サインの裏側
本編に名前の出てこなかった妹視点の話になります。
私はオーギュスト王国の侯爵家の者として、同盟国の王弟殿下の元へ嫁ぐ運命が変わった3年前から、ずっと婚約者を探している。
3年前の事件は、今では口止めされていないにしても、自ら進んで口にする者がいない我が国の汚点と呼べるほどの事件だった。
その事件のおかげで、我が国の信用は失墜し、私の王弟殿下との婚約話も消え失せた。
その事については、私に不満はない。むしろ、成人もしていない私を娶ろうとする相手の元へ嫁ぐことがなくなった事だけは感謝したい程だった。
それよりも重要なのが、事件によって我が国の外交における立場は弱くなったが、アグストリア侯爵家の国内での立ち位置が公爵家を上回るものになった事だ。
そんなオーギュスト王国内での立場を持つアグストリア侯爵家である私には兄がいるが、家を継ぐのは私の役目となっている。
その為に、次期アグストリア侯爵となるに相応しい婚約者を探さなければならない。
我が家よりも身分の高い公爵家からの縁談を含めて、今までに多くの縁談話が私の元に届いたが、残念な事にアグストリア侯爵家の目に適うお相手はいなかった。
そもそも我がアグストリア侯爵家に重要なのは外交能力である。
領地は存在してるが、交易による取引で栄えている為、他の領地経営とはまったく経営方法が違っている。
そこを全く理解しない縁談しかなかった事に、落胆の溜息しか出なかった。
「やっぱり、お兄様のような方は、なかなかいらっしゃいませんでしたわ」
私がオーギュスト王国の王都にある栄えある学園に入学して2年目が終わろうとしている。
家柄などによる縁談については、もう期待していないので、この学園内で人柄と能力のある相手を探す為に通っているのだが、成果は上がっていない。
「レイチェル様がご卒業されれば、学園での残りは1年………。来年入学の方で見込みがなければ、国外へ目を向ける必要があるわね」
幸いな事に兄であるウォルター=アグストリアのおかげで、3年前に大事件を起こした国にも関わらず、また昔と変わらない同盟国との国交を取り戻しつつある。
それもこれも、兄が女王となられるレイチェル様の王配として、国を治める事が決まっているおかげだ。
そう考えると、兄と比べてしまっているから婚約者を決められないような気がしないでもない。
だが、兄が次期国王となった時は、私は王妹という立場になる。
現状でもただでさえ、兄の能力を妬む人がいて敵が多いのに、妥協したら我が家が窮地に立たされて、兄にも迷惑が掛かるかもしれない。
そうなったら国が荒れる可能性もあるので、ここは絶対に妥協してはいけない。
( いっそ、お兄様が我が家を継いでくれれば一番良いのに……… )
分かってはいるけど、つい心の中で愚痴をこぼしてしまう。
けれど、そんな愚痴は思いもよらない方向で叶いそうになってしまった。
「レイチェル=フォン=オーギュストは、ここにウォルター=アグストリアとの婚約を正式に破棄いたします! ウォルター! あなたでは私を支えるのに相応しくありません!!」
学園内で王女に継いで、権力のある立場の私は兄の婚約者でもあるレイチェル様が学園を卒業する式典へ在校生の立場で参加していた。
式典自体は無事に終わり、卒業生たちはこの後に王城で行われる卒業記念パーティーへ参加するべく、親族や婚約者たちが迎えに来ていた………その時に私の思いが叶った。
「殿下。突然何をおっしゃっておられるのでしょうか?」
婚約者であるレイチェル様を迎えに来ていた兄に、レイチェル様が婚約破棄を叩きつける。
兄は突然の事のようで戸惑っているようだったけど、このような人の多い場所でそのような事をすれば、もう元のように戻る事は難しい。
