22日目
「痛っ……!!」
僕は右手を掴んだ。手術した右手中指はまだ強烈に痛む。ズキンズキンと、脈を打つような痛みだ。
手術から帰った日の夜は地獄だった。強力な痛み止めを飲んでも、効き目が2時間も続かない。
そのたびに目が覚め、震える足で痛み止めを流し込む。胃が荒れたのか、お腹まで痛くなってきた。
もちろん昨日は学校を休んだ。母さんがとても心配そうにしてたけど、辛さを表に出すわけにはいかない。
何とか前を向こう。それはある種の意地にもなっていた。
「大丈夫だっちゃ?食欲はあると?」
「うん、それは問題なかよ。今日の味噌汁、旨かねえ」
無理して笑う僕に、母さんの表情が曇る。
「無理せんでええんよ?指、あんまり良くないんでしょ?」
「平気平気。すぐに治るっちゃ。今日は普通に学校に行くよ、休んでばかりもあれだし」
「……そう」
そう、日常に戻らないと。そうしようとしなければ、自分が耐えられない。
僕は味噌汁でご飯を何とか流し込んだ。身体の怠さも、きっと心が弱ってるせいだ。そう思い込むことにした。
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「具合悪そうやね」
翔琉が横からボソッと口を出してきた。僕はそれをチラリと見る。
「授業中や。静かに」
「ペン握って大丈夫なんか」
「大丈夫、心配なか」
黒板に視線を戻すけど、あまり内容は頭に入ってこない。やはり痛みがどうしても先に来る。
休み時間に痛み止めを飲まないと話になりそうもないけど、そうすると今度は強烈な眠気が襲ってくる。
悔しいけど、翔琉の言う通り体調がいいとは言えないな、これは。
翔琉やバレー部の皆には、指先の骨折が判明したと言っている。本当のことを言って心配はかけたくないし、まだ言うべき時でもない。
しかし、このきつさは油断すると凹みそうになる。……耐えなきゃ。
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青息吐息で何とか授業を終えた。受験勉強が本格化するまでに、少しは良くなってくれるだろうか。
毎週金曜の放課後は美里と会ってるけど、今日は手術直後ということで断っている。その分、日曜に少しということになった。
痛み止めのせいで怠い身体を何とか動かし、通学用の原チャに乗る。校門を出ようとした所で、不意に呼び止められた。
「勇人、ちょっと時間あるか」
「……!!洋さん。なぜここに。授業は明日じゃ」
そこにいたのは、紺のスーツに身を包んだ洋さんだった。隣には、ポニーテールのかわいらしい女性がいる。彼女かな。
「授業の話じゃない。それに、叔母さんからは君の体調を鑑みて明日は休みにすると聞いてる。
今日来たのは仕事の話……というか、辰夫の話だ。少し、時間いいか」
「……いいっすけど。そこのファミレスに」
「いや、人払いをしたい。叔母さんにも聞かれたくない。どこか、できるだけ人が来なくて静かな場所がいい」
そんな場所なんて……あった。兄ちゃんと会った、あそこだ。
「……O尾駅の駅前に、喫茶店が。そこでいいですか」
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「こういうものです」
ポニーテールの女性が名刺を差し出した。「NTV K支局記者 宮崎芙美」とある。
「テレビ局の人ですか?」
「本来、他社の記者とは一緒に動かないんだがな。成り行き上、この件は一緒にやらざるを得なくなった」
小さな溜め息を洋さんがつく。彼女じゃなかったのか。まあ、彼女連れで僕に会いに来るのも変だけど。
「よろしくね、勇人君」
「は、はあ。……で、何で洋さんが。兄ちゃんについて、ですよね」
「ああ。最近死んだ先輩……藤木駿と会っていたという話を少し思い出してね。
それで、取材中に彼が戸倉辰夫を追っていたと聞いた。それが彼の死の遠因ではないかと」
心が一気にざわついた。
「……何とね」
「辰夫には私も長く会ってない。住む世界が違い過ぎたしな。
ただ、あいつは決して悪いヤツじゃないと知ってもいる。だから、できるだけ助けたい」
「……兄ちゃんの行き先を知って、どうすると?そもそも俺知らんもん」
「警察が身柄を保護したがっている。3年前の宮東会組長暗殺事件。下っ端だったが、辰夫はその殺害犯の一味だった。
そして何かを持っている。それを狙って、藤木たちは動いていた」
手に汗がぶわっと広がった。そんなことまで知っているのか。
洋さんがコーヒーを一口飲んだ。
「それを知ったからといって、記事にするわけじゃない。俺たちは捜査協力者の立場だ。辰夫を助けたいというのがまず第一にある」
「洋さんは分かるっちゃ。でも、その女の人は」
「ああ……ごめんね。私は本当になり行き。でも、お兄さんの情報は漏らさないと約束する」
信用してもいいのだろうか。僕はアイスコーヒーを啜った。
「……兄ちゃんは中部に行ったとね。本当に、それしか知らんちゃ」
「それは知ってる。砂川組の勢力圏だ」
「……え??」
砂川組?それって、ヤクザじゃ……
洋さんが静かにカップを置いた。
「辰夫は砂川組に庇護を求めてる。ただ、それにしてもヤクザはヤクザだ。下っ端に過ぎなかった辰夫を守る理由は、普通はない。
穏健派の大物だった浅尾が守っていたことからして、辰夫には何かしらの価値があると思う。それが何か分かれば、警察も動けると思うんだ」
「……何か知ってる?」
宮崎という記者が訊いてきた。僕はブンブンと首を振る。
「知るわけないっちゃ!そんなん」
「……辰夫とは、最近会った?」
「そうっちゃ。2週間ぐらい前、ここで。でも、ほとんど何も話しとらんと。俺の顔が見たくなったっち……」
洋さんが目を細くした。
「それだけ?」
「そうっちゃ」
「…………どういうことだ。会った意味があったんじゃないのか」
洋さんは黙ってしまった。そして、首を軽く振る。
「……それはあとで考えるとするか。とにかく、辰夫は狙われてる。せめて巴の結婚式には安心して出させてやりたい。……そして……」
「……どうしたと?」
「……何でもない。身体はどうだ」
「手術の痕が痛いっちゃ。……何故俺に言うてくれんかったの」
僕は洋さんの目を見る。……この人は、僕の病気を見抜いていた。なら何故、僕にそれを告げなかったのだろう。少しの憤りが、声に出た。
洋さんが深く、息を吐く。
「……私は医者じゃない。無闇に心配をかけたくはなかった」
「診断結果、知っとるん」
「……九大病院に行ったんだろう。見当は付いてる」
唇を噛む洋さんを見て、僕は悟った。この人も、苦しんでいるんだ。
「……癌かもしれんて」
「……そうか」
宮崎記者がハッとした顔をした。洋さんが目を閉じる。
「なら、いよいよ辰夫を見付けないとな」
「え」
「家族は支え合うものだろう?私も、一応その一員だ。君も、辰夫も、死なせるわけにはいかない」
目を開けた洋さんの目には、強い決意があった。




