第三六話:悲劇は重なる
飛び掛かってきたオオカミ型の魔物を、フェレスは銃剣で切り刻む。
ヴォールクと呼ばれるEランク指定の魔物だった。漆色の毛並みが特徴的な魔物で、それは長い舌もろとも銃剣に体を上下に裂かれ、フェレスの左右に分かれて飛び落ちた。
ヴォールクの死体が体に当たりそうになり、三珠は身を翻し、寸断されたオオカミの肉を避けた。
フェレスたちが訪れたのは、第3層の商業区画にある広場だったが、既に人影はなく、露店で威勢のいい男の声も聞こえなければ、店員として客寄せをする女もおらず、フェレスたちの前に立ちふさがるのは、魔物ばかりである。安全な場所に避難した者もいれば、誘導中に殺された者もいるかもしれない。
三珠の服を買いに来た時の喧騒は消え失せている。彼女が同行者になってまだ数日しか経っていないのに、もう随分と長い間旅をしているみたいだ。
それもこれも、元の世界が嫌な事ばかりだったと嘆いていた少女が、この世界と向き合って戦う意志で選び取り、妙々たる急成長を遂げていて、過去から逃げる少女から未来に立ち向かう少女へ、だんだんと心変わりしてきたからだろう。
「フェレスさん、上!」
三珠が上空へ手を掲げると、壊れた民家の上から飛び掛かってきたヴォールクの体内に、高重力物質を作り上げ、オオカミの体を内側へと握り潰す。
三珠が魔法を使ったということは、魔導書との契約が切れていない証明だ。前契約者が健在であり、魔導書の力を十分に引き出せないバラドにならば、フェレスも勝機があるだろう。
しかし危ないところだった。徐々に成長していく三珠に気をとられ、周囲の警戒が疎かになっていたとは、親馬鹿ならぬ弟子馬鹿だ。フェレスは気を取り直し、オロス第3層を歩き進む。
と、見知った巨漢が両手に片手斧を携え、ヴォールク5体と対峙していた。
武器屋の主人であるガウスだ。彼は飛び掛かってきたヴォールクをものともせずに薙ぎ払い、2本の片手斧はオオカミの首を落とし、腹を引き裂いて、瞬く間に5体の魔物を蹴散らしてしまった。
地面に転がったヴァールクの遺体を一瞥し、ガウスはフェレスに気づく。
「ん? ……フェレス、戻ったのか……」
「ああ、今さっき飛空艇でな。しかし、流石はエレーミナ大陸の西側で狩猟団の頭領をやっていた〝悪鬼〟様だな。瞬殺じゃないか」
「その名で……呼ぶな。昔の……話だ」
寡黙なオーク族の男は、サングラスを光らせて言う。
狩猟団とは、都市に属さない放浪者が小規模の移動集落をつくり、組織化して非合法的な仕事を請け負ったり、旅人を襲って身ぐるみをはいだりと、山賊まがいの活動をする犯罪集団のことだった。
人間社会に溶け込めなかった悪霊種や獣人種が構成員が多く、たまに落ちぶれた名家の人間も所属していたりもする。
エレーミア大陸の西部には300年くらい昔、〝星屑の傭兵団〟という名の大規模狩猟団がおり、その首領を務めていたのが、ガウリウス・ローチェルマンというオーク族の若者だった。
彼はその鬼神のような戦いぶりから、〝悪鬼〟として手配書が回っていた。
組織規模の拡大をした狩猟団は恐れられ、当時の共和国大統領が討伐礼を下し、共和国軍と狩猟団の大規模内戦は勃発する。
その時に仲介屋への徴兵依頼も殺到し、フェレスも義勇兵として当時は少佐だったゲイルズの副官になり、狩猟団の討伐に当たった。
屍累々とした戦乱で、いい気分はしなかったのを覚えている。
若頭のガウリウスは、まだ現役だったゲイルズ少佐と互角の一騎打ちを繰り広げたが、フェレスの姑息な横槍により、戦士気質の高いオーク族にとって、戦場の華ともいえるサシの勝負を汚され、ガウリウスはゲイルズ少佐に敗北する。
初めはフェレスの外道な生き方につばを吐き、「殺せ」と懇願したガウリウスだったが、彼の戦士としての生き様に感服したゲイルズ少佐によって命を救われ、ドワーフ族に伝わる鍛冶の技術を学ぶことになった。