私は周りの人たちと違う考えで、その様子を伺って、心の中でつい喜びの声を上げていた。
「私がいる事で殿下の邪魔になってはいけません。私はこのまま国を出たいと思います」
レイチェル様の思惑がなんだか読めなかったけど、兄も婚約破棄を了承した事でこの事実は覆らないと安心した時に、さらに兄が発した言葉で会場中が混乱した。
「私は侯爵家の嫡男として家を継ぐ資格も失いました。私の居場所はこの国から無くなったのです。王家の者から婚約破棄を突きつけられるという事はそういう事でございます」
確かに普通であれば、王族から婚約破棄を言い渡されるような相手であれば社交界から爪弾きにされる為、当主になる事は絶望的になる。
けれど兄は立場が違う。
兄は特に領地を持たない法衣貴族の面々に絶大な信頼がある。
具体的にいうならば、兄が仕事をしないと給金が支払われない。3年前の事件直後に国は混乱して、兵士や使用人、宮仕えといった国から給金を貰う手続きが出来ない時に解決したのが兄だった。
他にも、国防に関わる前線地への食糧配給や物資輸送の処理など、対応が遅れれば、他国からの侵略や内乱が起こりかねない手続きを率先して片付けた。
当時を知る人たちはそのまま今も仕事を続けている為、貴族だけではなく使用人や兵たちにとって、なくてはならない人物となっている。
そもそも、国の重要な情報に触れる仕事さえ当たり前にこなしていた人物なのだ。
そんな人物が国を出れば、どんな大きな災いになるのか、想像も付かないほどだ。
「いえ、私はそんなつもりは………」
「くれぐれもお身体にお気をつけて。この国ではない場所から殿下のご健勝をお祈りいたしております」
多くの者が兄の重要性を理解していた為か、兄が出て行く事による被害を想像して皆が顔色を悪くしている。
きっと、私の顔色も他の人かそれ以上に悪くなっていたのだろう。
「アレクシス! どういう事ですか!!」
この式典会場の中に響いたレイチェル様の声によって、意識を取り戻す。
兄がこの国から去る事による恐怖で、つい意識が薄れてしまっていたようだった。
「レイチェル。何を怒っているんだい? 無事にあの男と別れられたじゃないか」
「確かに国王になる野心に囚われた彼だったのなら、国の為にも私の為にも別れたかったけど、彼は違ったわ!」
違うも何も、兄に国王になる野心なんて元々ないのに………。
「どうしたんだい? レイチェル。さっきまで私の話を聞いてくれていたじゃないか」
「確かにウォルターの変わってしまった態度と、あなたの話を聞いて、あなたの方を信じてしまったけど、ウォルターはそうじゃなかった!」
いまさら気付いても遅いのですよ。王女様。
「だが、もう婚約破棄をしてしまったんだ。私が彼の変わりに君を支えるよ。どうか私を君の新たな婚約者としてくれないかい?」
この言葉を聞いて、ハッキリと私は理解した。
野心があったのは、アレクシスの方だったのね。
この卒業式典の為に、学園中が忙しくなっている間に近づいて、このような大それた事を仕出かす輩が学園内にいた事は、私も含めて迂闊だったと言わざるを得ない。
「あなたが私の婚約者? 冗談じゃないわ! 私はこの書類にサインはしない! 私の婚約者はまだウォルターよ!!」
先ほど、その本人に自分で婚約破棄を言い渡しておいて、なんて面の皮の厚さだろうか………。
残っている王族がレイチェル王女だけである事実に、この国の未来がとても暗く感じる。
「だが彼はこの国を出て行くと………」
………………出て行く?
「そ、そうよ! ウォルターを急いで止めないと!」
わ、忘れてた!!
