最終話
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王太子婚約者付きの騎士であるエリザベス・ガントニーは、目の前を歩く自身の主人を訝しげに見つめていた。
どこかおぼつかない足取りで進む少女――オリヴィア・フォックスは、二月ほど前に王太子婚約者に内定した少女であり、これがなかなかの曲者であった。
貴族育ちでありながら平民の生活をあこがれ、自ら志願して市井の役所で働いていたという。そして今では王太子に見初められ、未来の王妃というのは、まるで子供向けの物語のようだと思った。登城したての頃の奔放さは鳴りを潜め、今は落ち着いているように思う。忌諱していた社交も最近は精力的に行っているようだ。
その社交というのが、エリザベスを悩ませる要因であった。
ガントニー家は公爵を賜る歴史の長い一族であった。王太子アーサーとははとこの関係であり、幼き時分では候補者として挙がっていたが、エリザベスは模範的な令嬢ではなかった。
周りの反対を押しのけて彼女は憧れの騎士となって王族に仕えている。
その異端の人生が共鳴するのか、エリザベスはオリヴィアの初期の問題行動には、あまり強く言えないでいた。
今ではすっかりおさまってしまったオリヴィアに対しては、哀れとさえ思っている。
「……エリザベス、あなた、なんだか疲れていない?」
足を止めてオリヴィアが振り返ると、心配そうな瞳を向ける。
「いえ、そんなことは。体力には自信がある方で……」
「体ではなく心の方よ。ため息をついていたのに、自分では気づかなかった?」
思い当たらず、少しだけ困惑する。自分の事だけでなく、オリヴィアについてもだ。彼女は周囲の人間と壁を作るように過ごしていた。しかし、最近のところは、傍付きの人間にこうして声をかけるようになった。心を開いてくれたのだと思い、少し報われたような思いになる。
彼女の声かけは思いやりがあって評判がいい。そのおかげで、問題行動で地に落ちた評価も、少しばかりは回復していた。
「また、ご実家からの催促?」
「! どうして、それを……」
「同僚の方と前に話していたのを聞いてしまって、ごめんなさいね」
先日届いた手紙を思い出して気が重くなった。
騎士になったとしても、女としての性分を消せるわけでなく、将来はどうするのか、良縁はないのかと後ろ指を指されている。
「できることは少ないかもしれないけど、主人として助けられるように、相談に乗るわ」
「いえ、本当に問題ありません。ですが、お心遣い感謝します」
こうした悩みはどうしても同性に限ってしまう。心を砕いてくれたオリヴィアには助けられる思いだった。
「――……そうだわ、エリザベス。これをあげる」
そう言ってオリヴィアは、可愛らしい刺繍がされた手のひらほどの袋を渡してきた。
「匂い袋よ。東国からのお花が入っていて、気分が落ち着くの」
勧められるままに、袋を鼻に近づけて、少し吸い込む。
ふわりと華やかな香りがして、胸の奥にあったモヤが収まったような気がした。
「……気休めでもどうか役立てたら嬉しいわ」
オリヴィアは上品に微笑んで、次の外国語講習の場へ歩み始める。
エリザベスは香り袋を見つめて、ふっと零すように笑った。
子供だましの香りよりも、疎遠になっていた主人との交流の方が心が休まった気がしたからだ。和やかな気持ちのまま、エリザベスはその背を追いかけた。
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「王太子の婚約者さまって、毎日わがまま放題って本当なの?」
同じ洗濯係から付き合いのある侍女が、興味深そうに聞いてきたが、全くの不正解だとコリンナは首を傾げた。
コリンナ・フィーネリアは王太子の婚約者であるオリヴィア・フォックス付きの侍女であった。それまでは王宮の下働きで、誰かの専属になるというのは初めての事だった。
