第33話
それは間違いなく、鳥の鳴き声だった。
――来た!
茂みから乗り出していた体を慌てて戻す。今上空を飛んでいるであろう鳥が肉を見つけてくれれば、上手くいくかもしれない。ここまで来ると出しっぱなしのナイフは諦めた方が良さそうだ。
上を見たい気持ちをぐっと抑え、息を殺して茂みに身を潜める。野生の動物と目を合わせることは、相手を警戒させることに繋がる可能性があるからだ。茂みの間からエイミーの方を伺うと、彼女も鳴き声が聞こえたのだろう、緊張で顔が僅かに強張っているのが見えた。
甲高く響いていた声が、ふっと途切れる。静寂が訪れた次の瞬間。
ぶわり、ともの凄い風圧がティファニーの顔面を襲った。
「きゃっ! 」
思わず尻もちをつく。咄嗟に顔を上げると、そこには小鳥――否、"大鳥"がばさばさと翼をはためかせてホバリングをしていた。大きく広げた黒い両翼は、端から端まで2mはあるだろうか。
鳥は空中でホバリングしながら、生肉、そしてエイミーを完全にロックオンしていた。
ーーいけない!
「う、うわーーっ! 」
エイミーの可愛げゼロの絶叫が庭に響く。と、その時。
「なに、何の騒ぎ? ……うわっ! 」
――シリル!! 本当に来た!
東屋の向こう側の道からひょいと見知った顔が覗いたかと思うと、その表情は一瞬で驚きに染まった。そしてパニック状態のエイミーを認めると、その目は限界まで見開かれた。
「エ、エイミー!? どういう状況なんだこれは! 」
シリルが叫ぶも、混乱状態のエイミーには届かない。
再び鳥が耳をつんざくような声で鳴く。
「ひーっ! やだやだやだっ、あっち行って!! 」
ブンっとエイミーが何かを投げる。それは大きく開いた鳥の翼を掠め、ティファニーの数メートル前まで転がってきた。
――馬鹿、石なんて投げちゃだめよ!
「エイミー! 鳥を興奮させちゃダメだ! 」
自分への攻撃を認識して鳥はひと際大きく鳴いたが、東屋の屋根に阻まれてエイミーに近づけない。しかしこれ以上ヒートアップすれば、強引にでもエイミーに攻撃をしてくるだろう。翼をたためば東屋の中に入れてしまう。
「っくそっ! 」
シリルが険しい顔で右手を芝生にかざす。一拍置いて地面が一直線に波打ち、鳥へ目掛けて大きく跳ねた。その勢いに押されるように、土が当たる直前で鳥はぶわりと上空へ後退した。
――追い返せた!?
飛び去った方を見上げる。遥か彼方まで逃げた鳥はしかし、直ぐに空中で体勢を立て直し、矢のような速さでエイミーの元へ滑空してきた。
「まずい! 」
――あの角度だと、確実に東屋の屋根の下に潜れてしまうわ!
慌ててシリルを見る。しかし、先程の一撃でだいぶ消耗してしまったのか、魔素が集まりきっていないようだ。
「……もうっ! 」
茂みから飛び出し、右の手のひらを鳥に向けてまっすぐかざし、力をこめた。すぐに目の奥がカッと熱くなる。
――いける!
鳥目掛けて思いきり水を放った。昔テレビで見た消防車のホースのように、暴力的な勢いと量の水が鳥に直撃する。ギャンという鳴き声が水の轟音の奥に聞こえた。
――それからあれも!
すぐさま方向を切り替えて、今度は東屋の方へ。
驚きで目を見開いたエイミーと、ばちんと正面から視線が合う。
「ごめん!! 」
何か口を開きかけたエイミーが、手のひらから放った水に遮られて視界から消える。
「うわあっ!! 」
水は狙い通り、肉塊を東屋の中へと吹っ飛ばした。
転がる肉とエイミーを視界の端で確認して、慌てて上空を見上げる。
――鳥は!?
