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#077 男山八幡会盟

 松の如く、乱世に枝葉を広げた英傑がいた。

 今、その男は山の頂から張り出す主郭、その縁に佇んでいる。

 その姿はまるで、崖に生えた一本松の様にも見えた。


 男は後ろ手に腕を組み、眼下に広がる戦場を俯瞰していた。

 忘れられぬ景色を楽しむかの様に。

 その背後には大勢の侍達が身分の差を弁えるかの様に頭を垂れ、腰を下ろしている。

 そんな彼らは一廉の武将なのだろう、身に纏う具足は見るからに煌びやかであった。

 男は視線を外に向けたまま、口を開いた。


「尾張の虎が天子様の勅使……ですか。流石の私も想像だにできませんでした」


 僅かな喜色が声に混じっていた。


「うっかり手を出したら最後、骨まで貪り喰われるとか。……では」

「久秀、それでもやはり、私が参りましょう。虎穴に入らずんは虎子を得ず、と申しますから」

「されど、父上!」


 声を荒げたのは一際煌びやかな戦装束を身に纏った若武者。


「義興……」


 男の嫡男であった。

 二年程前、彼は父親から家督を継いだ。

 以来、幾度も大きな戦を経験し、その都度三好の棟梁として見事に振舞った。

 しかし、彼は感じていた、未だ父に及ばぬ、と。

 故に、如何に和議の為とは言え、三好の実質的な支配者であり父でもある三好長慶を男山八幡に行かせたくない、と思うのは当然のことであった。


「なに、心配は無用です。家督は既にお前が継いでいますから。私に何があっても問題はありません」

「そうは申されますが!」

「それに……」

「それに?」

「私はちょっとした用事を済ませるついでに、虎の顔を一見してくるだけです」


 男はそう言って目を細め、薄く笑った。




  ◇




 永禄五年(西暦一五六二年)九月五日。

 俺が今いる男山八幡宮、現代で言うところの石清水八幡宮は古来より淀川を含めた幾つかの河川が流れ、交わる、水運の要衝であった。

 加えて、京の都における裏鬼門を守護する役割を担っていた。

 その所為か、山の麓にある門前町は都ほどではないが賑やいでいたらしい。


 残念ながら、その景色は今では見られない。

 何故か?

 男山を中心に万の軍勢が周囲を取り囲んだ所為だ。

 結果、門前町の住人は戦火に巻き込まれるのを恐れ、近くの山やら河原へ我先に逃げ出したのである。

 それもその筈、南北朝争乱の折に男山一帯は戦場となり、多くの犠牲を生み出したからだ。

 忘れ去られるには日の浅い、歴史的事実であった。


 男山の周囲を覆う軍勢、その旗を大別すると数は三つの集団に分けられた。

 一つは三好を表す三階菱に釘抜、一千程。

 今一つは六角を表す隅立て四つ目と畠山を表す小紋村濃、それもまた合わせて一千であろうか。

 そして最後の一つが俺こと織田信行が率いている事を表す織田木瓜であった。

 数は三千……の他に、やや離れた後方に七千程が控えている。

 無いとは思うが、三好と六角勢が手を結ぶという最悪の事態を恐れたからである。

 それらとは別に、境内には二つ引き両。

 足利家の家紋が無数に旗めいていた。


 そんな中、俺は男山八幡宮にいる。

 それも天子様の勅使として。

 未だに争い続ける三好と畠山・六角勢との間を取り持ち、和睦を果たす為にだ。

 昨年に続き二年連続で半年近くに及ぶ争乱、その所為で畿内の流通に支障を来し、いよいよ朝廷の台所事情が厳しくなったからであった。


 無論、この場に俺が至るまでには紆余曲折があり、簡単ではなかったがな。

 例を挙げるならば、公方様が勅使となる俺に難癖を付けたり、俺に下賜された官位に疑問を呈したからだ。

 更には各勢力から、何で当主が敵地に足を踏み入れなきゃならんの? などなど。

 当然だな。

 俺だったら願い下げだ。

 もっとも、それらは朝廷の遣わした僧らが上手く執りなしたらしい。

 こうして男山八幡宮に各勢力の首魁が顔を付き合わせる事が叶ったのだから。


(将軍の顔を立てる意味もあって……だがな)


 そして、俺はいよいよ戦国時代における英傑達と対面する時を迎えた。

 勅使である俺が、歌舞伎で言う所の真打として本殿に足を踏み入れたのだ。

 途端に元から張り詰めた空気が更に張り詰め、俺を襲った。

 と同時に、俺の名が本殿の奥から呼ばれた。

 勅使の参上を告げたのだ。

 着物の擦れた音が一斉に響き渡る。

 幾人もの侍達が頭を垂れた所為であった。

 俺は思わず口元が緩みそうになるのを、懸命に堪える。

 その上で、


「織田信行である。苦しゅうない、面を上げよ」


 と口にした。

 刹那、正面最前列に座る若侍から尋常じゃない気配が吹き出した。


(な、何!?)