初対面のときが印象に残っていると、コリンナは思い出す。
一生懸命、練習した挨拶の後、オリヴィアが自分の家について質問してきたのだ。
「フィーネリアって、西の、養蜂が盛んな地域ではなかった?」
「はい! 王家御用達として献上しております!」
「本で読んだことがあったの。いつか、案内して頂戴ね、コリンナ」
田舎貴族と言われることもあった実家を、好意的に見てくれた素敵な御令嬢だなんて、心が奪われるに決まっている。
柔らかい微笑みを向けられて、見惚れてしまったのだ。
このときから、コリンナはオリヴィアにめっきり弱くなっていた。
オリヴィアに言いくるめられた侍女というのはコリンナのことであった。
しかしながら、最近、コリンナは少しだけ不満を抱えていた。
最近のオリヴィアはいつにも増して、周りの人間に優しくしている。貴族令嬢の間で話題になっている香り袋まで渡されるから、侍女たちは浮かれてしまっている。それがどうにも、コリンナは気に食わなかった。
オリヴィアの優しさを知っていたのに手の平を返すのが早くないだろうか。
匂い袋だって、わたしが一番最初に頂いたのに。
なんだかムカムカしてきて、コリンナはオリヴィアからもらった匂い袋を少し隠しながら吸い込んだ。
華やかな花の香りと少し香ばしい茶葉のような匂いが胸の内に溶けていく。ムカムカはなくなっていて、とても晴れやかな気分だった。
この香り袋は今流行っている物ではなく、オリヴィアがコリンナに特別だともらった物だった。肌身離さず持ち歩いていて、この香りがコリンナのお守りだった。
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宵闇の中、足音を顰めながら、男は部下に合図を出す。
男は、王立騎士団王太子直轄部隊の隊長であるヴェルナー・ルドルフ。彼は王太子アーサーの命を受け、王太子誕生パーティ三日前でありながら、このような外部任務に駆り出されていた。
任務というのは、国内では規制されている嗜好品の密輸の取り締まりであった。
東国の花である銀華という品種。花弁を使った葉巻が趣向品として存在しているが、球根は花弁と効能が異なり、強い多幸感や安心感を引き起こし、依存性が高い。球根の粉、または香によって、廃人と化した人間が増え、国は銀華の輸入を規制した。しかしながら、取引の噂は絶えず、国はこれを捜査していた。
富裕層向けの歓楽街、その奥まった場所にある会館が、合図によってその入り口を蹴り開けられる。
ふわりと煙が流れ込んできて、ヴェルナーは顔を顰めた。前もって準備していた布を口に当てて、一気に侵入する。
メインホールに三十名ほどの男女が歓談していた。一見すれば内々のパーティ。しかし、辺りに充満する煙が異常さを物語っていた。
「我々は王立騎士団! 王太子の命を受け、この懇親会を調査させてもらう!」
ヴェルナーの宣言により、貴族たちはその場に立ち竦み、部下たちは人から物まで調べ上げていく。
貴族たちが手にしていたのは銀華を使った葉巻だ。これは問題ないが、と、ヴェルナーが思案したとき、会場の隅がにわかに騒がしくなる。駆けつけると、騎士がひとりの男を取り押さえていた。
「ヴェルナーさん、こいつ、これを持って逃げようとしました」
「離せ、はなせよぉ!」
男は錯乱している。徴収したものは手のひらほどの香炉で、いかにも東国らしい見た目をしていた。中に入っていたのは、件の銀華の香だった。
「この場にいる全員を拘束! 主催者であるトゥーナ子爵を連れてこい!」
喚いたり悲鳴を上げながら貴族たちは移送されていき、この場には、ヴェルナーと部下数名、そして懇親会の主催であるトゥーナが残された。
トゥーナは拘束されたまま床に座らされて、呆然とした様子で俯いている。
「……なぜだ……どこから情報が漏れたんだ……」
「最近、一気に取引先を増やしただろう。金に目がくらんで、言論統制が取れてなかったんだろうな」
