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電災都市  作者: あるふぁ
第五章『補給線』
35/35

『補給線』-7

日本平ネスト。

東名高速道の日本平PAに作られた、小規模の難民居住区。

そこには電災から逃れた者達が身を寄せ、協力し合いながら

生き続けている。

そして、その住民の中に『くるり』と呼ばれる……人ならざる者がいた。

目の前を、子供たちが駆け抜けてゆく。

 

 甲高い歓声。乾ききったアスファルトを蹴る裸足や擦り減った靴底の音。

 錆びた空き缶が、まるでボールの代用品じみた扱いで蹴り飛ばされ、軽薄な金属音を散らしながら転がっていった。

 

 こんな世界でも、子供は笑う。

 世界が壊れようと、文明が死のうと、明日の保証がなかろうと――無邪気さだけは、しぶとく生き残るらしい。

 

 だが、その喧騒の輪の中には、本来あってはならない……“人ならざる異物”が混じっていた。

 

 ――日本平ネスト。

 東名高速道路、日本平パーキングエリア。

 かつては観光客や長距離ドライバーが束の間の休息を求めて立ち寄った場所も、今やその役割を根底から変えている。

 

 電災によって住処を追われた者たち。

 街や故郷を、家族を、社会を喪失し、それでもなお死にきれなかった者たち。

 高速道路という巨大な逃走路の終端に流れ着き、寄り添い、継ぎ接ぎだらけの生活を築き上げた場所。

 

 クオムのようにバリケードに囲まれた要塞ではない。

 高い防壁もなければ、まともな銃器も、統制された防衛ラインも存在しない。

 

 あるのは、廃材や使い古されたブルーシート。

 瓦礫と錆びた鉄柵。武器は鉄条網を巻き付けたパイプや、スコップなどの原始的なものばかりだ。

 そして――“それでも生きる”と諦めきれなかった人間たちの執念。

 

 積み上げられたコンクリート片や廃車両、折れたガードレールで形作られた防壁は、あまりにも脆い。

 だが、その頼りない壁ですら、内側と外側を隔てるには十分だった。

 少なくとも、ここに暮らす者たちにとっては。

 

 

 本来なら、真たち新宿クオム遠征部隊が、この地へ立ち寄る予定はなかった。

 

 ――目的地は静岡県焼津市。

 食料事情が崩壊寸前にある新宿クオムにとって、缶詰工場という“過去文明の遺産”は、喉から手が出るほど欲しい生命線。

 そのために武装トラック四両、ハンター五十余名、さらにコンバットレスキューまで投入した大規模の遠征。

 

 だが、その進軍を阻んだのがスウォーム……レヴュラの群れだ。

 まるで意思を共有した蟻群のように道路脇から湧き出し、東名高速を走る車列へ殺到した。

 

 理由も、発生条件も不明。

 だが、遭遇した者だけは理解する。

 

 ――あれは“戦闘”ではない。

 “飲み込まれる”という表現のほうが正しい。

 それらが物量となって押し寄せる光景は、もはや機械というより災害に近い。

 

 結果、一号車はフロントガードを半壊。

 衝角は拉げ、溶接部は裂け、車体前部は火花を散らしながら悲鳴をあげた。

 

 その応急修理のため、やむなく立ち寄った場所。

 それこそが、この日本平ネストだった。

 

 ――そして。

 真たちは、ここで“ありえないもの”を目撃する。

 

 ……くるり。

 ネストの子供たちが、親しげにそう呼ぶ存在。

 

 最初は冗談かと思った。

 あるいは、電災後特有の悪趣味な愛称か何かかと。

 

 だが、それは違った。

 そこにいた“それ”は、間違いなく実在していた。

 

 金属で出来た二対の脚。

 強化プラスチックと工業部材の寄せ集めじみた、ずんぐりとした円筒形のボディ。

 ボディ上部には、周囲を絶えず観測するカメラユニット。

 

 形状だけ見れば、真たちが幾度となく撃ち、撃たれ、破壊してきた存在。

 ……そう、D級レヴュラの偵察型個体、ディテクター種そのもの。

 

 だが、この個体には、あまりにも不釣り合いなものが結ばれていた。

 

 ――風になびくリボン。

 赤く、少しくたびれ、しかし確かに“誰かが結んだ”とわかる布切れが、外殻の一部でひらひらと揺れている。

 

 