兄は妙に行動力があるのだ。普通の貴族の子弟なら1人で国を出るなんて言っても、どうせ途中で衛兵に泣きつくかしてお世話になるだろうから心配しないが、兄なら確実に国を出る方法を取る。
「すぐに陛下にこの事を知らせる者を走らせなさい! 今すぐに!!」
慌てておたおたとしているレイチェル様と王位の簒奪を狙うアレクシスに好きにさせる訳には、もういかない。
私は大声で会場中に響く声で、指示を出す。
「マ、マリリア!?」
「殿下はこれ以上余計な事をしないで、大人しくしていて下さい!」
「で、でも、ウォルターが………」
「兄の重要性は、そこにいる男以外は会場にいる使用人まで全ての者が理解しております。衛士はすぐにその男を捕らえなさい! 沙汰は陛下が下します!!」
現時点で殆どの者が、アレクシスが反逆者であると理解できているだろう。
私にはこの場で衛兵を動かす権限はないが、私が兄の妹である事はこの場にいる者であれば知らない者はいない。
「な、小娘! 何を勝手な事を言っ!」
私を知らない者が、ここにいたようだ。
アレクシスは結局最後まで言葉を口に出来ずに、衛兵の他に学生の保護者と思われる貴族の男性陣にすぐに取り押さえられていた。
そして、残りの衛兵は私の言葉どおりに、殿下が余計な事をしないように張り付いてくれた。
「殿下とその男は、陛下からの指示がくるまでこの場に留めておきなさい! 私は兄の行方を我が家の兵を使って追わせます!!」
「はっ! かしこまりました!!」
衛兵を含めて、会場にいた殆どの貴族たちが私の指示に従ってくれた。
その後、私は急ぎ屋敷へ戻り、王都の出入り口全てに人をやって監視させたが、結局兄を発見する事は出来なかった。
「すると既に王都を出ている可能性があるのか?」
「いえ、陛下。兄のウォルターは何の準備もなく国を出たりしないと思われます。恐らく王都内で一度準備をしてから出ると思われます」
侯爵家へ戻って兄捜索の指示を出していると、王城より使いがやってきた。
そして、私はそのまま陛下へとお会いして、卒業式典会場での出来事の報告と兄捜索状況の報告をした。
「分かった。すぐに旅に必要な物を買える店にそれらしい人物がいなかったか確認させる」
陛下は私の報告を聞いて、すぐに決断をしてくれた。
「何とか間に合ってくれれば良いが………」
「陛下。我が息子の失態。誠に申し訳ございません」
「それを言うなら、我が娘の失態だ。アグストリア侯爵」
私が陛下に報告を行なっている会議室には、両親並びに重臣が揃っていた。
「しかし………」
「ウォルターは国の為に尽力をしてくれていた事は、この場にいる者は皆が理解している」
陛下のお言葉に、会場中の人々から頷きと視線が父へ向けられ、父は黙るしか出来なくなってしまった。
「それで娘と共にウォルターを追いやった者は何者だ?」
私も会場でレイチェル王女がアレクシスと呼んだ以外は、知らない相手であった。
もし、知っているような相手であれば、何かを企む前に私を含めて他の者も排除していたはずだ。
「陛下。この度、我が息子が仕出かした反逆行為、申し訳ありませんでした。この罪に我が家はどのような処罰も受ける所存でございます」
そう返答したのは、この国の騎士団長であるデイル騎士団長であった。
「デイル騎士団長よ。そなたの息子が何故このような事を起こした?」
「申し訳ございません。私も事件が起こって初めて息子が事件を起こした事を知りました」
我が国の騎士団長は、3年前に国が荒れそうになった際に真っ先に兄の指示を聞いて国境の守りを固めた信任が厚い人物で、私も含めて会場中の人々は騎士団長が反逆行為に関わっていない事に安心した。
「ワシはそなたが反逆に関わっているとは少しも疑っておらん。だが、お主の他の息子達の活躍は耳にしておるが、アレクシスという名を聞いたのは今日が初めてじゃ」
私たちと同じように陛下も騎士団長を疑っている様子はまったくない事を示した事で会場の空気が和らいだのが分かる。
そして、私たちも聞いた事のないその素性を尋ねてくれた。
「アレクシスは4番目の私の息子で、妾腹の子になります」
騎士団長の他のご子息は、正妻との子であり、誰もが優秀な武官である事は知っていたが、妾腹の子であるならば、確かに周知したりはしない。
