけてるって感じかな。って言っても今でもたまにっ」ザッ。土が擦れる音と共に、草太の体が揺れた。
あ、これが"今でもたまに"の今だな。思った時には前に出ていた。右手は丸めた包装紙を握ったまま、荷物も右肘に引っ掛けたまま、咄嗟に両腕を広げていた。頭半分ほどの身長差。倒れてくるその体を腕の中に抱きとめた。
もしかしたら倒れちゃう? だけど勢いは弱く、思いのほか衝撃も少ない。代わりに草太の体がオレの体にもたれかかり、その頭はオレの肩に置かれた。微かに鼻に届く太陽のような匂い。女になってから鋭敏になった嗅覚が、草太の匂いをわずかに捉え――急に肩を揺さぶった重みと震え。どうやら草太も状況に気づいたらしい。
「ご、ごめん。まさかこんなところでコケるなんて……」
その声に釣られてオレが顔を向ければ、オレの肩から顔を離した直後の草太もこっちを向いていて、結果的に至近距離で目が合った。
細いフレームに囲われた、レンズの奥の黒い瞳。少し垂れ気味で穏やかな目。視線がかち合った瞬間に知った。
抱きとめる側と抱きとめられる側。
"あの時"とは、逆だ。
瞬間、顔が発火したように熱くなった。
「ぴゃあっ!!」
すっとんきょうな叫びを上げる。ドンと草太の胸を押す。気づけば草太が視界から消えていた。下を向く。草太が尻もちをついている。草太の顔も真っ赤だった。だけどそれが怒りからじゃないことは明らかで。目を丸くして固まる姿は、困惑と緊張の証。
なんでそんな顔するの草太。なんでこんなにテンパってるのオレ。顔が真っ赤で頭が真っ白。ひたすらに動けないオレの前で、草太はガッと勢い良く立ち上がって、急にオレの右手へと自分の左手を重ねてきた。
「ひぁっ、あ、や」
強い力で手をこじ開けられる。強引な行為と手のひらを弄られる感触のせいで勝手に喉が震えてしまう。だけどすぐにそれは止んだ。右手に目を向けると、丸まっていたはずの包装紙がいつの間にか無くなっていた。
「ご、ごめんちょっと梓茶さんのも一緒に捨ててくるから少し待ってて!」
その声に顔を上げれば、草太が背を向けてクレープ屋のあった方へと走り去るところだった。
未だ手にじんわり残る熱と感触は、はたしてただの残像なのだろうか。無意識のうちに左手で右手をきゅっと握って、組んだ両手を抱き寄せるように胸へと当てる。心臓がやかましく鳴り続けてるのが嫌でも分かってしまった。
なんでだよ。なんでこんな気持ちになるんだ。
きゅっと目が閉じてしまう。
なんで思い出しちゃったんだ。意識しなかったら大丈夫だったのに。そうだよ、さっきだって抱きついても、
「…………」
――省みろって、そういうこと―!?
途端、包容に間接キス。文字通り"後の祭り"な思い出ばかりが途端にぶわっと蘇る。溢れるまでは気づかない、溢れてからは大惨事。ダムが決壊するかのように羞恥心がドッと溢れ出した。
こんなに恥ずかしいことしてたの? 気付かなかった、男同士ならなんともなかったから。忘れていた、今は男と女だって。そういえば草太の顔も赤かった。あいつももしかして……違う違う違う! だからなんだって言うんだ。オレがあいつにどうこうなんて理由にはならない。そんな理由なんてどこにも無い――
『僕にとって梓茶さんはかっこいいんだ』
脳裏に過ぎったその一言が、ごちゃごちゃ荒れていた思考をピタリと止める。オレは瞳を開き、呟いていた。
「かっこいい……あいつにとっての、かっこいいって……」
「ねぇそこのキミぃ、今ひとり?」
人が大事なことに集中しようとしていた矢先、なにやら余計なノイズが背中越しに邪魔をしてきた。
それは二束三文で叩き売られているような安い台詞だった。どんなやつが使うかなんて一々考える必要すらない。一秒で十把一絡げなチャラ男を思い浮かべてはい終わり。さっさと断ろうと台詞を準備しながら振り返って……そんな浅い考えは全部吹っ飛んでしまった。
なぜなら予想が外れ……いや、チャラ男分はそれなりだから30%くらいは合ってるのか……?