「……あぁ、手を引けばよかったのか……在庫が減ったあのときに……」
「数か月前にあった火事で銀華の痕跡が見つかったが、やはり、あそこにはおまえの倉庫だったのか……」
「隣の建物からの引火したのも……あのときから、私の運は尽きていたのだな……」
しかし、ヴェルナーは疑問を覚える。あの倉庫に銀華があったとしたら、火事に乗じて球根の粉が空気に交じって広まったはず。そうなれば、中毒症者が出てもおかしくなかったが、そんな報告はない。
「倉庫には見張りがいたのか? 球根の粉は持ち出して、事を大きくしないようにしたんだろう」
「……確かにいた。だが、水をかけて飛ばさないようにするので精一杯だったと言われた」
そんなはずはないと、ヴェルナーは顎に手を当てた。
トゥーナの言うとおりであれば、現場に球根の粉が残っていたはず。
つまり、その見張り番が、トゥーナに嘘をついているということだ。
そのことにトゥーナも思い至ったのか、わなわなと震えだし額に青筋を浮かばせた。
「――レオ! あいつ、この私に嘘を……!」
レオという仲間が、なぜ嘘の裏切りをしたのかはあずかり知らぬところだが、ヴェルナーは脱線していた話を戻そうと、冷静な口調で切り出す。
「銀華の広がりは上流階級まで来てる。あんたの爵位じゃ限りがあるにも、だ。……協力者がいるんだろう」
「そ、れは……」
「もうあんたは終わりなんだ。全部吐いて、罪を軽くした方がいい」
トゥーナは何度も口を開閉して、そしてついに、重々しく名前を出した。
「――……あぁ、やはり、そうか」
ヴェルナーはため息をつき、三日後にある誕生パーティを思案して、胃のあたりを摩った。
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思考していた意識を呼び覚まして、わたしはゆっくりと眼を開いた。耳のすぐそばで「できましたっ」と、はつらつとしたコリンナの声が入ってくる。
「お化粧おわりましたよ、オリヴィアさまっ」
「……ありがとう……とても素敵ね」
そうお礼を伝えると「オリヴィアさまが素敵なんですよぉ」なんて言っていってくるのだから、コリンナは本当に懐いてくれたと思う。おだてる言葉を受け流すように、わたしはなるべく柔らかく微笑んだ。
鏡の自分を覗き込むと、瞼に頬に唇に、色を差し込まれて華やかになった自分がいた。にこりと笑い、どんな印象を与えられるか確認しておく。
後ろには、今日のパーティで着るドレスが備えられていた。ペールイエローをベースに淡い青が差し込まれていて、誰をイメージしているかは一目瞭然だ。
「さあ、今度は髪を結いましょう! とびきり華やかにしますよぉ!」
コリンナの勢いに吞まれながら準備は着々と進んでいく。部屋の隅で待機していたエリザベスが同情した目でこちらを見つめていて、ちょっとだけ恨めしく思った。
今日は王太子アーサーの誕生パーティであり、予定ではここで婚約が発表されることになる。
わたしは胸に手を当てて深呼吸をした。扉の向こうはパーティ会場で、今まさにアーサーを待っており、入場しようとするところだった。
「――オリヴィア嬢、待たせたね」
「いいえ、殿下。……本日は一段と素敵でございますね」
笑顔を貼り付けて、形式的な褒め言葉を述べておく。ラスボスの登場だ。この男の最終的な決定によって、今後の全てが決まってしまう。
「オリヴィア嬢も。とても美しいよ」
「おそれいりますわ」
お互いに心意の読めない笑顔を見せあう。
アーサーの顔が耳元に近づき、
「ずいぶんと楽しませてくれたね」
ぽつりと平坦な声色でつぶやかれた。
周りの人間は色めいた視線を送ってくるが、全く見る目がないと思う。
「わたしができる最大限の悪足掻きです」
今度は心からの微笑みを向けると、アーサーは少しだけ見開いて、楽し気に口角を釣り上げる。
「……それじゃあ、行こうか」