「学園を卒業と同時に家名を名乗らせる資格を失わせる事になっておりましたので、その事が今回の件の原因ではない考えておりますが、本当のところは私にも分かりません」
この話だけでも、おおよそのアレクシスという人物像が想像できる。
「ふむ。分かった。あとは本人に直接聞いてみるしかないようじゃな」
「腕でも切り落としてやれば、素直にしゃべると思われます」
陛下がまとめで口にした言葉に、騎士団長は怖い事を付け足した。
この言葉と発している声色で、怒りの凄まじさが良く理解できた。
「わ、分かった。ウォルターの情報が集まるまでにワシの方で直接調べよう」
「お手を煩わせて申し訳ございませんでした。我が一家も先ほど王城へ全て出頭するように申し付けておきましたので、我々も牢へお入れ下さい」
確かに反逆者を出した一族は、基本的に連帯責任で何かしらの刑が執行されるのだけれど、全く関わっていない者たちを処刑したりまではしない。
それにも関わらず、騎士団長の雰囲気が一家全員で処刑を受け入れるようにしか思えない程であった。
「よ、良い。そなたが反逆をするなど微塵も疑っておらぬ。当然、一族の者が起こした事態だけあって処罰せん訳にはいかんが、謹慎が関の山だ。良い機会だから、しばし城に集まった者たちと共に屋敷で謹慎しておれ」
陛下も騎士団長の雰囲気に気圧されて、謹慎を申し付けてくれる。
会場中の人々は、騎士団長に重い罰が下されない事よりも、この殺気に満ち溢れた不穏な空気がなくなる事に安堵した。
陛下が席を外されて、騎士団長も自主的に屋敷へ謹慎した事で、一旦会議に集まった者たちは休息を取る事が出来た。
そして、この事態を引き起こしたもう1人の首謀者は、部屋に監禁されている。
これは、その罰を与える為の監禁ではなく、もし、兄に何かあった際に命を狙われない為の処置であった。
兄が多くの仕事をこなすようになってからは、賄賂などが一切通じなくなった。
それも当然だった。兄は次期国王に相応しいと陛下からお墨付きを貰っている人物だ。
何もしなくても、その給料だけでも十分な金銭を得ている。
………………忙しいせいで浪費している様子もないので、きっと貯まっていく一方なのだろうと思っている。
その影響を受けたのが、これまで不正で立場を維持していた者たちの影で不遇な状況にいた者たちだった。
不正で地位にしがみついていた者たちは追われ、不遇な者たちは日の目を見る機会が与えられた。
そんな彼らは王城内で法衣貴族を中心に民出身の文官たち全てが一丸となって、兄を次期国王として支持している。むしろ崇拝している勢いだ。
そのような兄の妹である私にも、それがハッキリと分かる程に王城内でアグストリア侯爵家の便宜を図ってくれる。
私はまだ成人もしていない一介の侯爵令嬢に過ぎないが、王城へは完全な家紋だけで入城ができ、城内にいつでも利用が可能な一室が家族個別に全員に割り当てられている事で、優遇振りが分かって貰えるだろうか………。
そんな王城の大半を占める人たちの信望を集める兄が、レイチェル王女が原因の婚約破棄で何かが起こってしまった場合、私にも彼らがどのような行動を起こすか分からない。
その為の完全監禁だった。
レイチェル王女がいらっしゃる部屋へと続く通路の手前には8人の重武装の兵が固めており、部屋の扉の前にも4人の近衛兵が配置されていた。
これだけでも普段の4倍の人数がレイチェル王女の周辺を固めている。
ただ、重武装の兵達は私と両親を見た時に、深々と頭を下げていたので、彼らも兄の信者であると思われる。
兄に何あったら、レイチェル王女はきっと無事では済まないと感じた。
最初の報告の為に集まった会議が再会されないまま、私と両親はレイチェル王女の部屋へと陛下に呼ばれた。
「アレクシスがこの度の騒ぎを起こした理由をあっさりと白状したので、ウォルターが戻る前にレイチェルにもこの件をしっかりと話をしておく事にした」
陛下に呼び出されて、全ての礼儀は不要と前置きをされた上で話の本題へと入っていった。
反逆者アレクシスの言い分は、突拍子もない事だった。
自分が騎士団長になって、家族を見返したかった?
