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『婚約を押し付けられたので、第一王子殿下を脅して婚約者になっていただきました』  作者: 伊佐波瑞樹


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第72話 倉庫から返ってきた『全員に共通して教えること』は、思っていたよりずっと少ない二つだけでした



 翌朝、第二共同倉庫からの定時便は、アマリリアが執務室へ入るより少し前に届いていた。


 まだ朝の空気が窓硝子に冷たさを残しており、中庭では夜露を含んだ石畳が薄く光っている。机の右端には見慣れた紐でまとめられた報告書が置かれていたが、今回は昨日までの短報より少しだけ厚かった。


「来ておりますね」


 アマリリアは外套を侍女へ預けながら言った。


 すでに室内にいたディーンが頷く。


「はい。ただし、緊急報告ではありません。停止要因なし、安全上の新規問題なしと冒頭に記載されています」


「では、ライル様が来てから見ます」


 そう言って席へ座ると、ゼインが書類箱の蓋を閉める手をわずかに止めた。


「何です?」


「いえ」


「最近、その『いえ』の前に何かありません?」


「お嬢様が報告書を目の前にして待つことへ、私が慣れてきただけです」


「それは褒めております?」


「事実を申し上げただけでございます」


 なんとも判断しづらい。


 アマリリアが少しだけ目を細めていると、扉が開き、ライルが入ってきた。


「おはよう」


「おはようございます」


 彼は挨拶をしながら机へ近づき、報告書へ目を留めた。


「倉庫?」


「はい」


「見た?」


「待っておりました」


 ライルの顔が少し明るくなる。


「俺を?」


「報告書を一緒に見るためにです」


「同じじゃない?」


「言い方が違います」


「でも待ってた」


「待っておりました!」


 朝から余計なところを拾われた。


 それでも、アマリリアは少し笑っていた。


          ◇◇◇


 今回の報告書で最初に確認するのは、作業員へ何を共通して教えるべきか、現場責任者が班長や常勤者と話し合った結果だった。


 昨日、アマリリアは「三つ以内」と言いかけたものの、セレーネから根拠を問われて撤回している。そのため、実際に送った問いはもっと単純だった。


『現在の説明方法を大きく変えず、新人・臨時作業員を含む全員へ共通して伝える必要がある事項があるなら、何か』


 数は指定していない。


「結果は?」


 ライルが隣へ座りながら聞く。


 ディーンが一枚目を開いた。


「現場責任者、班長二名、常勤作業員八名で話した結果、共通事項として挙げたのは二つです」


「二つだけ?」


 アマリリアは少し意外に思った。


「はい」


 一つ目。


『荷札の内容と、実際に置こうとしている区画が合っているか分からなくなった時は、置く前に止まる』


 二つ目。


『自分だけで合っていると決め直さず、分からなければ他の作業員または班長へ確認する』


 ライルが紙へ視線を落としたまま、少し首を傾げる。


「荷札を何回読め、とかじゃないんだ」


「形を見る順番もありませんね」


 アマリリアも同じところへ気づいた。


 吊り札を先に見る。


 荷札を先に読む。


 区画板を最後に確認する。


 どれも共通事項には入らなかった。


 現場が選んだのは、もっと手前の考え方だった。


「『分からない時は止まる』『自分だけで決めない』」


 ライルが読み直す。


「これなら、どの順番で見てても使える」


「はい」


 アマリリアは頷いた。


 常勤には常勤のやり方がある。


 新人には新人の見方がある。


 形を手掛かりにする人もいれば、文字を先に読む人もいる。


 それらを一つに揃えようとすれば、かえって使いやすい方法を奪う可能性がある。


「責任者の補足があります」


 ディーンが下の欄を示した。


『当初は「置く前に区画表示を再確認する」を共通事項へ入れる案もあった。しかし、荷によっては置き位置の詳細を班長がその場で指示することがあり、区画板だけを最終確認とすると実態に合わないため外した』


