第六話 浦上決戦⑥
一方そのころ。
それぞれの持ち場で戦う友信と又兵衛の元にも、新たな影が襲いかかっていた。
「ふううっ!!」
友信が渾身の力で大槍を振るい、人型の妖怪の肩口を切り裂いた。
血飛沫が弧を描く。だが、三メートルを越える巨体は致命傷を免れ、逆に獰猛な唸り声をあげる。
「な……なんだの、こいつら!」
普段は温厚な友信の声に、焦りと驚きが混じる。
いくら槍の名手といえど、人ならざる怪物相手では押し切れない。
また別の場所では、又兵衛が必死に槍を振るっていた。
その数、三体。周囲を囲む人型の妖怪たちが次々と鋭い爪を振り下ろす。
「こいつら! 妖怪の手下のくせに、つええ!」
ギンッ! キイインッ!
火花が散るたび、又兵衛の腕が痺れ、足が土を抉る。
槍の間合いで必死に防いでいるが、巨躯の連撃を完全には受け止められない。
ブシュウッ!!
「ぐああっ!」
鋭い爪が又兵衛の右脚を深々と裂いた。鮮血が噴き出し、土を朱に染める。
膝をつき、荒い息のまま歯を食いしばった。
「ちきしょう……」
その声には悔しさと、死の気配を悟るような重みがあった。
場所は変わり主戦場。
ここでは浦上軍と赤松軍の主力が、怒号と剣戟の音を交えながら激しくぶつかり合っていた。
槍と槍が交錯し、刀が火花を散らし、地面はすでに血と泥でぬかるんでいる。
数で劣る赤松軍は徐々に押し込まれ、兵たちの足並みが乱れはじめる。
やがて乱戦の向こうに、赤松家の本陣の青い旗がはっきりと見え、その中央に立つ桜の姿が浦上軍の視線を引きつけた。
「……あれが赤松家当主―赤松桜か。」
低くつぶやいたのは、浦上家の重臣・後藤勝元。
彼の眼差しは獲物を狙う獣のように鋭く光り、にやりと口端がゆがむ。
「ふん……女が総大将とは笑止。わしがじきじきに討ち取ってくれよう。」
勝元は腰に携えた弓を静かに取り出し、弦を強く引き絞った。
その動きは熟練の兵のそれであり、迷いは一切ない。
張り詰めた弓の音が、戦場の喧騒の中でもはっきりと響く。
「敵総大将、赤松桜。この勝元が討ち取ったり!」
次の瞬間、弦がはじけ、矢が鋭い唸りをあげて放たれた。
プシュッ――。
矢は一直線に飛び、桜の胸元を正確に射抜こうと迫る。
その速さは瞬きする間もなく、避ける暇さえない。
「殿、あぶないっ!」
政秀の叫びが飛んだ。
とっさに彼は桜の前へ飛び出し、その身を盾に矢を受ける。
ブシュッ――。
鈍い音とともに矢が政秀の右胸を深く貫いた。
「ぐうう……!」
政秀の顔が苦痛にゆがみ、血が衣を赤く染めていく。
「ま……政秀!」
桜の瞳が大きく見開かれ、胸の奥から熱い衝撃が走った。
目の前で守られた事実と、政秀の苦悶の声に、心臓をつかまれるような感覚が押し寄せる。
「心配いりませぬぞ、殿。この政秀が必ずお守りしますゆえ……!」
血に濡れた胸を押さえながらも、政秀の声には揺るぎがなかった。
彼の背中は少女を覆い隠し、まるで絶対に崩れぬ盾のように立ちはだかる。
「ちっ……はずしたか。」
勝元が舌打ちし、冷ややかに腕を振り上げた。
「弓隊、構えよ!」
掛け声とともに、後方に控えていた弓兵たちが一斉に弓を引き絞る。
数十もの矢羽根が整然と並び、獲物を見据える。
「放てえっ!」
矢が唸りを上げて放たれ、一斉に飛翔する。
風を切る鋭い音が耳を裂き、無数の矢が豪雨のように桜を目がけて降り注ぐ。
「――あっ……!」
桜は政秀の肩に手を添えたまま、縋るように顔を伏せる。
全身が恐怖に固まり、矢が突き刺さる瞬間をただ待つしかなかった。
「殿は……やらせぬわっ!」
政秀の怒声が、戦場の喧噪を裂くように響き渡った。
口端から滴る血が頬を伝いながらも、その眼光はなおも鋭く、燃え盛る炎のように揺るがない。
彼は桜の前へと一歩踏み出し、肩を震わせながらも、全身の力を振り絞って刀を握り締める。
――カチン。
鋼の澄み切った音が空気を震わせ、政秀の刀がゆるやかに鞘へと収まった。
その一瞬、戦場の喧騒さえ遠のき、静謐な幕が降りたかのような錯覚が広がる。
風の念術――《円葬風陣》
次の瞬間、政秀を中心とした空間が淡く歪み、目には見えぬ球体が形を成す。
まるで台風の目に取り込まれたかのように、そこだけが異様な静寂につつまれる。
風は止み、音は途絶え、ただひとつ「侵す者を許さぬ死の領域」がそこに在った。
ヒュッ……ヒュンッ……ギンッ!!