そもそも騎士団長という立場が世襲制ではない事を知らないような人物が起こした事件であった事が分かり、私も頭が痛くなった。
特にそれを話している陛下の顔が、今まで拝見したような事もない苦悩の顔をしていたので、私達と同様に内容は分かっているが、理解出来ないという事なのだろう。
「おまえの地位を目当てに近づいてきたのは、ウォルターではなくアレクシスの方だったという訳だ。レイチェルよ」
アレクシスの素性を含めて全てを語り終えた陛下が、共犯者とも呼べるレイチェル王女に冷たく告げる。
「そもそも、ウォルターは元々侯爵家を継ぐ予定で、おまえもそこに嫁ぐ予定で婚約をしていた。そこに3年前の出来事があって偶然、玉座が転がり込んできたに過ぎん」
陛下も私と同様に初めから兄に対しては、何の疑いも持っていないようだった。
「ワシは、ウォルターならば私利私欲に走らずに、突然の王配という立場も全う出来ると判断して、ワシがおまえの婚約者を継続させたのだ」
その言葉を聞くレイチェル王女は、既に遅すぎる後悔をしているのが分かるけど、本当に既に遅すぎる。
「現にあやつはおまえのいう事を王家の言葉として受け入れ、あっさりと今の立場を捨て、国を出ようとしておる。それがどのような結果を招くか、今も理解していないわけではあるまい?」
私と両親は陛下がレイチェル王女へ語りかける言葉を黙って聞いている。
「理解しているのであれば、偽りなくおまえがとった行動とその理由を述べよ」
最後は、いつも以上に強い口調で告げる陛下は、娘を見る目ではなく、別の者を見る目をしているように見えた。
そして、その様子はレイチェル王女本人にも伝わったのか、少しずつ心境を含めて語り出していた。
その話を聞いた私の感想は、頭が痛いであった。
そして、私よりも陛下の方がずっと頭が痛そうな様子だった。
まずは、子供の頃に婚約して、他の国を一緒に回る約束の事を聞いた。
それについては、3年前までは確かに兄はレイチェル王女と共に外交の任を子供同士の間のみであったが行なっていた。
ただ、それもレイチェル王女曰く、変わってしまった後は、一度も国外はおろか王都から離れた事もないという。
………………当然の事である。次代を担う王族はレイチェル王女ただ1人だけなのだ。王都から離れて何かあっては一大事では済まない。また兄も同様だ。兄を失えば、また国が混乱する事は間違いない。
次に学園に通ってから会う回数が減り続けたとの事であった。
これも当然の事である。兄は次期国王として相応しい教育を受けると共に、今まで他の王族がこなしていた仕事まで同時に行なっているのだ。
本来であれば、全く会う事など出来なくても不思議ではない。
そして、会えても笑顔を向けてくれる事がなくなったとの事だった。
私も次期侯爵の婚約者を迎える為に、勉強の他に領地の為の政務をしているが、書類仕事の後の疲労感は慣れる事は出来ない。
その何倍もの仕事をして、夜会や式典にまで出ている兄に疲労が貯まっていない訳がないはずだ。
陛下も自身より兄の方が仕事をしている事を認めていた程に呆れ顔で説明をしていた。
結論としては、最後の王族の1人として甘やかしすぎたのが原因だと分かった。
そして、予想以上にレイチェル王女は夢見る乙女だった。
兄の甘い囁きの言葉なんて、陛下や両親の前で聞きたくなかった!
それを聞いた両親も陛下も、きっと同じ気持ちだったと思う。
「陛下! ウォルター=アグストリア様の行方が見つかりました! 行き先は不明ですが、どこかへ向かう乗り合い馬車へ搭乗したとの事です! ただ今、騎士団総出で王都より出発した乗合馬車を追跡しております!!」
レイチェル王女の話を聞いて、頭をうならせている時に、兵からそのような報告が舞い込んで来た。
その兄の行方が分かった報告を聞いた陛下は すぐにレイチェル殿下に卒業パーティーに同席するように告げ、その後で兄に自身の気持ちを伝えるように命を下した。
レイチェル王女は、パーティーへ参加する為の支度に追われる事になったので、また別室で陛下と私の両親が話し合いを行なった。
私はというと、兄も無事な姿を見せる必要がある為に卒業パーティーへ顔だけは出す事が決まり、私がそのエスコート相手を務める事になった。
さすがに婚約破棄を宣言したレイチェル王女にエスコート相手を務めさせる訳にはいかないという真っ当な陛下の判断の上である。