とりあえず、だ。紅しょうがみたいな赤い髪色と、ライスみたいに真っ白な服装の方をモブAとしよう。そう、Aだ。つまりBもいる。隣にもうひとり、逆に髪から服装まで全身カレーのルーみたいな焦げ茶色に染め上げた方をモブBとする。
ライスっぽいAとルーっぽいB。ふたり合わせて、
「Soco一のマスコットかなにかですか?」「「ちげぇよ!」」
「じゃあカレー推しのローカル芸人」「「なんでそうなる!?」」
息のあったツッコミがいかにもなんだけど、これも外れか……。だけどあんな珍妙なファッションしそうな人間は他に兄貴ぐらいしか知らないんだよな。考えてる間に紅しょうが&ライスの方がオレを見下ろすように睨みつけてきた。
「おいてめぇ! 年上相手にマスコットだの芸人だの言いたい放題してくれるじゃねぇか、ああ!?」
ふたりとも、オレとは頭ひとつ分かそれ以上の身長差。それだけあれば相手の格がいかほどであろうとそれなりの迫力はある。
「う、すみません」
先にちょっかいかけてきたのはそっちだろ、という文句をぐっと飲み込んで敬語での対応。ナンパ野郎どもに敬意なんかは無いけど、だからといって事を荒立てたくもない。だけど敬語ぐらいじゃ相手は収まりがつかないようで。
「てめぇなぁ、すみませんで済むと思ってんじゃ――」
「まぁ待て弟。実際手を出したのは俺たちの方だ」
「兄貴……」
横から入った静止の声は今までずっと黙っていた、全身カレー色なモブB。こっちは話が分かるらしい。そしてどうやらこいつらは兄弟らしい。米担当の弟を抑えるように、カレー担当の兄が一歩前に進み出た。
「弟が悪かったな。だが誤解しないで欲しい。べつに俺たちはキミをナンパしたいわけじゃないんだ」
「あ、兄貴!?」
「だから落ち着け。俺たちには後が無い、手段を選べる時期はもう過ぎた」
「そりゃそうだけどよ……」
なんか勝手にシリアス入りかけてるけど、そういうのは切実に他所でやって欲しい。というか今のがただのナンパじゃなきゃ逆になんなんだ。やっぱSoco一の宣伝か?
オレが露骨に訝しむ一方、カレー兄弟(仮名)の兄はやたらと真面目な顔をして口を開いた。
「単刀直入に言う――俺たちと一緒にある所まで来てほしい」「やっぱ普通にナンパじゃねぇか!」
即座に飛ぶは至極真っ当なツッコミ一本。それでも兄は両腕をバッと広げてなにやら必至に訴え始める。
「違う! ただ俺たちはこのカレーの意匠を取り入れたファッションの素晴らしさを世に知らしめたいだけだ!」
「動機自体もおかしいけど、そもそもオレ要るかそれ!?」
「要るんだよ! うちの大学のファッション研究会で『このファッションが道行く女をターメリック色に染める……!』って宣言してしまった以上、成功例が必要なんだ!」
「それオレに変な風評被害がかかりかねないっつうかどんだけカレー大好きなのお前ら! ほんとにオレの推測外れてる!?」
兄ひとりだけでも頭を抱えたくなるのに、横から弟までもが援護射撃に加わってきた。
「だから芸人風情と一緒にすんじゃねぇ! こっちはマジでやってんだよ!」
「え、嘘ぉ」
思わず素に返ってしまう衝撃の真実。だけど炊きたてライスのように熱々な弟はオレの反応を意にも介さず、なぜかオレの荷物――メモリアル展で手に入れたグッズが入ってる紙袋――をビシッと指差してきた。
「俺知ってんだぜ! てめぇそれ鬼面バスターのなんとか展のグッズなんだろ! テメェみたいな女子高生にはどう見ても不釣り合いのなぁ!」
「あ゛?」「ひぃ」
こっちだってマジでやってるんだ、マジギレだってする。そもそもだな。存在が冗談みたいな奴らだったせいでつい多少の冗談にも付き合ってしまったけど、元々律儀にコントしてやる義理なんて無いんだ。
