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閑話 洗濯桶事件


《鴉樽》で暮らし始めてしばらく。


ログは最近、一つの問題を抱えていた。


地下街の大人達が格好良く見える。


非常に格好良く見える。


主もそうだ。


煙草。


外套。


無駄に落ち着いている。


地下街の男達もそうだった。


皆どこか余裕がある。


だから。


ログも真似した。


当然だった。


その日。


ログは共同洗濯場の横を歩いていた。


外套。


煙草。


片手をポケットへ突っ込む。


かなり雰囲気を出している。


本人だけは。


洗濯場ではおばちゃん達が洗濯していた。


桶。


水。


洗濯板。


地下街の日常だった。


ログはゆっくり歩く。


余裕ある男なので。


慌てない。


急がない。


格好良い。


多分。


その時。


後ろから声がした。


「若造」


ミナだった。


洗濯籠を抱えている。


ログは振り返らない。


余裕ある男なので。


低い声で答える。


「何だ」


ミナは少し黙った。


「後ろ」


ログは鼻で笑った。


「慌てるな」


ミナが真顔になる。


「いや」


「慌てろ」


ログはようやく振り返った。


その瞬間。


足元の石が滑った。


ツルッ。


ログの顔が固まる。


「え」


ドボォォォン!!


巨大な水柱が上がった。


洗濯場沈黙。


桶が揺れる。


水が溢れる。


洗濯物が飛ぶ。


ログが沈んでいる。


数秒後。


水面から顔が出た。


びしょ濡れだった。


髪から水が落ちる。


煙草も死んでいた。


洗濯のおばちゃんが言う。


「何やってんだい」


ログはしばらく考えた。


そして答えた。


「洗濯」


おばちゃん達が吹き出した。


ミナも吹き出した。


「違う」


「違わねぇよ!」


「落ちた」


「自分から入ったみたいに言うな!」


洗濯場が笑いに包まれる。


その時。


聞き覚えのある声がした。


「何してる」


地下街の主だった。


煙草。


外套。


いつもの面倒臭そうな顔。


主は洗濯桶を見る。


ログを見る。


もう一度洗濯桶を見る。


そして言った。


「洗濯か」


ログは頭を抱えた。


「アンタまで!?」


主は鼻を鳴らした。


「綺麗になったな」


ミナが完全に崩れ落ちる。


おばちゃん達も笑っている。


ログは桶の中で空を見上げた。


最悪だった。


本当に最悪だった。


だが。


もっと最悪なのは。


ミナが全部見ていた事だった。


後に。


何十年経っても。


ヴィクが格好つける度に。


ミナは必ず言う。


「主任も昔、洗濯桶入ってた」


ログは毎回否定する。


だが誰も信じない。


地下街では既に歴史的事実だった。

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