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電災都市  作者: あるふぁ
第五章『補給線』
39/47

『補給線』-11

 ——轟音。

 爆発音が、夜の静寂を引き裂いた。


 圧縮された爆風が鉄骨を軋ませ、積み上げられていた木箱が吹き飛ぶ。

 崩れたダンボールが中身を撒き散らしながら舞い上がり、倉庫内は粉塵に包まれた。


 ——白く濁った視界の奥で、何かが焼ける音がする。

 脂の弾けるような……不快な音。


 鼻を突いてくるのは、焦げた鉄の臭いと——焼けた肉の臭気。


「おい、久米! 久米——って……」

 相沢が振り返り……そして言葉を失った。

 ——次の瞬間、その顔がみるみる青ざめてゆく。


「……うぷっ、お、おぇぇぇぇぇッ!」

 相沢はその場に膝をつき、胃の内容物を噴水のように撒き散らした。


 彼の視線の先に転がっていたもの……。


 ……それは、もはや“久米”ではなかった。


 黒く炭化し、焼け爛れた肉塊。

 潰れているのか……捩じれているのかもわからないほど、焼けて縮んでいる。

 

 どちらが腕でどちらが脚なのかすら、容易には見分けがつかない。

 

 いや……判別できるほど、凝視なんてしたくない……。

 それは、凄惨という言葉以外に思いつかない姿だった。


 焼け落ちた皮膚の奥から、白く焦げた歯列だけが剥き出しになっている。

 もはや、人の形がまともに残っている場所を探す方が難しい。


「や、やべぇよ……シャレになってねぇよ。すぐ逃げようぜ……!」

 玉城の声が裏返る。

 我先にと喚き散らしながら駆け出した。


 だが、その声は、不意に聞こえなくなる。

 

「……え?」

 その違和感に青木が振り返った。



 ——崩れた荷の奥。

 中身である缶詰をまき散らして吹き飛んだダンボールの山。

 ついさっき、玉城が駆け寄ろうとした荷物のそばに、”何か”がいる。


 ごり……と、何か硬質なものがアスファルトを削る音がした。

 


 暗がりの中に浮かぶ、赤い何か。


 ——眼だ。

 そう錯覚した。


 だが、それは生物の眼球ではない。


 四つ並んだ赤いレンズ。

 その無機質な視線が……青木たちを一斉に捉えていた。


 炎を反射し、”それ”の表面がぬらりと浮かび上がる。


 

 ——四本の機械脚。

 低く構えた胴体。


 そして。


 ……前肢から伸びる二本の巨大な……あれは……鎌か?


 折り畳まれていた刃がゆっくりと動いていた。


 

 金属が擦れ合う音。

 甲高く耳障りな駆動音。


 まるで長い眠りから目覚めた処刑具のようだ。


 その異様な姿に、青木の全身から血の気が引いていく。


 

 ——見たことがない。


 だが、本能だけは理解していた。

 こいつは、今までのレヴュラとは違う。


 今まで撃ち殺してきた連中とは。


 

 根本的に。

 決定的に。

 ……何かが違う。


 

 ——そして。

 何かが、ぼとりと青木の足元へ落ちた。


 

「ひっ……」

 喉の奥が震える。

 反射的に視線を落とした青木の顔から、みるみる血の気が失われていく。


 

 そこに転がっていたのは——玉城だった。


 いや。

 正確には、玉城”だったもの”。


 

 肩口から股間にかけて、肉体そのものが乱暴に引き裂かれている。

 ——鋭利な刃物で断たれたような綺麗な傷ではない。

 

 巨大な鉈でも叩き込まれたのか。

 あるいは重機の爪で無理矢理こじ開けられたのか。


 ……断面が潰れ、裂け、砕けていた。

 飛び出した肋骨が白く覗き、その隙間からは赤黒い臓腑が零れ落ちている。


 断ち切れなかった腸が粘つく糸を引きながら垂れ下がり、血と脂が地面をゆっくりと汚してゆく。


 