 アマリリアは少し目を細めた。


「なるほど」


「昨日、俺たちが考えてたやつだ」


「ええ。『最後に区画板を見る』だけでは足りなかったようですね」


 荷の種類や混雑によって、通常区画とは少し違う仮置き場所へ置くこともある。


 その場合、区画板を見れば正しいとは限らない。


「だから最終確認を道具に固定せず、『分からなくなったら止まる』にした?」


「そういうことだと思います」


 アマリリアは、少しだけ胸の奥が軽くなるような感覚を覚えた。


 昨日、こちらで共通確認点を決めなくてよかった。


 もし王宮側で「最後は区画板を必ず見る」と決めていたら、現場の実情へ合わない手順を一つ増やしていたことになる。


「現場に考えていただいて正解でしたね」


「うん」


 ライルは素直に頷いた。


「でもさ」


「何です?」


「これ、すごく簡単だな」


「そうですね」


「簡単だから良い?」


 その問いに、アマリリアはすぐには答えなかった。


 短い。


 覚えやすい。


 けれど、短ければ必ず良いわけでもない。


「少なくとも、長すぎて覚えられない危険は低そうです」


「でも?」


「実際に新人へ伝えた時、『どの状態を分からないと判断するのか』が人によって違う可能性はあります」


 たとえば、自信がない人はすぐ止まる。


 一方、自信のある人ほど間違っていても「分かっている」と思うかもしれない。


「分からない人ほど聞けるとは限らない?」


 ライルが言う。


「はい。そこは少し気になります」


 ゼインが報告書を読みながら口を挟む。


「ただ、これ以上細かく定義し始めると、今度は『分からない状態一覧』でも作りかねません」


「作りません!」


 反射的に否定してから、アマリリアは少し考えた。


「……たぶん」


「たぶん?」


 ライルが笑う。


「作りません!」


 今度は強く言った。


 室内に小さな笑いが広がった。


          ◇◇◇


 次の欄には、「教える人によって新人の見方が変わるか」についての確認結果がまとめられていた。


 厳密な追跡ではない。


 過去数か月の勤務記録と、現在いる経験一年未満の作業員への簡単な聞き取りを照らし合わせ、同じ班で教わった人に似た傾向があるかを責任者が見たものだった。


「強い一致はなし」


 ディーンが先に結論を示した。


「ただし、部分的には似ています」


「どのあたりです?」


「荷札を声に出して確認する班で教わった作業員二名は、現在も比較的よく声に出す。形を先に見る班長の下で長く働いた一名は、同じく形を先に見る。ただ、それ以外は途中で本人なりの順番へ変わっているようです」


 ライルが少し笑った。


「教わった通りのままじゃないんだな」


「仕事をしながら自分で使いやすく変えているのでしょうね」


 アマリリアは回答欄を読み進めた。


 勤務八か月の一人は、最初の一か月ほど「荷札を読み上げてから運ぶ」よう教えられていたが、慣れてからは声には出さなくなった。ただし、見慣れない荷だけは今も小声で読むという。


 勤務十一か月の別の一人は、吊り札を使わなくても場所が分かるようになったが、混雑時にはあえて吊り札を見るようになった。普段と違う通路から回る時に、自分の位置を確かめるためだという。


 臨時で何度か入っている作業員の一人は、毎回違う常勤者に付いているせいか、「人によって言うことが違う」と感じた経験があった。


「ここですね」


 アマリリアはその回答へ目を留めた。


『最初の人は、文字を読めと言った。次の人は、迷ったら吊り札を見ろと言った。別の日には、最初に人へ聞けと言われた。どれも間違いではないと思うが、最初は何が一番大事なのか分からなかった』


