38. 王の資質
「見上げた根性だよ、お嬢さん」
近くにいた男が、心から感服したような顔をした。
彼がフレデリックを殺す役割だったのだろう、その手には鈍く光るナイフがある。
「お望み通り、王子様の前に逝かせてあげよう。――あなたの来世に、女神の祝福があらんことを」
仰向けになったシャーロットの心臓に向かって、ナイフの切先が迷いのない軌跡を描く。
――シャーロットはその様子を、全身全霊をもって観察した。
ナイフが体に触れる直前、急激に体をずらして半身を起こす。
シャーロットの胸を貫く予定だったナイフは、その勢いのまま彼女を縛るロープを切り裂いた。
「――うぁ!?」
「ふっ……!」
男が驚いている隙にナイフを奪い取り、一気にフレデリックの元へと駆け寄る。
そしてちょうど露わになっていた彼の手のひらを、遠慮なく切り裂いた。
「――ぐっ、いっでぇ!!」
「おはようございます殿下! 今すぐ逃げてください!」
「は、はぁ!?」
世にも乱暴な叩き起こし方をしながら自分とフレデリックに巻かれていた残りのロープを外し、フレデリックを担架から引き摺り落とす。
「おいお前ら! 王子だけは絶対に逃がすな!」
「……っい!?」
男たちから尋常ではない視線を向けられ、ようやく自らの危機を察知したらしいフレデリックが必死で立ち上がった。
しかし飛びかかってくる男たち全員を振り切ることは叶わず、シャーロットはやむなく一人の肩を裂くが、狂気に駆られた彼らはなおも立ち向かってきた。
シャーロットは突き飛ばされ、背を強かに打つ。
「……くっ!」
――ニーナの侍女として働いていた頃は、兄が戯れに教えてくれた通りの鍛錬を、自室で欠かさず行っていた。
しかし王宮で暮らすようになってからはどこへ行っても周りを護衛や侍女に固められるようになり、スパイを疑われるような不審な行動には出られなくなってしまった。
思ったより、体が鈍っていた。
取れるはずだった受け身を取り損ね、ナイフから手を放すという致命的なミスを犯してしまう。
――男に拾われたナイフは、そのままフレデリックの腹に突き刺さった。
「殿下!」
「――ぐ、ふっ……!」
痛みに顔を歪ませ、フレデリックは体をよろめかせたが、その目だけは未だに強い意志を映し出していた。
「行きましょう」
「……ああ」
足を踏み出す彼の手を取り、シャーロットは倉庫の出口へと向かったが、このままでは逃げきれないことは分かっていた。
シャーロットはフレデリックの腹に刺さるナイフに目をやりながら、焦燥に歯噛みする。
……男たちは未だに素手で向かってきているので、ナイフはこの一本しかないと見ていい。
それならこれは威嚇に使えるが、今無理にフレデリックからこれを抜き取ってしまえば、そうでなくても深い傷が開きかねない。
どうすべきか決めかねたシャーロットを、翠色の双眸が鋭く見下ろした。
「――シャーロット。これが欲しいんだな?」
「……っ、ですが……」
「そうか。じゃあ、起こしてくれた礼だ」
フレデリックはふっと息を吐き、自らナイフを抜き取った。
鮮血に塗れた銀の刃が、シャーロットの手に渡る。
彼女は言葉もなく小さく頷き、生き抜く覚悟を決めて刀身を男たちに向けた。
「……外には何人いますか」
聞くと彼らは、俄かに笑った。
「さあな。一つ言えるのは、みな王子を贄にするためなら命も惜しまないということだ」
言いながら、懐から黒い塊を取り出す。
「……っ!」
猛烈に嫌な予感がしたシャーロットは、一気に後ずさった。
「「――この命、我らが女神に捧げん!」」
――シャーロットとフレデリックが倉庫を出た数瞬後、背後を血赤の火焔が揺らめいた。