 ——それは人間の”中身”だった。


 誰が見ても分かる。

 嫌でも分かってしまう。


 見たくなくても。

 理解したくなくても。


 ……これは玉城の身体の中に収まっていたものだ。


 つい数分前まで、生きていた人間の。

 

 仲間の。


 ……内臓だった。

 


「う……」


 胃がせり上がる。

 だが、何も出てこない。


 逆流した胃液だけが喉を灼き、恐怖が胸を締め付けていた。


 

 未だ痙攣している玉城の半身。

 神経が死にきっていないのか、肉片がぴくりと跳ねた。


 それが余計に現実味を帯びさせる。


 

「な、なんだよ……」

 青木は一歩後ずさる。


 靴底が血溜まりを踏み、ぬるりと滑った。


「なんなんだよ……これ……」


 青木の震える声に返事をする者はいない。


 

 相沢は膝をつき、吐瀉物に塗れながら震えている。


 久米は肉塊になった。


 玉城は血溜まりの中へ転がっている。


 そして——崩れた荷の向こう側で。


 ”それ”だけが動いていた。


 

 生物の目ではない。

 感情もなく、怒りもない。

 並んだ赤いレンズは、ただ……青木を見据えている。

 


 見上げるほどの巨体。

 鈍く光る外装。

 異様に長い機械脚。


 ——そして。


 前肢から伸びた二本の巨大な刃。

 まるで処刑人が携える断頭斧のように、静かに持ち上がる。


 

 これまで相手にしてきた下位個体とは、何もかもが違った。

 群れで押し寄せるだけの雑魚ではない。


 

 その場に立っているだけで空気が重くなる。

 肺が潰れそうになり、まるで過呼吸のように息を荒げた。

 

 さっきから本能は警鐘を鳴らし続けている。


 逃げろ。

 にげろ。

 ニゲロ。


 ――今すぐ。


 だが、青木の足は全く動かない。



 「く、来るなぁぁッ!」

 半狂乱の絶叫が響き渡ると、青木は反射的に散弾銃(ショットガン)を構え、引き金を引いた。


 ——けたたましい轟音。

 銃口から吐き出された炎が闇を切り裂く。


 

 薬室に送り込まれていたのは十二番ゲージの九粒弾(ダブルオーバック)。

 九粒の重い鉛弾が一塊となって、相手に叩き込まれる。

 一粒一粒が拳銃弾にも匹敵する重量を持つ鉛弾だ。


 至近距離であれば、人間の上半身を内側から粉砕することすら可能な弾丸だ。

 肋骨を木っ端微塵に砕き、臓器をずたずたに引き裂き、背中側から血と肉塊を噴出させる。

 

 猪の突進すら叩き伏せる、文字通りの破壊の塊。

 総エネルギーにして2,000J(ジュール)近くの死が、一点に集中して炸裂する。


 D級レヴュラ程度であれば、その外殻を砕き、内部機構を滅茶苦茶にしていたはずの一撃。


 ——そのはずだった。


 

 激しい火花が散り、耳障りな金属音だけが響く。

 それだけだった。


 鉛弾は外装に弾かれ、砕け、あるいは潰れ、空しく飛び散る。

 外装に残ったのは、薄い擦過痕のみ。


「は……?」


 青木の口から間抜けな声が漏れた。


 理解が追いつかない。


 効いていない。


 本当に……何ひとつ効いていない。

 


 青木は”知らなかった”。

 レヴュラは強化プラスチックの外装を持つもの……そう決めつけていた。


 新宿クオム周辺で目にするD級やC級レヴュラであれば、確かにそうだ。

 だが……例外がいる。

 


 四つの赤いレンズが静かにこちらを見ていた。


 その巨体は怯みもしなければ、もちろん、怒ることもしない。

 

 ——ただ。


 ゆっくりと歩き始める。


 硬質な脚部がアスファルトを踏み締めた。


 

 ——一歩、そしてまた一歩。


 規則正しく。

 静かに。


 まるで……死刑執行人が囚人へ近づくような足取りで。


 