 肩衣に印された家紋は二つ引き両。


「く、公方様!? 御気を鎮められたし!」

(公方だと!?)


 征夷大将軍足利義輝、その人である。

 彼の近習なのだろう、一人の侍が後ろから体を伸ばし、公方様の右腕を慌てて掴んだ。

 伸ばした右手の先には太刀が置かれていた。


(血気盛ん、若さ故にか……と言っても俺こと信行とは同年代らしいのだが)


 にもかかわらず、俺とは異なり髭を蓄えていた。

 型は古風な? 天神髭。

 血走った目は鋭く、鍛え抜かれた腕は太く逞しく。

 剣豪将軍の異名は伊達ではなさそうである。


(大概の歴史ゲームや小説では序盤で退場するか、既に退場した後と言う、悲しい宿命を背負わされたキャラクターだったがな)


 俺から見て公方様の左隣に座る二人の壮年が、


「お初にお目に掛かる、某は六角承禎」

「右に同じく、畠山高政でござる」


 であった。

 前者は僧体をしてはいるが弓馬の達人である。

 後者はいかにも戦国大名らしい、立派な身形をしているが、厳しい顔をしていた。

 内政に問題を抱えている所為だろうか?

 そもそも、それが昨年から続く三好と畠山・六角勢が戦端を開いた原因であった。


 そして、最後の一人が、


「三好長慶と申します」


 俗に言う、日の本の副王、と呼ばれるほどの権勢を誇る、摂津国を拠点として畿内に大きく枝葉を広げた戦国大名であった。

 彼は意外な事に、色白の顔に朗らかな微笑みを浮かべていた。


(戦とか好まなそうなんだが……影武者じゃないよな?)


 細く伸びた眼はこの緊迫した場を楽しんでいるかに見えた。

 しかし、奥から垣間見える眼光は公方様に負けず劣らず鋭い。

 油断ならぬ相手だと、俺の全身の毛という毛が逆立ち、警鐘を鳴らしていた。


 さて、以上の面々が揃った上で、唯の出来星大名である俺が、


「天子様はお嘆きあそばされている。互いに兵を引かれよ」


 と、朝廷の威光のままに命じたところで話が立ち所に纏まる筈もなく。

 最後の詰めとなる話し合いをこれから行う必要があった。

 ところがである、それが中々容易な事ではなかったのだ。

 その理由を語る前に、俺が知り得た畿内の歴史をまずは述べよう。


 そもそもだが、三好長慶の父である三好元長は細川晴元の臣下であった。

 だが、力を付け過ぎた三好元長。

 彼は主君細川晴元に唆された同族の手により、粛清される。

 更には畿内にあった所領を没収されたのであった。

 この当時、三好長慶は九つであったらしい。

 彼は四国の阿波に下り、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、細川晴元に従い続けた。

 そして遂に、細川氏綱、畠山氏、遊佐氏との幾つかの激戦に勝利し、自らの力を誇示した彼は「横領された所領を返して欲しい」と主である細川晴元に満を持して請うたのだ。

 しかし、願いは叶えられなかった。

 そこで三好長慶は致し方なく細川晴元の同族であり、幾度となく戦った相手である筈の細川氏綱を担ぎ上げ、下克上を果たしたのである。

 その際、時の征夷大将軍足利義晴は足利義輝となる菊童丸と細川晴元と共に、近江は朽木谷に落ち延びたのであった。

 以来、三好長慶は管領細川氏綱を傀儡とし、権勢を欲しいままに操り、十年以上渡って幕府の実権を握り続け、我が世の春を謳歌し続けたのである。

 最盛期の版図は摂津を拠点とし山城、丹波、和泉、阿波、淡路、讃岐、播磨に及んだ。

 経済規模を考えるに、日の本一の戦国大名、となったのだ。


 だが、盛者必衰の理を表すが如く、三好の権勢に陰りが見え始めた。

 その一つが、一旦は河内国を河内国守護代であった安見直政による策謀の所為で国外追放された畠山高政の件である。

 追放された畠山高政を三好長慶が支援し再び河内国の守護につけ、安見直政を逆に追放したのだが、あろう事か畠山高政は自らを追放した安見直政を三好長慶の断りもなく再び守護代に任じたのであった。