なんか弟も意外とビビリみたいだし、無視してさっさと逃げてやろうかと考え始めた時、
「だからなんでそういつも喧嘩腰なんだ。弟が何度もすまないな、だが俺たちはキミを馬鹿にしたいわけじゃない……」
兄がまた割り込み、その上でなにやら急にしおらしくなって語り始めた。
「むしろキミなら分かってくれると踏んだんだ。自分の好きな物が周りに理解されない苦しみを……ほんの少しだけでいい。大学も近いんだ、少し部室に顔を見せてくれるだけでいいから。頼まれてくれないか……」
「うっ……」
誘ってる。計算づくなのかそうでないのか、とにかくガンガンに同情を誘ってきてる。結局オレには関係無い話、無視するのが得策だと分かっていても『場合によっては』がどうにもチラつく。チラついて、つい口にしてしまった。
「そ、そんな近いんですか……?」
「ああ――車で大体20分くらいのとこだ」
「普通に遠いじゃねぇかやっぱ無理!」
「な、なんでだ近いだろ! 今日は厳しいが平日は飛ばせば10分くらいだぞ!」
「18歳未満舐めんな、せめてチャリ換算してから出直してこい! ってか知らん男と車乗るとかその時点で女子高生として無理!」
「なっ、このアマぱっと見チョロそうなくせしてなんてごく普通の正論吐きやがる!」
「誰がチョロそうだいい加減ゴミ箱に廃棄処分すんぞ紅しょうがヘッド!!」
「ひぃ! な、なぁやっぱ止めようぜ兄貴。なんか口調荒いし実は過去にここら一帯をシメてる不良だったとかそんな設定あるかもしんないよこいつ……」
このご時世でこの口調ならオレが元男なことくらいピンと来そうなもんだけど、無駄に想像力豊かだなこいつ。その想像力ゆえにライス弟は目に見えるほどの弱腰に……と思いきやカレー兄がその肩をがしりと掴み、スパイシーでHOTな瞳を弟に向けおった。
「弱気になるな、俺たちにはもう時間が無いんだ! ゆえに最終手段を使うぞ! あれならイケるはずだ!」
「はっ……アレだな。分かったぜ兄貴!」
「えっ、なになに!?」
前がカレーで後ろがライスで。
目測2、3メートル程度の距離を取りつつ、オレを挟み込む形で前後に立ったカレー兄弟。オレの正面で「フフフ」と不敵に兄が笑った。
「ま、まさか……力づくで連れて行こうってのか!?」
「馬鹿野郎! そんなことしてもし問題になったら大学の単位とかに響くかもしんないだろ!」
「じゃなんなんだよむしろよぉ!」
「知りたいのならば教えてやろう! これぞ秘策『インドフォーメーション』!」
「は、え、なに、インド? インドって言ったか今?」
あまりにも堂々と宣言されたけど控えめに言って意味が分からない。インドに失礼なことだけはこの上なく分かったけど。
オレの困惑に答えて、兄がいらん説明を始める。
「俺がルーやスパイスの効能などを、そして弟が美味しい米の炊き方を前後から同時に囁くことで総合的にカレーの素晴らしさを説くそして引いてはこのファッションへの好感度を上げるのだ! さぁキミをターメリック色に染めてやろう……!」
「頭から決め台詞に至るまで意味が分かんなかったけど、なんていうか本当にいいのかそれで!? さも当然のように言ってるけど、カレー好きとお前らのセンスの悪さは別物だからな! つうかナチュラルにインド人に喧嘩売ってんじゃひぃぃぃなんか始まった!!」
インド人もドン引き、怒涛のハーモニック・カレートークが逃げる間もなく前後から襲いかかってきた。それもただの地声じゃない、練習に練習を重ねたことが伺えてしまう演劇調の美声がじっくりことこと脳へと染み渡ってしまう。
そしてターメリックの嵐に晒されながら今更気づいた。こいつらSoco一の回し者でも芸人でもなくアレだ、兄貴系だ! 要するに人の話を聞かない変人だ!