 ()()は子供たちが蹴った空き缶を、前脚で軽く弾く。

 缶が転がれば、カメラを回し、また追う。

 子供が笑えば、その輪の中に加わる。

 

 まるで、遊んでいる。

 

 そう――遊んでいるようにしか見えなかった。

 

 無邪気な歓声。

 金属の脚がアスファルトを叩く硬質な音。

 空き缶の乾いた反響。

 

 その光景だけ切り取れば、奇妙ながらも微笑ましい。

 

 ――だが、真は知っている。

 この場にいる山本も、相川も……そしてアリスでさえも。

 

 ()()()が何なのかを。

 

 ――D級レヴュラの中でも、ディテクター種と呼ばれる個体。

 偵察や索敵、情報伝達を目的としていると思しきこの個体は、単体性能こそ上位種に劣るとはいえ、その存在は“次の死”を確実に呼び込む。

 

 搭載されたリベットガンは、人間の皮膚も、骨や筋肉も、紙切れのように穿ち引き裂く。

 人間など、遭遇した時点で生き残れる確率は、皆無だ。


 だが――目の前で空き缶を蹴り返し、子供たちに囲まれ、リボンを揺らすその姿は、どうしても真の知る“敵”と一致しない。

 

 『全ての人類を排除する』と宣言し、殺意しか持たない、機械仕掛けの無人兵器。

 その定義が、音を立てて軋んでいく。

 

 ……こいつは、本当に“それ”なのか。

 

 あるいは……自分たちは、レヴュラという存在を、まだ決定的に見誤っていのか。



「くるりー! こっちだよー!」


 甲高く弾んだ子供の声が、夕暮れのネストに響く。

 

 その呼び声に反応し、くるり――そう呼ばれるディテクター種は、円筒型ボディ上部にあるカメラユニットを愛嬌じみた動きで回転させた。

 

 次の瞬間、乾いた金属音を鳴らしながら、二対の機械脚が声のする方向へと向かってゆく。

 ――ただ、呼ばれたから行く。

 まるで、それが当然であるかのように。

 

 その姿は、あまりにも異様で――そして、あまりにも自然だった。

 

 

 本来なら、レヴュラは人類にとって“災厄”そのものだ。

 見つけ次第、排除するか、あるいは即、逃げるか。

 

 それが常識。

 それが、生き残るために骨身へ叩き込まれた現実。

 

 ……だというのに、目の前のそれは、まるで飼い主に呼ばれて駆け寄る犬か、気まぐれにじゃれつく猫じみていた。

 

 

 子供の蹴った空き缶が転がる。


 くるりは、その空き缶へ機械脚の先端を器用に差し込み、軽く弾く。

 まるで“蹴り返す”という概念を理解しているかのように。

 

 缶は子供たちの足元へ戻り、歓声があがる。

 

「わーっ! くるりすげー!」

「もういっかい! もういっかい!」

 

 ――無邪気な声。

 笑い声。

 そして、その輪の中心で金属脚を鳴らす、無人兵器。

 

 光景そのものが、現実感を裏切っていた。

 


「どう見ても……犬だな、ありゃ」

 

 呆れと困惑を半々に煮詰めたような声で、クロウズ隊の相川が呟く。

 

 その視線の先……くるりは再び子供たちの声に反応し、ガシャガシャと機械の脚を鳴らしながら駆け寄っていた。

 

 金属と樹脂の塊。

 血も肉もなく、温もりもなければ、呼吸すらもない。

 

 だが……その仕草だけを切り取れば、そこにあるのは“懐いている”という表現以外、どうにも当てはまらなかった。

 

 ――転がってきた空き缶を脚先で小突き返す動き。

 呼べば来る反応。

 子供たちの輪の中へ、当たり前のように加わる様子。

 

 それは、殺戮機械の挙動ではなく――どこまでも、無邪気のようにさえ見える所作だった。

 


「レヴュラが人間に懐くなんて……どういうことなんだろうね」

 

 山本の声音には、歴戦の戦士らしからぬ戸惑いが滲んでいる。

 

 元・陸上自衛隊特殊作戦群。

 電災以前より対人・対テロの最前線に身を置き、電災以後は数えきれぬほどのレヴュラを破壊してきた男。

 

 その山本ですら、今、目の前にある光景を“理解”できずにいる。

 

 ――レヴュラ。

 

 第二世代相当の自律思考型AIを搭載し、人間との意思疎通は不可能。

 

