後編
マリクは、普段の穏やかで落ち着いた様子とは打って変わって、血相を変えてプリシラの元に歩み寄ると、プリシラがその瞳を潤ませているのを見て、ベアトリーチェを問い質した。
「ベアトリーチェ、探したよ。いつの間にか姿を消したと思ったら、屋敷の裏口から入ったのかい?
君をプリシラに会わせたくはなかったのだが。まさか、プリシラに手を出してはいないだろうな……?」
ベアトリーチェは可笑しそうにくすりと笑った。
「まあ、人聞きの悪い。貴方の大切な婚約者に、手を出したりなんてしませんよ」
「本当かい?」
顰め面のマリクを諫めるように、プリシラが慌てて口を開いた。
「ベアトリーチェ様は、私に何もなさってはいませんわ。
それよりも、マリク様。貴方様にお願いがあるのです。私との婚約を破棄してはいただけないでしょうか?」
プリシラの言葉に、マリクの顔はみるみるうちに青ざめた。掠れ声で、マリクはプリシラに問い掛ける。
「どうして、急にそんなことを言うんだい?」
プリシラは悲しみを堪え、少し震える声でマリクに告げた。
「マリク様、貴方様はお優しいから、私のことを気遣ってくださっているのはわかっております。
けれど、ベアトリーチェ様はもう自由の身。マリク様とベアトリーチェ様は、きっと今でも想い合っていらっしゃるのでしょう?先程も、馬車の前で熱い抱擁を交わしていらっしゃいましたし。それならば、私は身を引かせていただきます」
「あれは、誤解なんだ。
……君の、僕に対する気持ちが変わった訳ではないと?」
「それは、そうなのですが」
力なく俯くプリシラを、マリクはぎゅっと強く抱き締めた。
「それならよかった。僕は、君との婚約を破棄する気はまったくない。
僕はてっきり、君がベアトリーチェに心を奪われたのかと……」
「……は?」
訝し気な表情でマリクを見上げたプリシラの横で、ベアトリーチェがころころと笑っている。
「君みたいな素直で純粋な女性は、ベアトリーチェの一番好みのタイプなんだ。
……彼女、女性しか愛せないんだよ。けれど、あの外見だろう。それは沢山の男性が彼女のところに寄って来てね。僕は彼女とは幼馴染みで、彼女の事情はよく知っていたし、まあ僕も寄ってくる女性を避けたかったこともあって、彼女が落ち着くまではということで、形だけの婚約をしていたんだ。周囲は、色々と僕たちのことを噂していたようだけどね。
彼女も、生まれた家の立場も理解していたし、一番条件が良くて、大切にしてくれそうな優しい男性を見付けたら嫁ぐつもりだと言っていたから、彼女の嫁ぎ先が公爵家に決まって、僕たちの仮の婚約も解消したんだ。元々、僕たちは想い合っていた訳でも何でもなく、近しい友人以上の何者でもないんだよ。誤解させてしまって、すまなかったね。
僕が愛しているのは、プリシラ、君だけだよ」
「……そのような事情があったのですね」
「ああ。ベアトリーチェは、男性だけでなく、女性も魔性の魅力で強烈に惑わすからね。君にまで手を出されたら、どうしようかと思っていたよ」
ベアトリーチェは、まずマリクを見、そして眩しそうにプリシラを見た。
「大切な友人で、よき理解者であるマリクの婚約者ですもの、私も手を出さないくらいの分別は持ち合わせているわ。
……本来の自分を押さえて嫁いでみたけれど、やっぱり窮屈で駄目ね。相手の方にも理解していただけて、早々に解放されてほっとしたわ。
でも、残念。こんなに可愛らしくて謙虚な方、マリクの婚約者でさえなければ、私が攫ってしまうのに」
艶かしいベアトリーチェの視線に、真っ赤に頬を染めてうろたえるプリシラを庇うように、ベアトリーチェを軽く睨んだマリクは、再度プリシラを腕の中へと包み込んだ。
***
マリクとプリシラは、ベアトリーチェを帰りの馬車まで見送りに出た。
結局、その後お茶を飲みながら3人で話し、ベアトリーチェとプリシラはすっかり打ち解けていた。
「貴女のような良い方がマリクの婚約者でよかったわ。どうぞ、お幸せにね」
輝くような美しい笑みを浮かべるベアトリーチェに、プリシラも頬を染めて微笑み返す。
「優しくて素敵な姉ができたようで、私もとても嬉しいです。また、お話しましょうね」
そこへ、ひょっこりと現れたオーウェンが、集っていた面々の顔を見回してから、にこっと笑ってベアトリーチェに手を振った。
「僕、ベアトリーチェ様が兄さんからプリシラ様を連れ去ってしまうかと思っていたよ。プリシラ様、ベアトリーチェ様を見て顔を赤くして、ぽうっとなっていたからね」
「まあ、本当に?」
「はい。噂以上にベアトリーチェ様がお美しかったので、驚いてしまって……」
恥ずかしそうに笑うプリシラを見ながら、オーウェンが続けた。
「プリシラ様が破談の話をしていたのも、ベアトリーチェ様と兄さんとの関係を勘違いして兄さんのために身を引こうとしているのか、それともベアトリーチェ様に心奪われたのか、どっちかなと思ったけれど。
兄さん、ベアトリーチェ様にプリシラ様を奪われなくて、よかったね」
マリクはオーウェンの言葉に苦笑した。
「ベアトリーチェ、君にも想い合う相手が見付かるようにと、願っているよ」
「ありがとう。私も貴方たちにあやかりたいものね」
オーウェンは、マリクたちに背を向けて、馬車に乗り込もうとしているベアトリーチェにそっと走り寄ると、小声で尋ねた。
「ねえ。ベアトリーチェ様、兄さんに会いに来たんじゃなくて、兄さんの婚約者のプリシラ様がどんな女性か、見に来たんでしょう?
昔だって、兄さんに近付く女性が気に入らないと、追い払う代わりにベアトリーチェ様が魅了してたものね……」
ベアトリーチェがふっと笑った。
「オーウェン、よく見てるわね。
マリクは、恋愛関係にはならないけれど、私にとって誰より大切な存在よ。私が嫁いだ時だって、家族は玉の輿を喜ぶばかりだったけれど、私のことを最後まで心配してくれたのは彼だった。
そんな彼が選んだ女性がどんな方か、見ておきたいと思ってね。さすがマリクね、プリシラ様、私ですら羨ましいほど、健気で愛らしい方だったわ」
「……僕、ベアトリーチェ様が兄さんの相手に認める女性なんて、いないんじゃないかと思ってたよ。
いつも兄さんじゃなくてベアトリーチェ様の勝ちに賭けてたけれど、プリシラ様も結局兄さんに一途のようだし、今回はどうやら僕の負けみたいだね」
「ふふ、オーウェン。貴方も、マリクに負けずに素敵な方を見付けてね」
オーウェンの手を握り、彼に柔らかな笑みを向けてから、ベアトリーチェは馬車へと乗り込んだ。
馬車の窓から手を振るベアトリーチェを見送りながら、マリクを見上げて幸せそうに微笑んだプリシラの姿に、マリクも愛おしそうに、プリシラに回した腕に力を込めたのだった。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!