アーサーはこちらに手を差し出す。これが最後だと願いながら、わたしはそっと掌をのせた。
「王太子殿下アーサー・エヴァン・ファナストレンさま、フォックス伯爵令嬢オリヴィア・フォックスさま、ご入場です!」
豪華で眩い光が、開けられた大きな扉から降り注いでくる。光も歓声もすべてはアーサーのためのもであり、わたし自身としては焼き尽くされそうな心地だ。
横目にアーサーを見ると、彼は光に臆することなく笑顔を絶やさないでいた。その光景は美しく、やはり彼と自分は違う存在なのだと確信させる。憎らしいけれど、それでも彼はこの国の太陽だ。
主賓としてアーサーは参加者たちと挨拶を交わす。付き添って微笑んでいれば、言葉にはしないけれど好奇に満ちた目を向けてきた。外堀を埋められる感じ、本当に苦手だ。
「連れまわしてすまなかったね。あとは休んでいて」
「はい、殿下」
一通りの挨拶が終わり、アーサーが気を回してくれて離れることができた。虚弱設定がまだ生きていることに、発案者ながら、律儀だな、なんて呆れてしまう。
会場の後ろの方に移動して、果実ジュースを一口飲みこんだ。エリザベスがやってきて、わたしの護衛兼壁をやってくれているから、話しかけられる心配もない。……どうしたものかと思案する。
そもそも、トゥーナ子爵が検挙されたことにより、パーティ前日には内定が取り消されるものだと予想していた。しかし、わたしは今、アーサーに連れまわされたわけで。実質的な婚約者の紹介が行われていた、と考えていいだろう。
(……だとしたら、次の手は……)
「――オリヴィアさま、よければこちらを」
目の前に差し出された軽食の乗った皿と、少し眉を下げて微笑むエリザベスを見比べて、わたしはぱちくりさせた。フルーツや一口ほどの料理が乗せられていて、胃が小さいと伝えていたことを思い出す。
「ありがとう、エリザベス。これなら食べられそうだわ」
実際のところは、虚弱体質を演じるためにわざと食事量を減らしていたのだが、最後まで貫き通すのがいいだろう。
リンゴを口に入れて租借しながら、それとなくエリザベスの様子を伺う。彼女は周囲を警戒しているが、それは客人だけでなく、会場の出入り口も含まれていた。もしかして、と思い、わたしは耳に近づいて質問する。
「……なにか心配事?」
「ああ、すみません。オリヴィアさまが気にすることでは」
「わたしは主賓の同伴者よ。客人のためにも、懸念事項は共有して頂戴」
エリザベスは少し考え込んで、わたしを壁際に手招いた。さらに、耳元でつぶやく。
「――……城内に侵入者が現れました。しかし、総動員で動いていますから、捕まるのも時間の問題化と」
「……そうなの。教えてくれてありがとう」
そう言ってわたしは、落ち着いた様子で微笑んだ。エリザベスも、動じないことに安心したのか、ほっとしたような表情をしている。
しかし、貼り付けた笑顔の奥で、わたしの心臓はドクドクと速まっていた。侵入者という言葉に、体が火照っていくのを感じる。もうすぐ、終わりが近づいているのだ。
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華やかな誕生パーティの会場に、似つかわしくない獣のような叫びが、突如として響き渡る。叫びをあげたのは貴族の男で、体を大きく振り回し暴れている。
アーサーの周りを騎士たちが囲うが、本人は指をくいっと動かし、直属の騎士であるヴェルナーに指示を出した。これは「ついてこい」というものであり、ヴェルナーは面倒ながら受け入れた。
アーサーたちが現場についたときには、騎士たちによって収束していて、安全確保のためにも、ぽっかりと空間が開いていた。
男――ゴーエル伯爵は、暴れた時とは打って変わって、俯き無気力な様子でぶつぶつと何かをつぶやいている。ヴェルナーがゴーエルに近づき耳を澄ませた。
「はな……はな……を……」