水で濡れて額に張り付いた前髪をかき上げると、眩しい晴天の中、はるか上空に鳥の影が見えた。鳥はぐるりと大きく旋回すると、そのまま北の方へ飛び去っていった。
「助かっ、た……」
晴れた空に、エイミーの呟く声が聞こえる。辺りは水を打ったように静まりかえっていた。ま、ほんとに水を打ったんだけどね。うふふ、うふふふふ……。
ティファニーはそのまま視線を空に固定した。顔を戻したくない。今日はいい天気だし、しばらくこのまま日光浴でもしていようか。ああ、遠くでさっきの鳥が鳴いているのが聴こえる。こうして聴いていると、なかなか良い鳴き声な気がしてこないかしら?……
しかしそんな現実逃避も長くは続かない。
「……ティファニー」
落ち着いた、あまりにも落ち着き払ったシリルの声が背後でする。
無視するわけにも行かず、ティファニーはぐぎぎと首を戻した。
「……っ」
目に映った惨状に息を呑む。
びしょ濡れの状態で口元に微笑みを湛えているシリルと、もはや"浸かった"と表現した方が適切なくらいに濡れているエイミー。可憐な白いワンピースはおそらく肉を正面から受け止めたのであろう、お腹の辺りがピンク色に染まっている。でこぼこにめくり上がった地面は、その上から水を受けてぐしゃぐしゃにぬかるんでいた。
なるほど。これはまずいわね。
「……ごめん、聞きたいことが沢山あるんだけど」
シリルが沈黙を破る。顔に貼り付けたその笑顔は、心を閉ざしていないこっちの世界では見たことが無かった、かつてゲームで見たそれとそっくりだ。
「えーっと、エイミー? 君、何してたの? 」
名指しされたエイミーはびくっと体を揺らしたあと、ひきつる顔をどうにか笑顔の形にゆがめて、背を向けていたシリルの方へゆっくり振り返った。そして胸の前で手をぱちんと合わせる。
「あっ、シリルさん! えっとこれはその、私、小鳥さんとお友達になるのが夢で……」
――この状況でそのぶりっ子!? 無理よエイミー!
信じられないことに、エイミーはまだシリルルートを諦めていないようだ。
状況に似つかわしくないエイミーの言葉に、シリルは怪訝な顔をする。
「……お友達? 」
「そうなんです! それで、今日はプレゼントを持ってここで小鳥さんが来るのを待っていたんだけど、私が想像していたよりちょっと大きなお友達が来ちゃったみたいで……」
えへへ、と笑うエイミーをスルーして、シリルは東屋の中へ入った。つられてティファニーも近づく。
東屋の中も外と同じように悲惨な状況だった。木の板でできた床はびしょ濡れになっており、大きな肉の塊が2つ、びたんと落ちている。
シリルは同じく床に転がっていた麻の袋を掴むと、それを手袋代わりにして肉塊を1つ掴み上げた。
「プレゼントって、これのこと? 」
「……はい」
「”小鳥さん”に? 」
「そ、そうです! 」
はあ、とシリルのため息が響く。いつもにこにこしている彼が人前でため息をつくなんて、今まであっただろうか。
あのさ、とシリルは静かに話し始めた。
「小鳥を呼びたいのなら、生肉なんか使っちゃだめでしょ」
「え、そうなんですか? でも、羊肉のワイン仕込みが1番だって……」
「1番だって、誰が言ったの? 」
誰って、それは。
エイミーと顔を見合わせる。
「アルベールがそう言っているのを聞いたことがあるわ」
「私は寮の管理人さんと、あとキッチンのみなさんからです!」
「そっか。それで、ちゃんと『小さな鳥をおびき寄せたいんだけど』って言った? 」
「えっと……、もしかしたら言い忘れちゃっていたかもしれないけど、でも普通に考えたら、」
「彼らの"普通"で考えてみた? 」
シリルの言うことが分からず、エイミーとティファニーは首をかしげる。
「つまりね、アルベールや寮の管理人さん、キッチンのみなさんが『鳥をおびき寄せる』場合って、どんなときだと思う? 」
