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同僚

 つい最近までビルの一つのせいで日陰になっていた筈の道が太陽で明るくて、季節が変わったな、と感じた。屋外に出てすぐだったから、目を刺す様な強烈に明るい太陽にちょっとだけくらくらとする。手のひらを上に向けて目の上に持っていって、太陽を遮ると、青い空の上に飛行船。ゆっくり、ゆったり。こちらから見れば、まるでのんびりしているように見える。

 ビルの隙間と隙間の間の青空の隙間を泳ぐように、滑らかに。静けささえ感じさせるほどに。

 「ミサキさん。あんまり見とれてると、とられますよ」

 声にハッとして振り返ると、同期の癖して直属の上司にあたるヤハタ君が立っていた。同期ながら、最近になって本社に異動してきた彼とはそんなに親しくはなかったのだけど。

 珍しく、きちんと背広を着てネクタイを締めている。少し気の弱そうな眼鏡の奥の目が、困ったように、ごまかすような笑みを浮かべていた。その目の中に、少し悲しそうな色を見てしまうのは、私の先入観からの偏見だろうか?

 彼は自分のさしていた番傘を私の頭上に差し出す。頭上の日光が遮られて、足元の白く輝くアスファルトに丸い影が出来る。視界に影が落ちると、今まで強烈な日の光を浴びていた目がす、と落ち着くのが分かった。

 「ミサキさんはうちの部の有望株なんですから、とられたら僕が怒られちゃう」

 ヤハタ君はやっぱり柔和でぼやけた笑みを浮かべていて、そんな調子の良い事を言う。自分は、有望株どころか、出世頭のくせに。それを自分が言うと嫌味だと、気づかないのだろうか? 気づかないふりをしているのだろうか? 人の良さそうな顔をして、それさえ計算なのだろうか?

 それとも、あの噂は本当なのだろうか?

 「ヤハタ君、珍しい。今日はスーツ?」

 私が指摘すると、彼はちょっと窮屈そうに首をすくめた。

 「そうなんです。定例報告会。じゃないとこんな時間に出社しませんよ」

 「遅いもんね。いつもぎりぎり」

 「あはは。ミサキさん、いつもこんな早いんですか?」

 「早いよ」

 「何やってんですか? 早く来て」

 「点検とか。万が一があったら困るから……」

 言ってしまって、しまった、と思った。

 思って、それから咄嗟に自分に言い訳。いや、別にしまってないよ。私は事実を言っただけだし。ヤハタ君のアレは噂に過ぎないんだし。信憑性なんて、どこにもない。大丈夫。気を使って訂正なんてしたら逆に不自然になる。

 私が脳内で一瞬間にそんな逡巡をくりかえしたなんて、気づく様子もなく、ヤハタ君はあー、とこっちが拍子抜けしてしまうくらい普通の態度で、おどけた様子で気まずそうな感じを作って言う。

 「耳が痛いなぁ。僕やってないなあ」

 「せめて週に1回くらいやっといたほうがいいよ」

 「そうだねえ。早く起きれたらね。やらないとね。……って言うか、点検用具、どこやったっけな」

 「うわあ。本格的に、どんだけしてないの」

 「年単位で。……2年くらい?」

 その言葉に、ぞっとした。

 「え、冗談、だよね?」

 あはは、とヤハタ君は笑った。笑っただけだった。

 噂によると、2年前、ヤハタ君は婚約者でもあった彼女を飛行船に「とられて」しまった、らしい。社内で飛び交う噂だなんて、面白半分の不謹慎だから、あまり信じていなかったし、その「事件」のお陰で彼が異例の出世を遂げたと言う人も少なくなかったから、完全に恨みに根付いたデマだと思っていた。

 でも、今彼が言った事がホントだとしたら、彼が点検していない年月とその事件があったと噂されている年月は一致するなぁ、と頭の片隅で考える。

 「点検具、貸してあげるから。それか、今日代わりに点検しこうか?」

 持ち前のお節介が頭をもたげて、そう提案したらヤハタ君はにっこりと微笑んだ。愛想の良い、人の良さそうな、優しそうな笑みで。

 「ありがと。今度点検用具貸してもらうよ」

 絶対、借りに来ないな、と直感した。なんとなくだけど、絶対。

 「いつでもどうぞ」

 言いながら、もう一度だけ空を見上げた。もう、飛行船は見当たらなくて。

 今日も誰か「とられて」しまってないだろうか、と考える。いや、絶対に「とられて」るだろうな、とも思う。いくら私たちが防ごうとしても。「とられ」たがってる人間だっているかもしれないし。

 隣にいるヤハタ君。彼も実は「とられ」たがっているのかもしれないけれど。

 知らない。私はただそれを防ぐだけ。

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