ライナス10歳 二つ名誕生②
「……よく、こんな抜け穴見つけたな」
生垣の茂みに巧妙に隠された抜け穴に唖然とする俺に、ライラは得意げに笑った。
「ふふふ。実はこれ、私が作ったの」
「……え?」
「お兄様といつか二人っきりで外でデートしたいな、と思って。レックスお兄様にそれとなくやり方を聞いて、お父様が作ってた結界の一部をこっそり無効化して、ちょっとずつ手作業で穴を作ったの。ね? すごいでしょ? 褒めてくれる?」
確かに、穴は子ども一人がようやく通り抜けられるくらいの小さなものだった。
だがしかし、これを一人で?
結界を無効化してまで?
9歳の子どもが?
「……ああ。すごいな。流石ライラだ」
俺は口元を引きつらせながらもなんとかそれだけ口にすると、ライラは嬉しそうに俺に抱きついてきて、猫のように頬を擦り寄せた。
「お兄様に誉めて貰って嬉しいわ。……覚えておいて、お兄様。私、ライナスお兄様の為だったら、何でもできるわ。なーんでもよ。だって私、ライナスお兄様が、世界で一番だぁい好きなんだもの」
……なんだか背中に冷たいものが走った気がするのは、気のせいだろうか。気のせいでいてくれ。
俺はそのままライラに案内されるがままに、近所の空き家に連れて来られ(門には鍵がかかっていたが、ライラはここでも抜け道を知っていた……否、作っていたのかもしれないが、俺の精神衛生上の為に敢えて尋ねなかった)、そのままかつて書斎として使われていただろう場所へ連れてかれた。
「ふーむ……確かに、ここならちょうど良い環境だ」
書斎は多少黴臭かったが、きちんと綺麗に掃除され、机と椅子。そして筆記用具まで用意されていた。……果たしてこれも、元々なのか、ライラが用意したものか分からなかったが、俺の精神衛生上の為(以下略)
ライラは近くにあった座椅子を引きずって持ってきて、机の近くに設置すると、ぽすんと腰を掛けて俺を見つめた。
「さあ、お兄様。好きなだけ執筆して良いわよ。私は邪魔したりせずに、ここでお兄様を見ているから」
……ずっと観察されながら小説を書けってか。……まぁ、レックスやロナルドに追い掛け回されているよりは、ずっと集中できるか。
俺は溜め息を一つ吐いて椅子に座ると、ライラの視線を横顔に感じながら、用意した紙に向き直った。
「――さま…お兄、様……」
耳元で響いたライラの声で、ようやく我に返った。
「お兄様、集中しているところ申し訳ないけど、もう日が暮れてきたわ。そろそろ屋敷に戻りましょう」
どうやら、俺は随分と長い時間執筆に集中していたらしい。俺は窓から差し込む夕日に驚きながら、原稿を手にした。
「ああ、そうだな。……ありがとう。ライラ。お前のお蔭で、随分と原稿が進んだよ」
最近糞兄貴共に邪魔されてばかりで、こんなに長い間原稿に集中できたのは久しぶりだった。書き上げた原稿の枚数に頬を緩めながらライラに礼を言うと、ライラは頬を赤く染めて首を横に振った。
「いいのよ。お兄様。お兄様が嬉しければ、私も嬉しいのだから」
「だが随分とお前を放置してしまった……さぞ退屈だったろう。悪いことをしたな」
「気にしないで。……その分、お兄様の真剣な表情を堪能できたから」
相変わらずライラは語尾が尻つぼみで、よく聞こえない。……あまり良い癖とは言えないから治した方がいいとは思うが、ここで説教するのも恩をあだで返すようで躊躇われる。また、今度注意するか。
荷物を纏めて扉を開けて抜け穴へと向かおうとした時、不意に空き家の筈の玄関の扉が開いた。
「⁉ お兄……」
「し……ライラ」
「――ん? 今一瞬誰かの声がしなかったか?」
「ちゃんと門に鍵がかかっていたから、気のせいだろ」
「結界も張ってある筈だしな」
俺は咄嗟にライラを抱き寄せて、物陰に隠れた。
入ってくる男たちは、一見して柄の悪さが分かる破落戸ども。不法侵入が見つかったら、ろくなことにならないことが目に見えている。
男達は幸い俺達の存在に気が付くこともないまま、リビングらしき場所へと向かって行った。
……一かばちか、今のうちにこっそり玄関から出るなり、他の部屋に向かうなりするべきか?