 ライルも読む。


「やり方が違うこと自体より、大事な部分が分からない?」


「そうかもしれません」


 現場では、それぞれの常勤者が経験に基づいた有効な方法を教えている。


 しかし、臨時作業員から見れば、全員が別のことを「大事」と言っているように聞こえる可能性がある。


「だから、さっきの二つが意味を持つのかもしれない」


 ライルが言う。


「はい」


 途中のやり方は違ってもいい。


 文字を読む。


 形を見る。


 吊り札を探す。


 人へ聞く。


 それぞれの方法を使いながら、共通して外してはいけない部分だけ共有する。


 その方が、現場の工夫を潰さずに済む。


「実際にこの二つを明日から教えるのですか?」


 アマリリアが尋ねる。


「現場責任者は、まず三勤務日だけ試す案を出しています」


「新しい表示試験とは別に?」


「はい。ただし、大掛かりな比較試験ではありません。朝の説明時に二つを明確に伝え、常勤側にも『個人のやり方を教えてよいが、この二点は共通事項として伝える』と確認するだけです」


 アマリリアは少し考えた。


「記録項目を増やす予定は?」


「特別な追加記録はなし。通常のニアミス記録と、三勤務日後の短い聞き取りだけ」


「それなら、負担は大きくなさそうですね」


「承認する?」


 ライルが尋ねる。


「現場判断で可能な範囲ですか?」


「教育時の説明整理なので、王宮承認は不要です」


「では、承認するものではありませんね」


 アマリリアは微笑んだ。


「やっていただいて、結果を見ます」


「また一個、王宮がやらなくていい仕事が減った」


「減ったというより、最初から王宮の仕事ではなかったのかもしれません」


 口にすると、自分でもしっくりきた。


 現場が自分で考えられることまで王宮が承認し始めたら、改善のたびに王宮を待つ仕組みになってしまう。


「王宮は、試験全体が安全かとか、他の倉庫に広げる時とかを見る?」


 ライルが尋ねる。


「はい。費用や他地域への影響、制度として扱う必要が出た時もです。でも、朝の説明文まで私たちが決める必要はないと思います」


 ライルは少し嬉しそうに頷いた。


「その分、俺たちは別のこと見られる」


「ええ」


 全部を抱えない。


 それは単に休むためだけではなく、本当に王宮でしか見られないものへ時間を使うためでもあるのだ。


          ◇◇◇


 報告書には、吊り札の簡略化後に一時増えていた確認回数についても短い続報があった。


 変更直後の一勤務日は、「吊り札の意味」を尋ねる確認が増えていた。しかし二勤務日目には減り、三勤務日目にはほぼ変更前と同程度へ戻ったという。


「慣れだった?」


 ライルが言う。


「可能性は高そうですが、三日だけで決めるのは早いですね」


「でも、ずっと増え続けてるわけではない」


「はい。それは言えます」


 ニアミスも少数のままだった。


 正式誤配送はなし。


 吊り札を簡略化したことで新しい大きな問題が発生した形跡もない。


 一方で、近距離では結局区画板を読むため、「表示を分けたから作業時間が大幅に短縮した」という結果も出ていない。


「派手じゃないな」


 ライルが資料を眺めながら呟いた。


「何がです?」


「改善したら一気に半分になった、とかじゃない」


「そうですね」


「でも、たぶん現実ってこういう感じなんだろうな」