外では同じような倉庫が、四方八方に並んでいた。
森を切り開いて作っているのか、木々がその隙間を縫うよう生え広がっている。
……炎はそれを伝ってそこかしこに燃え移ってしまうだろう。
思わず立ち尽くしていると、遠くから人影が見えた。
「……っ、追手です!」
「あ、ああ!」
あちらも走り出したシャーロット達の存在に気づいたのか、全速力でこちらに向かってきた。
並び立つ倉庫で死角を作り、めちゃくちゃな方向に走ることでどうにか逃げ延びる。
「――ちょっと殿下、急いでください! 早くしないと追いつかれますよ!」
「腹を刺されたせいで力が入らねぇ……俺はここまでだ。先に行け……」
悲壮な表情でそんなことを言うフレデリックに、しかしシャーロットは信じられないと目を剥いた。
「――はぁ!? 何言ってるんですか! あなたが死ねば疑われるのは私なんですよ!?」
これにはフレデリックも目を見開く。
「お前、そんな理由で俺を……! ちょっと感動した俺がバカだった!」
思い切り顔を顰める彼に、シャーロットは歯を見せて笑った。
「当たり前でしょう――少しは元気が出ましたか?」
「……チッ! クソが!」
あまりにも捻くれた鼓舞の仕方に、フレデリックは悪態を吐きながらも勢いを増す。
シャーロットは何とか時間を稼げたと安堵しながらも、ジリ貧の状況に歯噛みした。
フレデリックの手当てもあるので街に逃げ込みたいところだが、ここは丘の上に建つ王宮の、近くにある倉庫群。つまりは斜面の上だ。
ここから麓までの距離は短くないし、万一見つかったとき、敵より低い位置にいるのはあまりにも不利。
敵の目を盗んで倉庫群を抜けるタイミングを掴めず、ずっと周辺を走り回っている。
そうこうしているうちに火事も広がってきていて、落ちた瓦礫で足場は悪いし息もしづらくなってきた。
――じわじわと追い込まれているこの状況の打開策を必死で模索していたシャーロットは、瞬間的に迫り来た命の危機に気づけなかった。
「――危ない!!!」
「……うっ!」
思い切りシャーロットを突き飛ばし、崩落する瓦礫から彼女を守ったその人の声は、フレデリックのものでも敵のものでもなかった。
「――レイナール、殿下……」
シャーロットに名前を呼ばれ、彼はにこりと笑う。
「――久しぶりだな」
「……」
「一家皆殺しにしようとしてきた人間を命懸けで助けようとするなんて、君も相当なお人好しだな」
「……」
しかしシャーロットは、その彼の言葉に応えない。
……彼女の目は、瓦礫の下敷きになっている、彼の下半身にあった。
「……おい、シャーロット」
少し掠れたフレデリックの声が、彼女を我に返らせる。
見ると彼は、レイナールの右腕を抱えていた。
「……手を貸せ」
「……」
シャーロットは黙ったまま彼の左脇に寄ると、フレデリックと力を合わせて彼を瓦礫から引っ張り出した。
「……っと」
レイナールは倉庫の外壁に手をつくと、ゆっくり立ち上がり、足を片方ずつ微かに動かす。
「んー……こっちは生きてる。こっちはもうダメだな」
自分の足を一本ずつ指差しながら、彼は事もなげにそう言った。
「……っ」
シャーロットはすぐにでも手当てしたい思いだったが、状況がそれを許さなかった。
ここに長く留まりすぎたのだ。
顔を上げれば、彼らを囲む絶望的な数の追手に視界を塞がれた。
「殿下……」
震える手で、思わずレイナールの袖口を掴み、その顔を見上げる。
しかし彼は、どこまでも楽観的な笑みを浮かべていた。
「大丈夫だ」
そう言って口元に手を当て、少し遠くの方を見て大きな声を出した。
