第二話 治癒の念術①
城の広間―。
ふと桜が通りかかると友信が一人で幸せそうに酒をたしなんでいる。
すでに顔が真っ赤であった。
(友信は家臣の中で一番優しそうだし、変な質問しても怒らないかも。
貞吉の言っていた念術……?について聞いてみよう!)
決心したように小さく頷いた桜は、ためらいがちに声をかけた。
「ねえ、友信」
友信は、ふらりと振り返る。ゆっくりとした動作で盃を置き、にこにこと笑って答えた。
「だあ? こりゃまた殿様、おらの酒に付き合ってくれるだか?」
「いや……私、まだ未成年だから……ごめんね」
「あんれまあ、だあ?」
まじまじと桜の顔を見た友信は、一瞬きょとんとしたが、すぐにまた笑みを浮かべた。
「ねえ友信。この前ね、私、怪我をしていた人に手をかざしたら……手のひらから光が出て、その人の傷がすーって治ったの」
「ほおぉ?殿様、治癒の念術が使えただかあ?」
「そう! その、治癒の念術! ……て、一体なんなのかな?」
すると友信は、まるで狐につままれたような顔になり、首をかしげた。
「……? 念術を知らねえだかあ?」
「うん……ほら、私、未来から来たから。私のいた世界にはそういうのなかったの」
一瞬の静寂。
そして次の瞬間、友信は腹を抱えて豪快に笑い出した。
「ゲラゲラゲラ……ヒック!」
(あ~、やっぱり信じてないなあ……)
一息つき、友信は話し始める。
「念術というのは、人が生きるうえで自然と巡らせている、目に見えぬ力“気”を使って発動する術のことだあ」
友信は、ほのかに酒の匂いを漂わせながらも、真面目な口調で続けた。
「念術っちゅうのは別に珍しくない、ありきたりなもんだあ。気の持ちようで形を変える術……そんなふうに思ってくれてもいいだな」
語りながら、友信は酒瓶を軽く持ち上げ、手元の盃に酒を注ぎつつ続ける。
「土や風、火のように、自然にあるもの……時には鍛え上げた『武』の“信念”そのものに気を宿し、自らの力として発現させる。これを念術というだあ。」
ひと息ついて、盃を軽く掲げるようにしながら友信は頷く。
「殿様が使ったのは、“気”を相手に送って、治癒の力を引き出したり、負の穢れを取り除いたりする術だの。」
言葉をつなぎながら、彼は盃を軽く傾け、口を湿らせる。
「官兵衛は闇の念術を使うだ。闇の形を自在に変えて、攻めにも守りにも使う……まるで影そのものを手足のように操るようなものだあ。」
友信は手に持つ盃を、そっと揺らした。
陽に照らされて、酒の水面が小さく波紋を描く。
「善助姐さんは水の念術が得意だの。水の流れを刃に宿して、人の力では難しい剣技を実現する……そういう術だあ。」
しばらく真面目な顔をして説明していた友信は、ふとにまりと笑う。
「ちなみにおらは念術をほとんど使わないだ。念術には強い集中力が必要……
小難しい攻撃するより槍振り回した方が早いだの!」
「ゲラゲラゲラ」
「……。」
桜が気まずそうに友信を見つめる。
「ゴホンッ……念術っていうのは、才能がある者は自然と身につくこともあるし、そうでなくても、教えや鍛錬で習得できることも多いだよ」
そして友信は盃を置いて静かに続ける。
「でも治癒の念術は使える人は少ない。殿様は才能あるんだなぁ」
桜の顔にぱっと光が差す。驚きと嬉しさがないまぜになったような、希望に満ちた笑顔だった。
「よくわかったよ、友信! 教えてくれてありがとう!
ちょっと、城下に行ってくるね!」
元気よく立ち上がった桜は、ひらりと袖を翻して走り出す。
「いってらっしゃいだの」
ぽつりとそう呟いた友信は、ゆっくりと立ち上がり、開け放たれた襖の向こうへと駆けていく桜の後ろ姿を、ぼんやりと見送った。
「……あっ」
ぽつんと小さく呟いた後、彼は酒瓶を手に頭を抱えた。
「今日は……おらが殿様の護衛当番だったの……」
広間には、酒の匂いと、やや遅れてやってくる小さな焦りだけが、ふんわりと残された。
城下の通りを歩きながら、桜は胸に小さな決意を宿していた。
(私には治癒の念術の才能がある……きっと神様が授けてくれて、当主として有効に使えって言ってるんだ!)
