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『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
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EP36 思い出の写真

「……それからは、神崎の知っての通りだ」


 そう言って、俺は長い昔話を終えた。


 手のひらには、チェーンの切れた十字架がある。


 仕事中に落としたこいつを神崎が拾ってくれた。ただそれだけのことだったのに、気がつけば小学校に入学した頃からの話を、ほとんど全部してしまっていた。


 我ながら、よくもまあこんなに喋ったものだ。


「…………」


 神崎は黙っていた。


 いつもなら、こちらが黙っていても勝手に喋り続ける男だ。


 それが今は、俯いたまま微動だにしない。


「……神崎?」


「…………」


「おい、聞いてたか?」


「……はい」


 妙に鼻声だった。


 顔を上げた神崎を見て、俺は思わず目を丸くした。


「……お前、何で泣いてんだよ」


「だ、だって……」


 神崎は袖で目元を拭った。


 しかし、拭ったそばから涙がこぼれてくる。


「……ひどすぎるじゃないっすか……」


「…………」


「お父さんも、お母さんも……加奈ちゃんまで……」


 神崎は言葉を詰まらせた。


「せっかく好きだって伝えられたのに……返事も聞けないまま……」


「……まあな」


「しかも、そのあとだって……親戚の人たち、何なんすか……!」


 今度は怒りまで混じっていた。


「あんなの家族じゃないっすよ……! 陽一さん、何にも悪いことしてないのに……!」


「……落ち着けよ」


「落ち着けないっすよぉ……!」


 神崎はまた顔を覆った。


 俺は困り果ててしまった。


 自分の昔話を聞いて、こんなに泣く奴がいるなんて思ってもみなかった。


「……もう何年も前の話だぞ」


「何年経っても、悲しいもんは悲しいっす……!」


「…………」


「……陽一さん、ずっと一人だったんすね……」


 その言葉に、少しだけ胸の奥が動いた。


 あの頃は、そうだった。


 誰も頼れなかったし、誰にも頼ろうとは思わなかった。


 ただ毎日を生きるだけで精いっぱいだった。


「……まあ、昔はな」


 そう答えると、神崎は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


「……昔は?」


「今は、お前みたいなうるさい後輩がいるだろ」


「…………」


 神崎の顔が、また歪んだ。


「……陽一さぁん……!」


「うわっ、何だよ! 余計泣くな!」


「だってぇ……!」


「だってじゃねえよ! 鼻水まで出てるぞ!」


 俺は近くにあったティッシュを箱ごと押しつけた。


 神崎はそれを受け取り、盛大に鼻をかんだ。


「……すんません」


「まったく……」


 しばらくして、ようやく神崎は落ち着いた。


 目は真っ赤だったが、さっきまでのように泣き続けることはなくなった。


「……陽一さん」


「何だ?」


「……話してくれて、ありがとうございます」


「…………」


「俺、陽一さんのこと、何にも知らなかったんすね」


「……別に、知らなくても困らねえだろ」


「いや、そうっすけど……」


 神崎は少し考えてから、笑った。


「でも、聞けてよかったっす」


「……そうか」


「はい」


 俺は手の中の十字架を見つめた。


 加奈が俺にくれた、大切な宝物。


 それをきっかけに、こんな話をすることになるとは。


「……そういや」


「はい?」


「お前には、見せたことなかったな」


「……何をっすか?」


「加奈の写真」


「えっ!?」


 神崎が勢いよく顔を上げた。


「写真あるんすか!?」


「ああ。昔のやつだけどな」


 俺は財布を取り出した。


 その中には、一枚の写真が入っている。


 十月七日。


 加奈が十三歳になった誕生日に撮った写真だった。


 当時、俺は十二歳。


 少し色褪せてしまったが、そこに写る加奈の笑顔は、今でもはっきりと分かる。


「……ほら」


 俺は写真を差し出した。


 神崎は両手で受け取った。


「…………」


 じっと見つめる。


「…………」


 まだ見ている。


「…………」


「……おい」


「…………」


「神崎?」


「…………」


 返事がない。


 神崎は写真を少し顔に近づけた。


 角度を変える。


 目を細める。


 さらに近づける。


「……お前、近すぎて見えねえだろ」


「…………」


「聞いてんのか?」


「……陽一さん」


「何だよ」


「……この子が、加奈ちゃんっすか?」


「ああ」


「…………」


 神崎はもう一度写真に目を落とした。


 そして、しばらくしてから、ゆっくりと顔を上げた。


「……めっちゃ可愛いじゃないっすか!!」