それに気づいていれば良心なんぞドブに捨てて逃げていたけど、後に悔やむからこその後悔である。それよりも今はこの状況から脱しなければ、最初のすすぎは手早く終えるとかターメリックには美肌効果もあるとかうわぁ微妙に使えそうなムダ知識がいつの間にか頭の中にー!
「あ、そうだ。普通に逃げればいいじゃん」
そう開き直ってちょっと移動してみるも。
「くそっ、こいつら常に一定の距離を保ってきやがる!」
どうにかしないと、このままでは明日から美少女カレー博士になってしまう! だけど無駄に気になるカレー知識とこれまた無駄に息のあった、そう正にライスとカレーの組み合わせがごとく隙の無い包囲網のせいで逃げるに逃げられない。
だけど米を水に30分浸漬させていよいよ炊くところまで話が進んだ時、そしてスパイスを使った初心者でも出来る手作りカレーの作り方講座が始まった時、ようやくひとつの影がオレの前に飛び込んできた。
「梓茶さん、どうしたの!?」
「草太!」
ゴミ捨てから――本人いわくだけど――戻ってきた草太は、オレを守る形で兄の前に立ちふさがった。突然現れた見知らぬ眼鏡に、当然カレー兄弟も動揺を見せる。まずは訝しむ声が後ろから飛んできた。
「なんだてめぇ……はっ、まさかこいつのか、彼氏か!?」「「へぁ!?」」
ふたり揃って、変な悲鳴と一緒に背後の弟へと振り返ってしまった。とりあえず否定しなきゃ、否定するべき? だってとりあえず違うし。半ば反射的な行動だった。
「ななな」どもりつつ、急いで反論しようと口を開いて、
「なに言って」「そんなわけ無いじゃないですか恐れ多い!!」
横から台詞を掻っ攫われた。
「……」
行き場を失った焦りがモヤモヤに変わる。なにが恐れ多いのかは知らないけど、それよりもなんだろう……そこまできっぱり否定されると、
「むぅー……」
なにやらみょーに腹が立つわけだ。
「え、梓茶さん?」
「かはぁ!」前から「ごはぁ!」後ろからなんか吐く音が聞こえた。
「まさかそのような初々しさを武器にしてくるとは、恐ろしいな高校生という生き物は!」
「いや言ってる意味が分からん」
当然の感想と共に振り返るとなぜか兄の方は血反吐でも吐いたあとのように、口を拭いながらふらついていた。
「梓茶さん、この人たち誰というかなに?」「一言で言えば変人」「えぇ……」
二言目を加えるならば『カレー狂い』だろうか。だけどそれは見たまんまなので省略。
ともかく草太もこの説明で理解したのだろう。引きつった頬と半目をふらつく兄へと向ける。だけど兄はそれを意にも介さず含み笑いを漏らしてみせる。
「ふっ……だが悲しいな少年。キミに個人的な恨みは『なんて羨ましい青春してるんだ』くらいしか無いが」
「なにが羨ましいのか知らんけどマジで個人的な恨みだな」
「べ、べ、べつにほんの欠片程度の嫉妬だがね!? とにかくこのインドフォーメーションに割り込んできたからにはその青春の傍らには常にカレーが」
「事情は分かりませんが!!」
突如響いた草太の大声。兄の語りを遮るほど、注目を一手に引き付けるほどの毅然とした態度に、なぜかドキリと心臓が跳ねる。オレ含む3人の注目を集めたまま、草太がはっきりと断言した。
「梓茶さんが嫌がってるのは分かるから。これ以上続けるのなら……僕もそれ相応の行動で臨みます」
だけどカレー兄弟から見れば年下の、それも威圧感の欠片も無い貧弱坊やただひとり。茶色ずくめのカレー野郎が草太の決意を鼻で笑った。
「おや、それ相応とはどういうことかな。見たところ腕に覚えは無さそうだが。まぁ万が一暴力に訴え、俺に拳が向かったとしても、その隙に後ろで弟が110番を済ませるがな! このフォーメーションに死角は無い!」
後ろをちらっと見ればガラゲーを高らかに上げる弟の姿が。や、正しいといえば正しいんだけど。こう、情けなくならないのかな……。
だけど、動じないのはお互い様だったらしい。
「……つまり、止める気は無いんですね」
「無論、引く理由が無いからな」
「それじゃあ……」
聞いた草太は一度表情を隠すように俯いて。
「それを作ってあげます」
次に上げた面は、これまた初めて見た表情だった。薄く唇を伸ばした、いわゆるところの目が笑ってない笑顔。
「む? 一体なにを……そ、それはぁ!?」
兄が突如、驚愕した。へ、どゆこと?