「それでお兄様は、その下町の食堂でお食事をとられたのですか?」
「はい。マリリア様」
私は急なパーティーへ参加するべく支度をしながら、兄が発見されるまでの経緯を聞いた。
王宮内を含めた手の空いた使用人や文官までもが、自主的に王都中に兄の捜索および情報収集に向かっていた事を知って、兄の影響力の恐ろしさを改めて知った。
そして、私の着替えを手伝ってくれている王宮侍女も、兄の信者である事が分かった。
なぜなら、兄が見つかった知らせを聞いた者たちが信者同士で情報を伝え合った為、詳細な情報まで持っているらしい。
………………王宮内で兄にもう自由はないらしい。
その事はおいても、あっさりと高価な服を売り払い、庶民の服に着替え、庶民が食べるような保存食や日用品を買い、目的地までの乗合馬車の時間を自分で調べて、出発まで下町の食堂で食事をとる侯爵家の子息が、兄以外にいるのだろうか………………。
私も予想の出来なかった行動力に驚かされると共に、もし、兄がこの件で手馴れてしまい、今回のように店の人に相談しながら買い物をしなくなれば、次は行方を掴む事は出来なくなる。
今回は、丁寧な対応で色々と相談をする美形の人物としてお店の人が記憶をしていたおかげで発見出来たが、兄に対して逃走できなくする対策を練る必要が出てきてしまったようだ。
「ただ、乗合馬車の行き先までは特定出来なかったとの事です。申し訳ございません」
どうやら、兄の情報を集める事に成功したのは兄の信者たちのようである。
「教えてくれて助かったわ」
「アグストリア家の方々の為になら、我々は労を惜しみません」
本当に兄の信者の方々との会話が怖くなってきた。この国は本当に大丈夫なのかしら? ………と………………。
色々と国の心配をしたが、それでも一番心配なのはやはり兄の事であった。
幸いにもなんとか行方を掴む事は出来たが、今回の件で兄は国に裏切られた形になる。
実際に兄が国を出る決断を即決している事からも、兄の心情は穏やかではないだろうという事が分かる。
兄は連れ戻されても、今までのように国に協力しないかもしれない。
陛下も両親もそれが分かっているからこそ、必死に国へ引き止める策を考えていると思う。
「マリリア様。ただ今、ウォルター様が無事に保護され、現在騎士団が護衛をして王都へお戻りになられていると連絡が届きました」
「そう、分かったわ。本当に無事で良かった………」
まずは報告を聞いて無事であったことを素直に喜んだ。
けれど、ただ喜んでいるだけではいられない。
私の役目は戻ってきた兄を宥めて話し合いの場に引き出す事なのだから………。
兄の機嫌をとる為に、王宮の侍女たち総出で私の飾り付けをされたが、結局再会した兄はいつもと変わらない様子であった。
直前の話を聞けば、執務室で普段どおり何事もなかったかのように政務をこなしていたという。
私には本当に兄が何を考えているのか分からなくなってしまった。
混乱したままの私は、デビュタント以来に、本当に久しぶりに兄のエスコートを受けて卒業パーティーの会場へと足を運ぶ。
周りからは、兄を心配していた者たちがその姿を見て安心しているのが見て取れた。
ただ、一部のご令嬢の方々の兄を見る目が怪しく思える。
あぁ。兄はレイチェル王女に婚約破棄を宣言された身ではあるが、既に兄に非がない事はあの会場にいた者であれば理解しているという事だ。
そして、そんなひとり身になった兄は、ご令嬢方からすれば我が国の最高の物件である。
私は会場では、出来るだけ兄に寄り添う形で、ご令嬢方を牽制する事に務めた。
私と兄の入場が終わると陛下が、せっかくの卒業という日を台無しにしてしまった学園の卒業生に向けてお言葉をかけながら、兄の様子を伺っていた。
挨拶が終わり、私が兄の様子が落ち着いている事を陛下に視線で合図を送ると、兄と共に別室へと案内された。
「ウォルターが欲しいのは、次期国王の座だけで私を見てないと言われて、それを信じてしまいました。ごめんなさい」
兄を交えた話し合いの場で、レイチェル王女が兄に対して謝罪をしたが、兄は困った顔をしているだけであった。
結局のところ、兄はその後のデイル騎士団長の処遇について話し合いをしていたので、兄にとってレイチェル王女は既に大切な婚約者という認識がないという事がハッキリと分かった。