「――お義兄ちゃーん、助けて〜」
途端、敵の包囲網に大穴が空き、複数人の武装兵が乗り込んできた。
その先頭を走っていたのはミルクチョコレート色の髪に、シャーロットと揃いの碧眼の。
「あ、お兄様! ……うぐっ!?」
「シャーロット! うっ、ほんとに良かった、無事で……」
「あ、ふ……」
ちょっと泣きそうになっているアレクセイに思い切り抱きすくめられ、シャーロットは窒息しかける。
妹の窮状に気付かぬままあっさりと離れたアレクセイは、目前の敵に目を据えた。
「殺すまでもないね」
言うと戦っている仲間たちに向け、声を張り上げる。
「――改めてレイナール第二王子殿下の名の下に、賊を成敗する!」
○
アレクセイは必要以上の死傷者を出さぬよう、剣の柄で敵を殴って回った。
元々ほとんど独学で戦い方を学んできたので、普段は剣を使っているとはいえ、体術周りにも不安はない。
これまでずっと、自分の問題を妹に背負わせてきたことに引け目を感じていた。
――それが今、初めて彼女の役に立てている。
たった一度命を守った程度で返し切れる恩ではないが、それでも久しぶりに少しだけ、胸が晴れるような思いがした。
……この機会が与えられた、三日前のことを思い出す。
訓練を終え、休憩所で仲の良い騎士数名とカードゲームに興じていたときのことだった。
ノックもなしに部屋の扉を開いて入ってきた男が、すっとアレクセイたちを見下ろした。
『ひっ……』
初陣も済ませた騎士が声を上げて竦み上がるほどに、その男、レイナール王子の目つきは尋常ではなかった。
――ちなみに彼とは皆、一応顔馴染みだった。
人当たりが良く社交性の高かった彼は、その人柄も好ましいもので、よく訓練の様子を見に来てくれていたのだ。
馬術も剣術も苦手らしく、共に体を動かすことこそなかったが、騎士たちの技を褒めてくれたり差し入れをしてくれたりと、彼なりに心を尽くしてくれていた。
少し貧弱で不器用でありながら優しい王子として、彼は騎士たちからの人望を集めていた。
……そんな彼が、顔に一切の表情を浮かべず、ただその冴え渡る紫色の瞳で射抜くようにこちらを見つめてきたとき。
初めて、彼はそれまで常に笑顔だけを、どこまでも薄っぺらいあの笑顔だけを、自分たちに向けてきていたのだと気づいた。
『――アレクセイ・マーセル。三日後、俺の兄とお前の妹が死にかける。俺は助けに行くが、お前らも来るか?』
……シャーロットが?
聞き捨てならない話だったが、大きすぎる違和感が無視できなかった。
『……なぜ、殿下にそんなことが……』
しかしそれに答えが得られることは、ついぞなかった。
『説明してる暇があるとでも思うか。信じられないなら来なくていい。来る気になった奴は死ぬ気で俺を追いかけてこい』
『いや、ちょっと待ってくださ――』
『悪いが時間がない。その辺の馬を借りて行くぞ』
返事も待たずに扉が閉められ、急な静寂が訪れた。
『……馬、乗れるんですか……?』
口をつく疑問は、ついぞ答えられることはなかった。
騎士たちは混乱を露わに顔を見合わせ合う。
――しかし数秒もしないうちに、アレクセイ含めた全員がその場を立った。
来ても来なくても良いかのような言い方をしていたが、本当は絶対にアレクセイたちが必要なのだと、あの凪いだアメジストの瞳が言っていたのだ。
恐ろしかったが、脅迫ではなかった。
当然懇願でもなかった。
実績も信用も説明もなしに彼は、自然と騎士たちを従わせてのけたのだ。
――これこそが、直々に兵を率いるアレクセイたち将軍とは違う、まさに王の資質なのだと、無理やり納得させられたような心地がした。