オレも横から覗いてみる。「んなっ」思わず声を上げてしまった。それはいつの間にか、草太の手の中に仕込まれていた。
たまご型の黄色いボディにストラップがくっついた……正確にはストラップの先の小さいピンがボディにぷすりと刺さったそいつ。
例えば小学生、例えば女性。身を守る力に乏しく、危険も多い人々の安心を守るためのそれが今、よりにもよって需要の怪しいはずの男子高校生を守るために真価を発揮してしまう。
例えるならば手榴弾。ピンを抜けばボンと爆発。ただしそれの爆発は火薬ではなく――ピピピピピピピピ!!
音の爆発を周囲に拡散し、人の注意を一点に収束することでたちどころに変人奇人犯罪者その他諸々を撃退するその名も!
「「「ぼっ、防犯ブザァァァァ!?」」」
男子高校生の懐刀としてはあまりにも予想外。驚くオレたち、集まる人たち。
「なにあれ、なんかすごい鳴ってるけど」「ナンパ? カツアゲ?」「カレー推しの芸人か? あんなのいたっけ」「SoCo一の宣伝じゃない?」「なにあのセンス草生えるwww」
「や、止めろ……」「見るな……そんな目で俺たちを見るな!」
肩を寄せ合い震え合い。果たしてカレー兄弟は、たまらず捨て台詞を吐きながら走りだした。
「「そ……Soco一なんて本物のカレーじゃねぇぇぇ!」」
「美味しいと思うんだけどなぁ、Soco一」
逃げるその背に向かって的はずれな一言を呟きながら、ピンを挿し直して音を止めた草太。
じぃ~。
的はずれ。そう、今の状況にはあまりにも的はずれで呑気過ぎる。
なぜならカレー兄弟が消えた今、残った人たちの視線のほとんどがオレたちへと注がれていたからだ。
オレたちは神に誓っても変人じゃない。実際の視線もカレー兄弟を見るようなソレとは違う。違うけど……生ぬるいというか微笑ましげというか。とにかく見られてるだけでいやに顔が熱くなってくるような類の、というか実際熱くなってきて…………つまり今度は、オレの番だった。
「ば……馬鹿草太ぁぁぁ!!」
「え、ちょ……待ってよ梓茶さーん!」
脇目もふらない猛ダッシュ。人の目から逃げるためにあえて道を外れて林に飛び込み、ひときわ大きな木の根本に寄りかかったところでようやく腰を降ろした。
持っていた紙袋もドサリと落とす。「はぁ、はぁ」吐息が勝手に口から漏れた。
「こ、ここまで来たら誰もいないよな……」
いや、ひとりいた。追いついてきた草太もまた、息を切らして隣に立つ。
「はぁ、はぁ……びっくりしたぁ。急に走り去るんだから」
一体なにが面白いのかふにゃりと緩い笑みを向けてくる草太。しれっと隣に腰掛けて来やがったので、ここぞとばかりに大口を開けて文句を飛ばす。
「びっくりしたはこっちの台詞だ! ほんとなに考えてんのお前!?」
「え。えっと、梓茶さんの無事を」「無事じゃねぇよある意味大惨事だバーカバーカ! あーもうしばらくここ行きたくない……」
「え、梓茶さんって美術館そんな好きだったっけ?」
「そういう問題じゃねぇよ馬鹿! 馬鹿! ほんと馬鹿!」