「え、えーっと、それは私と同じように、小鳥さんとお友達に…」
「違うよね」
鋭い声がエイミーを制す。
アルベールや寮の管理人さんが鳥をおびき寄せる必要があるとき。当然、鳥と友達になりたいから、なんて訳ではないことはティファニーにも分かる。
アルベール、管理人さん、キッチンのみなさん……。
「……みんな男の人? 」
「そう、そういうこと。確かにこれは鳥を誘い出すエサとして有名だよ。でもね、それはハンティングの獲物になるような、大きな鳥用なんだ」
「ハンティング!? 」
予想外の言葉に目が大きく開く。
そういえば、アルベールはよく父と連れ立ってハンティングに出かけていたかもしれない。彼にとっての「鳥のエサ」は、つまり大きな獲物をおびき出すための罠のことだった、ということか。恐らく寮の管理人さんもキッチンの人々も、同じようにハンティングのことを思い浮かべたのだろう。
すべてを理解してがっくりと項垂れたエイミーに、シリルはまあでも、と笑いながら肩に手を置いた。
「あのエサがハンティングのときに使えるってことは良く分かったよ。今度僕も使ってみようかな」
「……お役に立てたのなら嬉しいわ」
子犬の仮面が半分剥がれ落ちたエイミーがふはっと自虐的に笑うのを見て、ティファニーは内心焦った。このままだと、"ヒロイン"とはかけ離れたいつものエイミーが出てきてしまうかもしれない。シリルを含めたクラスメイトの前では"ヒロイン"をキープしてきたエイミーからしても、こんなところで努力を無駄にしたくはないはずだ。
「ええと、そうね、とりあえず帰りましょうエイミー。そんな恰好でいたら、今に風邪を引くわ」
麻の袋とナイフをかき集め、突っ立っているエイミーの肩をがっちり掴む。
そうだ、今日はもう引き上げよう、シリルにこれ以上突っ込まれる前に……
「そういえば、そこ2人って珍しい組み合わせだね? 」
会釈をして足早にシリルの前を通過するそのとき、ふと気が付いたように引き止められる。
ちっと舌打ちをしたい気持ちを抑えて、そうかしら、と笑顔で振り向いた。
「うん。教室で2人が話しているところなんて、一度も見たことないと思うんだけど」
「あら、そうだったかしら? でもクラスメイトですもの、顔くらいお互い知っているわ。それに今日はたまたま会っただけよ」
エイミーの主張――変えなくて良い部分はゲームとあまり変えたくない――により、教室ではあまり会話をしないようにしているのだ。
そうなんです! と慌ててエイミーも弁解に回る。
「私がここで小鳥さんを待っていたら、偶然ティファニーさんが通りかかって。それで私がお声をかけたら、ティファニーさんが興味を持ってくださったんです! 」
「へえ、ティファニーがこの可笑しな状況に興味を持って? ……まあ、あり得なくはないか」
今、なにか失礼なことを言われた気がする。私ってどんな人物像?
「まあ、わんぱくもそこそこにね」
「わ、わんぱくって! そんなんじゃないですー! 」
エイミーの訴えも虚しく、シリルはひらりと手のひらを振って去って行った。
むーと頬を膨らませたままのエイミーの肩を叩く。
「私たちも戻りましょう。あなた、そのままだと本当に風邪引くわよ? 作戦失敗の上に風邪だなんて、やってられないわ」
「失敗って……。で、でも、終わってみればシリルと仲良くなれたような気がしない? 私、これは成功と言ってもいいと思うわ」
「あなたが与えたかったイメージとは真逆だと思うけどね」
強引にポジティブな方向へ持っていこうとするエイミーは放置して、ティファニーはこの惨状をどうにかすべく、まずは忘れ去られた肉の塊を拾い上げた。
お久しぶりです!
少し時間に余裕が出来たので続きを書いてみました☺︎




