47. 最後の隠語
アンナの清々しい宣言に、しかしフレデリックは悲壮に顔を歪めた。
「……早まるな、アンナ。君には何の責任もない。こんな逃避行紛いの行為に付き合うことはない」
フレデリックは懇願するような声音で言うが、それがアンナの心に響くことはなかった。
アンナは首を横に振ると、意志の強い瞳で婚約者を見据える。
「そういう問題じゃないんだって、あなたにも分かっているでしょう? ――それに」
アンナは覚悟などとうに決まりきった凄絶な笑みを浮かべ、ゆっくりと自らの下腹部に手を添えた。
「――もしも子供が出来ていたら、父親がいないと困るでしょう? 責任はきっちり取ってもらうわよ」
「……っ!?」
フレデリックを絶対に逃げられなくする魔法の言葉が、彼から言葉を奪う。
ついで恐ろしい気づきが彼を襲った。
「……お前、まさかこうなると分かっていて、さっき……」
アンナのひたむきな執念に慄きながら、彼は苦悩に頭を抱える。
一方でアンナはどこまでも冷静に、肩を軽く竦めるに留めた。
「あなたがバカをやることなんて、占い師じゃなくても予言できるわよ」
「……っ」
「私がどこまでもあなたについていくのは、決定事項よ。元より議論の余地なんかないから、諦めなさい。それよりフレディ、あなたはどうやってこの場から逃げおおせるつもり?」
アンナの問いはもっともだった。
クロードのやったことは、いくらフレデリックが言葉を尽くして正当化したところで、現在の法に照らし合わせれば立派な犯罪行為だ。
そして、ここにいるのはまさに法を司る王族の面々。彼らにとって、クロードを見逃す理由は一つもない。
「ぅ……」
そこまで考えてはいなかったらしいフレデリックが、全身を硬くした。
状況の処理について、最初に口を開いたのはナラネスラ王国王女、ノエリアだった。
魅惑の唇からふぅと小さく息を吐き、頼りない父親に変わって方針を示す。
「……教皇一族、もといユースティル一族はその信念のみを理由に、これまで一度として国の徴兵令に応じていませんの。
これは国民の義務の放棄にあたりますわ。
よって王家としては、この一族を庇護対象とはみなさないものとします」
クロードがナラネスラ王国内で殺した能力者たちについては、王族の「管轄外」であると断じてのけた。
ノエリアらしい大胆な対応だが、リンデル王国の王子さえも絡む面倒事となれば逃げの一手こそが理想。
これは咄嗟に上手い言い訳を思いついたものだと、彼女を称賛すべき場面である。
国王とヨエルからも反対意見はなく、ナラネスラの対応はあっさりとノエリアの案で確定する。
場の注目は自然と、レイナールに集まった。
今リンデル王国としてクロードに問うべきは、ミロスラーヴァ殺しの罪と、フレデリック王子に対する殺人未遂。
またフレデリックについても、犯罪者の逃亡の補助を申し出たとして罪を問わなければならない。
この場においてリンデル王国に関する最大の決定権を持つレイナールは、クロードとフレデリックを確実に拘束して国に連れ帰り、国王に処遇の判断を仰ぐべき立場にある。
「……」
自身の義務と感傷の間で板挟みになって流石に言い淀むレイナールに、フレデリックが一歩踏み出した。
「――クロード、アンナ。まずは海辺に向かわないか? 俺は今、貝殻を拾いたい気分なんだ」
「え?」
「はい?」
意図の見えない言葉に、クロードとアンナは揃って首を傾げる。
しかしレイナールだけは、張り詰めた面持ちで兄を見据えた。
緊張を解かない弟にフレデリックは、最後がいつだったかまるで思い出せないほどに久しぶりに、どこまでも温かな微笑みを向ける。
「――海辺でまた『宝石』が見つかったら、誰にも盗まれないようにちゃんと隠しておかなくちゃな」
「……っ!」
あの頃「宝石」を隠したのは、リンデル王国の王宮の庭の中。フレデリックは、またそこに帰ってくると言っているのだ。
……もちろん、クロードを逃がした責任を一身に引き受け、その命をもって罪を償うために。
それだけは、弟に押し付けないために。
この意図を知らせていいのはレイナールだけだ。
クロードやアンナに知られてしまえば、クロードを逃がすこと自体に反対されてしまう。
これまで幾度となく、幾通りも作られてきた兄弟間での隠語の、それは紛れもなく最後の一つだった。
レイナールは兄の覚悟を飲み下すように、ゆっくりと目を伏せる。
……クロードが使命のために人を殺したことは罪で、彼はこれから癒しの力をもってそれを償おうとしている。
フレデリックが英雄になるために人を殺したことと、人殺しを守ろうとしたことは罪で、彼はこれから命をもってそれを償おうとしている。
……では、兄を退くために王になろうとして、これから王になるだろう自分はどうなる?
王になってしまえばきっと、直接的にも間接的にも、人を殺すことは避けられない。
あとは償うだけの兄たちとは異なり、自分だけはこれから罪を犯すのだ……
レイナールはフレデリックと目を合わせ、なるべく温かな笑みを浮かべることを心掛けた。
深呼吸で息を整え、意を決して口を開く。
「 『宝石』って何の話? ――ていうかお前、誰?」
――兄さんだけ先に気持ちよく死なせてたまるか。
俺と同じように、一生苦しんで生き続けろ。
隠蔽工作でも何でもやってやる。
俺は兄さんの認めた天才なんだ、その程度のことでは躓かない。
誰かが口を開く前に、レイナールは踵を返した。
シャーロットの手を引いて、足早に客室へと戻る。
○
ベッドに座り込むレイナールの首に、シャーロットは腕を巻き付けるようにして抱きついた。
レイナールは応えるように彼女の腰を抱くと、掠れ声で呟く。
「……シャーロット。俺、そうじゃなくても友達が少ないのに、憎い兄さんまで失ったよ」
「……私も、親友を失いました」
シャーロットは彼の右腕を掴み、その手のひらを見つめる。さっきまで彼女の指輪の破片を握りしめていたために、指先が所々切れてしまっていた。
彼の手に残ったままの宝石の破片を丁寧に払いながら、シャーロットは口を開く。
「さっき、お昼寝をしたとき。少し変わった夢を見ました。やけに現実味のある、数年後の王宮で暮らしている夢です」
「……そうか。俺が指輪に力を流し込んだときに、その断片が君に……」
「そうかもしれませんね。その夢の中で私はひと足先に、自分の子供に出会いました」
「……」
シャーロットの告白に、レイナールはぴくりと動いて身を固くした。その戸惑うような反応に淡く微笑みながら、シャーロットは穏やかな声音で続ける。
「その子は……いえ。詳しくは、実際に生まれたときのお楽しみにしておきましょうか。……ただ、あなたはその子のために、幸せにならなければなりません」
頬に手を添えられ、上を向かされる。
目が合った彼は、少し苦しげな微笑を浮かべながら、親指でシャーロットの目元を拭った。
そうされて初めて、自分が涙を流していたことに気づく。
「……君が言うならその通りなんだろうな、シャーロット」
「はい。どうか全面的に信用してください」
落とされた唇は、先ほどと寸分違わない甘さだった。




