第9話 俺だけ活動効率がおかしい件
速さは、まぐれじゃなかった。
何度も確かめた。薄い場所へ、濃い場所の際へ、光を連れて動き回るたび、体は軽々とその通りに応えた。極小のはずの移動能力が、まるで別物になっている。喰われそうになって必死に逃げていたあの頃とは、何もかもが違った。
周りに漂う古い命たちの動きが、今はやけにゆっくりに見える。追いつかれる側だった俺が、今は追いつく側にいる。その逆転だけで、笑いが漏れそうになった。
「……チート、来たか?」
前世の言葉が口をついて出た。今まで一度もしっくり来なかった言葉が、初めてしっくり来た気がした。
【活動効率:上昇中】
見たことのない表示だった。数値らしきものが、見る間に伸びていく。喰われるだけだったこの海で、初めて自分だけが得をしている実感があった。
だが、良いことばかりではなかった。速く動くたび、体の芯が焼けるように熱くなる。変換が追いつかず、輪郭のどこかが軋む感触があった。喰う力は、只で手に入ったわけじゃないらしい。
「……調子に乗るなってことか」
そう独りごちた直後、体の奥で何かがぴくりと反応した。共生体――まだ名前もないあいつだ。短く、鋭い反応だった。言葉ではない。ただ、「そっちじゃない」とでも言うような、方向を示す気配だった。
「……お前、そういう反応もできたのか」
答えは返らない。だが、明らかに前とは違う。取り込んだだけの異物だと思っていたものが、今は何かを伝えようとしている。
頭の奥に、ふと文字が浮かんだ。
【この調子なら、まだいける】
一瞬、違和感で止まった。ステータスの言葉が、いつもと違う。もっと硬くて、事務的なはずだ。今のは、まるで自分が思いそうな軽口だった。
「……お前、俺の真似すんな」
表示はすぐ消えた。気のせいだと思うことにした。思うことにしたが、頭の隅にざらついた感触が残った。
数値の伸びに気を良くして、俺はさらに変換を踏み込んで使った。速さが増す。だが同時に、軋みも増した。輪郭の一部が、焼けた縁のようにわずかにひきつる感触があった。
【外部負荷:変換過多】
共生体が、また短く反応する。今度ははっきりと分かった。止めろ、と言っている。
「……分かってるよ、それくらい」
分かっていても、この速さを手放したくなかった。喰われるだけだった俺が、初めて誰かを出し抜ける側に回れる気がした。その感覚を、まだ手放したくなかった。
それでも、共生体の反応を無視するわけにもいかない。俺は変換の勢いを、わずかに緩めた。軋みが引いていくのが分かる。速さと引き換えの代償を、初めて数字ではなく感触として理解した。
そのとき、遠くで異変が起きた。古き王の配下と思しき、大きな輪郭がいくつも、崩れるように沈んでいく。かつて悠然と白毒を渡り歩いていたはずの連中が、次々と輪郭を歪ませていた。
大きいはずの命が、小さい俺よりずっと早く壊れていく。皮肉だった。図体も、古い力も、変わりゆく海の前では意味を持たない。あれだけの余裕を見せていた連中が、白毒の濃さが増しただけで、なすすべもなく崩れていく。大きさは、環境が変わらない間だけの強さでしかなかったのかもしれない。
弱くて小さいままだった俺の方が、変化には向いていた。逃げ場のなさに追い詰められて、耐性を積み、毒を喰い、気づけば大きな連中より長く保っている。情けない話のはずが、今はそれが強みになっていた。
古き王の気配が、こちらへ向いた。
「……見られたか」
言葉はない。ただ、値踏みするような重さが伝わってきた。変わろうとする小さな命への、隠しきれない不気味さと苛立ち。汚れたもの――そう断じられている気がした。かつて見下されただけの時とは違う。今度は明確な敵意だった。
配下たちが崩れていく様を見せられた直後だ。古き王にとって、変わっていく俺の存在そのものが、自分たちの終わりを予告しているように映ったのかもしれない。
逃げる速さなら、もう十分にある。俺は白毒の濃い流れへ、光を連れて飛び込んだ。古き王の配下たちは、崩れかけた図体でそこまでは追ってこられない。皮肉にも、あれほど恐れていた濃い流れが、今は逃げ込める場所になっていた。
振り返る余裕はなかった。それでも、古き王の気配が追ってこなかったことだけは分かった。
頭の奥に、新しい表示が浮かんだ。
【進化条件を再解析】
【選択可能ルート:最強適応】
「……最強、だと?」
見たことのない響きの言葉だった。今まで避けてきた言葉が、初めて選択肢として目の前に並んでいる。
第9話は、チート的な速さの快感と、その裏にある制限・不穏さを描く回でした。古き王の配下が次々に崩れていく様は、強さの脆さを予感させます。そして、これまで縁のなかった「最強」という言葉が、初めて選択肢として現れました。次話、その意味にご期待ください。