ヴェルナーは顔を顰めた。銀華の中毒者だとすぐに理解したのだろう。それと同時に、部下に対して布を持ってくるよう指示を出した。これ以上喋らせて場を混乱させないようにするためだ。今であれば、ただ酒に酔った人間に収めることができる。
しかし、
「はなをぉ! 花をくれえええええ!」
ゴーエルは再び叫びをあげた。
周りの貴族たちはゴーエルの声と狂気的な姿に震えていたが、「はな……?」と不安げに声を零していく。
ヴェルナーは最悪というように舌打ちした。
アーサーも、穏やかな雰囲気を潜ませ、冷ややかな目で状況を見ている。
「はやくこいつを連れていけ!」
ヴェルナーの掛け声によって連行されるが、ゴーエルが会場を出ても、会場のざわめきは収まらないどころか、どんどんと膨れ上がっていく。
普段は冷静なアーサーも内心苛立っていたが、仕方がないと割り切って、ある決断をした。
「ここにいる皆に、私から伝えたいことがある」
アーサーの凛とした言葉が、会場全体に響き渡る。ざわめきは徐々に波紋のように凪いでいき、人々は耳を澄ませ、彼に注目した。
「現在、フォナストレン王国は、東和国との交易において銀華の取引を規制している。しかしながら三日前、トゥーナ子爵を銀華の不正輸入の罪で検挙した。それほどまでに需要を抱えているのはなぜか。それは、銀華には多幸感を与えてくれると同時に依存性があるからだ」
アーサーは息を整え、ゆるりと辺りを見渡す。不安げな若い令息を見つけて、穏やかに微笑んだ。
「この中にも銀華の葉巻を好む方はいるはず。趣向品として、健康に気をつけながら使ってくれて構わない」
見える範囲でも、何人かがほっと息をついてた。
「――しかし、銀華の球根。これが毒物であることをどれほどの人間が知っているだろうか?」
千の舞台を経験したような揺らぎのない発声が響き、アーサーは関心を離さずにいた。
「危険性は、ゴーエル伯爵の様子の通りだ。強い依存性は人を狂わせ壊す。銀華の球根の粉の流通はトゥーナ子爵が大元であると判明したが……社交界に広めようとした子爵の協力者がこの場にいる」
再びざわめきが起きる。アーサーはようやくだ、というように、ある人物を見据え、指を指した。
「――オリヴィア・フォックス伯爵令嬢。きみが協力者だ」
探すまでもなく、か弱く儚げな印象の令嬢が、いつのまにか人だかりの最前にいた。指名されたことで、オリヴィアの周りにいた人間が逃げるように後ずさる。当の本人は、完璧な笑顔のまま佇んでいた。
オリヴィアは目を閉じてひとつ深呼吸をした後、
「……そうです。わたしが、トゥーナ子爵の支援をしましたわ」
困ったように、眉を下げて笑った。
「殿下、弁解をしても?」
「いいよ。きみの言い分はいくらでも」
アーサーは、オリヴィアが破滅的でないと予想していた。
「ありがとうございます。……トゥーナ子爵とは夜会で知り合いました。わたし、銀華を好んでおりまして、花で商いをする子爵を助けたいと思ったのです。ですから、交流の場が広まるよう夜会や茶会の案内を子爵に流しておりました」
「それで子爵よりの上の爵位であるゴーエル伯爵までのつながりができたということか」
「おそらく。ですが、子爵が悪行に手を染めていたことも、銀華の球根に危険性があることも知りませんでした。……申し訳ございません」
オリヴィアは深く頭を下げる。アーサーが近づいて、ぽんと肩に手を置いた。
「浅慮も、無知も、時には取り返しのつかないことに繋がる。よく理解したまえ」
「……はい」
「これはオリヴィア嬢に限ったことではない。皆も、よく思い留めるように。銀華の扱いについては追って王家より通達を出そう。以上だ」
アーサーはヴェルナーを使って音楽隊に指示を送る。舞踏の音楽が流れ始め、華やかな空気が始まろうとしていた。
「興が削がれたな。……そこの御令嬢、私と踊っていただけますか?」
