第一章 第二話:第3エリア西海岸
本部で指令を受けてからおよそ8時間後、東雲と雪月の二人は第3エリア西海岸の不審船が発見された地点付近へと到着した。
エリアとは、旧暦時代に勃発した世界大戦によって元来の地形から様変わりしてしまった土地において、特に大陸と呼べるものに付けられた一時的な呼称である。世界大戦では陣営を問わず、新型の大量破壊兵器が無制限に投入された。大地にはいくつもの大穴が穿たれ、周囲は隆起し、海面より低くなった土地に海水が流れ込んで新たな海が生成された。結果、世界は5つの大陸と諸島群に様変わりし、現在はその中の4つの大陸と周辺の諸島群を再編国家『レズモス』が領有している。
レズモスとは、世界大戦当時に国家の消滅またはその危機に曝された多数の中小国が、生き残りをかけて一つの国家として再編したことで建国された国家だ。その時を境に、暦を新暦と改めた。一方、当時の大国を中心に一部の国家は独立路線を選択した。レズモスの民衆はこれらの国家群をまとめて『トリステ』と呼び始めた。俗称ではあるが、今も広く使われている。それから100年余り、独立国家群『トリステ』と再編国家『レズモス』による小競り合いは度々発生しているが、新暦2年以降は大きな争いに発展した事案はない。
なお、大陸の呼称が「エリア」のまま変更されなかったのは、国家の運営が安定した頃にはすでに一時的な呼称が定着してしまっていたからである。
「ここが第3エリア西海岸ですか?」
「そうだ。初めて来たのか?」
「第3エリアというより、第1エリアの外に出たこと自体が初めてです」
「そうか。まあ第1エリアの外に出たことのある人間のほうが少ないか」
第1エリア以外はほとんどが食料や工業製品の生産拠点となっている。それは主に防衛上の理由だ。第1エリアを囲むように、北から東にかけての第2エリア、南から東にかけての第4エリア、そして二人のいる北から西を通って南にかけての第3エリアが広がっている。面積は第3エリアが最も大きく、第1エリアが最も小さい。
世界大戦により世界人口が大幅に減少したことで働き手も減った。利用可能な土地面積もまた、前述した理由で旧暦時代より縮小している。その現実を前に、人々の生活を維持するための答えは自ずと明らかだった──高度に自動化された生産・運送設備により、ほぼ無人で効率的な食料と工業製品の生産・運送を実現すること。人員が削減されていくなかで、人々は次第に第1エリアへ集中するようになった。国家もまたそれを意図していた。貴重な人的資源を第1エリアに集め、周囲を軍で固めることで防衛線を構築する──有事の際は国家総動員で籠城戦も考慮されていた。
「執行官の補佐官となった以上は、第1エリアの外に出ることは少なくない。なにより国防軍にとっては、第1エリアの外のほうが重要施設が多い」
「いくら国民が居たとしても、食料や物資がなければ生きていけませんからね」
「よく理解しているようだな。連合が結成された当時は、連盟に侵攻される可能性が高かった。いくら中小国が集まっても、埋めることのできない技術格差があったからだ」
「連盟が維持していた土地において、資源が枯渇していたことも原因ですね?」
「連盟にとって資源の確保は可及的速やかに行わなければならない事案だった。実際、新暦2年に侵攻があった」
「しかし、結果は連合の勝利で終わった」
「痛み分けだがな。連盟の武力の大半を注ぎ込んできた。国防軍もそれに呼応し、反撃を行った。戦争は半月で終了した」
「特務室の暗躍ですね」
「表向きには非公開の新技術による戦略攻撃となっている。実際は特務室執行官数名による破壊工作だ。連盟の軍需施設、食料生産施設、虎の子の資源地帯を──土地ごと潰した」
「……土地ごと、ですか」
「あの海も、元は陸地だったかもしれないな」
「所属している私が言うのも何ですが、過激ですね」
「破壊工作と同時に、国内へ潜伏していた連盟工作員の排除も行った。主要施設を破壊され領土を領海に変えられた連盟軍は継戦能力を失い撤退を開始した。国防軍は公海寸前まで追撃を行い、多数の武器装備を鹵獲・解析して技術格差を解消した。しかし連合も無事とはいえず、多数の装備・人員・軍民施設が失われた。特務室の工作が成功したからこそ、この被害で済んだというだけだ」
そんな歴史の話をしているうちに、発見地点が見通せる海岸線へと到着した。この一帯は規制線が張られ国防陸軍が封鎖していたが、諜報部執行課の身元確認が済み次第通過することができた。諜報部は国防軍の組織であり、このような捜査への参加は比較的頻繁に行われている。
「特に何もありませんね」
「不審船自体は逃走して領海付近まで逃げているからな。そっちは軍と政府がサルベージするだろう。俺たちは上陸した可能性がある工作員の捜索と無力化だ」
「前から思っていたんですが、可能性ということは、居ない可能性もありますよね?」
「もちろんだ。痕跡がなければそれはそれで一安心でいい。無駄足というわけでもないからな。だが、神代課長が特務室を派遣したということは、可能性を高いと見ているということだろう」
「信用しているんですね?」
「神代の分析力は随一だ。私が知る限り、ほとんどの場合で適切な戦力派遣が行われている」
「……私もそのようになれるのでしょうか」
雪月はそう呟いた。その言葉は、東雲には届いていなかった。
「さて、この付近で上陸できるところとなると……」
東雲は海岸線を見渡し、しばらくすると一点を見つめて考え始めた。雪月はそんな東雲に声をかける。
「なにか見つかりましたか?」
ハッとした東雲は説明を始めた。
「ここは切り立った崖ばかりだ。道具を使えば登れないことはないが、当時の海は荒れていたらしい。いくら訓練された人間でも天候には勝てない。そうなると……」
「そうなると、ここから500メートルほど北上した場所に浜がありますね」
「確かに浜があるが、そこだと発見されないまま潜り込むのは難しい。いくら第1エリアに人が集中しているとはいえ、外に住人がゼロというわけではない。不審船の警報も出ていたし、軍による警備も常にある。侵入経路となりそうな場所は常に検討され、国防軍が配置されているからな」
「そうなると崖しかありませんが……」
「そう、崖しかない。しかし、ある程度の高さで波さえ被らなければ、訓練された人間であれば十分だ」
その話を聞いた雪月は、もう一度彼の見ていた方向を見てみる。すべてが切り立った崖に見えていたが、見ているうちに思い当たる部分があった。
「南に800メートルほどの場所でしょうか?」
「見つけたか。あの場所だけは周りより3メートルほど低く、しかも高波を避けられるような奥まった地形になっている。入り江だな。多少は波を被るだろうが問題にならない程度だ。そしてここと比べると比較的なだらかな斜面だ。侵入されるとしたら、そこだろう」
「では行ってみますか?」
「まあ先に浜から行ってみるとしよう」
雪月は困惑した。あれだけ説明しておいて浜に向かうと言うのだ。
「そこまで確信があるというなら崖を見に行けばいいと思うのですが?」
「普段だったらそうするんだがな。今回は神代から雪月の教育を頼まれている。いろいろ見せるべきだろうってだけだ」
一応、いろいろ考えてくれているんだと雪月は思った。そして初めて名前を呼んでくれたことに気がついた。
「では、改めて教育をよろしくお願いします。あと、私のことは凪と呼んでください」
これには東雲が驚いた。急に距離を詰められたことへの驚きと、どこか懐かしさのような感覚を同時に覚えていた。
「わかった。凪、浜へ向かうぞ」
「了解しました」




