16日目-2
……戸倉家を出て、私は深い溜め息をついた。
私は医学の専門家ではない。しかし、飯塚総合病院への取材の下調べで、あれが何かは薄々予感していた。
こんなところで、あの知識が役立つなんて思いもしなかった。役立ってほしくもなかったが。
まさか、という思いとそんなはずはない、という思いが交錯する。O尾駅に向かう10分ほどの道のりが、随分長く感じられた。
彼に直接言うべきだろうか。しかし、医者でもないのに不確かなことを伝えるわけにはいかない。私にできるのは、百合子叔母さんへの助言だけだ。
問題は、伝え方だ。私の杞憂である可能性も相当高い。
明日、それとなく電話で伝える程度に、まずはとどめておこう。無用な不安は、まだ与えるべきじゃない。
しかし、もし私の予想が確かなら……
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「……ふう」
私はここに来て最初に入った、小倉の角打ちにいた。客層も接客もあまり良くないが、モツ煮込みはなかなかの逸品だ。
これに合わせるのは黒霧島のお湯割り。ビールもいいが、この濃い味には芋焼酎の風味が合う。
モツを口に放り込み、黒霧島で流し込む。熱い感触が、喉を通った。
「あれ、谷川さんじゃないですか?」
「……宮崎君か」
まさかこんな所で会うとは思わなかった。彼女は見た目はいいが、性格的に噛み合わない感じがする。
この前は助けた後に簡単な挨拶をして別れたが、さてどうしたものか……
「谷川さん、一人飲み好きなんですか?」
「いや、そこまででもないが。君も、あんな目に遭ったのによくまたここに来たな」
「えへへ、ここのモツ煮込みが美味しくて。あ、ビールとモツ煮お願いします!」
随分元気な声で宮崎が言う。一人で飲みたい気分だが、これは許してくれそうもないな。
「K市はどうだ?私はあまり慣れないが」
「あ、私結構好きですよ。ラーメンも流石本場!って感じですし」
「そうか?私には臭過ぎてキツいんだが」
「それがいいんじゃないですか。あ、来た来た」
彼女の前にモツ煮込みとビールが置かれる。
「じゃ、こっちに来て1週間記念ということで、乾杯!」
「あ、ああ」
カチッ、とグラス同士が合う音がした。宮崎は一気にジョッキの半分ぐらいを飲み干す。
「……よく飲むね」
「えへへ、お酒は休日の一番の楽しみですから」
ぷはぁと幸せそうに彼女が息を吐いた。……正直、そこまで日々を楽しめる彼女が羨ましくなった。
「谷川さんは何して休日過ごしているんですか?」
「……どうだろうな、取り立てて趣味はないが……さっきまで従兄弟の家庭教師をしていた。副業禁止だから、無給だが」
「無給!?すごいですねぇ。従兄弟さん、喜んでるんじゃないですか?」
「だといいんだけどな」
私は焼酎のグラスを煽った。彼についての嫌な予感を振り払うためにここに来たのだが……
宮崎は目を輝かせている。
「きっとそうですよ。谷川さん、教えるのうまそうですもん」
「……私の話を、誰かから?」
「はいっ!読日はエース級が来たって噂になってますもん。それに、あのうざったい東日の記者を……あ、これ言っちゃダメなヤツでしたっけ」
私は苦笑した。
「ろくでもない噂だろう?」
「そんなことないです!実は私、谷川さんが東京にいた頃から知ってたんですよ」
「……そうなのか?」
「ええ。……だから、ここで名刺交換した時、ちょっとびっくりして」
それは意外だった。彼女とは接点がないはずだが。
「ま、それはいいじゃないですか。飲みましょ?というか、美味しいご飯屋さんの情報交換しません?」
「私はそこまでのグルメじゃないが、それでもいいなら」
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彼女と別れたのは、23時前だった。……勇人のことを少し忘れるには、十分な時間だった。