「う、そだろ……」


 青木の顔から血の気が引いていく。

 だが、恐怖に飲まれていた身体は、思考よりも先に動く。

 

 再び引き金を引いた。

 鳴り響く轟音。


 前方の先台(フォアエンド)を動かし、排莢。

 赤いプラスチックの薬莢が勢いよく排出され、地面を跳ねながら煙を昇らせた。


 さらにもう一発。

 続けざまにもう一発。


 辺りに銃声が響き渡る。


 そのたびに火花が散る。

 だが——それだけだった。


 だが、それだけ。

 何も変わることはなく、その巨体は止まらない。


 着実に距離だけを詰めてくる。


 

「なんでだよッ! なんで効かねぇんだよ!」

 さらに撃った。


 そして——。


 カチリと乾いた音だけが小さく響く。

 ——弾切れ。


「あ……」


 青木は顔を引き攣らせながら、慌ててポーチへ手を突っ込んだ。


 急いで弾を掴むが、震える指先はうまく動かない。

 アスファルトに赤い散弾実包(ショットシェル)がいくつも落ちた。


 拾おうとするが、それさえ上手くいかない。

 思うように指が動かず、手汗で滑り、たかだか40グラム程度の弾を掴むことすらできない。


 呼吸は荒く、心臓も暴れている。


 

 そんな青木の視界の端で。


 赤いレンズが、ずっとこちらだけを見ていた。


 

「ま、待て……よ」


 青木の声は掠れていた。


 腰が抜け、尻もちをついたまま後ずさる。


 

 散弾銃を盾のように突き出しながら。


 ——だが、それは止まらない。


 焦りもなく。

 迷いもなく。


 ただ静かに……確実に。


 ”それ”は、青木の死へ向かって歩み続けていた。


 

 青木は震える両手で散弾銃を突き出す。


 まるで子どもだった。

 泣きじゃくる子どもが、玩具を盾にしているような姿。


 あれほど威勢よく怒鳴っていた男の面影など、もうどこにも残っていない。


「ま、待て……」


 裏返った声は情けないほど震えていた。


 だが、その異形は何も答えない。


 


 無機質な赤いレンズが、静かに青木を捉える。


 ——そして。


 右側の巨大な鎌がゆっくりと持ち上がった。

 まるで処刑の開始を告げる合図のように。


 炎の明かりを受けた刃が、鈍く輝く。

 刃を赤く濡らしているのは、間違いなく玉城の血。


 


「やめ——」


 青木の言葉は最後まで続かなかった。


 鈍い衝突音が響く。

 ぐしゃりと嫌な音を立て、鎌の刃先が青木の左肩へ深々と食い込んだ。


「あ——」


 ——ほんの一瞬。

 理解の方が追いつかなかった。


 何が起きたのか分からない。


 

 ——だが次の瞬間。


「あ、がァァァァァァァァァァァッ!」


 絶叫。

 倉庫中に響き渡る悲鳴。


 青木は聞いた。

 自分の身体の内側で、骨が砕ける音を。


 鎖骨を砕き、関節が潰れ、肩甲骨が割れる音。

 そして……肉が裂ける音を。


 

 だが、鎌はそこで止まらなかった。


 刀のように、綺麗に両断するための研ぎ澄まされた刃ではない。

 言うなれば、異物を排除することを目的とした、分厚い刃。


 それは、食い込んだまま横方向へ力任せに振り抜かれる。


 皮膚が裂け、筋肉が千切れた。


 肋骨が砕け、押し潰された臓器が引きずり出される。


 大量の血液が噴き上がり、周囲の地面や転がる木箱を赤く染めた。


 

 青木の絶叫が途中で途切れる。

 肩から脇腹にかけて大きく裂かれた肉体が、まるで破れた麻袋のように開いていく。


 内側に収まっていたものが、重力に従って溢れ出した。


 赤黒い臓物。

 千切れた筋肉。

 砕けた骨片。


 それらが湿った音を立てながらアスファルトの地面へと落ちる。


 