飛来した矢が球体の空間に触れた瞬間、無数の風刃に刻まれ、粉砕されていく。
鋭い切断音とともに矢の残骸が雨粒のように降り注ぎ、地へと吸い込まれる。
触れた瞬間、ただ静かに切り刻まれる――それが《円葬風陣》。
その姿は、血に濡れた兵も、矢を放った敵兵すら、言葉を失うほどの威容であった。
「ええいっ!赤松政秀!しぶといやつめ!」
勝元の顔は怒りに歪み、矢を放つ代わりに手を振り上げた。
その声は戦場を揺らすほどの勢いで響き渡る。
「刀を持て!槍を持て!赤松家本陣を突き崩すのだ!」
「オオッ!!」
浦上兵たちが一斉に雄叫びをあげ、地を蹴った。
槍の穂先が一斉に前を向き、鉄の波となって押し寄せる。
次の瞬間、赤松家本陣を守る兵たちと正面衝突する。
ガキンッ! ギャリンッ!
金属と金属がぶつかる甲高い音が連続し、怒号と悲鳴が入り乱れる。
押し合う両軍の兵の間には、血しぶきと土煙が舞い上がり、視界すら曇らせていた。
その喧騒のただ中で、政秀はなおも気迫を燃やし続けていた。
傷ついた胸から血が滴り落ちるも、彼の眼光はなお鋭く、勝元を睨み据える。
その刹那。
ザザッ――ッ!
一頭の馬が土煙を蹴立て、政秀のもとへ駆け込んできた。
鞍上の伝令の顔は血の気を失い、息も絶え絶えに叫ぶ。
「はあっ、はあっ……報告っ!」
伝令は息を整える間もなく続ける。
「お味方、善助隊の敗走が始まりました!」
政秀の瞳が鋭く揺らぐ。
「善助様、又兵衛様、友信様がかろうじて食い止めておりますが、もう持ちそうにありませぬ!」
善助隊が崩れた今、この本隊も無防備な側面が攻撃を受け総崩れとなる。
その瞬間、赤松軍の敗北が確定する―。
政秀は歯を食いしばり、敵軍を睨みつけた。
「く……。背水の陣によって本隊の敗走は防げておるが、このままでは味方全軍が壊滅するのも時間の問題か……」
彼の視線が、一瞬後方へ向く。
官兵衛が遠くから前方を見つめている。
この味方の危機的状況の中で高台に立ち、何をするでもなく、焦るでもなく、ただ腕を組んでいる。
その視線は敵味方が入り混じる戦場ではなく、はるか敵軍の後方へ向けられていた。
政秀の表情が険しく歪む。
「……あやつめ、前々から怪しいとは思っておったが、やはり寝返っておったか……。」
唇を噛みしめる。
「すべては数で劣る我らを、城から引きずり出す罠だったのだ。」
そこへ、さらに追い討ちをかけるように、新たな報せが届く。
「申し上げます!敵の後詰の宇喜多隊が戦線へ到着した模様!その数、およそ五千!」
戦場の先に見えるのは、黒い波のように押し寄せる宇喜多の旗印。
「……ここらが潮時か。殿、申し訳ございませぬ……」
政秀とて官兵衛の策を信じ、無謀ともいえる野戦へ打って出たのだ。
その望みが潰えた今、これ以上の抵抗は無意味であった。
彼は覚悟を決め、供回り達に静かに言った。
「ワシが殿をし時を稼ぐ。みなを姫路城へ退却させよ。」




