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第14話 ふたりきりの雨宿り②



 委員のあとを付いて長い廊下を抜け、リビングに入る。


「散らかっててごめん」と彼女は言うけれど、何がどう散らかっているのか分からないぐらい片付いている。


「お茶とコーヒー、どっちがいい?」

「あ、じゃあ、コーヒーで……」


 俺は恐る恐る、ダイニングの椅子に腰を掛ける。

 てきぱきと台所で動きまわる委員のうしろ姿を眺めていた。


 ふと、ミレイと過ごした今朝のことを思い出す。

 遅めの朝食でコーヒーを嗜むミレイを見て、委員と結婚したらこんな感じに他愛もなく朝を過ごすんだろうと、そんなことを思ったのだ。


 まさか午後になって今度は本物の委員と過ごしてるなんて……。


「お砂糖、入れる?」

「あ、だ、大丈夫」


 少しして、こ洒落たティーカップに入れられたコーヒーが俺の前にことりと置かれた。


「ありがとう」

「ママのお気に入りのコーヒー。多分美味しいと思うよ」


 委員はそう言って向かいに座り、自分も同じようにコーヒーを飲んだ。

 一時、静寂が訪れる。心の動揺がバレてしまいそうな気がして、俺は何か話題はないかと必死に思考を巡らせる。


 窓の外では、まだ雷鳴が轟いていた。


「雷は……家のなかに、居れば平気なのか?」

「うん。怖いけど、家なら守られてるからね」

「そうか。それはそうだな」


 どうしてもぎこちなく喋ってしまう自分が居る。さっきまでの東屋にいる自分を召喚したい。

 リビングに委員とふたりきりというシチュエーションが、冷静な思考を奪ってしまっているのかもしれない。


「そういえば……」

 

 委員は首を傾げて俺を見る。


「親は、今いないのか?」

「今日は出かけてて夕方まで帰ってこないよ」


 白いクロスの壁に掛けられた時計は、午後2時を差していた。ということは早く見繕ってもあと2時間は帰ってこない訳か。

 そうやって計算している自分に気が付いて、寒気が立つほど恥ずかしくなって頭から振り落とした。


「……さっきさ、あそこで学校を見下ろしながら、昔の話したじゃない?」

「え? うん」

「私ね、実はあの当時、私立の中学校に行きたくなかったんだ」

「そうなの?」


 それは予想外の言葉だった。でも俯瞰して見れば、彼女は小学生だった。

 みんなが同じ中学に進学する中、自分だけが見知らぬ環境に行くなんて億劫になるに決まってる。


「私ね、受験のときにへまをして、だから絶対に受からないと思ってた。だから皆と同じ中学に行く気満々だったの」

「だけど受かってた」

「そう。落ちてるはずだったのに」

 

 俺はそれを、頭の良い人が使う謙遜だと解釈をした。


「だからね、実はあの日北山くんにその話をしているとき、内心はすっごい憂鬱だったんだ」

「そうは見えなかったよ。委員は頭の良い人だったから、私立に行って当然だと思ってた」

「頭なんて良くないよ。中学は落ちてるはずだったし、それに高校だって私受験失敗してるんだ」


 高校は失敗だったのか。

 だから私立に行った彼女と俺が同じ高校になれた訳だ。


「でも、こうして北山くんとまた会えたから、結果的には受験成功だったのかもね」


 肩をすくめて委員は笑う。

 俺は無意識に“勘違いするなよ”と暗示をかけていた。


「あ……そういえば北山くん」

「なんだ?」


 委員は変にかしこまって聞いた。


「まだ……塗り絵はやってるの?」

「塗り絵……」


 久しぶりにその言葉の響きを聞いた気がする。

 