 青木自身も、自らの身体がどうなったのか理解したのかもしれない。

 大きく見開かれた目が、裂けた自らの胴体へ向けられていた。


 ——だが。

 その理解が形となる前に、命の灯火は尽きる。


 

 青木の手から滑り落ちる散弾銃。


 乾いた音を立てて転がるその銃身へ、どろりとした赤黒い液体が降りかかり、ゆっくりと滴り落ちた。


 

 そして、青木”だったもの”が崩れ落ちる。


 糸を切られた操り人形のように。


 中身を撒き散らしながら、血溜まりだけが静かに広がっていく。


 並んだ赤いレンズは、その光景を無感情に見下ろしていた。


 まるで異物の除去処理が正常に完了したことを確認するかのように。


 


 「ひ……っ」

 相沢の喉が小さく鳴った。


 腰が抜け、その場に尻をついたまま動けない。


 視線の先には、青木だったものが転がっている。


 肩口から脇腹にかけて大きく裂け、無理やりこじ開けられた肉の隙間から、赤黒い臓腑が溢れ出していた。


 

 断ち切られたのではない。


 引き裂かれたのだ。


 獣が獲物の腹を食い破るように。

 あるいは重機が障害物を押し潰すように。


 裂け目から這い出た腸が血溜まりの上で蛇のように伸び、微かに痙攣する。


 その先端が、ぴくりと跳ねた。


「ひっ……!」

 相沢の身体が再び大きく震える。


 鼻腔を満たすのは鉄臭い血の匂い。

 焼け焦げた肉の臭気と爆薬の残煙。


 胃の奥を直接掴まれるような不快感が込み上げる。


 熱い。

 気持ち悪い。

 苦しい。

 肺がうまく動かない。


 視界の端が明滅し、世界が揺れて見えた。


 

「いや……」


 掠れた声が漏れる。


「いやだ……」


 震える。


「いやだ……いやだ……いやだいやだいやだいやだ……!」


 壊れたレコードのように同じ言葉だけを繰り返す。


 尻の下に生暖かい感触が広がっていることにも気づかない。


 恐怖で膀胱が緩んでいた。

 涙と鼻水で顔はぐしょぐしょだ。


 まともに呼吸することさえできない。


 

 ——逃げたい。

 だが身体は言うことを聞かなかった。


 後ずさろうとして手をつく。


 ぬるりと掌にまとわりつく感触。


 

 相沢は反射的に視線を落とした。


 ——血だ。

 青木の血。


 まだ温かい。


 指の隙間をゆっくりと流れ落ちる。



「ひぃぃっ!?」


 悲鳴を上げ、慌てて手を引っ込める。


 

 その瞬間だった。


 

 赤いレンズが相沢を見ていた。

 まるで監視カメラが新たな対象を捕捉するように。


 

 静かに……確実に。


「……ぁ」


 声にならない。

 喉だけがひくひくと痙攣する。


 ——逃げろ。


 頭ではわかっている。

 だが脚は石になったように動かない。


 心臓だけが狂ったように暴れ回っていた。


 怪物は歩み寄る。


 一歩、また一歩。


 硬質な脚がアスファルトを叩くたび、辺りの空気が重く沈んでいく。


 機械特有の駆動音が、死刑宣告の秒針のように響いた。


「た、助けて……」

 相沢は呟く。


「助けてくれよ……」


 それは誰に向けた言葉だったのか。


 真か、あるいは山本か。

 はたまた他の遠征メンバーか。

 

 ……それとも神か。

 


 本人にもわからない。


 そして誰も返事はしない。あるはずもなかった。


 赤い機械の眼は、ただ無感情に彼を見つめている。


 

 そして……。

 巨大な鎌が持ち上がった。


 血と肉片で濡れた刃が、爆炎の赤を映して妖しく煌めく。


 逃げられない。

 その事実だけを理解した瞬間——。


 相沢の股間から、また新たな温もりが伝っていった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 絶叫が倉庫に響く。