年を取る過程で世の中の見識が広がり、今のガウリウス――武器屋のガウスは、フェレスの在り方を容認してくれたのだ。
フェレスとガウスが過去に浸っていると、不意に3匹の巨大な黒犬が倒壊した家屋の屋根を飛び移り、彼らを囲うように包囲する。
「こいつらは――バーゲスト!」
バーゲスト、あるいはブラックドックと呼ばれるその黒犬は、低いうめき声を上げて、牙をむき出した口から唾液を垂らす。
バーゲストの全長は5メートル前後、つやつやの黒い毛並みが特徴的なBランク指定の魔物である。悪意そのものを身に宿した不吉を象徴とする魔物であり、ヴォールクが成長した姿だという説もある。きわめて獰猛な黒犬だった。
「ふん……敵か。フェレス……これを、持って行け……」
3匹の猛犬の前に立ちはだかり、バレットベルトを投げ捨てたガウスは、フェレスに6属性分の魔術弾を渡した。さっさと銃剣の弾薬を補充し、「先に行け」というのだろう。
黒犬の相手は自分に任せろ、と。
ガウスは腕の立つ武器商人だ。彼がそうそう負けるとは思えない。
フェレスは「ガウスさんはどうするの?」と聞きたそうな三珠の手を引き、彼の実力を全面的に信頼して、この場を預けることにした。
ガウスは遠ざかる2人の背中を眺め、
「オーク族は……戦いの中で生き、戦いの中で死ぬ……来るがいい雑魚ども、貴様らに……冥土の土産をくれてやろう……」
片手斧を両手に下げるオーク族の戦士は、額や腕、全身の血管を浮き上がらせて、「グルルル」と呻く黒犬たちの元へと歩き出す。
◇
第1層のスラムストリートを走る抜けたピスカとリーシャは、無事に孤児院の前までたどり着く。
道中には魔物に食われる老人や、惨殺された痩せこけた家族の姿も目についたが、2人は唇を噛みしめて、目を覆いたくなるような最下層の地獄絵図に耐え抜いた。魔物の数は多かったが、ゲイルズとフェレスの予想通り、弱い魔物が多かったから、難なく突破できたのだ。
仲介屋の会員たちが整備した遊具にあふれた孤児院の中庭は、魔物に襲撃されたオロス内にしては異様なくらいに静けさだった。
風に揺れるブランコの不快な音が、ギイギイと2人の鼓膜に語りかけた。
と、その刹那――
「いやああああああああああああああああああああああ!!」
孤児院の中から悲鳴が響く。
ピスカとリーシャは顔を合わせ、焦燥感にかられたように足を動かし、孤児院の中へ突入し、狭い通路を走りぬけて、家族の団欒を過ごした食堂に入り込む。
すると、前髪で顔を隠したシルキリアが立っていて、肉が溶けただれるような泥に人形が、尻餅をついて怯える片翼の少女に、じりじりと歩み寄っていた。
「マザー! アイナ!」
声を上げたピスカは肉の泥人形に襲われるアイナを守るために、彼女へと走り寄る。肉人形は血のようになった溶けた肉を、ぼとぼとと床に落とし、ピスカの姿を溶け落ちる肉が遮る視界に映し、ゆっくりと手を伸ばす。
肉人形の体はぼこぼこと波打つように揺れ動き、腕から伸び出した肉の触手が、ピスカとアイナを串刺しにしようと進む。
危険を察知したリーシャがいち早く幻術の短剣を作り上げ、アイナを守るように抱きかかえ、体を強張らせたピスカの前に立つ。
そして一刀、肉人形が放った触手を切断する。
「うん、だめ。やめて、リーシャお姉ちゃん。皆を、いじめないで」
涙を流すアイナが顔を上げ、リーシャに頼み込む。
何事かと思ったリーシャだったが、しかし彼女はすぐに悟ることになった。
『いだい、いだいよお……ピスカお姉ぢゃ~ん!』
そう泣き叫んだ肉人形の声は、ピスカとリーシャが見知った少女のものだった。
「まさか……エリシア、なの?」
ピスカの顔が絶望に歪む。肉をこぼれ落とす人形は確かに、ピスカの最愛の妹の声を上げたのだ。
それだけじゃない、揺れ動いた肉人形は3つの頭を作り上げ、触手を切断したリーシャに訴えかける。
『どうじで、リージャ~。ぼぐを……おでを、いじめるの~』
声を上げたのは2つの少年の顔だった。ヘルゼとクリオク、1日保育士をしたリーシャが、2人の顔を見間違うはずがない。