「うおっ!?」


 突然の大声に、俺は思わずのけぞった。


「何だよ、いきなり!」


「いやいやいや! ちょっと待ってくださいよ! 何すか、この美少女!」


「……何すかって言われても……」


「めちゃくちゃ可愛いっすよ! この目! この髪! 何よりこの笑顔!」


「……分かったから声落とせ」


「いや、だって! 陽一さん、こんな可愛い子と毎日一緒にいたんすか!?」


「……まあな」


「しかも小学一年生から!?」


「ああ」


「毎日一緒に登下校して!?」


「……そうだな」


「秘密基地で二人きりになって!?」


「……さっき話しただろ」


「…………」


 神崎の手が震え始めた。


「……おい?」


「……き」


「……き?」


「きぃぃぃぃぃぃぃーーーっ!!」


「うおっ!? 何だよ!?」


 神崎が突然、頭を抱えて奇声を上げた。


「羨ましいぃぃぃぃ!!」


「……は?」


「何なんすかその青春はぁぁぁ!!」


「……お前、どうした?」


 神崎がこちらを振り向いた。


 ……こいつ、血の涙流してやがる。


「うわっ!? お前、目から血が出てるぞ!?」


「嫉妬っすぅぅぅ!!」


「病院行け!!」


「俺だって! 俺だってこんな可愛い幼馴染が欲しかったっすよぉぉ!!」


「……俺に言われても困るわ!」


「きぃぃぃぃーーーっ!!」


 神崎はその場で地団駄を踏み始めた。


「小学一年生から美少女と一緒に登下校ぉ!? 毎朝迎えに来てくれて、手まで繋いでぇ!? おまけに夏祭りで告白ぅ!?」


「……だから、全部さっき話しただろ」


「話だけなら耐えられたんすよ!!」


「何に耐えてたんだよ!」


「写真を見るまでは、加奈ちゃんがここまで可愛いなんて思ってなかったんすよぉぉ!!」


「……そうかよ」


「きぃぃぃぃーーーっ!!」


 ……駄目だ。


 完全に壊れた。


 さっきまで俺のために泣いてくれていた、あの優しい神崎はどこへ行ったんだ?


「俺の二十二年間は何だったんすかぁぁ!!」


「知らねえよ!!」


「陽一さん、俺より三つも年下じゃないっすかぁぁ!!」


「……だから何だよ」


「何で俺より人生経験豊富なんすかぁぁ!!」


「……お前が知らないだけだろ」


「くっそぉぉ!! 俺だって六歳から美少女と一緒にいたかったっすよぉぉ!!」


「……無茶言うなよ」


「きぃぃぃぃーーーっ!!」


 神崎は頭を抱えたまま、しばらくその場で悶えていた。


 ……まったく。


 こいつの頭の中は、どうなっているんだろう。


「……おい、そろそろ返せ」


「ええー、もうちょっとだけ!」


「いつまで見てんだよ」


「あと十秒!」


「何の十秒だよ!」


 神崎は真剣な顔で写真を見つめ続けた。


「……はい。ありがとうございました!」


 ようやく写真が返ってきた。


 俺はそれを受け取り、そっと財布にしまった。


 今まで、加奈の写真を誰かに見せることなんてほとんどなかった。


 加奈のことを話すことも。


 思い出を誰かと分かち合うことも。


 ……でも。


 こういうのも、悪くないのかもしれない。


「……さて」


 俺は立ち上がった。


「そろそろ仕事に戻るぞ」


「はい!」


 神崎も元気よく立ち上がった。


 俺は切れたチェーンを指先で持ち上げた。


「……こいつも直さねえとな」


「それ、直るんすか?」


「ああ。チェーンだけだからな。何とかなるだろ」


「よかったっす」


 神崎は安心したように笑った。


「……大事な宝物っすもんね」


「……ああ」


 俺は十字架をそっとポケットにしまった。


 さて、仕事だ。


 いつまでも昔話をしているわけにはいかない。


 そう思って工具を手に取ったところで。


「……あっ、陽一さん!」


「今度は何だよ」


「俺、決めました!」


「……何を?」


 神崎は妙に真剣な顔をしていた。


「俺も幼馴染作ります!」


「…………」


「今からでも遅くないっすよね!?」


「……お前、幼馴染の意味分かってるか?」


「えっ?」


「……子供の頃から一緒に育った相手のことだぞ」


「…………」


 神崎はしばらく考え込んだ。


 そして、真顔で答えた。


「……じゃあ、今から子供に戻るしかないっすね」


「戻れるか!!」


 俺の声が、工場に響いた。


 神崎は腹を抱えて笑っている。


 ……まったく。


 こいつといると、本当に調子が狂う。


 俺は呆れながらも、つられて笑ってしまった。


 長い昔話は、これでおしまい。


 今日もまた、いつもの一日が始まる。

これにて過去編終わりになります

長々とありがとうございました

第1章で見せたかったところがあと少しになりますもう少しお付き合い下さい

2章もある程度プロットをねっていますが少し時間が空くかもしれません

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