閑話 小さな灯り
閑話 小さな灯り
《鴉樽》は静かだった。
灯りは落とされ、 酒場には少ない声だけが残っている。
常連達は見張りへ出ていた。
主も居ない。
地下街の夜にしては、 妙に静かな時間だった。
ミナは酒場奥で、 小さな鍋を混ぜていた。
薄いスープ。
具は少ない。
でも温かい。
逃げ込んで来た子供は、 椅子へ小さく座っている。
まだ怯えていた。
ミナが器を置く。
「熱いから気を付けて」
子供は少し迷ってから、 ゆっくり手を伸ばした。
地下街の子供は、 食べ物をすぐ信用しない。
ミナも知っている。
だから何も言わない。
しばらく、 スープを飲む音だけが続いた。
やがてミナが小さく聞く。
「どこから来たの」
子供は器を抱えたまま、 少し黙る。
「……東」
「家あった?」
小さく頷く。
「兄ちゃんいた」
ミナは何も言わない。
急かさない。
子供はぽつりぽつりと続ける。
「役人だった」
静かな酒場に、 その声だけが落ちる。
「でも偉くない」
「書く仕事してた」
レオと少し似ていた。
真面目な役人。
地下街には向いていない人間。
子供は器を見たまま言う。
「最近、兄ちゃんずっと帰るの遅かった」
「変な紙、隠してた」
ミナが少しだけ顔を上げる。
子供は続けた。
「兄ちゃん、“見なかった事にしろ”って言われたって」
地下街の空気が少し冷える。
「でも兄ちゃん、怒ってた」
「“消えた人が居るのに”って」
ミナは黙って聞いていた。
子供は小さく笑う。
泣きそうな顔だった。
「だから僕、兄ちゃん格好いいと思ってた」
少し沈黙。
そして。
「次の日、兄ちゃん帰って来なかった」
酒場が静かだった。
遠くで、 地下水路の音だけが響く。
ミナはゆっくり器へスープを足した。
そして小さく言う。
「……ログみたい」
子供が顔を上げる。
「誰?」
ミナは少し考える。
それから真顔で言った。
「よく落ちる人」
子供がぽかんとする。
数秒後。
小さく笑った。
ほんの少しだけだった。
でも、 地下街の夜に灯るには、 十分な笑いだった。




