第六話 浦上決戦⑧
戦場を後にし、姫路城への帰路につく。空気にはまだ鉄と血の匂いが残り、遠くで燃え盛る火が戦の余韻を伝えていた。
兵士たちは疲れをにじませながらも、勝利の安堵に包まれている。
「ほらね、官兵衛は裏切らなかったでしょ?」
桜はにっこりと微笑み、馬上で軽く手綱を引いた。政秀の顔を覗き込むようにしながら、どこか誇らしげな表情を浮かべている。
「グヌゥ…」
政秀は納得がいかない様子で、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「貴様、もうちっと早く対処できなかったのか。危うく全滅するところだったぞ」
官兵衛は小さくため息をつく。
「仕方ないではありませんか。宇喜多隊が到着しない事には策が成せませぬ」
「グヌヌゥ……」
しばしの沈黙の後、桜がふと思い出したように声を上げた。
「あ、ちょっと寄るところがあるんだけどいいかな? 友達の無事を確認したいの」
「まだ近くに浦上の残党がいるかもしれません。ついていきます」
官兵衛の言葉に、桜は微笑んだ。
「ありがとう、官兵衛」
桜の馬が土埃を巻き上げながら、崩れかけた小さな集落へと駆け込んだ。
視界に広がるのは、焼け焦げた家々。屋根は崩れ、柱は黒く炭と化し、そこからなおも白い煙が立ちのぼっている。
風に運ばれてくるのは、焦げた木の匂いと血の鉄臭さが混じり合った、重苦しい匂いだった。
地面には斬られ、突かれ、命を奪われた人々が無造作に転がっていた。衣服は裂け、血に濡れ、あたりには呻き声すらない。
「あ……」
思わず声が漏れる。目にした光景に、心臓が鷲づかみにされたように凍りついた。
喉がひりつき、呼吸が苦しい。
桜は慌てて馬から飛び降り、足元の亡骸を避けながら通りを歩く。
まだ息のある者はいないか――必死に目を凝らし、耳を澄ませ、呼びかける。
集落を訪れるたびに桜の細剣の飾りに興味津々で、毎回触りに来る小さな男の子。
やわらかな笑顔で挨拶を返してくれる農家のおじさん。
前を通るたびに新鮮なきゅうりを1本くれるおばあさん……。
その誰もが、血を流して倒れていた。
その唇から言葉はこぼれず、桜の呼びかけに応じる声ももう戻ってこない。
胸が張り裂けそうな思いで走り抜けた先。
見覚えのある、古びた木造の家。
その戸口の前に――貞吉と、妹の梅が寄り添うように倒れていた。
梅の小さな身体には、無惨にも刀で突かれた跡が残され、すでに動かない。
そして兄の貞吉は、背中を深々と斬りつけられ、血が地面を赤黒く染め広がっていた。
「……っ!」
桜は息を呑み、駆け寄る。
膝をつき、必死に貞吉の身体を抱き起こす。
まだ温かい。
その胸は、かすかに上下している。
「貞吉!」
桜は震える手で背の傷口を押さえ、血を止めようとした。
――傷が深すぎる。
それでも、心の奥で強く叫ぶ。
(……あきらめない!)
桜の手のひらから、まばゆい光がふわりと浮かび上がり、柔らかな輝きが貞吉の裂かれた傷を包み込んだ。
熱を帯びるようなその光は、命を繋ぎとめるための祈りそのものだった。
「……桜、お前……殿様だったんだな……」
血にまみれ、苦痛に顔を歪めながらも、彼はかすかに笑みを浮かべてみせた。
「……トランプ、持ってきたよ。また一緒に遊ぼうと思って……」
必死に笑おうとしながらも、傷を押さえる手は震え、声は今にも泣き崩れそうに揺れていた。
「ハハッ……」
その短い笑い声は、痛みに遮られて途切れる。
「殿……念術程度ではこの傷は……」
官兵衛の冷静な声が落ちた。だが桜は耳を貸さず、なおも光に力を込める。
必死に意識を集中させる。けれど、血は止まらない。流れは容赦なく、桜の指先を濡らしていく。
貞吉は薄れていく意識を振り絞り、唇を震わせながら最後の願いを訴えた。
「桜、殿様なら……俺たち民が死なねぇですむ世の中を……作ってくれよぉ……お願いだよぉ……」
途切れがちな声。絞り出すようなその言葉と同時に、桜の目から涙が零れ落ちる。
次の瞬間、貞吉の手から力がすっと抜け落ちた。
その瞳は静かに閉ざされ、二度と開かれることはなかった。
辺りに訪れる、痛いほどの静寂。
耳に届くのは、まだ燃え残る家々が崩れ落ちる音と、炎が爆ぜる低い響き。
夜風が吹き抜け、灰を空へと舞い上げ、冷たく頬を撫でていく。
桜は貞吉の冷たくなり始めた手を、ぎゅっと握りしめた。
涙がその指を濡らし、頬を伝って落ちていく。
(……この時代でも、戦いとは関係のない人たちが死んでいく……)
胸をえぐられるような思いの中、桜は立ち上がる。
固く握りしめた手が、震える。
領主の地位にありながら、まだ未熟な少女の胸には、目の前の惨状を受け入れるしか術がなかった。
救えなかった命の重みが肩にのしかかり、胸を締めつける。
――どうしたら、この悲しみを止められるのだろう。
涙で視界が滲む中、桜は心の奥で必死に答えを探した。けれど、見つからない。
彼女の足元には、無言で横たわる亡骸。温もりを失っていく手の感触。
そのすべてが「力のなさ」を突きつけてくる。
死んでほしくない。傷ついてほしくない。だがそのために、具体的にどうすればいいのか、わからない。
なにかが欲しかった。指標が。道しるべが。
すがるように、桜は声を絞り出す。
「……官兵衛。こんなことが……こんな悲しみが起きないようにするには……私はどうしたらいい?」
官兵衛は目を閉じ、長く深いため息を吐いた。
やがて静かに目を開く。揺らめく炎の明かりをその眼差しに映し、真っ直ぐに桜を見つめる。
「……あなたが天下を取ることです。他の者ではいけませぬ――あなたでなければ」
炎が夜空を赤く染め、風にあおられて大きく揺らめいた。
灰がひらひらと遠くへ舞い、まるで亡き者たちの魂を運んでいくかのようだった。
その炎の前で、桜はただじっと立ち尽くし、燃えさかる光景を見つめ続けていた。