近くにいた爵位の高い令嬢に、アーサーはダンスを申し込む。令嬢は驚き頬を染めていたが、実際のところ、この混乱した空気を戻すための機転に過ぎなかった。自分が踊れば周りも踊り出して、ひとまずこのトラブルは収束するだろう。
オリヴィアは、エリザベスとヴェルナー、他数名の騎士に連れられて会場を後にする。その背を横目に、アーサーは、伯爵令嬢オリヴィア・フォックスを見届けた。
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銀華についての尋問が終わったのは日付が変わる少し前だった。
トゥーナ子爵との証言にズレはないし、わたし自身は銀華を楽しむような会は一切参加していない。そもそも子爵とは初対面以降は手紙でやり取りをしていたため、紹介の件もそれほど重い罪にはならないだろう。
アーサーが訪れたのは尋問が終わってすぐ。どうやら、パーティーを抜けてきたようだった。扉の前には、ヴェルナーとエリザベスが控えている。
「さて、いったいどこまでがきみの計画なのかな。後学のためにも教えてほしいのだけれど」
「まあ、なんのことでしょう。今回の事は、わたしの無知が引き起こしたことですわ」
相変わらずの貼り付けた笑顔のまま対面するわたしたち。視線に火花が散ったような気がするが、気のせいだろう。
「ゴーエル伯爵はきみの手引き?」
「そんなわけありませんわ。ただ……重度の中毒者が出ないように量と取引の期間は気にした方がいいと、子爵に進言したことはあります」
「おや、球根の危険性は知らなかったんじゃないかい?」
「ああ、そうでした。わたしが、進言したわけではありませんでしたね」
パーティーの最中に禁断症状が出るよう、レオを通して球根の量を調節してもらった。念には念を入れていたから、ゴーエル伯爵だけでなく、他にもパーティーの最中に禁断症状が出そうになった人間がいたはず。もし全員が同時に発症していたら、会場は今のようになっていないだろう。その時は混乱に乗じて逃げるつもりだった。
「あの騒ぎがなければ私の勝ちだったのに。全てはきみの仕掛け通り、というわけだね」
わたしが王太子婚約者をやめるためには、確実に婚約者として不適格だと世間に知らしめる必要があった。しかし黒く染まりすぎてもいけない制約もあった。
「きみが配っていた匂い袋は? あれに球根の粉を混ぜていれば、もっと求める人間が増えただろうに」
アーサーの発言に背後の二人が仰天しているが、突っ込まないでおこう。
「殿下はわたしの目的をわかっておいででしょう。わたしは破滅するつもりはありません」
「じゃあ、球根の粉入りの匂い袋はないんだね」
「はい。あれは乾燥させた銀華で、葉巻ともまた異なります。ただ、花の香りが癒しを与えるだけ。広告として配っていたのは事実です。御令嬢を経由して、トゥーナ子爵から葉巻を買った貴族は多いと思いますよ」
ちらりとエリザベスを見ると、彼女は俯いていて、けれど悲痛な様子がよく伝わってきた。
エリザベスもコリンナも、わたしに良くしてくれた。それを裏切るのは、少しだけ胸が痛む。
だから、少しだけ話をしたいと思った。もう彼女と直接話すことはできなくとも。
「わたし、無作為に振りまいたつもりはありません。渡したのは、不安げに俯いていた女の子たち。話を聞くと彼女たちは悩んでいました。結婚に、仕事に、将来に。少しでも心休まるようにと、わたしは銀華の匂い袋を渡しました」
話す声を聞いてエリザベスが顔を上げた。そちらを向いて、わたしは微笑む。
「銀華が東和国ではお茶になるとご存じですか? 銀華はとても香り高い花。それをどう使うかは人次第なのです。……殿下がどのように統制していくのか、楽しみにしています」
「……私は、きみの使い方を見誤ったわけだね」
整然とした姿と異なり、アーサーは眉を下げて悔しそうに笑った。
燻っていた胸の内が晴れていくのを感じる。
ああ、やってやった! そのすかした顔に一矢報いることができた!
