第21話 覚悟
「そんな事って・・・」
母親と共に差見研究所で『ι細胞』の解明を行っていた時崎は、今や生物界で知る人がいない程の知名度と実力を持ったからこそ気付いた最後の細胞である『ι細胞』の真意を理解した事で、絶望を感じ蒼白な表情になった時崎に気づいた母親は神妙な表情で時崎を見つめる。
「景子・・・どうしたの?顔が真っ青じゃないの」
「あの細胞・・・『ι細胞』は完成させてはいけなかった細胞よ」
「それって、どういう事なの」
その真実を知りこれから起こりうる未来を読み切った事で見えた恐ろしい光景を想像し、激しく呼吸を繰り返し吐き気さえ覚える時崎は、蒼白な表情で必死に声を振り絞る。
「『微生物シリーズ』の起源は植物性由来・・・。動物性であれば感染ルートは直接的接触だけど、植物は種を遠くへ飛ばすために胞子を使うから空中感染を使うから・・・」
「それは、元々あったイングリッシュ・ブルーベルを壊滅に追いやった、『微生物シリーズ』の起源のスパニッシュ・ブルーベルの感染力を言っているのね」
「だけど・・・それは、私を含めて気づくのが遅かったの。『ι細胞』の事態は、『微生物シリーズ』の中では困難な発見じゃなかったのよ。あの細胞は作り出してはいけない、世界を破滅に導く細胞だったのよ!」
「景子・・・」
「ミストは、おそらくそれを知っている・・・。彼は既にイギリスへ渡って、異常な程の繁殖能力持つ『ι細胞』から『レイラ菌』を生成している筈。・・・そして、かつて日本を恐怖へ陥れた菅野はその細菌で『人体の組織再生』を完成させるつもりよ」
「景子・・・もういいから、少し横になりなさい」
「・・・でも、その全ての起因は私が普通ではあり得ないスピードで発見した『γ細胞』のせいで、世界は滅亡するかも知れないのよ!綾ちゃんや新嶋先輩を殺したのも・・・すべては・・・世界の破滅は、私の研究から始まっているのよ!」
時崎の発見した『γ細胞』は、通常であれば数十年は発見されないはずの『微生物シリーズ』では難関的な細胞であった事は発見した自分自身が一番知っている時崎は、自分が世界の破滅へのカウントダウンを著しく早めた人間だと感じていた。
確かに、『微生物シリーズ』はいずれ完成される研究だと言う事は未来から来たミストが証明しているが、彼のいた時間軸では間違いなく『レイラ菌』の散布は失敗に終わっている事を同時に理解している時崎は、自身が時の流れを早めた為に彼を止める手段を持つ人物が現れる前に完成された『レイラ菌』は誰も止める事が出来なくなっている事に、責任を重く受け止めている。
必死に振り絞る声で話す自身の娘の姿に優しく包み込むように、景子の母親は震える我が娘を後ろから抱き締める。
「景子・・・あなたが、私たちの為に一生懸命頑張っていた事は知っているわ。お父さんは一般の人で、私も研究員としては二流、それでもあなたはこの世界で生きて行くと言って、他の子とは程遠いサポート体制で新種の細胞を発見した。・・・あなたは、私たちの誇りよ。きっと父さんや奈緒も同じように言うわ。だから・・・もっと自信を持って。あなたは、私たちの自慢の娘だもの」
「お母さん・・・」
「新嶋さんや綾田ちゃんも、あなたと同じ、『微生物シリーズ』の無限の可能性を信じて己の意思で研究を行っていたはずよ。だから、自分の研究が他人を巻き込んだと考えるのではなく、彼女たちの為にあなたは何をするべきなのか、そう考えた方が綾ちゃんたちの為になるんじゃないかしら」
その言葉に時崎は、あの夜親友の変わり果てた姿を見た時に自身の心に誓った言葉を思い出す。
彼女を・・・篠目綾乃にかかったままに呪縛を解き放つのだと。
『η細胞』によって『亜種』となった彼女は、未だに自身の目の前にある小さな試験管に閉じ込められた『亜種』のまま『微生物シリーズ』の呪縛から解き放たれずにいる真実に直面した時崎は、親友の死体を解剖し『η細胞』の解明を行う役目を強引に奪ってまでも担った筈の意味を忘れかけていた。
だが、そんな自分を母親は時崎へ研究者として『微生物シリーズ』を完成させ、その先に待ち受ける世界の最悪の未来を消す事こそが、自身の最愛なる人たちの意思を引き継ぐ事なのだと優しく語り掛けながら気づかせてくれた。
『γ細胞』の発見はミストが自身に仕組んだ罠だと己に言い聞かせた時崎は、それまで蒼白な表情で震えていた自身の手を強く握り絞めたまま、己の頬に叩きつける。
その拳を受けた頬には痛々しい赤い跡を残したが、その痛みと共に大きく瞳を開いた時崎は、それまでの弱々しかった己の雰囲気を一層させた表情は、再び決意と覚悟を決めたあの時の姿に戻った。
「お母さん・・・ありがとう。もう・・・大丈夫」
「景子・・・」
「今回の『ι細胞』の発見で、確信出来た部分があるの。この細胞はミストが企んでいる『レイラ菌』を生成する為に必要で、菅野は過去の世界で『謎の生物』から生成された『ι細胞』と『覚醒異変細胞』による突然変異で生まれ変わったと思うの」
「『ι細胞』は、『人体の組織再生』と『謎の生物』と深く繋がりがあると言うの」
「ミストが本当に現世に戻って来たのであれば、神なんて非科学的な根拠はこの生物界では通用しない。でも、驚異的な回復力を与える『人体の組織再生』でも死人を蘇らせる事は出来ない。過去の世界で『微生物シリーズ』を完成させたはずの菅野が、なぜミストに『レイラ菌』を作る事を目的に蘇らせたのか、それは完成させる為に必要な『微生物シリーズ』の細胞が必要だったのかも知れない」
「完成された『微生物シリーズ』ではなく、そこから細分化される細胞が必要でれば、菅野はそのすべてを知り『レイラ菌』を作ったミストを狙ったと言う訳ね」
「『覚醒異変細胞』は、まだ詳細が掴めていない謎の多い細胞だけど、鈴森さんが話してくれた内容からは人間の再構築は可能だと思うの。驚異的な再生能力を持つ『人体の組織再生』が、『覚醒異変細胞』と合わせれば死者を生き返らせるのは可能だと思うの」
「『謎の生物』によって、過去の世界では確立していた『微生物シリーズ』と『人体の組織再生』を融合した『覚醒異変細胞』。それによって蘇った菅野と言われる凶器って言った所ね。私たちの知らない時間軸では、菅野と言う男は相当な悪事を働いたって事ね」
「パラレルワールドの影響で、過去の記憶は消されるが普通だけど、私はその記憶をこの世界に持ち帰る事が出来た私だから、菅野の狙いと恐ろしさを理解する事が出来たの。・・・その為にも、まずはミストを止めに行くわ」
己の頭にあるピースが揃い今の自身の出来る事を探し出した時崎は、これまでの控えめな少女だったそれを感じさせない力強い言葉で母親に語り、ミストの暴走を止める為に彼のいるイギリスへ向かう為、司馬と共にその夜の便でイギリスへ向かう。
時を同じくして、『ι細胞』を手に入れ『レイラ菌』を製作する材料を手に入れたミストは、自身の故郷へ戻り作成した細菌の散布準備を始めていた。