こっちがいくら悪態をついても、あいつの笑みは全然崩れなくて。普段はよくテンパるくせに、なんであんだけ見られて恥ずかしがる気配すら無いのか。前々から思ってたけど、変なところで度胸があるというか……とにかく今はその余裕が腹立ってしゃあない。
「あのなぁ……普通あーいう登場の仕方しといて防犯ブザーはないだろ、男として。もー、絵面が情けなさすぎるわ」
「う。確かに情けなかったかもだけど……でも防犯ブザーは心強いよ。梓茶さんもしかして持ってない? なら、はいこれ。やっぱ女性は特に持っておいた方がいいよ。今日みたいなこともあるかもだし」
「お、おう。貰えるんならありがたく……ってそうじゃねぇよ!」
そうじゃないけど貰えるものは貰っておく。投げやり気味に紙袋へと放り込みつつ。
「あのカレー兄弟もそうだし、ほんとどいつもこいつも気が抜けるというか……」
思い返してみれば、あまりのアホらしさに頭を抱えてしまう。なんだインドフォーメーションって。なんだ防犯ブザーって。ふつうさー、もうちょっとこう、さー……。
「あはは……やっぱり、鬼面バスターみたいにかっこよくはいかないよねぇ」
なんて調子こいたことを抜かしおるんだこいつは。
「あったりまえだっつうの! お前が鬼面バスター気取るなんて100年早いわ!」
「うひゃあ! ごめん、ごめんって!」
腹立つあまり、草太の髪に手を突っ込んでわしゃわしゃとかき回す。お、わりと悪くないサラサラ感。これはいいストレス解消になりそうだと気づいた直後。
「でも」
あいつは髪を弄くられても未だに笑顔のままだった。そのいつもどおり、のほほんとした呑気な笑顔で。
「梓茶さんが無事だったし、今は情けなくてもいいかな」
その言葉も表情も、どうしようもなく草太らしくて。今日は色んな顔を見てきたけれどこの笑顔がきっと一番、
「……だから」
乱暴に、押し出すように手を離す。「わっ」倒れた眼鏡野郎のことなんかもう知らん。
「無事じゃねぇって、バーカ」
「ご、ごめん……」
謝り癖なんて無視だ無視。そっぽを向いて額に手を当てる。いつもよりもはっきりと、熱くなってる額に。
ああもう、本当に情けないやつ。ロマンスなんざ一欠片だって落ちてない。吊り橋効果すら期待できない。どこもかしこも当人の自己申告どおり情けなさ過ぎて。
だからもう、逃げ道なんてどこにも無かった。
こんな情けなくてもいいのか? どうもいいらしいぞ。ちゃちな理屈や意地で止められる段階はとうに過ぎていた。
心が勝手にオレの中の色んな物を現在進行形で天秤にかけて、挙句の果てに「草太ならいいか」って勝手に思っちゃってる。どうしようもない、本当にどうしようもなくて。
「はぁー……」ため息すら漏れてしまう。つまりそういうことだった。
本当にあの日の一目惚れなのか、それとも今までうっかり積み重ねてしまった思い出のせいか。今は分かりゃしないけどさ、
「自然体って決めたんだし。うん。大事なのは真っ直ぐなこと、だよなぁ」「へ?」
まぁそれに? ついでに言えば? 元は一目惚れだからちょろいとかなんとかって話で、そういう意味じゃまだ本当に一目惚れかどうか怪しいから、ギリギリちょろくはないとも言えなくもないし!? あのクソ兄姉どもに負けてなきゃもうそれでいい! よし全部解決、これですっきり!