その後は、まずレイチェル王女へ陛下より、今後は王族の一員として政務に励み自身で信頼を取り戻すように王命が下された。
本来であれば、廃嫡されてどこかへ軟禁される一生を送るほどの失態であるが、現在の我が国で唯一の正当な後継者はレイチェル王女だけである為、この処置も仕方がないと理解は出来た。
肝心の婚約については、破棄ではなく白紙へ戻す事となった。
これは陛下が、まだ兄を後継者にする事を諦めてない証であると分かった。
実際にこの場で再度レイチェル王女との婚約に関しては、母が明らかに反対をしているのが、父と母の距離で分かる。
父は陛下寄りに立っており、母は兄の傍に立っている。
普段の母は父の傍に控える位置でいる事が多いのだが、怒っている時は父が母から距離を置くのですぐに分かる。
ここまで決まった事である程度は落ち着いた為、兄は今日はもう休ませる事となった。
婚約破棄をされて、慣れない旅支度まで自身で行なっていた兄の顔色が明らかに悪かった為である。
本来であれば、領地へ戻り何ヶ月もゆっくりと静養してもらうべきところであるのだが、兄がいなくなると政務が確実に滞る為、王宮でそのまましばらく様子を見ながら緊急性の高い仕事以外の時間は休息をとって貰う事となった。
そして、兄が話し合いから抜けても、今後の話し合いは続いている。
「まずは、兄が婚約者の立場でなくなるのでしたら、今の仕事を他の方に引き継いで頂き、兄は次期アグストリア侯爵として我が家に戻って頂きたいと思います」
私としても、これ以上、兄を国の犠牲にするのは反対であった為、母と共に兄を解放するように陛下に強く主張する。
「しかし、あれほどの政務をこなす事の出来る者がウォルター以外におらぬ」
「あら? ウォルターは学園に在学中の頃から政務をこなしておりましたのよ? せっかく学園を卒業した方々がおられるのに、人が足りないという事はないのではないでしょうか?」
陛下が私の意見に反論しようとしたところへ、すかさず母が追い討ちを掛ける。
父は母の手痛い反撃を恐れて置物と化している。陛下がちらちらと父を見ているが、父は明らかに陛下からの視線を逸らしていた。
「レイチェル王女殿下の婚約者の座も空席となっておりますから、新たな婚約者の選定の為にも候補となりそうな殿下と同じ卒業生の方を新たに雇用しては如何でしょうか?」
「え? わ、私はウォルターと出来れば再度、婚約をしたいと………」
私を援護してくれた母の提案に、私はさらに兄を王家から引き離す為の提案をするが、レイチェル王女がまだ自身の立場を理解していない発言をする。
「あら? あれだけ大勢の前でご自身で婚約破棄を宣言されたのに、再度我が家が婚約を了承するとお思いですか?」
そのレイチェル王女の発言にいち早く切り替えしたのは母であった。
他国との外交で磨かれたその能力に当然の如くレイチェル殿下は、身を潜めるしか出来ず。
「そうですわよね? あ・な・た?」
「う、うむ」
と父からも言質を引き出してくれた。
こうして母のおかげで無事に兄を次期アグストリア侯爵としての立場に戻す事に成功した。
だが、最後まで引き下がられなかった陛下に1年後に互いに婚約者がいない場合は、再度話し合いの機会を設けるという約束を取り付けられてしまった。
………………まったく父は役立たずである。
レイチェル殿下は兄との最後の機会として、政務に励む事を息巻いていたが、国内の様子から考えても周りは敵だらけである。
むろん、その敵の中には私も入っている。
私としても、これで2度も私の婚約に関わる状況が変化する事になってしまったのだ。
その事からも、私は素直に王家を許す事は出来そうもなかった。
その後は、急な国政の引継ぎを行なう事が出来ない為、兄は城へは通いとなる事が決まった。
それと婚約破棄騒動自体は、卒業式典にいた者たちから噂が広がり、王家からも婚約は白紙に戻ったと正式に通達が出され、我が家には兄への縁談が多く舞い込んで来ていた。
「お母様。この姿絵では、成人されているように描かれておりますが、確かこの伯爵家のお嬢様は………」
「えぇ。確かまだ8歳のはずでしたわ」
兄への縁談が多く届いているが、本当に碌な縁談の申し入れが見当たらない。
「はぁ。この国には令息でけではなく、令嬢まで碌な相手が残っていないようね」