わたしは堪えきれずに笑いだした。体裁を気にせずに笑う令嬢らしくない大口の顔は、やっと自分を取り戻せた証明だった。
「騒ぎの後、すぐにフォックス伯爵が私のもとに来たよ。娘を家の籍から外す、とね。まったく、薄情なことだね」
「もうですか。まあ、相変わらずのことですので」
「噂には尾ひれがつく。あの場では哀れで愚かな令嬢だったとしても、これから出会うすべての人間がそうは思わない。王都にきみの居場所はなくなるかもしれないよ」
「ならば出て行きます。旅をするのが夢でしたから」
目をつむって、いろんな景色を想像する。わたしの隣には彼がいて……思うだけで幸せな心地だった。
アーサーが席を立つ。わたしもそれに倣って、彼を見つめた。
「オリヴィア・フォックス。きみを未来の王妃にするわけにはいかない。内定は取り消しだ。さらにきみは、もはや伯爵令嬢でもない。荷物をまとめ、朝日と共に城を出て行きなさい」
アーサーの宣告を受け入れて頭を下げると、彼は部屋から立ち去った。ヴェルナーとエリザベスも、彼に続いて部屋を出て行く。
空はもう光を零し始めていた。あたたかくて、希望に満ちた新しい太陽だった。
窓を開けて、早朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。湯浴みをするよりも、軽やかな心地になれた。
ぼんやりと空を見ていると、頭上から黒い影が降り注いだ。それは人で、煤色の髪を揺らした青年。軽々とした具合で窓から入ってくる彼に、わたしは微笑んで話しかけた。
「よかった。わたしの部屋、わかったのね」
「あんたがひとりになるまで、すんごい長かったんだけど」
「そうね。待っててくれてありがとう――レオ」
どちらからともなく近づいて、わたしたちは抱きしめ合う。
隠すように引き寄せられ、彼のぬくもりがじんわりと体に染み入っていくみたいで。
それなのに、胸をきゅっと締め付けられてドキドキしてしまう。
この感情が、わたしが選び取ったもので、捨てられなかった唯一だ。
「それにしてもすごいわ。王城に侵入しちゃうなんて」
「やれって言ったのはあんただろ」
「だって、ちゃんと見届けてもらわないといけないから」
王城の侵入者とはレオのことだ。
事前に調べ上げて作った城の地図を使って、彼にはわたしのことを見守ってもらっていた。
「誰にも渡さない方法なんでしょう?」
「ああ……。まあ、おれもあんたを殺したくはないし、うまくいってよかったよ」
目じりを下げてほっとしたようにレオは見つめてくる。いまだに不安げな姿が申し訳なくて、わたしは彼の頭をゆっくりと撫でた。
「もう大丈夫……急に消えたりしないし、何度だってあなたのところに戻ってくるわ」
「王族相手にそれができるんだから、だれもあんたに勝てないだろうな」
「ふふっ、うれしい?」
「当たり前だろ……っ」
グッと強く腰を引き寄せられて、唇を押し当てられる。深く落とし込まれるように熱が体をめぐって、呼吸がままならなくって、ぽろりと涙がこぼれる。どんどん涙は溢れてくるけれど、きっとそれは幸せだからだ。
「ねえ、レオ。わたし海が見たいの。その次は南。別の国にも行きたいわ」
「ああ、そうしよう。でもその前に、世話になったやつに挨拶しないとな」
「そうね。アニスに子どもたちに、イザベルも。お世話になった人がたくさんね」
「今日中に王都を出るのは難しいか?」
「ううん、手紙を書くことにする。旅に出たくなるような、そんな手紙にするわ」
見たことのない景色を想像して、胸が跳ね始める。
今のわたしはオリヴィア。家の名前を捨てて、令嬢であることをやめて、全てから自由になったオリヴィアだ。
さあ、身支度をしなくては。ここに置いていくものは何もない。
大事なものは全て抱えて。そして、自由をくれた愛する人の手を取って。
わたしは新しい一日をまといながら、一歩を踏み出すのだった。
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