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前編

軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。

「マリク!ああ、会いたかったわ……!」

「ベアトリーチェ。どうして、ここに……?」


馬車から降りるなり、魅惑的な瞳を潤ませながら、マリクに駆け寄って抱き付く絶世の美女。そして、困惑の表情を浮かべながらも彼女を抱き留めるマリクの姿を見つめて、マリクの婚約者であるプリシラは、目を大きく見開いていた。


(ああ、この方がベアトリーチェ様)


マリクの幼馴染みかつ元婚約者だったベアトリーチェの噂は、プリシラも耳にしていた。類稀なる美貌の持ち主であるベアトリーチェに、とある公爵が心を奪われたことから、彼女とマリクの婚約が破談となったということは、一部の貴族の間ではよく知られた話だった。国内でも指折りの有力貴族であるその公爵から強く望まれた彼女の家は、婚姻の申入れを断ることができず、ベアトリーチェも涙を飲んで、マリクとの別れを決意したらしい。


そして、最近になって、彼女が嫁いだ先の公爵とは離縁し、実家に戻っているという話が、嫌でもプリシラの耳に入ってきていた。


その日、婚約者のマリクの屋敷を訪れていたプリシラは、急ぎ足で部屋に入って来た執事に何やら耳打ちをされたマリクが、プリシラには部屋で待っているようにと釘を刺してから、慌てた様子で屋敷の外に飛び出して行く姿を見て、何とも言えない胸騒ぎを覚えていた。

こっそりとマリクの後を追って屋敷を出たプリシラが見てしまったのが、絵になる2人の抱き合う姿だった。


(何て、お似合いなのかしら……)


プリシラの婚約者であるマリクもまた、大変な美形だった。プリシラは、たまたまマリクの傷心の癒えたタイミングで紹介されたために、彼との婚約が調ったのだろうと思っている。プリシラも、それなりには男性から言い寄られることはあったものの、自分には、マリクは勿体ないほど見目もよく、また優しすぎるくらいに心根も美しい青年だと思っていた。

それだけに、彼と婚約してからは夢見心地でいたプリシラだったけれど、目の前の光景に、急に冷水を浴びせられたような、現実に引き戻されたような気持ちになって、両の瞳にじわりと涙が浮かんだ。


そのまま動けず呆然と立ち尽くしていたプリシラの目と、ベアトリーチェの目が合う。

ベアトリーチェは、マリクに抱き付いたまま、マリクの背中越しに、遠慮のない視線を真っ直ぐにプリシラに向けて来た。

長い睫毛に彩られた、形のよいルビーのような赤い瞳のあまりに妖艶な美しさに、プリシラはショックを受けるというよりも、ついほうっと見惚れてしまった。頬に血が上るのを感じたプリシラの内心を見透かしたかのように、ベアトリーチェの口角がすっと上がる。


その時、マリクははっとしたように後ろを振り返ると、プリシラがすぐそこで自分たちを見ていることに気が付いた。


「部屋で待っていて欲しいと、そう言ったのに……」


青ざめたマリクがベアトリーチェの腕を振り解き、呻くように漏らした言葉に、ようやく我に返ったプリシラは、くるりと2人に背を向けると、屋敷に向かって駆け出した。


「……プリシラ、待ってくれ!」


駆け去るプリシラの後ろ姿に叫んだマリクの声は、しかし懸命に走るプリシラの耳には届かなかった。


***

「プリシラ様、どうされたのです?」

「あ、オーウェン様……」


すれ違い様に、ずいとプリシラに顔を近付けて来たオーウェンは、マリクの3つ年下の弟で、プリシラよりは1つ年上に当たる。


屋敷に息を切らして走り込んで来たプリシラが、目を潤ませながら頬を染めている様子を怪訝そうに眺めたオーウェンは、首を傾げると口を開いた。


「もしかして、ベアトリーチェ様かな……?」

「よくおわかりですね。

ベアトリーチェ様が、マリク様に会いにいらしたのです。噂には聞いていましたが、ベアトリーチェ様は、本当にお美しい方ですね」

「ああ、まあ、確かにね」

「彼女の姿に、まるで女神様の降誕でも見てしまったかのような気持ちになりましたわ、私」

「ふうん……」


プリシラは、少し逡巡してから、探るような視線をプリシラに向けていたオーウェンに告げた。


「私、マリク様との婚約は破談にしていただこうと思っているのです」

「ちょっと待って。兄さんの意思は聞いたの?」

「いいえ。でも、そうした方がよいかと……」

「まあ、少し落ち着いて」


オーウェンはプリシラの肩を一度叩くと、


「どっちかな?

でも、やっぱりベアトリーチェ様の勝ちかな……」


と、ぶつぶつと小声で呟きながら歩き去って行った。


そんなオーウェンの言葉を完全に耳で拾ってしまったプリシラは、苦笑するほかなかった。


(そんなこと、言われるまでもなくわかっているのに。

私など、とても、あのベアトリーチェ様に敵うとは思えないわ)


マリクと婚約してからの楽しかった日々を、少しずつ重ねていった彼との思い出を、どこか遠く懐かしく感じながら、プリシラはゆっくりと屋敷の長い廊下を歩いた。そして、先程までマリクと一緒にいた部屋のドアを開けた時、その部屋のソファーに優雅に腰掛ける先客がいることに気付いた。


「……ベアトリーチェ様?」


プリシラが間近で見ると、さらにベアトリーチェは神々しいほどに美しかった。同性のプリシラでさえ、目を奪われたまま逸らせなくなるほど、完璧に整った顔の造作としなやかな肢体に、艶やかなオーラを纏っている。思わずくらりとするような目眩を覚えながら、彼女にうっとりと見惚れたプリシラに、ベアトリーチェは華のある微笑みを向けた。


「貴女、マリクの婚約者のプリシラ様?」

「はい、そうです」


ベアトリーチェは、上品な仕草で立ち上がってプリシラに歩み寄ると、今度は正面からまじまじとプリシラの顔を覗き込んだ。


「……残念だわ。貴女が、マリクの婚約者だなんて」

「……!」


(私など、マリク様とは不釣り合いだとわかってはいるけれど……)


さすがに、直接的とも言えるベアトリーチェの言葉に傷付いたプリシラは、またも両目に熱いものが滲むのを感じたけれど、それをぐっと堪えると、何とか彼女に笑顔を作った。


「ベアトリーチェ様の方が、マリク様に相応しいお方なのはわかっております。

なので、私はマリク様から身を引かせていただこうと……」


ちょうどそこまでプリシラが話したタイミングで、勢いよく部屋のドアが開き、肩で息をしながらマリクが駆け込んで来た。

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