いや、男達はリビングの扉を開けっ放しで中に入って行った。今動いたら、音でばれる可能性がある。……どうしたものか。
俺が胸に顔を埋めたままのライラを抱きしめながら、打開策を考えあぐねていると、リビングの方からとんでもない言葉が聞こえてきた。
「……それで、明日のフェルディア家令嬢誘拐計画のことだが」
フェルディア家令嬢? ……それって、ライラのことじゃないか。
俺は咄嗟にライラの耳を塞いだ。今ライラが脅えて、泣きだしたら困る。
「ああ……明朝の通学用の馬車を狙えばいいのだろう?」
「フェルディア家当主ルーカスと長男レックスが、明日の早朝に伴って遠征に出かけるという情報を得ている。あの二人が不在の明日は、絶好の機会だ。ここで二人の外出を確認でき次第、計画を実行する」
「だが、魔力に突出したフェルディア家なら、馬車にも相応の結界が張られているだろうし、護衛だってかなりの腕なのでは?」
「依頼主様が既に御者と護衛騎士を買収してあるそうだ……フェルディア家を敵に回すことを恐れたのか、表立った協力は断られたが、それでも俺達の邪魔はしないでくれるとよ」
ライラの御者と護衛騎士?……駄目だ。どんな奴だったか、全く思い出せない。
買収に応じるような奴らをあの父親がライラの傍に置くとは思えないけど、敢えて裏切り者のふりをしていると断言するにはそいつらの人柄を知らな過ぎる。……正直、今まで使用人にあまり興味なかったからなー。まさかこんな風に無関心を後悔するはめになるには。
しかし何はともあれ、奴らの目的を聞いてしまった以上、今すぐにでもライラと共にここを脱出しなけらばならない。御者や護衛騎士の思惑を推し量るのは、その後だ。
……足音を殺して玄関に近づいて、こっそり脱出するのが最善か。
「……お兄、様……」
「大丈夫だ。ライラ。俺がいるから……今から足音を立てないように気をつけて、玄関へと向かう。……ついて来られるな?」
俺は涙目で俺を見上げるライラの耳元から手を外して、小声でライラに耳打ちをした。
「分かったわ……足音をたてないように、気をつける」
「良い子だ……それじゃあ、行くぞ」
俺はライラを安心させるように手を握ると、そのまま静かに玄関へと足を進めた。
一歩。また一歩。……ほんの僅かな時間である筈なのに、その一瞬一瞬がひどく長く感じた。
「……よし。何とか、バレずに扉の傍まで来られたな」
「………」
「俺がなるべく音を立てないように扉を開けるから、扉が開いた瞬間ライラは先に逃げろ。……万が一奴らが気がついたら、俺が何とかするから」
「そんな…!! 私はお兄様を置いてなんて…!!」
「いいから。ライラ。……お兄様の言うことが聞けないのか?」
「でも……」
「大丈夫だ……俺は、なんとでもなるから」
……なんせ俺には悪魔な女神の加護がついているからな。奴との契約がある以上、そう簡単に俺は死なないだろう。俺はまだ「飽きるくらいまで執筆する」という望みを全然果たしていないからな。
「だけど……」
「俺を信じろ。ライラ……それじゃあ、1、2、3で扉を開けるから、開いた瞬間抜け道まで駆け出して行くんだ。そして、レックス兄様か父上に、ここで誘拐計画を練っている奴がいると知らせてくれ」
「……分かったわ。お兄様を、信じてる……信じている、から」
「ありがとう。ライラ。……それじゃあ、行くぞ。1…2…」
3、と言うことは出来なかった。
その瞬間外開きのその扉は、新たに空き家へとやって来た何者かの手によって開かれたからだ。
考える時間は、なかった。
「逃げろ‼ ライラ‼」
俺は咄嗟にその人物に向かって飛び掛かった。
だがしかし、俺の手が出現者に触れるよりも、出現者が魔法を繰り出す方が早かった。
「……っ‼」
俺は顔面に向かって勢いよく噴出された眠り魔法に、一瞬にして意識を失ったのだった。