 その悲鳴を最後まで聞く者は、もう誰もいなかった。




 


 ——時は少し遡る。


 


「真ぉ、嬉しいでしょ~? こぉんな可愛い子たちに囲まれて動向観察なんてさ♪」


 囁くような声とともに、ルナが肘で真の脇腹を小突いた。


 ——真っ暗な民家の一室。


 男が一人、そして女が五人。

 傍から見れば羨望と嫉妬を一身に集めそうな状況だが、当人にしてみれば、そんな甘いものではない。

 


 新宿クオムには、電災以前の歌舞伎町で働いていた女性型メカドールが数多く残っている。


 だが、彼女たちは映画やアニメに出てくるような戦闘用アンドロイドではない。

 銃弾を弾く装甲化された皮膚もなければ、オリンピック選手を置き去りにするような身体能力も持たない。


 目に映る景色も人間と変わらず、闇を見通す機能もなければ、悪しき敵を焼き払うレーザーなんてものもない。


 ——限りなく人間に似せて作られた存在。


 だからこそ電災後は苦労が絶えなかった。

 定期点検を受けることもできず、交換部品はいつだって不足している。


 稼働を維持するだけでも一苦労だ。


 そんな状況で、自ら危険な戦場へ飛び込もうとする者は少ない。

 ゆえに、通称メカドール隊——プリムローズの五人は、新宿クオムの中でもかなり特殊な部類に入る。


 

「ねぇ真」

 ルナが声を潜めながら話す。


「アイのお尻って、形いいと思わない?」

 

「……お前は何を観察してるんだよ」

 ため息をつきながら、即座に真が突っ込んだ。


 

 民家の窓際で、アイはライフルを構えたまま微動だにしない。


 伏せ撃ち(プローン)の姿勢で床へ寝そべり、スコープ越しにおとひめフーズの通用門を監視している。


 そのため、自然と腰のラインが強調されていた。


「いやぁ、だって綺麗じゃん?」


「知らねぇよ」


「真はもっと女の子を見た方がいいと思う」


「お前にだけは言われたくねぇな」


 ルナはけらけらと笑う。


 当のアイはというと……。


「ルナ……今、それ必要な話?」

 困惑した声を漏らしながらも、スコープからは目を離さない。


 アリスはそんな三人のやり取りに苦笑しつつ、双眼鏡を覗いていた。


「それにしても、M24(M24SWS)なんてよく手に入ったな」


 真が感心したように言う。


 アイが構えているのはアメリカ製のボルトアクションライフル。

 軍や警察でも長く使用されてきた実績ある狙撃銃で、電災前の日本においても、陸上自衛隊が装備していた。


「あ、それねー、真が王さん紹介してくれたおかげ♪」

 ルナが得意げに胸を張った。



「それまでは本当に酷かったんだから」

 

「撃鉄落ちないわ、弾出ないわ」

「照準ずれてたり、銃身曲がってたりもしたよ」




「……いや、それもう、銃として終わってるだろ」

 真が呆れる。


 

 ——だが笑い話でもなかった。

 

 新宿クオムで銃を手に入れること自体は難しくない。

 金さえ払えば、その辺のトレーダーやならず者からいくらでも調達できる。


 問題は品質だ。

 電災後の世界に品質保証なんてものはない。


 外で拾ってきただけの銃に値を付けて売っているだけの連中も珍しくなかった。


 たとえ銃身が摩耗していようが。

 撃鉄が死んでいようと、部品が欠損していようと。


 購入後は全てが自己責任。


 それが電災後の銃器市場だった。

 


 自分で分解整備できる者もいるが、大半は、電災後に初めて銃を手にした人間だ。

 整備知識など持ち合わせていない。


 