 人類を排除対象と見なし、発見次第、躊躇なく攻撃してくる。

 そこに慈悲などはなく、交渉の余地すらもない。ただ合理的かつ一方的な殺意だけがある。


 それが、これまでの『レヴュラ』という存在の共通認識だったはずだ。

 

 ましてや、索敵と情報伝達を主任務とするディテクター種は、本来であれば、単独行動をすることは稀。

 多くの場合、護衛個体や周辺群と連携し、“見つけること”そのもので、死を呼び込む存在だ。

 

 だが、くるりは違う。

 

 単機であり、人間を見ても攻撃を行わない。

 しかも、一ヶ月以上の間、仲間も呼ぶこともせず、ネストの子供たちと遊んでいる。

 

 ――常識が、まるごと否定されていた。

 

 全てが理解と想定の外。

 戦場で積み上げてきた経験則、その全てを嘲笑うような“例外”。

 

 だからこそ、不気味だった。

 そして同時に――どうしようもなく、目が離せなかった。

 

 

 

 ――やがて、薄暮が日本平ネストをゆっくりと包み始める。

 

 西の空が赤から群青へ沈みゆき、仮設建築物の隙間から漂う炊き出しの煙が、夜気を孕みながら細く昇っていく。

 

 子供たちの歓声も、少しずつ終わりの色を帯び始めた。

 

 ちょうどその頃、炊き出しを手伝っていたアリスが、真のもとへ夜食を運んでくる。

 湯気を立てる簡素なスープ。わずかな保存食。

 だが、この時代においては、それだけで十分すぎる“温かさ”だった。

 

 そして、子供たちの背後から、母親らしき女性の声。

「こらー、いつまでも遊んでないで、ごはん! 早く並びなさい!」

 

「えーっ!」

「もうちょっとー!」

 

 不満げな声。

 それでも、空腹には勝てない。

 

 子供たちは名残惜しそうにしながら、くるりを何度も振り返った。

 

「じゃあね、くるり!」

「また明日あそぼうねー!」

「ばいばーい!」

 

 小さな手が、何度も、何度も振られる。

 

 その背中。

 遠ざかっていく無垢な日常。

 

 くるりは、その姿を無機質なカメラでじっと見つめていた。

 

 そして――。

 

 安物じみた工業金属の脚部、その一本を。

 

 ぎこちなく。

 恐る恐る。

 

 まるで、見よう見まねで覚えた仕草を再現するかのように持ち上げる。

 

 バランスを崩せば、そのまま横転しかねない絶妙な角度。

 不格好で、不器用で、滑稽ですらある動作。

 

 だが……。

 その脚先は、ゆっくりと――左右に揺れた。

 

 

「おい……あいつ、今……」

 

 相川の声が、信じがたいものを見る色に染まる。

 

「レヴュラが……”ばいばい”してやがるのか……?」

 

 その場にいた誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 

 夕暮れ。

 薄闇。

 炊き出しの煙。

 子供たちの背中。

 

 そして――“また明日”を理解したかのように、別れを返す機械。

 

 それはあまりにも、小さな仕草だった。

 

 だが、その瞬間。

 真たちが“レヴュラ”という存在に対して抱いてきた絶対的な定義は、音もなく、しかし決定的に揺らぎ始めていた。

 


 くるりがこの居住地に現れてから、すでに一ヶ月ほどが経過している。

 

 最初は、ただの“迷い込んだ個体”だった。

 だが……気付けば、ネストの人々の生活に静かに溶け込み、子供たちの遊び相手として、日常の中へ居場所を得ていたという。

 

 呼べば来る。

 蹴れば返す。

 笑えば、輪の中に加わる。

 

 そんな繰り返しの中で、くるりは何を学んだのか。

 

 子供たちの仕草。

 声の調子。

 距離の詰め方。

 

 そして――別れの時、手を振るという行為。

 

 それが意味するものを、あの機械は理解したのだろうか。

 

 或いは、ただの模倣に過ぎないのか。

 

 どちらにせよ。

 くるりは、遠ざかっていく小さな背中を見つめながら、安っぽい金属で構成された自らの脚を、ぎこちなく……しかし確かに“振り続けて”いた。

 

 

 

 

 ――やがて。

 

 子供たちの姿が完全に見えなくなると、ネストの一角に残されたのは、わずかな静寂だった。

 

 くるりはしばしその場に留まり、カメラユニットをゆっくりと回転させる。

 まるで、次に何をすべきかを探しているかのように。

 