『ぐええ、おごお……いやあああああああああ!!』
3つの声を混ざり合わせて苦しみ悶える肉人形の表面に、呪詛を埋め込まれたような赤黒いう紋様が這う。それは孤児院の少年少女が生贄に捧げられた証明だった。
どろどろ肉人形の表面で脈動する3つの心臓に、3つの脳みその欠片、デタラメにつなぎ合わされた腸が、肉人形の皮膚のように絡み合う。
ぽろりぽろりと結晶の欠片が、少年少女の願いの欠片が、肉人形から零れ落ちては床の上で光り輝いた。
「どういう、ことですか? マザー、答えてください!」
ピスカの悲痛な叫びが、孤児院内に響き渡る。
認めたくはなかった、自分の妹たちが無残な姿になっていることを。
信じたくはなかった、我が子同然の子供たちが死んだのに、育て親は何も言ってくれなくて、もしかすればこの惨劇の首謀者であるかもしれないことを。
しかしシルキリアは壊れた人形のような顔をして、まるで母親の慈しみをもつように微笑むのだ。
「この子たちはね、救われたのよ? もう苦しむ必要はなくなったの」
「はあ!? あんた、何言ってんのよ! あんたは、3人を殺したんじゃん!」
「本当にそうかしら? ねえ、あなたたち――今、苦しい?」
シルキルアは優しく、まるで狂ったように優しく、魔物を呼び寄せるための生贄となり、肉人形と化した子供たちに問いかける。
しかし肉人形は否定して――
『ううん、そんなことないよ。マザー、ワタシたちねキモチイイのー』
『あはは、ふわふわする。あはははははははははははは」
『オレの傷、治った。治ったあ』
3つの首は三者三様の言葉を述べ、にょきにょきと伸ばした触手で、シルキリアの頬に体液を付けて撫でまわす。お腹のあたりがむかむかして、胃液を戻しそうな光景だった。
何故、こんなことになったのだろう。何がいけなかったのか。ピスカは現実を直視できなくなり、しかし胸元にある末妹の温かさを感じ取って、胸を締め付ける痛みに耐える。
「エリシアが私に届けてくれた手紙ね、立ち退きを迫るものだったの」
「そんな! 私の仕送りも、教会からの支援金だってあったはずです!」
「それだけじゃね、足りなかったのよ。もう数年前になるけど、孤児院のオーナーになっていた財閥の経営がね、私の雇い主だった社長の急病で悪化してしまったの。そのせいで、孤児院の土地が裏組織に売られてしまった。これまでは、私もこっそりと娼館に勤めて何とか回していたけど、もう限界だったの」
「待ってください! そんな話、私は聞いていません!」
「言えるわけないでしょう? 孤児院を出て、ようやく心の傷が癒えてきたあなたに、とても相談なんてできなかった」
子供への愛と土地の買収人への恐怖が、そして売り物として女の尊厳を奪われた1人の女性を追い詰め、彼女は壊れてしまっていた。
「この子たち、何度もせがむのよ? お腹すいたって、ご飯足りないって! あれがほしい、これがほしい! もう、この孤児院にお金なんてないのに! もう、疲れちゃったのよ。だから私は、クルシュター助教様の誘いに乗って……」
心に溜まったストレスを爆発させた彼女は、とうとう泣き出してしまった。子供たちの肉人形はそれでも育ての母を心配し、伸ばした触手で彼女の涙を拭う。
『マザー、痛いの?』
『オレが、ボクが――マザーの騎士様になってあげるよ?』
死してなお無垢な子供である肉人形は、彼女が自分たちを手にかけたとしても、母を愛していたのだろう。歪んだ家族愛を見せつけられ、アイナがぎゅっとピスカの体を掴む手に力を込める。ピスカもまた義母を苦しみから救えなかった自分の無力さに苛まれ、「もっと早く気づいていれば」と悔やみ続ける。
『アイナも、ピスカお姉ちゃんもこっちに来て。一緒に、マザーを守ろう?』
肉人形のただれた肌が盛り上がり、それは無数の触手となってアイナを抱きかかえるピスカに迫り、リーシャは腰を屈めて短剣を振り抜いた。