 アマリリアは少しだけライルを見る。


 以前なら、自分も分かりやすい数字を欲しがったかもしれない。


 ニアミス半減。


 作業時間二割短縮。


 誰が見ても成功だと分かる結果。


 でも今回は、そうではない。


 少し遠くから場所を探しやすくなった。


 新人へ場所を教えやすくなったという声が出た。


 一時的に確認が増えたが、数日で落ち着いた。


 人によって使う順番は違う。


 教える側によって説明も違う。


 その中から、現場は共通事項を二つだけ選んだ。


「私は、こういう結果も好きになってきました」


 アマリリアが言う。


「好き?」


「はい。何も劇的に変わっていないけれど、前より少し使いやすくなる。そういう改善もあるのだと思います」


 ライルが穏やかに笑った。


「国って、たぶんそういうのの方が多いかもな」


「殿下もそう思います?」


「うん。王様が何か命令して、次の日から全部良くなるなら楽だけど」


「それでは、今まで私たちが見てきたことと矛盾しますものね」


「命令して、届いて、分かって、使ってもらって。それでやっと少し変わる」


 ライルの口から自然に出た言葉に、アマリリアは少しだけ嬉しくなった。


 彼もまた、同じものを見ながら、自分なりに考えている。


「殿下」


「何?」


「今の、覚えておいてくださいませ」


「何を?」


「『王様が命令して次の日から全部良くなるなら楽だけど』です」


「そこ?」


「大事です」


「君が手帳に書きそう」


「書きます」


 即答すると、ライルが笑った。


          ◇◇◇


 昼食前、ディーンが別の封書を持ってきた。


「フォード商会からです」


 室内の空気が少し変わった。


 アマリリアは机に置かれた封筒を見た。


 ミハイル・フォード。


 第一回の面会から、しばらく時間が空いている。


 その時、彼は共同輸送について、数字だけでは利益を受けた者と不利益を受けた者の両方が見えないと話していた。そして後日、自分のところで持っている輸送量や契約変化の資料をまとめて送ると約束していた。


「共同輸送の資料でしょうか」


「表書きには『先日お約束した資料の件』とあります」


 ディーンが答えた。


 アマリリアは封書へ手を伸ばしかけた。


 そこで止まる。


 もう昼食の時刻が近い。


「急ぎですか?」


「至急の記載はありません」


「では、食後に見ます」


 ライルがアマリリアを見る。


「俺も?」


「当然です」


「待ってくれる?」


「殿下も最初の面会にいらしたでしょう?」


「うん」


「では、一緒に見ます」


 ライルが少し嬉しそうに笑った。


「色布の時と同じ」


「そこへ戻ります?」


「待ってもらえるの好きだから」


 アマリリアは封書を机の端へ置いた。


「食事が先です」


「はい」


「返事が素直ですね」


「だって一緒に見られるの分かったし」


「……もう」


 ディーンは何も言わず封書を端へ整え、ゼインはわずかに口元を緩めた。


          ◇◇◇


 昼食は王宮の小食堂で取った。


 温かい豆のスープと焼いた白身魚、香草を混ぜた根菜、それに少し硬めのパンが並んでいる。外から入る秋の日差しは明るかったが、窓際には少しずつ冬を予感させる冷たさがあり、室内には火鉢が一つ置かれていた。