 ——結果として、メカドールであるルナたちは、何度となく粗悪品を掴まされてきた。


 肝心な場面で弾が出ず、依頼破棄したことも一度や二度ではない。


 さすがに、それが何度も続けば、たまったものじゃない……そこで目を付けたのが篠崎真だった。


 新宿クオムの台所を支える、良質な銃器と弾薬の流通を牛耳る男。


 王明(ワン・ミン)。


 その王商会へ顔が利く数少ないハンター。


 それが真だったのである。


 


 「ねぇ、いいことしよっか?」

 そう言って、いきなり腕を絡めてきた女がいた。

 しかも耳元へ吐息つきで。


 今思い返しても、あれは完全に獲物を狩る側の動きだったと真は思う。


 電災前、ルナが働いていたのは、欲望と混沌の都。

 東洋一の歓楽街、歌舞伎町だ。


 男をその気にさせる術。

 酔わせ、財布の紐を緩ませる術。

 

 そんなものは、呼吸をするのと同じくらい自然に身についている。


 だからこそ、あの時のルナは自信満々だった。


 計算違いだったのは——。

 真の隣にアリスがいたことくらいだろう。

 それゆえに、色仕掛けは早々に失敗した。


 まさか、真がメカドールを保護し、パートナーとしているなんて思ってもいなかったのだ。


 最終的にはルナが正直に事情を打ち明けたことで、真も協力することになる。


 ——王商会への紹介。


 その結果、プリムローズ隊の装備事情は大きく改善された。


 

「真に会えなかったらさぁ」

 ルナが天井を見上げながら言う。


「私たち、今頃どうなってたんだろうねぇ」


 その声音は軽い。

 だが内容は決して軽くなかった。


「ゴミみたいな銃を掴まされて、討伐中にレヴュラの餌になってたかもしれないし」


 指を一本立てる。


「あるいは——」


 今度は肩を竦めた。


「交易者(アクトレス)になってたかも」


 室内が少し静かになる。


 ——交易者(アクトレス)。


 それは新宿クオムらしい職業だった。



 電災後、金の価値は大きく揺らいだ。

 生きるために必要な物資は数え上げれば、きりがない。


 食料、水に医薬品。

 弾薬と……そして安全。


 それらを得るため、人はあらゆるものを商品に変えた。


 知識や技術、情報や労働力。

 そして——身体。


 肉体労働が難しい者。

 クオム外で戦えない者。

 そうした者の中には、自らの身体に値をつけ、それを交換材料に生きる者も少なくない。


 かつてなら蔑称で呼ばれた商売。

 だが電災後の世界では、それを裁く法律もなければ、それを嗤う余裕のある者もいなかった。


 ——全ては生きるため。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 


「まぁ、お前なら繁盛したんじゃねぇか?」

 真が言う。


「失礼だなぁ」

 ルナは頬を膨らませた。


「私、意外とお高いんだよ?」


「自分で言うな」


「でも否定しないじゃん?」


「否定する材料がねぇ」

 真が即答すると、ルナは満足そうに笑った。

 


 冗談めかしてはいる。

 だが、それは決して縁のない話でもなかった。


 新しい銃を買う金。

 弾薬を補充する金。

 ギルドから情報を買う金。

 依頼失敗による赤字。


 それらが積み重なれば、いずれ選択を迫られる。


 人間だろうと。

 メカドールだろうと。


 新宿クオムで生きるには金が要る。


 その現実だけは、誰にも平等だった。




 ——そんな時だ。


 夜の静寂を引き裂く音が響き渡る。


 はっきりとわかる。――それは爆発音。

 そう大きなものではない。

 だが、民家の窓ガラスを微かに震わせた。


「爆発?」

 アリスが双眼鏡を覗き込む。


 同時に、プリムローズ隊の面々も一斉に窓へ視線を向けた。


「ここからだとよく見えないな……」

 リオナが目を細める。


「多分南側。物流搬出口(ロジステーション)の辺りじゃないかな」

 アリスは双眼鏡を覗きながら答えた。


「そうみたい。火の手も上がってる感じ」

 同じように双眼鏡を覗くサキの声に緊張が混じっていた。


 