 そして――再び機械脚が動き出す。

 乾いた音を刻みながら、今度は真たちの方へと向かってきた。

 

 ゆっくりとまっすぐに。

 

 逃げるでもなく、威嚇するでもない。

 ただ、近づいてくる。

 

 真だけではない。

 山本も、相川も、そしてアリスも。

 ここにいる者たちは皆、電災以降、レヴュラを“敵”として撃ち、壊し、葬り続けてきた側の人間だ。

 

 時には血を流し、仲間を失い、それでも引き金を引くことをやめなかった者たち。

 

 その前へ――レヴュラが、自ら歩み寄ってくる。

 

 これまでに相対した、どの個体とも違う。

 

 その挙動からは、敵意という概念そのものが抜け落ちていた。

 索敵の様子もなければ、攻撃に転じる兆しもない。

 

 ただ、そこにいる。

 

 それだけだった。

 

 別に歴戦の勇者や、百戦錬磨の戦士を気取るつもりはない。

 英雄譚を語る気もない。

 

 だが、この場の誰もが知っている。

 

 “危険かどうか”は、理屈より先に身体が判断する。

 

 引き金にかけた指の重さ。

 喉の奥に引っかかる息。

 視界の端で弾ける緊張。

 

 それらが、一斉に告げていた。

 

 ――違う。

 こいつは――攻撃の意思がない。

 

 

 くるりは真たちの前でぴたりと歩みを止めた。

 

 円筒の上部……カメラユニットが、ゆっくりと回転する。

 

 ひとり。

 またひとり。

 

 顔をなぞるように視線を移し、観察する。

 

 その動きは、本来ならば“照準”であるはずだ。

 標的を定め、攻撃へ移るための前段階。

 

 だが……そこには本来存在すべき、殺意がない。

 あるのは、ただの“観察”に近い挙動。

 

 もしこれが、まったく無害な存在であったなら。

 その仕草は、どこか愛嬌すら感じさせるものだっただろう。

 

 だが現実は違う。

 レヴュラは、人間を殺すために作られた“モノ”だ。

 

 どこの誰が何のために作ったのかは知らない。

 それでもひとつだけ確かなことがある。

 

 電災以降、積み上げられてきた膨大な死。

 焼けた街。

 破壊された生活。

 

 そのすべてが証明している。

 ――レヴュラは、人類の敵。それは紛うことなき絶対不変の原則。

 

 にもかかわらず、この場の誰もが、銃を上げない。

 

 撃てばいい。

 たった一発で終わる。

 

 ――それでも、誰も撃たない。

 

 撃てない。

 

 理由は単純だった。

 

 ――“撃つ理由が、見当たらない”。

 

 そして、それは周囲にいるネストの住民たちも同じ。

 

 誰ひとりとして、くるりに対して警戒を強める様子がなかった。

 恐怖も、拒絶も、怒りもなく、ただ……そこにいる存在として受け入れている。

 

 その態度こそが、何より雄弁に物語っていた。

 

 ――こいつは、危害を加えない。

 その事実を。


 

 

「……お前は、本当になんなんだ?」

 

 真が低く問いかける。

 くるりは何も答えない。

 ――レヴュラは言葉を話さない。何も言わないのは当たり前だ。

 

 沈黙は、いつも通りの“仕様”に過ぎない。

 

 だが――。

 レヴュラは音を拾う。

 

 極めて高感度な音響センサーを搭載し、わずかな摩擦音すら拾い上げ、座標化し、即座に攻撃へ繋げる機構。

 

 電災直後、ガラス片を踏んだ、ほんの小さな音。

 たったそれだけで、真は撃たれたことがある。

 

 だからこそ断言できる。

 “聞こえていない”はずがない。

 

 言葉の意味は理解できずとも、“音”としては確実に認識しているはずだ。

 

 にもかかわらず、くるりは、何の反応も示さない。

 

 ただ、くるくると、カメラユニットを回す。

 

 そのたびに、子供たちの結びつけたリボンが、夕暮れの風に揺れた。

 

 赤い布切れが、かすかに翻る。

 まるで――そこに“心”があるかのように。

 