今回も送られてきた多くの縁談の釣書に目を通す母が、私が思っている事と同じ感想を口にする。
「マリリアにも苦労をかけて申し訳ないと思っているわ」
そう言った母の気持ちは私にも良く分かる。
国の都合で私の婚約者探しについても、再度やり直しになってしまったのだから。
その為に、母は兄と私の2人の婚約者探しをしなくてはいけなくなってしまったのだ。
兄は王族に婚約破棄をされた傷物。私は学園を卒業するまでの1年の間に決まらなければ行き遅れと呼ばれてしまう。
そんな状況になってしまった私たちに、母が本当に気を使ってくれているのが分かるだけ、私にとっては母へ感謝する事はあっても恨んだりする事はない。
そんな母を早く安心させてあげる為にも、良縁を探す必要がある。
ただ、それにしても兄への縁談と一緒に私への縁談を送ってくる人たちの神経をどうにかして欲しいと思う。
「いっそのこと、あなたたち2人が結婚してしまえば良いのに………」
「それですわ! お母様!!」
母の何気ない呟きを聞いた私は反射的にそう叫んでいた。
「今では、あまり見かけなくなりましたが、家族同士でも婚姻をする貴族はこれまでもおりましたわ!」
私がそう叫んだのに、最初は驚いていた母であったが、私の言葉を理解した様子で次第に貴族としての顔へと変えていった。
「えぇ。今の我が家が他家と結びつきが強くなれば、それだけで国が乱れる元になりかねませんものね」
「そうですわ。お母様。これは仕方がない事ですよ」
私の意図を明確に理解してくださった母に、ハッキリと私も答える。
「でも、あなたは相手がウォルターで良いの?」
「何をおっしゃているのですか、お母様は。この国でお兄様よりも素敵な男性がおりますか?」
私は初恋は恥ずかしい事に兄であった。ただ、侯爵家の一員として自覚をしてからは政略結婚を受け入れて貴族として婚姻する事を決めていたが、ここに来て初恋を叶える機会が訪れたのだ。
それに兄は、次期侯爵であり、権力という意味でいえば、現在の国内では陛下に次いで2番目である。
それはレイチェル王女以外と婚姻を結んだ場合は、いくらか権力が落ちる事になるだろうが、国民からの信用という意味では陛下を上回っている為、さほど問題にならない。
「あなたの気持ちは分かりました。あとはウォルターの方ですが………」
「お母様。それなら大丈夫だと思いますわ」
そう、兄の好みは共に仕事が出来る相手という事を、兄の信者の方々から教えて貰っている。
その情報は既に兄の婚約者の座を狙うお嬢様方にも伝わっていて、必死に政務の勉強を始めた方もおられると噂になっている。
実際に、王城で兄が話しかける相手は、しっかりと仕事をする相手だけだった。
よく注意してみれば、明らかに好意的に接している相手と事務的に接している相手が違うのが分かる程であった。
「お兄様もアグストリア侯爵家の為になる婚姻だと説明すれば、必ず理解して頂けます」
「そうね。そうすると夫にも理解して頂く必要があるわね………。分かったわ。そちらは私に任せておきなさい」
「はい。お母様。お兄様へは我が家の中で邪魔をする者の居ない2人きりで、私が責任をもって説得致しますわ」
「えぇ。そうね。この家の中ならば、誰にも邪魔されずに事が運べるわね。これでようやく我が家も落ち着くというものだわ」
こうして、我が家の方針が決まり、今までに届いていた私と兄への釣書は、母と2人で楽しく今後の予定を話し合いながら暖炉へ1枚ずつ投げ入れて全て処分した。
いざとなれば、婚姻の書類にサインをして貰って既成事実さえあれば問題ありませんものね。
「覚悟して下さいね。お兄様」
全ての用意を整えて、久しぶりに家に戻ってきた兄を迎えた時に、そっと私が呟いた言葉は兄には聞こえなかったようだったが、これからはずっと2人きりで密室で過ごしますものね。
レイチェル王女と違って、私にはいくらでも機会はあるのだから、焦らずにゆっくりと兄を落としていこうと思います。
あれです。書き始めるともう1万文字程度では満足できない身体になってしまったようです。
追加の話が本編と同じ位の文字数になってるとか………(๑•﹏•)
本当に書けば書くほど、書く事に慣れるというのは本当ですね。
200文字書いては休んでいた最初の頃が懐かしいです( ᵅั ᴈ ᵅั)~♬