いっぺん開き直ってみれば、重荷から開放されたように気持ちが軽くなってきた。この気持ちをどうするかはとりあえず置いといて、今はこの軽さを喜ぼう。
「わっしょーい!」「え」「あ」
そういえば草太の存在をすっかり忘れてた、当事者なのに。こいつから見ればひとりごとだの百面相だの、さぞ怪しかっただろう。
「え、えーっと……?」
まるで見てはいけない物でも見てしまったかのよう。困惑の表情が視界に映る。
昔のオレだったらこんな時どうしていただろうか。なんにせよ、少なくとも今のオレはさっきまでのオレとは違う。
変に意地を張ることなく、目を背けることもなく。草太がかっこいいって褒めてくれた真っ直ぐな自分でこいつと向き合えるのだから。
「ん? や、そんな心配しなくてもいいよ。ただオレってお前のこと好きなんだなって気づいただけで」
ピシリと世界が固まった。
続いて、草太の顔が真っ赤になった。
間違いなく、オレの顔も真っ赤になった。
「待って、違う。いや違わないんだけど違うんだって」
いや確かに真っ直ぐだけど、そういうのじゃないだろオレ。もう無理向き合えない。馬鹿か、馬鹿だ。散々草太に馬鹿馬鹿言ったけど、人に馬鹿って言うやつが馬鹿だった。
「さすがに今のはないから。リテイク、リテイクくれ」なに言ってるのオレ。「り、り、り、リテイクは無理です!!」なに言ってるのお前!?
逃げる間もなくがしりと両肩を掴まれて。つい顔を上げてしまったその先に。真っ赤な顔が、眼鏡の奥でくわっと大きく見開かれた瞳があった。
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、僕も!」「ほ、ほへ!?」
そういやカレー兄弟のせいでうやむやになってたけど、草太もオレのこと意識している疑惑があった。あったけど! いくらなんだって急過ぎる、心の準備もなにもかもまだ「す!!!」ひぃ!
強烈な声と視線がガツンとオレにぶち当たって、思考が全部吹っ飛んで。それでも目だけは逸らせない。涙なのか、はたまた目眩か。草太の姿がゆらゆら揺れる。
そうして見つめ合うこと1秒、2秒、3秒……4秒目。
「きぃ、でぇ……」草太の首がかくんと落ちた。
斜め下へと顔を伏せ、ふにゃふにゃへにゃへにゃ情けない声を漏らし始める。
「あのぉ、えっとぉ、そのぉ……好きっていうのは恋愛的な意味っていうか……き、きっかけはあの坂道でぇ……」
とうとう肩から手を離して。
「あ、でもその前まではさっき話した通り純粋に尊敬してた! ん、です、けど、あの時から、それだけじゃなくなってぇ……」
しまいには両手で顔を覆いだした。なんで告白した男が乙女みたいなリアクションしてんだふざけんなよマジで。ふざけんなよマジで!
「もぉぉぉ……嘘だろお前、今完全にアタックチャンスだったじゃん……」
一度ならず二度までも。
情けなさすぎる醜態を見せられてしまえば、最早背を向けるしかあるまい。
「だってこういうの初めてで、あぅ……」
「あう、じゃねぇよあうじゃ。告白されるのなんて初めてなのにさぁ……」
背を向けて、膝を抱えて。顔を見られないよう膝に顔を埋めるしかあるまい。
「ごめんなさいぃ……」
謝ったくらいじゃ許してやんない。オレに自覚させてしまったことは絶対に許してやんない。
一度目は自分をごまかせたけど、二度目はもう無理だ。負けたよ姉貴、認めるよ兄貴、ああもう。くそぅ……。
「と、ところでこれからどうしたら」「うっさい! しばらくそこで反省してろ!」
「はいごめんなさい! あの、でもそれっていつまで……」
「知るか、バーカ!」
その一言が最後だった。もうオレには草太の言葉なんて無視して、ただひたすらにうずくまり続けるしか選択肢が無かった。
だって言ってもしょうがない、これは時しか解決できないんだから。それに絶対言えるはずもない。
――だらしなく緩んでしまったこの頬が元に戻るまで、なんて。