「――お手っ」


 張り詰めた空気を、まるで錆びたナイフで雑にぶった斬るような声音だった。


 この状況下において、あまりにも場違いで、あまりにも緊張感に欠ける一言。

 当然、その珍妙極まりない命令を口にしたのは――相川である。


 新宿クオムでも古参のハンター。

 修羅場の数だけなら真にも引けを取らない。

 レヴュラの機械脚に追われ、銃火の中を潜り抜け、それでもなお、肝心な場面で妙な方向へネジが吹き飛ぶ男。


 だが同時に、こうした胃の底が軋むような空気を、脱力と悪ふざけで強引に和ませることに関しては、右に出る者がいない。

 真にとっても、数少ない“ウマの合う馬鹿”だった。


 相川が妙なことを口走る。

 真が容赦なく突っ込む。


 それは、電災後の殺伐とした日常に辛うじて残された、旧時代的な様式美ですらあった。


 差し出された相川の手。

 くるりは即座には反応しない。


 円筒型ボディ上部のカメラユニットが、くる……くる……と低速で回転する。

 困惑しているのか。

 解析しているのか。

 あるいは、単に意味がわからないだけなのか。


 無機質なはずの挙動なのに、不思議と“考えている”ように見えてしまうあたりが、余計に奇妙だった。


「おいおい、犬枠扱いかよ……」


 真が呆れ半分に吐き捨てるが、相川は気にしない。

 むしろ真顔で、くるりの前脚――正確には機械脚の一本へ、そっと手を伸ばした。


 金属と油圧機構の塊。

 本来なら、人間が気軽に触れていい代物ではない。

 

 だが、くるりは動かなかった。

 攻撃も拒絶もしない。


 相川は慎重にその脚を少し持ち上げると、自分の掌を下へ差し込む。


 ――世界で最も不格好で、世界で最も場違いで。

 そして、おそらく世界で初めての……レヴュラによる“お手”が成立した。


「お手っ」


 相川が、今度は少し得意げにもう一度言う。


 すると――。


 くるりは、ぎこちなく。

 実にぎこちなく。

 だが確かに、自分から脚を持ち上げた。

 

 小さな作動音。


 その金属脚が、相川の掌へ、ちょこん……と乗る。


 ――沈黙。

 その場にいた誰もが、一瞬だけ言葉を失った。


「……は?」


 真の口から漏れた声は、もはや純粋な困惑だった。


 山本ですら眉間に深い皺を刻み、アリスは目を見開き……通りかかった岸上に至っては、そのまま固まっている。

 そして当の相川だけが、どうしようもなく誇らしげだった。


「篠崎、見たか! 俺はいま、世界で初めてレヴュラに“お手”をさせた男になったぞ!」

 それが何の役に立つのかはさておき、相川は満足げな顔を見せる。

 

 ――胸を張る方向性が壊滅的に間違っている。


 

「……よし、決めた」

 真は深々と頷いた。


「相川、お前を人類初の“対レヴュラ親善大使”に任命する」


「は?」


「今後は責任を持って、全レヴュラとの和平交渉に尽力しろ。まずは全国行脚だ。“お手”で世界を救ってこい」


「待て待て待て! なんで俺がそんな外交官みてぇなことになってんだよ!」


「安心しろ。もし失敗しても……骨は拾ってやるからな?」

 真は肩を叩く。


「その言い方、完全に殉職前提じゃねぇか!」


「心配するな。お前の勇姿は、きっと人類史の片隅に刻まれる……多分な?」

 真は実に爽やかな笑顔で続けた。


「片隅かよ! せめてもうちょい中央に刻め! って言うか、アバウトすぎるだろ!」


 馬鹿だった。

 どうしようもなく、いつもの二人だった。


 だが、その軽口と皮肉を織り交ぜた、馬鹿の応酬が、逆にこの異常な光景を際立たせる。

 


 人類を殺すために生まれたはずの機械兵器。

 そのレヴュラが、夕暮れのネストで子供に遊ばれ、レヴュラを”狩る”ハンターに“お手”を覚えさせられている。


 冗談のようで、悪夢のようで……それでいて、どこか温かい。


 くるりは、そんな真と相川を交互に見つめていた。

 カメラユニットが左右へゆっくり回る。


 まるで観察するように。

 まるで、理解しようとするように。

 あるいは――“この奇妙な生き物たち”を学ぼうとするように。


 その様子を見つめていたアリスが、不意に呟く。


「……この子」


 普段よりわずかに低い声音。

 