 更には細川晴元と和睦した直後、普門寺城に幽閉した事が新たな問題を生んだ。

 細川晴元を支援していた六角氏が三好に対して戦端を開いたのである。

 これにはどうやら、公方様も絡んでいるらしいのだがな。

 ある意味、三好包囲網、だな。


 そして、更なる問題が起きる。

 それは幽閉していた細川晴元が何者か? に連れ出された事であった……

 それどころか、何時の間にか尾張国那古野にいると世に知れ渡った。

 さて、これに困ったのが六角氏であった。

 戦う大義を失ったからだ。

 のみならず、予想外に続く三好との戦。

 誼を通じた織田から糧食が届けられるも、決して安くはなかった。


 それは畠山勢も同様であった。

 六角氏から糧食を得られるも、非常に高値であったからだ。


(六角氏が尾張から仕入れた糧食に高額な仲介手数料を上乗せしている所為だがな)


 無論、三好においてもそれは変わらない。

 尾張から積み出され、堺に卸された米は足元を見た商人によって高値で摑まされていたからだ。

 戦により淀川の水運が滞っている、と言う理由でな。


 その様な訳で、畿内に回っていた銭が尾張に大量に流れ込む反面、淀川を使う水運が干上がった京の都は困窮を極める事になった。

 俺の許に勅使の役目が回ってきたのも、ある意味”自業自得”であったのだ。

 尤も、話が来た直後に、糧食を融通するのは止めたのだがな。

 結果、兵を戦場に止め置けなくなった両者は日に日に国許に兵を帰している。

 それはまるで、互いに示し合わせているかの様であった。


(長年戦いあった同士の、阿吽の呼吸、ってやつかな?)


 でだ、残る問題は河内国、大和国の領有権の所在、何処で線引きするか、と守護代の問題だけである筈なのだが、


(正直、河内国は南北で折半、大和国においては多聞山城等を手放す事で話が付いている。河内国における守護代の任命は南北それぞれで勝手にして下さい。三好も飯盛山近辺から兵を引き上げてくれればそれで良い、と言ってるんで)


 何故か問題をややこしくする人が一人いた。

 それが、


「此度の争乱は三好、畠山、六角にその非がある。その者らは不戦に加え、山城国への不入不可侵を今この場で誓え」


 公方様こと足利義輝であった。


(……いや、急に不可侵条約を結べと言われても。正直、そんな物を持ち出さなくとも、どの勢力もこれ以上戦を続けたいとは思っていないんだがなぁ)


 俺は仕方なく、一時の休憩を挟む事にした。




 休憩の間、俺は何も考えず境内に設けられた陣幕で横になり、うたた寝しつつ旅の疲れを癒していた……などと言うことはない。

 俺は自ら出向き、各陣幕を訪れる事にしたのだ。

 何故か? 会合参加者のコンセンサスを得る為にだ。

 互いに膝を突き合わせ、アジェンダを整理し直す。

 そして、新たに明確となったアジェンダを基に、公方様の思惑を練り込む。

 結果、俺はこの会合を成功に導いた立役者となるだろう。


(つまりはアジェンダ男山八幡宮だな! ……アジェンダ……使うほど、馬鹿に見える不思議)


 まず最初に訪れたのは畠山・六角陣営であった。


(誼を通じている。彼らの方が幾分腹を割った話をし易いだろうしな)


 俺は彼らと現状を確認し、話の落とし所を詰めた。

 その後、次の訪問先に俺が選んだのは三好陣営であった。


「これはこれは。勅使様にわざわざご足労頂かなくとも、呼ばれれば私が参りましたのに」

「いえ、流石にそれは”最初の戦国天下人”、もしくは”日の本の副王”と呼ばれる三好長慶殿には失礼ですからな」

(あとは……恍惚の人? いや、あれは違うか……)


 すると、三好長慶は微笑みを浮かべつつ、


「ほう? 一体誰がその様な事を?」


 糸目の奥から鋭利な視線を送ってきた。


(だ、誰って……現代……人!? って言えねー)

「な、那古野の下々でござる。み、三好長慶殿の高名は不破関の東にまでも鳴り渡っておりますれば」

「左様でしたか。きっと、織田殿と比べて三好は無様だ、とお笑いでしょう。お恥ずかしい限りです」


 三好長慶の涼やかな言葉とは裏腹に、残暑の所為だろうか、俺の背中を滝の如く汗が流れ落ちていった。


「どうされましたか?」

「……いえ、な、何でもございませぬ」


 三好長慶は俺の顔をずいっと覗き込んでから、薄く笑う。

 まるで、体の内側まで見透かしたかの様な顔。

 俺の全身が粟立つのを覚えた。


(なっ! なんだ? 初めて清洲城の評定の間に上がり、信長と相対した時以来の重圧を感じる! こ、これが本物の天下人!?)


