第三七話:首謀者の憂鬱
聖堂の礼拝堂に黒幕の男はいた。
女神像の前で貼り付けにした女司祭を見上げ、供え物を置く台座の上で魔導書を広げ、バートランド・クルシュターはほくそ笑む。
ここまでは計画通りにいった。順調にことが運ぶのは、やはり心地よいものだ。
「やれやれ、そろそろ観念して僕に協力してくれないかな?」
『スィアは、嫌いな人の言うこと聞かない。ますたーが迎えに来るもん』
「はあ、強制的にページを引き出すのも一苦労なんだけどね」
『んぐっ! うう……』
自分で片手を切り落とし、治癒呪術で無理矢理傷を塞いだ隻腕のメガネ男は剣を持ち、魔術で生み出した十字架にレナ司祭を拘束し、うう、と苦しげに呻く彼女の体と自分の左手を代償に、スィアの中にある魔法の知識を複写していく。
魔導書に記載された魔物を自在に扱うための秘術がほしいのだ。
心身に傷を負った孤児院の女を騙すのは簡単だった。自分が個人的な支援をすると約束してやれば、あの女はバートランドの誘いに乗り、栄養失調になりかけていた子供たちのことを指摘して、それを直す薬だと呪詛を含んだ薬を渡したのだが、人を疑うことを知らない馬鹿な奉仕人は、自分を信じて子供たちに薬を飲ませていた。
1人だけ頑なに薬を飲もうとしない娘がいたみたいだが、3人も人柱が確保できれば十分――今頃、変貌した子供たちの姿に心を病み、バートランドの計画を悟っただろうが、もはや彼女は間接的に主犯格の1人となり、後に引けなくなったはずだ。経営が傾いた財閥へ教会が支援金を出すと明言し、助祭としての立場を利用して、孤児院の土地の権利書を裏組織に横流しされたとも知らずに、人の良心とは実に滑稽だと爆笑できた。
しかし、子供たち魔物をおびき寄せる人柱に捧げさせたが、あの化け物どもが好き勝手に暴れるだけでは、彼の目的に到達しない。できるだけ被害の規模は大きく、犠牲者が多いに越したことはないのだ。
そのためにはバートランドが魔物の思考を制御し、怪物どもを統率して動かして、人々に恐怖を植え付けなければいけなかった。
が、彼の目論みは聖堂への侵入者のせいで、計画の遅れを余儀なくされる。
「バートランド・クルシュターーーーーーーーーーーーーー!!」
そう叫んだのはフェレスだった。
風と闇の魔術弾を複合した真っ黒なカマイタチが、バートランドに吹き荒ぶ。
彼は防御魔術を展開し、そのカマイタチを受け切った。
「まったく、しつこい男だね。もう戻って来るなんて」
「生憎と俺は執念深いんだよ。レナを解放しろ!」
銃剣を刃先をバートランドに向け、フェレスは威嚇する。
やれやれ、と魔導書が手中にあるからなのか、バートランドは余裕たっぷりに首を振り、フェレスを蔑むように見る。しかし確実の息の根を止めたはずの少女が、フェレスに同伴してきたことで、バートランドは焦ることになった。
「バラドさん、スィアを返してもらうよ?」
「馬鹿な、どうして君が生きてる! 僕はあの時、確実に殺したはずだ!」
「スィアのおかげかな? ゾンビみたいに生き返れたの」
「ぐう、忌々しい女だね。三珠君は――」
怒りを押し殺すように、バートランドは魔導書を睨むが、スィアは打って変わり、三珠の無事を喜ぶ。
『ますたー、ますたー!』
「うん、そうだよ。スィア、すぐに助けてあげるからね」
魔導書に微笑んだ三珠の姿に、癇癪をおこしたバートランドは、その十字架に憤りを拘束したレナ司祭にぶつけた。
「もううんざりだ。レナ君の知り合いには、面倒な人間が多すぎる」
バートランドは犬歯で親指の皮膚に傷をつけ、レナ司祭を拘束する魔術式の十字架に触れると、彼女の皮膚に赤黒い紋様がミミズのように這い、全身を呪術の供物へと変換された。
「が、あああ」と獣のような叫び声をあげ、レナ司祭は拘束されたまま背中を仰け反り、がくがくと全身の小刻みに痙攣させると、急に咳き込み始め、大量に血をまるで嘔吐するかのように吐き出して、彼女の瞳は生気を失った。
あっけないものだった。人間の器は簡単に壊れてしまう。
バートランドは狂気を孕んだ笑みを浮かべ、左足首から徐々に灰化が始まったレナ司祭を見上げ、顔を覆うようにして仰け反った。
