第三話 官兵衛の葛藤④
――そのころ。
「はぁ……はぁ……!」
複数の銃弾を浴び、山県昌景が息を切らせつつも前線を睨みつける。
そこへ乱戦を抜けた伝令が、ボロボロの姿で駆け寄る。
「な、内藤昌豊様……馬場信春様……お討ち死にッ!」
「……!」
昌景の呼吸が荒くなる。だが、立ち止まる暇はなかった。
昌景の前に、ひとりの影が、音もなく近づいてくる。
それはまだ少年のように幼い顔立ち。
黒い短髪、軽装の鎧。手にするのはどこにでもある打ち刀。
だが――。
その双眸には人ならぬ光が宿っていた。
目の奥にうごめくのは、生者を拒絶する禍々しき影。
まるでこの世ならぬものが憑依しているかのような、底知れぬ気配が漂っていた。
「……織田家四天王、明智陸。貴様が俺の相手か」
昌景は槍を振り回し気合を入れると、一気に地を蹴る。
「いざ、勝負ッ!」
獣のように跳びかかろうとした、その瞬間――。
「な……!」
昌景の脚が動かない。
視線を落とすと、大地から無数の人骨の腕が伸び出し、彼の両足をがっちりと掴んでいた。
ゾクリ……。
背筋に凍りつく悪寒が走る。
「なっ……なんだこれはァッ!」
恐怖に叫ぶその刹那――。
ひと筋の閃光が、首元を横切った。
バシャァッ!
血しぶきが宙を舞い、昌景の巨体は前のめりに崩れ落ちた。
その眼は、死の間際まで理解が追いつかぬまま、見開かれていた。
少年――明智陸は、一片の感情も浮かばぬ無表情のまま、刀を静かに鞘へと納める。
刃の擦れる澄んだ音が、戦場のざわめきの中に不気味に響いた。
「ここまでは歴史通り。勝負はこれから……」
血と硝煙に満ちた戦場の中で、陸は独り呟く。
その瞳は冷たく光り、誰の目にも映らぬ未来を見据えているかのようだった。
陸は向きを変え、西の空を仰ぐ。
「次は西か……」
低くつぶやいた声には、迷いも揺らぎもなかった。
まるで己の歩む道をただ確認するかのような冷ややかさ。
だが、その足取りがふと止まる。
彼は目を閉じ、ほんの一瞬、戦場の喧騒を忘れるように息を整えた。
まるで遠い昔を懐かしむかのように――。
木の匂いがする小学校の廊下。
まだ背丈も低い少年、明智陸は小さな拳で目元を拭いながら、必死に涙をこらえていた。
「もー、消しゴムとったぐらいで泣くなよー!」
「ほんと、陸は泣き虫だよなー!」
走り去っていく同級生たちの笑い声が廊下に響く。
陸はうつむき、肩を震わせた。
「……ウッ……ヒック……」
そのとき。
軽やかな足音とともに、一人の少女が近づいてきた。
柔らかな声が、涙にくもった視界に降りてくる。
「どうしたのー?……かなしいの?」
顔を上げると、そこには優しく微笑む桃色の長い髪の少女――。
彼女はそっと手を差し伸べ、まっすぐに陸を見つめる。
「おいでっ。おはなししよ?」
その笑顔に、陸の涙は止まり、胸の奥にあたたかな光が差し込んだ。
血の匂いの立ち込める戦場で、明智陸はゆっくりと青空へ手をかざす。
そしてかすかな声で呟いた。
「……待ってて……桜。」
姫路城―当主の間。
「伝令! 急ぎ申し上げます!」
一同が静まる。
「先日、織田家と武田家が長篠にて激突! その戦において、織田家が勝利し、武田家の重臣の多くが討ち取られたとのことです!」
ざわめきが広がる。
「なんと……」
政秀が驚きの声を漏らした。
「あの最強と名高い武田騎馬軍団が……」
武田の騎馬隊は、日ノ本最強と謳われた騎馬軍団である。その圧倒的な機動力と攻撃力は、多くの戦で敵軍を蹴散らしてきた。
それが、敗れたというのか――?
「織田方は、大量の鉄砲を用いて騎馬隊を殲滅したとのこと!」
さらに伝令がそう報告すると、再び広間がどよめいた。
官兵衛は桜の方を見る。桜は黙って目を閉じている。
(……他にどう説明するというのだ。
このような無垢な娘があのような複雑な遊具を考えたり、革新的な政策の発案……ましてや日ノ本の情勢をここまで正確に言い当てるなど……)
官兵衛はにやりと笑った。
(フフッ……これは、面白くなってきたやもしれぬ)
「殿、引き続きよろしくお願い申し上げまする」
桜は一瞬きょとんとしたが、すぐに官兵衛ににっこり笑い答えた。
「え?あ、うん。トランプなら今日もやりに行くよ」
「ハハッ、いえそういう意味では……うん?」
官兵衛はふと桜の瞳に視線を移す。
無垢な瞳に奥に一筋の光が揺らいだ。
それは炎のゆらめきのようでもあり、風にきらめく刃の反射のようでもあり、説明のつかない気配だった。
不思議と冷たさはなく、むしろごく自然に、桜という少女の内側に溶け込んでいるように感じられる。
だがその光は、一時だけだった。
しばらくするとその気配は消え、いつもの天真爛漫な桜の瞳に戻っていた。
(……なんだ、今の気配は?)
官兵衛はその時、桜の瞳に写った気配が何なのか、わからなかった。




