壁面
20
内部には煌々と明かりがついていた。小ぶりのシャンデリアが見える。あとは大きなベッドにドレッサーなどの調度類だ。ピーピング・トムよろしく覗いていると、ベッドの上のかたまりが動いた。優貴はよく見ようと鏡を動かす。
ショートの黒髪に色白の肌、ちょこんとした小ぶりな鼻が鏡に映る。莉愛だ。
「見つけたっ」
ザイルを持つ手が滑った。決して女の子の寝室を覗いて興奮したわけではない、興奮したわけではないが手は滑る。ずるっと五〇センチほど落下する。ついでに鏡が手からすり抜ける。いい歳して、修練が足りないってやつだ。
「くそっ」
優貴は何とか勢いを止めるとゆっくり降下する。窓の下枠に足をかけ、窓に張り付いた。紳士らしく窓をノックする。
ベッドの上の莉愛がその小さな顔を上げた。大きな眸が薄く開き、窓の外を見つめる。長いきれいな睫毛が何度か上下した。
優貴はにっこりと笑顔を浮かべた。
信じられない! と言うように、莉愛の眸が見開かれる。
「田村さんっ」
莉愛がベッドを飛び出し、窓に駆け寄った。病院服の白いワンピースがひらひらと舞う。莉愛が着ると病院服でもかわいらしい。
「田村さんっ、どうしてここに」
優貴は頷くとサムアップして見せた。
莉愛の薄茶色の瞳が揺れる。
優貴は頷くと窓を叩いた。窓枠を確認する。
「だめなんです。この窓開かない」
莉愛は周囲を見回す。だが、窓にぶつけられるようなものはない。焦った莉愛の手がポケットにあるものに気づいた。ヴィクトリノックスだ。田村さんはこれで車のガラスを割ったんだ。急いで取り出すと、莉愛は両手で振り被った。体重を乗せ、思いっきり窓に叩きつける。だが、窓はびくともしない。
莉愛は哀しい顔して首を振った。
「田村さんみたいにはいかないよ」
優貴がにっと笑って見せた。頷き、莉愛にうしろに下がるように手で示す。
そのサインに莉愛が窓際から下がった。優貴は右の壁の寄るように手を動かす。
「ここからはスピード勝負さ」
優貴はカイデックス製バックホルスターからベレッタD×3ルーポロッソを引き抜くと、窓を蹴った。
一階上のザイルの結び目を支点に優貴は虚空に飛び出す。壁に寄った莉愛が恐怖に両こぶしを顔に寄せ、悲鳴を上げた。
「そらよっ」
連続して轟音が響いた。一メートル近い火矢が噴き出し、赤い狼が強化ガラスを粉々に砕く。
きらめくガラス片を突き抜けて、優貴がベッドルームに飛び込んだ。素早くザイルを手放す。ファストロープ降下では着地してから、絡まったロープで引きづりあげられるという冗談みたいなことがよくあるのだ。
「ただいま」
優貴はくるぶしまでありそうな絨毯の上に降り立つと莉愛に言った。莉愛が最後に言った「行ってらっしゃい」に応えたのだ。
莉愛が立ち上がり、細かく首を振る。
「田村さん、危ないのに。死んじゃうかもしれないのに」
大きな透き通る瞳が揺れる。
「非常階段でじっとしてなきゃだめじゃないか」
「ごめんなのです。ごめんなさい」
胸の前に手を組んで莉愛が首を振った。
優貴はニヤッと笑顔を見せる。
「田村さん!」
莉愛が優貴に齧りついた。全身の力を込めて優貴を抱きしめる。
優貴は日向くさい莉愛の頭を撫でた。
「田村さん、道路の上で動かなくなったから、心配してた」
「あれぐらいで参ってたら、おれがやりたいことはできないさ。おれも遅くなった」
「ううん」
莉愛が優貴の胸の中で首を振る。
優貴は莉愛の肩に手をやって、莉愛の顔をじっと見つめた。莉愛も優貴を見返す。
「酷い目に遭ったな?」
莉愛は一瞬首を横に振りかけたが、頷く。目線が左手首に落ちる。
優貴は莉愛の白い病院服の袖をまくり上げた。包帯が巻いてあり、手首のあたりに異様な器具が固定してある。シャントだ。静脈を肘の内側まで針が貫いている。採血や点滴を頻繁にやらなければならない患者に使われるものだ。
「さっき、看護師さんがやったのだよ」
「酷いことしやがって。あとで抜いてやる」
「うん」
莉愛が頷く。顔が白い。普通に白いのではない。血の気が薄いのだ。
「よし。行こう。まずは脱出だ」
「でも」
「大丈夫だ。おれに任せろ」