「あははは、もう終わりなのかい? 散々僕に命令してきた女が、この程度で壊れるなんてね。まあ、才能は僕の方があったわけで、女だっていうお情けで司祭になった奴なんて、高が知れているか」
「せ……せい……」
「なんだい、まだまだいけそうじゃないか? ほら、追加だ」
「――くっ! ああ、あ……あああああああああああああ!」
体を乱暴に動かすレナ司祭の瞳からは赤い涙が流れ落ち、必死に拘束から逃れようとする手首と足首はうっ血し、そして灰化した左足がぼとりと礼拝堂の床に落ち、粉々に砕け散って白い灰となる。
「バラドさん、もうやめて! そのままじゃ、レナさんが死んじゃう!」
「んん? 何を言っているんだい、三珠君? 僕は、殺そうとしてるんだよ?」
「当たり前のことを聞かなくてもいいだろ?」と悪びれる様子もなく、メガネを直すバートランドに、三珠は二の句が告げられない。
人はここまで変わってしまうものなのか――いや、目の前にいる狂人こそが、彼本来の姿であることを認めたくはなかった。バートランドにだって良心はあると、三珠はどこかで期待していたのだろう。
一緒に旅をして、ご飯だって一緒に食べて、そんな人が仲間意識の欠片もない利己主義者だったなんて、たった数日だったけれど、三珠が彼に寄せた信頼は嘘で塗り固められたごっこ遊びだったと、そう吐き捨てられたみたいで、心の底から押し寄せてくるどす黒い感情が、裏切者の男を叱責していた。
と、突然――本当に突然に、レナ司祭の苦しむ声がぴたりと止んだ。
まるで脳が焼切られたみたいに、だらんと十字架に垂れ下がるレナ司祭に、命を感じ取ることはできなくなった。
「あれ?」と首を傾げて、あろうことか、バートランドは片手剣でレナ司祭の腹を突き刺し、そしてぐりぐりとはらわたを穿り出すように剣を動かしたが、彼女の反応がないことに気づき、退屈そうに剣を引き抜いた。レナ司祭の腹部から飛び散った血を避け、じんわりと純白の司祭服が赤く染まっていくのを見て、ぽけーとした顔で腕の力を抜く。
かつて仕えていた女司祭に、バートランドが何をしたかったのかがわからない。
それよりも、人はこんなにもあっさり死んでしまうのだろうか。レナ司祭は恩師の男に遺言を伝える間もなく、部下だった男に弄ばれるだけ弄ばれて、命を落としてしまったのだ。
フェレスも三珠も言葉を失う。まるで夢を見てるようにぼんやりする。
だが、次のバートランドの発言で現実に引き戻された。
「ごめんね、フェレス君。やりすぎちゃったみたいだ」
てへっ、と軽く誤魔化すみたいに、バートランドはフェレスに謝る。
冗談じゃない、自分の大切な教え子を殺しておいて、「でも仕方ないよね」と軽々しく流すような言動をするな。ふざけている、こんな男にレナ司祭の命は、彼女の頑張りは踏みにじられたというのか。
もはや、フェレスはバートランドを知人だとも思いたくない。
闇と火、風の魔術弾を2発ずつシリンダーに入れ、
「バートランドおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
血管が噴き出しそうなくらいに怒り狂い、フェレスは冷静さを失い、ただ目の前の男の死を望んだ。
しかし、フェレスが銃剣の引き金を引く前に、バートランドへの射撃を阻止したのが三珠である。彼女は気づいていたのだ。
狡猾なバートランドはフェレスを煽り、反射系の魔法を展開していたことに――
「フェレスさん、落ち着いて! まだ、レナさんを救う方法はあるから!」
「――なっ! 本当なのか?」
「うん、だから私の援護をお願い」
「……わかった。俺らしくなかったよ、三珠に任せるぞ」
三珠に小声で囁かれ、フェレスは一呼吸おいてクールダウンし、彼女の作戦にのることにした。
フェレスは刀身の位置を礼拝堂の長椅子に向け、そして銃剣の引き金を引き、展開された魔法陣は割れ砕け、黒い炎をまとった弾丸が石造りの長椅子を打ち砕く。
破壊された長椅子の石片が、バートランドへと飛び散った。
「――なっ! 拝読第11項、アダナクラシー・リフレクシオ」