 ——この民家の二階からでは、おとひめフーズの広大な敷地全域を見通すことはできない。

 もともとプラント全体は背の高い生垣で囲われており、南側の物流搬出口も外部から直接見える構造ではなかった。


 搬出入車両は敷地内を大きく回り込み、真たちが監視している通用門側へ抜ける。


 そのため、今見えているのは炎の反射だけだ。


 何が起きたのかまでは分からない。

 だからこそ不気味だった。


 真は即座に無線機へ手を伸ばす。


「山本さん、こちら篠崎。プラント南側、多分物流搬出口付近で爆発。そっちは何か見えてる?」


 数秒の空白。


 やがてノイズ混じりの声が返ってきた。


〈——こちら山本。こっちからも確認してる〉

 普段と変わらぬ口調だったが、その奥に警戒が滲んでいる。


〈物流搬出口付近から火の手が上がってる。結構な規模だ〉


 プラントからおよそ八百メートル離れた、航空自衛隊静浜基地。

 遠征隊はそこをベースキャンプとして利用しており、山本はその場から全体指揮を執っていた。


 

 だが、距離がある上に生垣が邪魔をしている。

 向こうからも内部の状況は確認できないらしい。


〈——生垣が目隠しになってる。中の様子が全然見えない〉

 山本は短く息を吐いた。


〈——篠崎くん、最低限の監視要員を残して、こっちに一度戻ってきてくれるかい?〉


「了解」

 真はそう言って通信を切る。


 

 原因不明の爆発と火災。

 嫌な条件が綺麗に揃っている。


 もしこれがレヴュラ絡みなら、状況は一気に変わる。

 偵察任務を打ち切り、そのまま交戦へ移行する可能性が高いだろう。

 

「アイ、ここに残ってくれ」

 真が振り返る。


「観測は継続。突入戦になれば狙撃手は動きづらい。観測を継続して、狙撃だけに専念してくれ」


「了解」

 真の指示にアイは即座に頷いた。


「リオナは引き続き観測手(スポッター)を。サキも残ってバックアップを頼む」


「任せて」


「了解です」

 三人はそれぞれ持ち場へ戻り、アイの狙撃銃は再びプラントへ向けられた。

 何かが動けば、即座に報告できる態勢。

 通用門から合流するレヴュラがいれば、十分に狙撃可能な距離だ。


 

 真はアリスとルナを伴い民家を出た。

 それぞれが装填を済ませた愛銃を構えている。


 プラントへは近寄らず、三人は少々遠回りとはなるが、住宅街を抜けてゆく。

 だが、真の胸には得体の知れない不安が広がり始めていた。


 ——ただの事故ではない。

 そんな予感が消えない。


 夏の生温い夜風が肌を撫でる。

 遠くで赤い火の粉が夜空へ舞い上がっているのが見えた。


 

 

 ベースキャンプへ戻ると、すでに周囲は慌ただしくなっていた。

 仮眠を取っていた連中も全員起こされ、各隊のリーダーたちが集まり始めている。


 険しい顔で武器を抱えた男たちが行き交い、さっきまでの緩んだ空気はどこにも残っていなかった。


 戦闘前の張り詰めた緊張。

 その中心に立つ山本の姿が見える。


 ただし、一人だけ例外がいた。

 ファイアレイン隊の阿部だ。


 スウォームで受けた傷が深く、無理に動かせる状態ではない。


「阿部さんの看護は私がやります」

 メカドール隊のルカが迷いなく言った。


「篠崎さんは前へ出てください。ルナをお願い」

 ルカの視線が真へ向く。


 民家にはすでにアイ、リオナ、サキの三人を残してきた。

 残るのはルナとルカだけ。


 だが、重傷者の看護を放棄するわけにはいかない。

 医療知識を持つメカドールが全員前線へ出払うのは危険すぎた。


「わかった、阿部さんを頼む」

 真が頷く。


「任せてください」

 ルカは微笑んだ。

 その横顔は穏やかだったが、どこか不安も滲んでいた。


 何が起きているのか、まだ誰にも分からない。

 だからこそ恐ろしい。


 