 俺の顔は著しく青くなっていただろう。

 だが、三好長慶は俺の変化を一顧だにせず、続けて問い掛ける。


「時に、何やらお話があったのではありませんか?」

「……え!? あ、ああ……。公方様の挙げられた事にございまする。山城国に三好、畠山、六角の手勢を入れぬと約せ、と。三好長慶殿は如何お考えでござろう?」

「はい、手勢……となりますと広義においては、私から家督を継いだ義興や、家臣の久秀が含まれるかと思われます。しかし、彼らは幕府要職に就いております。果たして、その者らと我らの兵を使わずに御政道が立ち行きますでしょうか? それが一つ目の疑問としてあります」

「他には?」

「二つ目と致しましては……これは織田殿を前にして口にし辛いのですが……」

「構いませぬ。何なりとお申し下され」

「では……何故、織田殿の名が挙がらぬのでしょうか?」


 刹那、陣幕内の空気が一変した。


(お、俺が、公方様と結託していると思われているのか!?)


 瞬く間に空気が張り詰め、幕を支える支柱が軋み始めた。

 堪らず、護衛として俺の背後に控えていた前田利益が腰に下げた刀に手を伸ばした。

 が、俺は手を伸ばす事でそれを制した。


「信行様!」

「構わぬ、利益! そこに控えておれ!」

「久秀、織田殿もおっしゃられています。腰から手を離しなさい」

(ん? 久秀?)


 気になった俺は呼ばれた男をチラリと見る。

 そこには馬の様に大きな目を持ち、綺麗に整えられたカイゼル髭を蓄えた、白髪混じりの侍がいた。


(ほう、これがあの〝日本三大梟雄〟の一角……か)


 俺は思わず、その侍から目を離せないでいた。

 俺が憧れる北条早雲や蝮こと斎藤道三と並び称される英傑、その一人が目の前にいたのだから。


(松永久秀……)


 黒色で纏められた装束を身につけ、まるで英国における執事にも見える男は、


「御意!」


 と答えるや否や、低頭したまま後ろに下がった。


「……織田殿?」

「……ああ、いや、これは失礼仕った」

「では、先程の問いに答えて頂きましょうか?」

「さて……答えるのは吝かではござらぬ。が、某の言葉を信じられますかな?」


 三好長慶は微笑みで答えた。


「なればお答えしまするが、公方様と我ら織田には何一つ約定はございませぬ。織田の名が挙がらぬのは領地が接しておらぬからではないかと愚考しておりまする」


 嘘偽りの無い俺の答えは、


「………………真のようですね」


 暫しの間を空けた後、すんなりと受け入れられた。

 空気が一変して和やかになる。


(ふぅー)

「では、公方様の御心に心当たりはありませんか?」

「寧ろ、某の方がお聞きしたい。三好殿は公方様と付き合いが長うござろう?」


 すると、三好長慶は寂し気に笑った。


「残念ながら、この長慶めは公方様に疎んじられております」

(随分と激しく遣り合ったらしいからな)

「故に、皆目検討もついておりません。先程も申させて頂きましたが、我ら三好衆がいなければ、政が為すに人手が足りなくなるのは必定なのですが……」

「伝を頼り、賄える様になったのではありませぬか?」


 だが、三好長慶は首を横に振る。

 その理由は、


「伝を頼り人を雇うにも、幕府には、足利家にはその元手がありません」


 であったからだ。


「それ程迄に?」

「三好はこの久秀一人を出している訳ではないのです。彼の手足となる者、その者の手足となる者、そのまた手足、数え上げれば切りがありません。それ程の人手が必要となるのですから」

「でしょうな。ですが、その問題は解決したのやも知れませぬぞ?」

(何せ、美濃大垣から西へ、随分と金が動いたらしいからな。これは那古野銀行からの情報だから確実だ)