陽光が差し込む昼下がり。城下は活気にあふれ、通りを行き交う人々の声や、店から響く掛け声が響いていた。
そんな中、ひときわ大きな「あちっ!」という声が鍛冶屋の方から聞こえた。
鍛冶屋の店主は火箸を落とし、指を押さえながら水桶に手を突っ込んでいた。
熱せられた鉄を打つ作業の最中、うっかり触れてしまったらしい。
「ちくしょう、またやけどしちまった……」
様子を見ていた桜は、すぐに駆け寄った。
「おじさん!ちょっと手を見せて!」
突然声をかけられた店主は驚いて振り返った。
「うおっ!?なんだ、嬢ちゃん?」
桜はすでに店主の手を取り、やけどの跡にそっと手をかざしていた。
彼女の掌からは、淡く柔らかな光がにじむようにあふれ出る。まるで春の陽だまりが肌を包むような、優しい光だった。
みるみるうちに赤く腫れた患部が和らいでいき、苦痛に歪んでいた店主の顔にも驚きと安堵が混ざった表情が浮かぶ。
「嬢ちゃん、治癒の念術が使えるのか、ありがてえ」
やけどの赤みが完全に引いたのを確認すると、桜はにこりと微笑みながら手をどけた。
「はい、もう大丈夫!」
「ありがとよ!嬢ちゃん!」
店主の力強い声に見送られながら、桜は軽やかにスキップしながら歩を進めた。心がぽかぽかと温かく満たされていく。
と、前方で泣き声が聞こえた。見ると道端で小さな男の子が転んでしまったのか、手のひらを擦りむき、ぽろぽろと涙を流していた。
そばには母親らしき女性がいて、懸命にあやしている。
「ぼく、手を貸してくれる?」
桜が優しく声をかけると、男の子は涙を浮かべたまま、少しだけ手を差し出した。
桜はそっと手を取って、傷口の上に自分の手を重ねた。
また、あのやさしい光がふんわりと広がり、擦り傷の血が止まり、皮膚が少しずつ再生していく。
子供は涙を止め、目をぱちくりさせた。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
母親も深々と頭を下げた。
「本当に……ありがとうございました」
桜は手を振って、「またねー」と陽気に別れを告げ、その場を離れようとした——だが、ふと気づくと周囲に人が集まり始めていた。
「ねえちゃん、俺の怪我も見てくれねえか」
「お願いです!この子、昨日から熱が下がらなくて……」
「背中に腫れものができて、痛くてたまらんのよ~」
人々の声が一斉に桜に向けられる。
桜は笑顔になり手をぐっと握る。
「順番にみていくから!並んで、並んで!」
通りには簡易な行列ができ、桜は一人一人に丁寧に手をかざしていく。
子どもの熱、年寄りの腰痛、職人の切り傷……その一つ一つに真剣に向き合い、気力を込めて癒やしていった。
その時、ひとりの女性が慌ただしく駆け寄ってきた。肩で息をし、乱れた髪が頬にはりついている。顔には焦燥がはっきりと浮かび、声を発した瞬間、その切迫感が場を震わせた。
「おねがいしますっ…おねがいしますっ…。おとっつぁんを見てあげてください!」
桜は真剣な表情で頷いた。
「わかった。案内して」
女性に手を引かれ、桜は町はずれの古びた長屋へと向かう。
中に入ると、部屋の奥の布団の上に、ひどくやせ細った中年の男が横たわっていた。
顔色は土気色で、傍らには血に染まった布が積まれている。
「おとっつぁん……念術師様を連れてきたよ……」
男はかすかに目を開け、弱々しく両手を合わせた。
桜はその姿に一瞬、胸を刺すような戸惑いを覚える。けれど次の瞬間、彼女は迷いを振り払うように拳を握りしめ、強く言葉を放った。
「もう大丈夫だよ。まかせておいて!」
桜はそっと床に膝をつき、静かに呼吸を整える。そして、両手を男の胸元に添えると、深く集中した。
光が、ゆっくりと男の体を包み込んだ——
男の症状は重く、長く気力を注ぐ必要があった。額に汗がにじみ、桜の体から少しずつ力が抜けていく。
やがて、光がふっと消えた。
「ありがとうございます……少し、楽になりました……」
男がかすれた声で言うと、桜は疲れた顔で、それでも柔らかく笑って言った。
「まだつらそうだから……明日も、来るからね」
男とその娘は、何度も何度も深く頭を下げた。
外に出ようと長屋の戸を開けかけたその瞬間——
建物の影に身をひそめていた友信が、ぎくりと体を引き、あわてて柱の陰に隠れた。