「フォード商会の資料、気になる?」


 ライルが尋ねる。


「かなり」


「でも食べてる」


「食事中ですから」


「俺、もうこれ言わなくていい気がしてきた」


「ようやくです?」


「普通になったから」


 アマリリアは少しだけ笑った。


 待てることを褒められるのも、そろそろ卒業らしい。


「資料、何が入っていると思う?」


「共同輸送が増えた前後の輸送量、運賃変化、小規模運送者の契約数あたりでしょうか」


「すぐ仮説出す」


「予想くらいはよろしいでしょう!」


「調べ始めなければ」


「分かっております」


 少しだけ睨んでから、魚を一口食べる。


「でも、一つ気になります」


「何?」


「ミハイル様が何を選んで送ってきたかです」


 ライルも食事の手を止めず、視線だけを上げた。


「資料の中身だけじゃなく?」


「はい。あの方は、こちらが何を見たがっているかをかなり考える方です。何を送るかにも意図はあるでしょう」


「都合のいい数字だけ?」


「そうとは限りません」


 アマリリアは首を横へ振った。


「むしろ、あの方なら自分に不利な数字も入れるかもしれません。その方が信頼されると分かっていそうですから」


「じゃあ、入ってても信用しすぎない?」


「はい。でも疑いすぎもしません」


 ミハイルは有能だ。


 だからこそ、ハロルドは警戒している。


 結果を出せる人間ほど、その判断過程が周囲から見えなくなることがある。


「資料を見る前から、味方か敵か決めない」


 ライルが言う。


「ええ」


「前に会った時と同じだな」


「はい」


 それで十分だった。


 昼食は昼食。


 資料は食後。


 二人はその後、劇場の話へ移った。


「明日、衣装の最終確認だよね」


「はい」


「やっと灰青色見られる」


「殿下、その話を昨日もなさいましたよ」


「毎日言っていいことになったから」


「回数制を撤回しただけです!」


「禁止されてない」


 ライルの理屈が妙に強い。


「では、私も毎日『濃茶の殿下が楽しみです』と言いますよ」


「言って」


「……そう返されると困ります」


「なんで?」


「恥ずかしがらせようと思ったのに、喜ばれました」


「婚約者に楽しみにされて嫌なわけないだろ」


 また自然に言われた。


 アマリリアは少しだけ目を伏せながらパンをちぎる。


 劇場の日まで、まだ少しある。


 でも、こうして準備している時間も、もうデートの一部なのかもしれない。


          ◇◇◇


 食後、小会議室へ戻ってから、ようやくフォード商会の封書を開いた。


 中にはミハイル本人からの短い手紙と、複数枚の集計表が入っている。


 アマリリアは最初に手紙から読んだ。


 内容は簡潔だった。


 以前約束した共同輸送に関する資料を、確認できた範囲でまとめたこと。


 自社に残る数字だけでは市場全体を示せないため、「フォード商会が関与した輸送」に限定したこと。


 共同輸送導入前後を単純比較すると景気や道路状況の差が混ざるため、同じ時期の別路線も参考として付けたこと。


 そして最後に、次の一文があった。


『数字は整理しましたが、これを共同輸送の評価そのものだとは考えておりません。むしろ、数字に残らなかった者について、前回お話しした通りです』


 アマリリアはそこで少し止まった。


「やっぱり書いてきた」


 ライルが隣から言う。


「ええ」


「数字だけじゃ足りないって」


「自分で資料を送っておいて、先にそう書くのがミハイル様らしいですね」


 表の一枚目は、三年間のフォード商会関与輸送の推移だった。


 共同輸送を本格的に増やした前の年。


 導入を拡大した年。


 その翌年。


 路線ごとに、一便当たり平均積載量、空荷帰りの割合、平均運賃、遅延日数の幅が記されている。


「かなり細かい」


 ライルが少し顔をしかめる。


「でも、全部を見る必要はございません」


「君がそれ言う?」


「最近の私は言います」


「自分で言った」


 アマリリアは表を一度全体で眺めた。


「まず、何を約束されていたかに戻りましょう」


「共同輸送で誰が得して、誰が困ったか」


「はい」


 積載量。


 運賃。


 便数。


 契約件数。


 必要なのはその辺りだ。


 全ての数字を精読するのは後でもいい。


 二枚目には、フォード商会が直接契約した運送者の数が記されていた。


 共同輸送拡大前。


 小規模な個人・家族運送者が四十一。


 中規模運送組が九。


 大規模商会系が三。


 翌年。


 小規模個人・家族運送者は二十九。


 中規模運送組が十三。


 大規模商会系が四。


 ライルの表情が変わった。


