26日目
「その話、本当っちゃ」
ちびり、とお湯割りを飲んで清原刑事が言う。
「ええ。勇人いわく、他にも助けられた人が何人かいると」
「辰夫が宮東会の金か何かを持ち逃げしたというのは、見当がついてたっちゃ。
そんな慈善事業じみたことをやってたとは知らんかったたい」
私は筑前煮の人参を口に入れた。しっかりと味が染みている。
清原刑事の行きつけである「しのぶ」は、場末の小料理屋とは思えないほどしっかりとした料理を出す店だった。
「……美味しいですね、やっぱり」
「大将は元は中洲の板長たい。向こうで色々あって、こっちに来たっちゃ。それ以上は言えん」
大将はカウンターの向こうで、寡黙に作業をしている。宮崎が「そうなんですかぁ」と口を動かしながら言った。
「株、って言っとったな」
「ええ。私はそっちはあまり」
「宮東会が奴を追っとる理由が、よう分からんかったっちゃ。ただ、持ってる金が億単位なら理解するたい。
元手は数百万でも、3年もあれば億行けんこともない。例えば2017年の仮想通貨バブルに突っ込めば、20万が3000万になったという話も知っちゅう」
「よくご存じですね」
「株や仮想通貨は、ヤクザの新しいしのぎたい。合法的なものもあれば、非合法のものもある。
辰夫がどっちかは知らんけど、まあ儲けていることが分かったならそりゃ狙われると」
モグモグと筑前煮の里芋を食べながら、宮崎が質問する。
「でも、何で、んぐっ、今更、もぐ、追い始めたんでしょう?」
「奴を匿っとったのは、筑豊の浅尾や。宮東会の元大物で、人望は未だに厚いっちゃ。
浅尾を殺したり襲ったりしたら、宮東会穏健派が黙ってないと。
ただ、なぜ下っ端に過ぎん戸倉を浅尾が匿ってたのかはイマイチ分からなかったっちゃ」
また一口、清原刑事がお湯割りを飲んだ。
「……ただ、あるいは辰夫が何か金銭面で浅尾の助けになったんかもしれんの。
浅尾も善人じゃないから、何の利益も生まない辰夫を無条件で庇うことはせん。
辰夫は、浅尾に何らかの金を渡しつつ、筑豊やK崎の恵まれん家庭を支援しとったということになるたい」
「とすると、今の辰夫はそれほど金を持ってない?」
「かもしれん。ただ、億単位を持っとるなら金融機関から足がつくはずっちゃ。
若いのが不自然に金を持っているという話は、聞いたことがなか」
私は少し考えた。……そうなると。
「どこかに隠している?」
「かもしれん。問題は、それを持ったまま辰夫が逃げとるのか。
そして、それを中部への土産にしたのかっちゃ」
清原刑事は、一気にグラスを飲み干した。
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「ふう、飲みましたねぇ」
宮崎の足どりは少し怪しい。私は軽く溜め息をつきながら、彼女に肩を貸した。
あれから清原刑事とは他愛のない世間話と別件の情報のやり取りをして、1時間ほどで別れた。
既に1、2件だがニュースを「抜かせて」もらっている。彼とは長い付き合いになりそうだった。
「酒に飲まれんのも記者の能力だぞ」
「んー、飲むのまで仕事じゃ面白くないじゃないですか。それに、わざと酔うのもテクニックですよ?」
宮崎が上目遣いに私を見る。潤んだ瞳に、私の鼓動が少し上がった。
「『女の武器』か。嫌うのも多いぞ」
「弱小テレビ局の支局じゃ、手段は選べないって言われましたから。
……谷口さんは、そういうの好きじゃなさそうですね」
「……記者の本分は粘りと分析力だ。取材対象に付け込むような真似は邪道だと思っている。
それに、清原刑事はそういうのが通用しない。さっき彼と飲んだ動機だって、俺の私情が半分以上入っている」
「……やっぱり、真面目なんですね」
私はタクシーを呼ぶため手を挙げた。2人して後部座席に滑り込む。
「真面目なのは悪いことじゃないだろう」
「でも、心を許せる人って……いないんですか」
宮崎がしなだれかかってくる。……これはいけない。
「『女の武器』を使う相手が間違っているぞ」
「……間違ってないです」
「どういうことだ」
彼女が急に黙った。
「……私、前から谷口さん知ってるんです」
「それは聞いた。だが、宮崎芙美という記者は知らないぞ」
「『記者としては』です。学生時代に、一度だけ会ってます」
「……何?」
「読日新聞、私も受けてたんです。落ちちゃいましたけど。
でも、面接の時にカチコチに緊張して、本社の前で過呼吸になってた私を助けてくれた人がいたんです」
……覚えがある。その時、その子を少しだけ励ましていたような……
「まさか、それが」
「はい。谷口さんです。名前を知ったのは、NTVに入社してからですけど」
泣き笑い顔で、宮崎が言う。タクシーは、K支局に近付いていた。
「……そろそろ私は降りる。タクシーチケットは、私の名前を書いてくれ」
「家まで送ってくれないんですか」
「今日の清原刑事との話をメモに起こさねばならないんでね。君もそうした方がいい」
自分は無理をしている、と私は思った。メモ起こしは、明日でも多分できる。そこまで強烈に酔っているわけでもない。
これは、ただの口実だ。宮崎との関係を進めたくないだけの。
宮崎が寂しそうに笑った。
「……どこまでも、記者なんですね」
「……」
私は答えに窮した。タクシーがK支局に停まる。
「じゃあ、また……」
腕を急に強く引っ張られた。右頬に、柔らかく暖かいものが触れたのが分かった。
「……ええ、また」
ドアが閉まると、私はしばし呆然とそこに立ち尽くした。