「ほう? その様な話は初耳です」

「何分噂なれば真偽不確か。手の者を遣わし、調べてみるが宜しかろう。そも戦時中の話し故、目の行き届かぬ時があったと思われる」

「……確かに。そうさせて頂きましょう」


 金が有れば、銭が有れば侍を幾らでも雇える。

 それは俺自身が実践している事なのだから。


「しかし、それでもやはり、上手くは立ち行かぬでしょう」


 三好長慶の自信に満ちた声が陣幕内に響いた。


「私の息、三好義興に加え、この松永久秀に比肩し得る材がいるとは思えませんから」


 俺は、


「成る程……」


 と首肯するしかなかった。

 だが、俺はふと、一つの可能性に思い至る。

 そしてそれは自然と、口から零れ出たのであった。


「されど、代わり得る者が現れたなれば?」

「……将軍による親政、ですか。畿内にまた、赤い雨が降ることでしょう」


 三好長慶は悲しそうに笑う。

 はためく陣幕の音が俺の耳に強く残った。


「時に織田殿」


 三好長慶は何事も無かったかの様に、口を開いた。


「何でござろう?」

「細川晴元様を保護されたとか」


 細川晴元は前管領にして、三好長慶の元の主君でもあり、父の仇でもある。

 三好長慶の目が細く伸びた。


(あー、やっぱり拙かった? でも、あれは俺がと言うよりも……)

「家臣の飯尾定宗が堺を訪れた折、たまたま落ち延びた舅を見るに見かねて、と聞いておりまする」

「細川京兆家を担ぎ、京に上る気は無い、と言う事でしょうか?」

「元管領を掲げて?」


 俺は自らの言葉に思わず、声を出して笑った。


「何を……」

「いや、失礼。なれど、埒も無い事をおっしゃる三好殿がいけないのですぞ?」

「ふふふ。はてさて、どういう事でしょうか?」


 三好長慶が笑い返した。


「お戯れを。そもそも、尾張には三管領筆頭の血筋、武衛家の斯波義銀が残っておりまする。錦の御旗として掲げるなれば、その方が余程上等ではござらぬか?」

「確かに家柄だけを見ればそうでしょう。しかし、斯波氏は京を去って久しく、政を行えないでしょう。ですが、細川晴元様は違います」

「いえ、違いませぬな」

「はて? 随分はっきりと言い切りますが、どうしてでしょう?」

「細川晴元様は京に戻れぬからでござる。三好殿が畿内に居る限り、は」


 三好長慶の顔から色が消え去った。


「聞いておりまするぞ。細川晴元様の麾下におった者らを陰日向分け隔てなく扶助する、三好殿の臣がおられるそうですな」

「とあるお方が、此度の争乱を予想外に長引かせた所為ですよ。それに元は同じ旗の元に集った、言ってしまえば身内。見殺しに出来ず、致し方なくしたまでです」

「お優しい事で。とは言え、細川晴元様が戻れぬ状況となった事には変わりはありますまい。そしてその事実こそが、我らが細川晴元殿を担いで京に上れぬ証左、となり得ましょう。斯波が戻れぬのは言わずもがな、でござる」


 俺が言い終えると、三好長慶は再び首を伸ばし、俺の目をまじまじと覗き込んだ。

 その視線を、俺は落ち着いて受け止める。

 陣幕の翻る音はせず、鳥の囀りだけが辺りに響いた。


「………………全てを語った訳ではありませんね」

(ギクッ!?)

「ですが、真意はお話下さった通り、と分かりました。いいでしょう、この話に限り織田殿を信じます」

(ふぇぇ、良かった……)

「さて、そろそろ本題に入りましょうか」


 この後俺は、三好長慶に畠山高政・六角承禎と詰めた内容を語り、承諾を得るに至った。

 それに要した時間は思いの外、少なかった。

 三好の陣幕を後にして思うのは、商談を纏めたビジネスマンであれば足取りが軽やかになる筈、なのに意に反して重い。

 それは、俺がこの後向かう場所が男山八幡宮の書院、公方・足利義輝の居る場所であるからだ。


(剣豪将軍……か。史実では一万の軍勢相手に寡兵にもかかわらず、数時間抗ったらしいからなぁ。その際に使った太刀は鬼丸国綱。現世では皇室御物となる名刀中の名刀であり、天下五剣に数えられる一つでもある。それで切られたら、痛いだろうなぁ。……そもそも、勅使なのに切られるかな? ……切られるかもしれないなぁ、御内書無視してるし……。守護なんかにならないって公言してるし……。どう考えても、不敬だもんな。……利益、俺を守りきれるかなぁ)


 仕方のない事であった。

大変お待たせ致しました。

何とか連載を再開出来る次第となりました。

一月あまりの間色々と忙しかったのですが、ひとえに皆様のお陰です。

これからも何卒、よろしくお願いいたします。

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