「小さいところ、十二減ってる」


「はい」


 ただし、欄外に注記がある。


 十二のうち、三者は廃業確認。


 二者は別地域へ移動。


 三者は共同輸送組へ加入。


 二者はフォード商会との直接契約を失ったが、他商会との契約継続を確認。


 残る二者は追跡不能。


「全部が仕事を失ったわけじゃない」


「でも三者は廃業」


「共同輸送のせい?」


「分かりません」


 アマリリアはすぐに答えた。


 廃業理由欄を見る。


 一者は高齢による引退。


 一者は馬の故障と借入負担。


 一者は「運賃競争が厳しく継続困難」とだけ記録されている。


「最後の一者は関係あるかもしれない?」


「可能性はあります。でも、この文言だけでは共同輸送が直接原因とは言えません」


「ミハイルはそこまで書いてない」


「はい」


 推測で埋めていない。


 少し意外ではない。


 むしろ、彼ならそうすると思っていた。


 次の表には、共同輸送組へ移った三者の聞き取り要約まで付いていた。


 一人は収入が少し安定した。


 一人は自分で荷主を探す必要が減ったが、運行日の自由度が下がった。


 一人は「以前より儲かる月もあるが、決められた順番に合わせるのが窮屈」と答えている。


「良くなった、で揃ってない」


 ライルが言う。


「同じ共同輸送へ入っても違いますね」


 利益が増える。


 安定する。


 自由が減る。


 それぞれ別の軸だ。


 アマリリアはしばらく表を見てから、紙を置いた。


「今日はここまでにしません?」


 ライルが驚いた。


「もう?」


「一度に全部読むと、分かった気になりそうです」


 まだ数枚残っている。


 遅延。


 運賃。


 積載率。


 路線差。


 読み始めれば面白い。


 でも、それぞれ意味が違う。


「まず今日は、直接契約者の変化だけ整理します」


「残りは明日?」


「明日か、それ以降です」


「ミハイルに返事は?」


「受領したことだけ先に伝えましょう。内容については、確認後に必要なら質問します」


「会う?」


「まだ決めません」


 アマリリアは手紙を丁寧に元へ戻した。


「資料だけで足りるかもしれませんし、足りないかもしれません」


「じゃあ、読んでから」


「はい」


 ミハイルとの第二回面会を、資料が来たというだけで自動的に決めない。


 それも今の自分には自然だった。


          ◇◇◇


 その日の夕方、セレーネへは倉庫の共通事項と、フォード商会から資料が届いたことだけ簡潔に報告した。


「倉庫側が選んだ共通事項は二つ?」


「はい。『分からなくなったら置く前に止まる』『自分だけで決め直さず確認する』です」


 セレーネは少し考えた。


「やり方ではなく、困った時の行動を揃えたのね」


「そう見えます」


「悪くないわね」


「ただ、これが本当に機能するかは三勤務日ほど見ます」


「王宮から追加指示は?」


「出しません」


 セレーネが僅かに笑う。


「迷わなくなったわね」


「何がです?」


「指示を出さない判断」


 アマリリアは少しだけ考えた。


「現場で決められることへ、王宮が毎回許可を出していたら、それ自体が新しい遅れになりますから」


「そうね」


 セレーネの視線が穏やかになる。


「フォード商会の方は?」


「直接契約運送者の変化だけ確認しました。小規模個人・家族運送者は四十一から二十九へ減っていますが、理由はそれぞれ違います。共同輸送組へ入った方もおりますし、高齢引退もあります」


「では、『共同輸送が小規模運送者を十二潰した』とは言えない」


「絶対に言えません」


 アマリリアの返答が強かったため、セレーネが少し笑った。


「安心したわ」


「でも、一人は運賃競争を理由に廃業しているので、その方についてはもう少し知りたいです」


「追う?」


「資料の残りを先に見ます」


「ミハイル本人に聞けば早いでしょうに」


 試すような問いだった。


 アマリリアは少し考えたが、答えは決まっていた。


「早いからといって、最初から一番詳しい一人だけに聞くのは避けたいです」


 ハロルドが警戒していたこと。


 有能な一人へ依存すると、その人が正しいほど止めにくくなる。


「もし必要なら、ミハイル様以外の運送者にも聞きます」


「良いでしょう」


 セレーネはそれ以上言わなかった。


          ◇◇◇


 執務室を出た頃には、外はもう夕方の色へ変わっていた。


 ライルとアマリリアは並んで歩き、途中の渡り廊下で少し足を止めた。王宮の庭では秋風に落ち葉が転がり、噴水の水面へ一枚だけ赤みを帯びた葉が落ちて、小さな波紋を広げている。


