第三章 第七幕:有馬
翌日。真壁が、分厚いファイルを机に置いた。
「まず農地法、農業委員会へ話を通します。
「次に大規模化に必要な整備資金、インフラ補助、スマート農業支援……これらは国の農業構造改革支援基金の審査対象です。」
「農業委員会の許可(農地法)はクリアできても、大規模化に必要な整備資金や補助金は、この基金の承認がないと1円も降りない」
優作は真壁を見た。「理事は誰だ」
「有馬誠一。元農林水産省、三年前から基金の理事に就いています。この申請の実質的な承認権を、持っています」
拠点が、静かになった。
「……俺たちの申請を、審査するのですか」庄屋が言った。
「はい」
優作は頷いた。「会いに行く」
――――――
有馬誠一のオフィスは、霞が関の近くにあった。古いビルの四階。窓から、皇居の緑が見えた。
有馬は六十代だった。白髪。細い眼鏡。書類を読んでいた。優作が入ってきても、すぐには顔を上げなかった。
しばらくして、眼鏡を外した。「片桐さんですね」「はい」「座ってください」
テーブルを挟んで、二人が向き合った。
「暁商事の農地集約計画、資料は読みました」有馬は静かに言う。「よく出来ています」
「ありがとうございます」
「ただ——」有馬は資料をテーブルに置いた。「承認は、できません」
優作は少し間を置いた。「理由を聞かせてください」
「合理的であることと、説明できることは別です」
有馬は窓の外を見た。「この計画が成功する確率は、高いでしょうなぁ。こちらの試算も、説得力がある。片桐さんの現場での実績も、確認させてもらいました。」「しかし——」
「……それでも、承認できない」
「……なぜですか」
「失敗した時に、誰が責任を取るか。それが、この資料のどこにも書いていない」
優作は少し間を置いた。「書きます」
「本当に書けますか?」有馬は優作を見た。「農家の方々の人生を巻き込む計画ですよ。成功すれば、あなたは英雄になるだろう。だが、失敗した時——土地を失わなくても、生活は壊れる。営農意欲は決して戻らない。地域のコミュニティが、静かに死んでいくだろう。」
優作は何も言えなかった。
「善意が暴力になることもある」有馬は続けた。「あなたの善意を、疑っているわけじゃない。ただ——善意は、失敗した時の免罪符にならない」
沈黙。
窓の外で、鳥が一羽、飛んでいった。
「……持ち帰ります」優作は静かに言った。
有馬は眼鏡をかけ直した。「お待ちしています」それだけ言って、また書類に目を落とした。
――――――
エレベーターを降りた。外に出ると、冷たい風が吹いていた。
庄屋が待っていた。「……どうでしたか」
優作は少し間を置いた。「正しいことを言われた」
庄屋は優作を見た。「反論できなかったんですか」「ああ、」
二人は少し歩いた。霞が関の、人通りの少ない路地だった。
「……有馬さん、悪い人じゃないですね」庄屋が言った。
「ああ」
「だが、……壁になる」
「ARK」
『はい』
「失敗した時の設計を考えてくれ。誰も壊れないための」
『はい。ただし——』
『……. それは、優作が決めることです。私が設計できるのは、数字だけです』
優作は少し間を置いた。「……そうだったな」
風が、路地を抜けていった。