「いや、最近はやってなかったかも」

「そうか、私、北山くんの塗り絵好きだったんだけどな」


 委員はわざとなのか本心なのか、残念そうに視線を落とした。


 俺は小学生の頃、ほぼ毎日塗り絵をして過ごしていた。

 クラブ活動に属していない、放課後に遊ぶ友達もいない、それから帰ったところで一緒に過ごす家族もいない。


 そんな俺がありついた暇をつぶす方法が塗り絵だったのだ。だから趣味なんていえる高貴なものではなかった。


「塗り絵が嫌になった訳ではないの?」

「全然嫌じゃないよ」

「え、じゃあ一緒にやろうよ。久しぶりにさ」


 彼女は「ちょっと待ってて」と言って、小走りで2階の自室にいった。

 色鉛筆などを取りに行ってるのかと思ったが、その割には、時間が掛かり過ぎている気がした。


 心配して様子を見に行こうか悩みはじめた頃、彼女は申し訳なさそうに色鉛筆とA4サイズの紙を何枚か持って下りてきた。


「遅くなってごめんね」


 彼女から紙を受け取ってみると、そこには先ほどの東屋から見下ろした景色が、まるで白黒写真のように、塗り絵の下絵となって印刷されていた。


「塗り絵メーカーを使ってみたの」

「塗り絵メーカー?」

「自分の撮った写真で塗り絵を作ってくれるんだよ」


 俺は手元にあるきめ細かい下絵を見下ろして、妙に自分がわくわくしはじめているのを感じた。

 挑戦してやりたい気持ちになった。それは例えばスポーツ選手がレベルの高い相手と闘いたくなる感情に近いものなのかもしれない。


「色鉛筆、貸してくれるかな」

「もちろんっ」


 委員は嬉しそうに笑って、それから色鉛筆を俺と委員の間に置く。

 早速俺は色鉛筆を吟味し、手に取って色を付け始めた。


 塗り絵を子どもの遊びだと思う人もいるだろう。

 しかし、意外とこれが奥深く、ひとつとして同じ作品は出来上がらない。


 線だけで作られた世界にどんな色を加えていくのか、写真のように忠実にしたいのか、絵画のように創りだしたいのか。

 その人が何を思うかによって、同じ題材とは思えないぐらい完成品が変わるのだ。


 俺が最後まで塗り終わって顔を上げると、委員はずっと言いたくて堪らなかったかのように言った。


「……すごい! ねえ、本当にすごいよ!」

「そうか?」

「そうだよ。本当、1枚の絵を見てるみたい」


 そう言われて改めて自分の塗り絵を見てみると、確かに久しぶりの割に、上手くいったように思える。


 雨雲の光と影がバランスよく作られ、モノクロの町模様も表現できている。


「ちょっと……上手くできたかも」


 みっともなく、俺は笑ってしまった。


「ね、ね、もっとやらない? 私もっと北山くんの塗り絵が見たい」

「……退屈にさせていいならやるよ」

「やった! そしたら私、また印刷してくる!」


 また彼女は幾つかの下絵を嬉しそうに持ってきて、俺は馬鹿正直にひとつずつ塗り絵を始めた。


 両手で頬杖をつきながらその様子を眺める委員。

 俺はひたすら紙に向かって集中し続ける。

 鉛筆が紙を擦る音だけが、2人きりのリビングで響く。


 満たされていた。

 俺がどうして委員のことを好きだったのか、今日改めてしっかり思い出したような気がした。


 彼女の笑顔の為なら、何枚でも全身全霊色鉛筆に力を込められる気がしたし、実際に俺は、まんまと2枚3枚と心血を注いで塗り絵を完成させていった。


 すべて塗り終える頃、もう時計の針は5時を回りそうだった。もう手首の筋肉は震え、肩は石のように凝っていた。


 それでもここ数年は感じていないような、爽快な疲労感と満足感が身を纏っていた。


「それじゃあ、また学校で」

「ねえ、やっぱり私も送ってくよ」


 玄関までついてきた委員は言った。


「いや、本当大丈夫だから」

「でも、私が付き合わせたのに悪いもん」

「別にいいって。家だって近いし」


 委員は申し訳なさそうな上目遣いをして、呟く。


「……本当に?」


 だから俺は堂々と言い放つ。


「本当に。じゃあ、またな」


 ドアを開けて外に出ると、すかさず委員は言った。


「ねえ、また一緒にやろうね?」

「……っ」


 俺は咄嗟に振り返る。


「……俺は全然」

「やった」


 委員は握りこぶしを作って喜び「楽しみにしてるから」と目を線にして笑った。


 ドアを静かに閉めて、俺は帰路に就く。

 空を見上げる。雨雲はいつの間にか通り過ぎていた。


 雨の匂いが残る町で、笑顔になるのを必死に堪えながら歩いた。




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