「明日だな」


 ライルが言う。


「何がです?」


「衣装」


「忘れるわけがないでしょう」


「灰青色」


「毎日言うのですね」


「うん」


「では私も言います。濃茶」


「もっと言って」


「……殿下、本当に強いですわね」


 攻撃にならない。


 アマリリアは少し笑い、歩き出そうとした。


 すると、ライルの手が近づいてくる。


 今日は彼からだった。


 指先が触れ、自然に絡む。


「明日の最終確認って、着た状態で見るんだよね?」


「そのはずです」


「楽しみ」


「私もです」


 今度は恥ずかしがらずに答えた。


「それと」


「何?」


「劇場当日までに、仕事を新しく増やしすぎないようにしません?」


 ライルが少し驚く。


「君から言う?」


「言います」


 倉庫。


 通知制度。


 共同炊事場。


 ミハイルの資料。


 どれも進んでいる。


 しかし、どれも今日中に終わらせる必要はない。


「劇場の日に、頭の中が輸送表でいっぱいになるのは嫌です」


「俺も嫌だな」


「ですから、資料は少しずつ見ます」


「約束?」


「はい」


「じゃあ俺も、公務を前日に溜めない」


「それは大事です」


「二人とも仕事持ち込まない」


「手帳も持っていきません」


「劇場支配人も呼ばない」


「殿下!」


 ライルが声を立てて笑う。


 近くを通りかかった侍従二人が、笑いを堪えるように視線を下げた。


「お父様の条件を皆様で覚えすぎなのです!」


「でも大事だから」


「そこだけは絶対に忘れてくださいませ!」


 怒っているはずなのに、アマリリア自身も途中から笑ってしまった。


          ◇◇◇


 夜、自室へ戻ったアマリリアは、いつものように手帳を開いた。


 押し花を挟んだ頁を傷めないようにゆっくりめくり、その日の記録を書き始める。


『第二共同倉庫。現場側が全員への共通事項として選んだのは二つ』


『分からなくなったら、置く前に止まる』


『自分だけで合っていると決め直さず、人へ確認する』


 ここまで書いてから、少しだけ筆を止めた。


 少ない。


 本当に少ない。


 でも、それでよいのかもしれない。


『途中の見方や順番は揃えない。共通化するのは、迷った時にどうするか』


『自分で使いやすい方法へ変わっていく人もいる。最初に教わった通りのままとは限らない』


『教え方が違うこと自体より、何だけは共通なのか分からないことの方が、臨時作業員には困る場合がある』


 続いて、ミハイルの資料について書く。


『フォード商会資料到着。今日は直接契約運送者の変化のみ確認』


『小規模個人・家族運送者四十一→二十九。ただし、廃業・移動・共同輸送加入・他社継続・不明が混在。減少数だけで共同輸送の影響と決めない』


 数字は分かりやすい。


 四十一から二十九。


 十二減った。


 それだけ見れば、強い。


 けれど、その十二の中には十二通りの事情がある。


 共同輸送へ入って安定した人。


 自由が減ったと感じる人。


 高齢で引退した人。


 別の商会で働いている人。


 そして、理由がまだ分からない人。


 昔の自分なら、十二という数字を先に大きく見たかもしれない。


 今は、その中にいる人の違いまで忘れたくない。


 最後に、仕事ではないことを書く。


『明日、劇場衣装の最終確認』


『ライル様は今日も灰青色と言った』


『私も濃茶が楽しみだと伝えた』


 少しだけ笑う。


 さらに一行。


『劇場当日まで、仕事を増やしすぎないと約束』


 これは意外と大事かもしれない。


 楽しむための時間は、空けば自然にできるものではない。


 先に場所を残しておかなければ、仕事はいくらでもそこへ入ってくる。


 アマリリアは手帳を閉じた。


 明日は灰青色のドレスへ袖を通す。


 ライルも、自分が選んだ濃茶を着る。


 第二共同倉庫の二つの共通事項も、ミハイルの残りの資料も、逃げはしない。


 なら、明日は明日の楽しみを先に見てもよい。


 そう思える今の自分を、アマリリアは結構気に入っていた。

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