第20話 動かない時間
「そうだったんだ……。ごめんなさい」
ポコリンは、しゅんとして頭を下げた。
前の過去で、愛美がポコリンを追っていた、という話をしたところだ。
「ううん、いいんだ。僕もちゃんと伝えてなかったから」
「本当にごめん。わたし、やっぱり愛美さんに見られていたんだね」
「うん。でも、原因は分かったんだから、またやり直せばいいだけだろう?」
「また……」
ポコリンは弱々しく呟いてから、もう一度謝る。
「本当にごめんね」
「いや、僕が無意識で悪い方向に考えていたのもよくなかったと思うよ。ごめんな」
互いにぺこぺこ頭を下げ合って、二人は今回の失敗にため息をこぼした。
あれから結局、愛美は見つからず、火事の起きた時間になってしまったのだ。
もはや、タイムマシンへ向かうしかなかった。
「そろそろ、行こうか」
「うん。また戻らないと行けないもんね」
再び長い吐息をつく。
ところが、タイムマシンに戻ると、さらに二人の気落ちする現実が待っていた。
点検を終わらせたあと、ポコリンは眉を寄せて口を開いた。
「拓さん、最初に謝っておく。ごめんなさい」
「な、何だよ、その言い方。何も分からないうちに、そんなふうに謝らないでよ」
それなりに、明るい口調にしたつもり。けれど、ポコリンの表情は冴えない。
「謝らなくて済めばいいんだけど」
「……何?」
恐る恐る尋ねる。すると、ポコリンはぽつりと言った。
「帰れなくなっちゃったんだ」
「え?」
「タイムマシン、エネルギー切れ」
「ええっ、まさか動かないとか?」
「うん、動かない」
拓は急に喉がからからに乾いた気がした。
エネルギーがなくなって、タイムマシンが動かない、とは。
昔観た古い映画のことが脳裏をよぎる。
タイムマシンで過去へ行き、未来に戻るのに必要な電力がその過去では得られない。時計台に登って、雷を利用して……。
まさか、それと同じように、エネルギーがなくなってしまって、過去で得る方法が見つからなかったら。
帰れない。
声を絞り出すように、拓はやっと言った。
「そんな……僕はいいけど、ポコリンは未来に……」
その言葉を聞いた途端、ポコリンは声を上げて笑い出した。
「いやだ。動かないって言っても、ずっとじゃないってば。えーとね、エネルギー源については教えられないんだけど、タイムマシンのなかで作れるから大丈夫だよ」
電力を得るための自家発電装置のようなものがあるという。
「ただ、作っている間は、しばらく動かせないんだよ。ちょっと待っててもらわなきゃいけないんだけど、いい?」
「なんだ、そういうことか」
拓はほっとして安請け合いした。
「ちょっとくらい待ってるよ」
しかし、実際に動かせるようになるまでに、一時間以上この過去の時間で待つ必要があると判明した。二人とも何もすることがない。何かをして、この過去に影響を及ぼすわけにもいかない。
仕方なく、二人は自転車置き場の隅に座り込む。
どこからか、ピアノの音が響いてきた。同じ曲を何度か弾いているようだが、リズミカルに進んだかと思うとつかえて、やり直している。誰かが練習しているらしい。
そういえば、愛美が小学生のころピアノ教室に通っていた、と話してくれたことがあった。
愛美は、幼稚園の年長にピアノを習い始めたものの、なかなか上手にならなかった。飽きっぽい妹が数ヶ月で英会話教室やダンス、スイミングスクールでそれなりに成果を出しているのとはまるで違っていた。
同じころから習い始めた子はいつの間にか上達していて、発表会も堂々と難しい曲を弾いていく。
「わたしって、何をやっても不器用で、要領も悪いから。ピアノはお母さんに続けるように言われて頑張ってきたつもりだけど、結局は人に比べたらこんなものなのかと思っていたの。それが、小四の秋にね……」
クラス単位での合唱コンクールの予定があり、担任の先生がこう話した。
「ピアノを弾ける子のなかで、伴奏を一人選んでほしいのですが。自薦推薦どちらでも構いません。何人かいれば話し合いで決めてくださいね」
ピアノを習っている子は何人かいたけれど、たまたま四年生のそのクラスでは、あまり長く習っている子がいなかった。一番できるのは愛美かもしれなかった。
自分で手を上げることは恥ずかしくてできない。でも、誰かが選んでくれるかも。
そう思ったら、心臓がどきどきと跳ね上がった。時間にしたら、ほんのわずかに過ぎなかったけれど。緊張の高まったそのとき、後ろの席の女の子が手を上げる。
「先生、それだったら、奥田さんがいいと思います」
「そうそう。奥田さん、得意だよね」
「ああ、奥田さんでいいんじゃない?」
続いて賛同する声が響いた。
「ええっ、まだこのクラスのこともよく知らないのに、いいの?」
奥田さんが驚いたように声を上げたが、そのなかに喜びが入り交じっているのは誰にでも分かることだった。
「そんなこと、いいよ。できる子にやってもらえるのが一番いいでしょ」
「だけど、わたし、ピアノ習って三年くらいよ」
「そんなの関係ないよ。本当に上手だもん」
それを聞いていた10歳の愛美はひどく落ち込んだ。
「奥田さんって、夏休みに引っ越してきたばかりの子だったの。わたしはまだその子のことをよく知らなかったけど、仲良くしている子はピアノが得意なのをもう知っていて、推薦したんだよね。わたしは五年間習ってきて、初めて選んでもらえるチャンスがあったと思っちゃった。でも、転校生の奥田さんのほうがずっと上手だったのよ」
「それは残念だったね」
月並みな言葉しか出てこなかったけれど、拓はなるべく気持ちを込めた。
「うん。でもね、わたしって、いつも選ばれないほうの人間なのかなって思う」
「え?」
「小さいころから、何をするときも両親は妹を先にさせていたの。わたしはお姉ちゃんだから、それが当然かと子どものときは思っていたんだけど。でもね、わたしは決して両親から最初に選んでもらえないんだって、思うようになったの。やっぱりピアノも一緒だったんだなって」
愛美は自分に自信がないままだったのだ。心の奥に、それが凝り固まってしまっているように見える。
いつも最初には選ばれない、と。一番に必要とされていない、と感じていたのだろう。
家族の間であっても、ピアノひとつとっても……。
「ねぇ、黙ったままじゃつまんない。何か話そうよ」
考えているところを、ポコリンの声にさえぎられ、拓ははっとする。
ポコリンと二人で、自転車置き場にまだ座り込んでいるところだった。
そのあとは、愛美とのことをあれこれ尋ねられて、疲弊してしまう。
「なかなか会えないって言ってたけど、普段はどこで会うの?」
「だから、最近は愛美の部屋で晩ご飯を食べるくらいだよ。愛美がひとり暮らしになる前だって、たいして遊びに行ったりしてないよ。休みが違うから、夕方から会うことが多かったし」
「夕方からだと、ご飯以外はどこが空いてるのかな」
「図書館」
うっかり答えてしまう。
「え、図書館?」
ポコリンは目を丸くしてびっくりしている。まあ、自分がポコリンの立場だったら、やはり驚くだろう。
「この辺の公共図書館って、日によっては夜9時くらいまでやっているんだ。二人でよく図書館に行ってるよ。お互い本が好きだから、自分の好きな本をそれぞれ眺めて……」
「それって……デートなの?」
「そのつもりだけど」
心なしか拓は俯いてしまう。