黒炎の弾丸を受けることは期待していたバートランドは意表をつかれ、飛散する石片から身を守るように、スィアから反射魔法の知識を引き出すが、視界を遮るように飛ぶ石つぶてを前方へと逃がしただけで、フェレスに黒炎の弾丸を跳ね返すことができなかった。それこそフェレスの計画通りである。
フェレスは三珠に流し目で合図を送り、
「今だ、走れ!」
バートランドの隙をついて、三珠は女神像の下にある台座に固定された魔導書の元へ、全力で走り抜ける。
「――くっ! させるか!」
すかさず、バートランドは無数の光の矢を上空に展開し、三珠の動きを止めるべく速射するが、しかし光の矢は少女を射抜く前に白い花弁の盾に阻まれ、彼女の疾走を妨害することは叶わなかった。
バートランドの動きに注意していたフェレスが、彼の妨害工作に備え、三珠を守るように対策をとっていたからだ。
「この、非才の凡人が! 邪魔をするな、フェレス=エディーダあ!!」
激怒したバートランドは、フェレスの防御を上回る数の光剣を一斉掃射し、三珠ではなくフェレスを狙った。我ながら、人の嫌がることをする天才だと思う。
冷静さを欠いたバートランドは、怒りに任せてフェレスを先に討とうとしてくれたのだ。
「悪いが、俺の方は時間稼ぎがしたかっただけなんでね」
フェレスは水と地、光の魔術弾を2発ずつ銃剣のシリンダーに装填し、地面へ向けて発砲。高硬度の障壁を張りめぐらせ、そしてバートランドの放った光剣を全て受け止め、光剣と障壁は互いに対消滅した。
一方、バートランドがフェレスに気を取られている間に、スィアの設置された台座に到達した三珠は、魔導書を包み込む結界を手の爪や皮をはがしながら、強引にこじ開けようとしてする。
結界の放つ稲光のような現象に接触し、皮のはがれる痛みに歯を噛みしめて耐え、血の筋をあたりに撒き散らしながら、それでも一度死んだときよりは痛くないと、結界の奥へ奥へと指を押し込んでいく。
『ますたー! スィアもね、頑張るね!』
苦痛に歪む三珠の顔に見て、魔浄書は自力で結界の拘束に抵抗し、スィアから溢れ出る光粒が少女の指に触れ、ついに結界は破られた。
魔導書に握りしめた三珠はすぐに詠唱を開始し、
「朗読第72項、スパティウム・ス・ヴァンデルン」
「――ぐっ、――くそ!」
バートランドは転じて、光剣を三珠の方に飛ばすが、彼女とそしてレナ司祭の遺体は白い光に包まれ、光剣は虚空を貫き、獲物を逃がした。
空間と空間を接続して移動する転移魔法は、目標座標をフェレスの後方に設定し、三珠は息絶えたレナ司祭を抱きかかえ、フェレスの後ろに現れた。
ちょうど防衛しやすい位置だ。フェレスは心意気なく、銃剣の引き金を引く。
シリンダーに装填されていたのは炎と風属性の魔術弾、それは渦を巻く業炎を放ち、聖堂にある女神像を中央から撃ち抜いて崩落させ、バートランドの頭上に瓦礫が降り注ぐ。
教団関係者からすれば罰当たりな行動と批判されるかもしれないが、緊急事態ではあったし、崇拝される女神も文句はないだろう。
何と言っても、フェレスは神の加護を受けた英雄ではなく、おぞましき悪魔の一端なのだから――
「三珠、何分だ? 何分でレナを救える?」
「んっと、5分くらいはほしいかな? 復活魔法の工程には時間がかかるし、こんな争いの場で、集中を維持するのも難しいから」
「わかった、5分だな。それ以上は待てないぞ」
フェレスは崩落した女神像の瓦礫の山に銃剣の刀身を向ける。
瓦礫の欠片が動き、その中から這い出てきたバートランドは、防護バングルの効力を失って頭から血の流し、割れたメガネのレンズを反射させると、フェレスを憎しみのこもった眼差しで睨む。
バートランドが呪術の生贄のために切断した片腕は、彼の憎悪の感情に当てられ、真っ黒な霧に変化して黒い片腕を再生する。
「もう限界だ、君は楽に殺さないよ。フェレス君にも見せてあげよう、僕が魔導書に接続して得た叡智の一部を!」
バートランドの黒腕がどす黒い光を放ち始め、それは知識の実を食らった真っ黒な蛇の牙と化し、フェレスへと襲いかかる。