 そして、三人では戦力として心許ないと判断した山本は、すぐに追加の人員を割り振った。


「クロウズ隊、篠崎くんたちと組んでくれ」


 その言葉に相川が肩を竦める。

「はいはい。結局そうなると思ってましたよー」


 軽口こそ叩くものの、その手はすでに新しい相棒、AKMの装填を終えていた。


 長い付き合いだ。

 真もアリスも、相川たちとの連携に不安はない。


 むしろ、この状況なら頼りになる連中だった。


 だが、真の胸を掠める嫌な予感だけは、消えるどころか、さらに濃くなっていた。


 ——何かが起きている。

 しかも、ろくでもない何かだ。

 そして、その予感は間もなく現実となって彼らの前に姿を現すことになる。


 

「ところで、青木たち見なかったか?」

 不意にそう口を開いたのは、ファイアレイン隊のリーダーである戸上だった。


 スウォームとの戦闘で阿部が負傷し、さらに青木、玉城、相沢、久米の四人が作戦行動から外された今、ファイアレイン隊は実質的に二人だけの小隊となっている。

 そのため、自然と彼らの所在が気になったのだろう。


「いや、見てないな」

「俺もだ」

「最後に見たの、夕方くらいじゃないか?」


 周囲から返ってくるのは曖昧な返答ばかりだった。


 顔を見合わせる者もいる。


 誰も気に留めていなかったのだ。


 もともと青木たちは作戦から外されていた。

 どこかで不貞腐れながら時間を潰しているのだろう——その程度の認識しかない。


「さっきから全然見てないけど……」


 誰かが眉をひそめる。


「まさか、あの爆発ってあいつらじゃないよな?」


 一瞬、その場の空気が重くなった。


 だが、すぐに別の誰かが首を振る。


「いやいや、さすがにないだろ」


「レヴュラが潜んでるかもしれない場所で爆発なんか起こしたら、自殺と変わらん」


 苦笑混じりの否定。


 理屈の上では、その通りだった。

 この辺り一帯……いや、クオムの外全てが、レヴュラの勢力圏だ。


 大きな音を立てれば周囲のレヴュラを引き寄せる。

 討伐経験の浅い新人ならともかく、Cランクまで上がったハンターがそんな真似をするとは考えにくい。


 

 ——普通なら。


 尤も、真だけは胸の奥に嫌な引っ掛かりを覚えていた。


 理由はわからない。

 だが、青木のあの顔が脳裏から離れない。


 あの男は、自分が軽んじられたことを許していなかった。

 そして、追い詰められた人間ほど馬鹿なことをしでかす。


 だが今は、そんな予感を口にしても仕方がなかった。


「とにかく」


 山本が地図の上へ指を置く。

 一同の視線が集まった。


「プラント内部で何が起きたのか確認する必要がある」


 柔らかな口調はそのままだったが、その瞳は真剣そのものだった。


「原因不明の爆発。火災。そして連絡の取れない人員が四名」


 指先が物流搬出口の位置を叩く。


「偶然で済ませるには、ちょっと状況が悪すぎる」


 誰も異論を唱えない。

 このまま朝を待つ選択肢はなかった。


 原因不明の爆発と火災で、黒焦げの缶詰を抱えて帰るわけにはいかないのだ。

 ならば……確かめなければならないだろう。


 何が出てくるのかはわからない。

 だが、遠征隊には、新宿クオムに住まう全員の命が懸かっていると言っていい。

 前に進むしかない。

 危険だとわかっていても、飛び込むしかないのだ。


電災発生時以来のゴア表記ありの内容になっています。

今回青木たちが遭遇した謎のレヴュラの「ヤバさ」も含め、

本来、レヴュラの前では人間などみな異物と言う感じで、

かなり残酷に描写いたしました。


気が付けば、第一章から通して、一番長いチャプターに

なっていますが、おとひめフーズの備蓄を巡る攻防は

まだ続きます。

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