「人間の言葉を……理解してる」

 メカドールとしてではなく、同じ“自律思考型AI”として何かを感じ取ったような響き。

 その一言は、軽口で緩みかけていた空気を、再び静かに凍らせた。


「……なんだって?」


 山本が低く問う。


 言われてみれば、符合する点はあった。


 子供たちの呼びかけに応じた。

 “ばいばい”を学習した。

 そして今、“お手”に反応した。


 単なる音声への反射行動では説明がつかない。


 言葉の意味や行動の意図。そして人間側の要求。


 それらを、少なくとも部分的には理解している。


 人語解析自体は第一世代AIであるTalksGPTでも可能だ。

 音声入力されたテキストに対し、回答を出力するというアルゴリズムは、何ら珍しいものではない。

 まして、第二世代準拠なら、言語理解能力そのものは疑う余地もないだろう。


 だが、問題はそこじゃない。


 なぜ、“理解した上で”、人類排除ではなく……共存めいた挙動を見せるのか。


 真は、夕陽に照らされる、くるりのリボンを見つめる。


 赤く染まる空。

 風に揺れる安っぽい布切れ。

 戦場で見慣れた返り血にも似た色彩。


 なのに、その姿はひどく穏やかだった。


 これまで遭遇したレヴュラは、どれも単純明快だった。

 発見し、襲う。そして殺す。


 そこに躊躇も、情緒も、交流もない。


 ――だが、目の前の個体だけは違う。

 まるで、“人間を知った”かのように。


 

 真の脳裏に、ひとつの可能性がよぎる。


 第二世代AIは、本来、対話と学習によって最適化される。

 ならば……もし長期間、人間社会の中に置かれ続けたとすれば――。


 敵意より先に交流を学び、命令より先に模倣を覚え、殺意より先に“関係性”を獲得したとしたら?

 それは、レヴュラと呼んでいいものなのだろうか。



「……お前、本当は何になろうとしてる?」

 真の呟きに、くるりは答えない。


 ただ、カメラユニットをくるりと回し、小さく脚を鳴らす。

 その音だけが、崩壊した世界の片隅で、あまりにも静かに響いていた。


 いずれにせよ――くるりは、完全に真たちへ懐き始めていた。


 一号車の解体めいた修理作業が始まれば、少し離れた位置で機械脚を器用に折り畳み、円筒型ボディ上部のカメラユニットをくるくると回しながら、その一部始終を興味深そうに眺めている。

 工具の金属音。

 ボルトの脱着。

 火花こそ散らないが、破損した衝角を取り外すために悪戦苦闘する男たちの動き。


 その全てを、まるで“学習対象”でも見るかのように追っていた。


 荷物を抱えて運ぶメンバーがいれば、その後ろをてちてちとついて歩く。

 機械脚がアスファルトを叩く音は、本来なら警戒心を呼び起こすはずだった。

 だが、不思議なことに今は違う。


 その足音には、妙に間の抜けた愛嬌がある。

 まるで巨大な工具箱に脚が生えて、物珍しさに人間社会を見学しているようですらあった。


 とてもではないが、これがリベット弾で人肉を抉り、都市部で幾人もの命を刈り取り、電災という悪夢を構成する一片だとは思えない。


「……新宿でこれ見せたら、腰抜かす奴、絶対いるよな」

 岸上が呆れ混じりに漏らし、まったくだ、と真も頷いた。

 


 しかも、どういうわけか――くるりは特に相川へよく懐いていた。


 “お手”という謎技能を叩き込まれた影響なのか。

 それとも最初に妙な接触を成立させた相手として記憶しているのか。


 相川が歩けば、ひらひらとリボンを揺らしながら後ろをついてくる。

 相川が立ち止まれば、数歩遅れて停止する。

 相川が振り返れば、カメラユニットもくるりと回る。


「……犬じゃねぇか、もう」


「やめろ、俺まで飼い主扱いされそうで怖ぇよ」


 そんな軽口が飛ぶたび、周囲のハンターたちは苦笑しながらも、“笑えてしまっている自分”に、どこか戸惑っていた。


 人類の敵を前に、警戒より先に苦笑が漏れるなど、本来ならあり得ない。

 だが――現実に、それが起きていた。

日本平ネスト編は本来はもう少し手短に進めるつもりだったのですが、

どうしても、その異質さを丁寧に描こうとしたところ、結構な文字量と

なってしまったため、少し編集して分割しました。


人に懐くレヴュラというのは、本作品の「AIは本当に敵なのか」という

テーマの中で、かなり初期に生まれたアイデアです。

とはいえ、本来は人間と合い慣れる存在ではないため、名前を「くるり」

という、ひねりのかけらもない名前にしました。

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